しゃべり場

香水とパンのニオイが漂うロシアへ

みなさん!はじめまして。
博士課程のムンゲンタォリです。

今回のこのエッセイは、昔から抱き続けてきた「ロシアを旅する」という夢が叶い、その旅の始まりでわたしが感じたことを包み隠さず書いたものです。
旅の目的は、ロシアに住む「カムニガン」と自称する人々と会うことでした。

2025年の9月に、中国・内モンゴルのハイラル市から、ロシア・ザバイカルのチタ市へ直行便に乗り、旅に出ました。この便は、週に二回しか運行されておらず、当時の搭乗者はわずか19人でした。
わたしの中は、「ロシア語ができない」という不安よりも、「やっとロシア社会で揺らげるやんっ!」というワクワクした気持ちで溢れていました。

「彩り」

フルンボイル上空から地下を見下ろすと、屋根の色は青が目立っていました。
が、ロシア領内に入ると、ブラウンや赤、緑といった彩り豊かな屋根の風景が第一印象として目に飛び込んできました。

写真1 飛行機から見ていたカラフルな屋根はこちら

写真2 お世話になったおばあさんの青い家

この旅の後半で知ったことですが、わたしがお世話になったおばあさんの村では、秋になると家の外壁や庭の塀を自分の好きな色に塗り直すそうです。自分の家を「美しくする」ために、誰もが熱心に取り組んでいました。
そんな色鮮やかな塀に囲まれた敷地内には、冬用の家屋、夏を涼しく過ごすための家屋、鶏小屋、トイレ、そして驚いたことにシャワー専用の小屋までありました。これらの建物もすべて、カラフルに彩られていました。

「鋭く見つめる瞳と静かな優しさ」

チタに着陸すると、そこはすべてがロシア語の世界でした(当たり前のことですが…)。
空港の税関エリアで出会った職員たちは、あまり笑顔を見せませんでした。鋭い眼差しで真っ直ぐに見つめ、まるでこちらの心の中をすべて見透かすような深い視線を持っていました。
その厳しい視線と言葉を受ける側のわたしは、「こんにちは」「ありがとう」程度の簡単なロシア語しかわかりません。投げかけられる単語を一つ一つ拾い集め、一生懸命に理解しようと努めましたが、無駄でした。
けれども彼らは、わたしの「ロシア語理解力はゼロ」だと判断しても、ただ突き放すのではなく、できる範囲の英語を使って説明してくれました。そこに、静かな優しさのようなものを感じました。
ロシアの人たちは、冷たく見えましたが、どこか優しかったです〜

「香り」

空港まで迎えに来てくださった親子と合流して、そこで初めてロシア式の挨拶――軽いチークキスとハグ――を体験しました。
あの瞬間でパフュームの香りが一気に近づいてきました(いい匂いでしたよ〜)。
母語である「カムニガン語(学術的にカムニガン・モンゴル語と呼ばれるが、ここで現地の呼び方を使う)」は、年配の人がごくたまに話す程度でした。
「知っている単語を全部思い出して、それらを組み合わせてあなたと喋っている」ということでした。その言葉は少しぎこちなかったものの、ゆっくり、丁寧に話してくれました。
遠くから流れてきた同じ民族の一人として、わたしにこうして接してくれているのだと思いました。この時の温かい言葉のやり取りは、あのパフュームの香りとともに、今でもわたしの記憶に残っています。

「ここだけのジャガイモ」

チタの空港から車で半円を描くように30分ほど走ったところにあるレストランで、食事をすることになりました。この地域の人々は、ブリヤート人が開店した「アヤン」というチェーンレストランを好むようです。メニューにはモンゴル料理、ウズベキスタン料理、イタリアン、日本料理など、さまざまな種類がありました。日本料理のメニューには、もちろん「お寿司」もありました。

写真3 アヤンカフェと店先にいたワンちゃん

写真4 モンゴル料理のメニュー(なぜか手が描かれている)

写真5 日本料理のメニュー(お箸がちゃんと描かれている)

レストランに入ってすぐ「手を洗いに行こう」となり、その後に席に戻ってから注文を始めました。
「ここのジャガイモはあなたの食べてきたジャガイモとは味が違うから、よく味わってくださいね」と言われました。今振り返ると、この旅には「ジャガイモの味が本当に違うのか」を確かめる、小さな味覚の冒険も含まれていたように思えます。
実際に食べてみると、確かに味が違いました。
うまく言葉にするのは難しいが、油っぽくて、味が濃くて、どこか力強いジャガイモでした。

写真6 ジャガイモと内臓ソーセージ

「名が離れる」

そのレストランでの会話の中で、「よく一人で来たね!勇気のある女の子だ」と驚かれ、わたしに「Виктория(ウィクトリア)」という名前をつけてくれました。ただ、それのままだと長いため、「Вика(ウィカ)」と呼ぶことに決まりました。
こうして、到着から1日も経たないうちに「ムンゲンタォリ」という名は消え、わたしは一時的に「ウィカ」として生きることになったのです。

「つながりの外にあるような村」

この旅の目的地は、「あわい」村です(この村に暮らす人々の間に少し境があるように感じたので「あわい」村と呼ぶことにする)。チタ市から南東に約200km離れており、乗合ワゴンとタクシーでおおよそ4時間かかる場所にあります。
村の中心道を進むと、道沿いにパン屋があり、その隣には小さなショップがありました。当初はパン屋とショップだと知りませんでした。パン屋であることを示す表示はどこにもなかったのです。
さらに道を北へ進むと、コルホーズ時代の搾乳場の跡が残っていました。石造りの建物でしたが、窓や屋根は失われ、壁だけが静かに立っていました。この建物は、かつてコルホーズの搾乳場が存在したことを示し、人々にその記憶を思い起こさせるかのように、静かに立っていました。

「手で食べるボーザは美味しい」

パン屋に入ると、入口で「ディンドン」と、客が来たことを知らせる音が店内に響きました。中には大きな空間が広がっていて、宴会場のように長いテーブルが並んでいました。奥に進むと、その先にパンを作る部屋がありました。
わたしをこの村に連れてきてくださった方は、このパン屋で働く姉妹の姉でした。その方はわたしのことを「この子はカムニガン語しか話せないの!」と冗談めかして妹たちに紹介してくれました。
こうして始まった一週間の中で、わたしはこの姉妹たちやおばあさんと、「知っている言葉をつないで話す」時間を過ごしました。辞書を使ったり、身ぶりで伝えたり、指をさして説明したりしながら、お互いに足りない言葉を補い合いました。
挨拶の後に、宴会場のテーブルでご馳走してもらうことになりました。食卓に最初にパンが出され、そのあとにおかず、そして最後にボーザ(主にブリヤート人が作る蒸し餃子)が運ばれてきました。
手を洗って席に着いたあと、わたしは箸がないことに気づき、箸を求めましたが、お箸の単語が知らなかったので、身ぶりで説明すると、お姉さんは奥に行き、割り箸を持ってきてくれました。
そのとき、「木で食べるの?」と笑いながら聞きました。「手で食べてみて!その方が美味しいよ!」彼女たちは笑いながらそう勧め、手で食べることで生まれる味わいの違いを教えてくれました。その時ようやく、あのレストランで「まずは手を洗いに行こう」と促された意味と、メニューに描かれていた「ボーザに添えられた手」のイラストの意図が理解でき、すべてが腑に落ちました。
手で食べたボーザは、やけにうまかったです〜

写真7 呼吸のようなパンとボーザのご馳走

というわけで、この旅は、彩りのある風景の中で、鋭い眼差しと静かな優しさに触れ、香りに包まれながら、ここだけのジャガイモを味わい、名を手放し、つながりの外にあるような村で、知っている言葉をつなぎながら生きた時間でした。
通じないはずのものが、確かに通じていました。

素敵な出会いに心から感謝しております。
そして、このかけがえのない出会いの実現を支え、わたしの歩みを後押ししてくださったすべての支援に、深く感謝を伝えたいと思います。

長くなりましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございます。

小さな幸せに、ふと気づける日々でありますように〜