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『牧畜を人文学する』の書評がでました

歴史学と人類学による牧畜論

新たな資料に基づく瑞々しい記述

 

高倉浩樹 「週刊読書人」2021年7月2日号

 

 歴史学と人類学による牧畜論である。社会科授業で断片的に紹介される牧畜民の世界史的意義や文化的特質、難民問題や民族問題の背景にある現代世界における辺境的位置づけが分かってくる。かなり専門的内容が含まれているが、何より読み物として楽しい。

 

 第一部「変遷」は牧畜民の世界史である。一章「ユーラシア牧畜民がリーダーに求めたものとは?」は、匈奴・チンギスハーン・ティムールらを取り上げ、そのリーダー像や統治原理に見られる属人主義的な特質を説明し、民族の枠を越えた柔軟な政治体制がなぜ現れたのかを説明する。二章「アフリカ牧畜民は帝国をどう経験したのか?」は、移動を常とする牧畜社会に国境が引かれた歴史の影響=アフリカにおける帝国主義が牧畜民側から描かれている。三章「ロシアの牧畜民はなぜ魚も好むのか?」は、一七世紀にウラル山脈を越えてヨーロッパに移住したモンゴル系カルムィク人の知られざる歴史である。四章「ソ連はカザフに何をもたらしたのか?」は、社会主義政策による遊牧文化への影響を概観している。

 

 第二部「境遇」は牧畜社会と農耕民・国家との関係である。五章「ヒマラヤ牧畜民の暮らしに大切なものは何?」は、交易を軸とする農民・牧民の協力関係が描かれ、しかしそれは不平等な性質であることが指摘されている。六章「エチオピアの遊牧民はなぜ畑を耕すのか?」は、国民統合の過程で農耕化しつつも、牧畜文化を維持するボラナ社会の記述である。農耕化という意味では内モンゴル、国民統合という点ではソ連・多民族統治と比較したら面白いだろうと思った。七章「トルコの遊牧民は時代遅れか?」は、経済というよりむしろ象徴的役割を果たしている牧畜は、トルコ国民のアイデンティティ形成にも寄与しているにもかかわらず、牧畜「民」は差別される現実を描いている。八章「土地の私有化はモンゴルになぜなじまない?」は、資本主義化のなかで国際開発機関が促進した放牧地の私有化を拒否し、それに代わる制度を作り出したモンゴル国の実情が詳らかにした。

 

 第三部「共生」は、牧畜社会に見られる倫理を扱っている。九章「シベリアでトナカイがはぐれたらどうする?」は、従来知られてこなかったトナカイ牧畜民の隣人関係の民族誌であり、資料的価値が高い。十章「チベットの牧畜民にとって親族とは何か?」は、ニェディと呼ばれる親族を基軸とした社会集団の形成が、現在生成される様を描いている。その理由は、五章や七章と同様に農耕民との不平等な関係にある。一一章「ナイル牧畜民はなぜ敵を助けるのか?」は、紛争における命乞いという社会過程を描いた圧巻の民族誌である。生き残るためには、眼前の敵に対し、身体と声に共振するコミュニケーションを作り出せるかが重要という指摘は、我々が十分に概念化できていないコミュニケーション様態が存在していることを示唆している。一二章「ユーラシア牧畜民の英雄叙事詩とは何か?」は、文字を持たなかった民族のなかで継承されてきた豊かな口承文芸の紹介である。

 

 章の題目だけを見ていても興味がかき立てられるが、中堅から若手の研究者による新たな資料に基づく瑞々しい記述はその期待を裏切らない。新聞などで報道される国際社会を理解する上でも、牧畜というキーワードが重要な位置づけをもっていることを実感させる図書であった。あえていえばアンデス牧畜民が入っていないことが残念であった。

(たかくら・ひろき=東北大学大学院教授・文化人類学)

 

★シンジルト=熊本大学大学院人文社会科学研究部教授・社会人類学・内陸アジア研究。

★ちだ・てつろう=名古屋外国語大学世界共生学部准教授・ソ連史・中央アジア地域研究。

 

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