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『目でみる牧畜世界――21世紀の地球で共生を探る』が刊行されました!

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はじめに
 
《シンジルト》
 
 クレヨンで虹を描くように世界地図を指でなぞりながら見ていく。左下の東アフリカから上の中央ユーラシアへ、そして中央ユーラシアから右下の南アメリカへと、扇状の乾燥地帯がひろがっていることが分かる。これこそが牧畜民が暮らす空間である。この空間を舞台にして活躍してきた牧畜民の歴史と文化を紹介するのが、本書である。
 多くの読者にとって、牧畜民は教科書でしか出会えない存在であろう。長い間、牧畜民の歴史や文化をめぐる世間一般の認識はかなり素朴なものだった。西洋と東洋を結ぶシルクロード、東西文明の十字路といった具合に、牧畜民の歴史的な位置づけはその外部にある文明の通過点にすぎなかった。また、自然環境に適応した暮らしぶりや家畜に合わせて移動する越境性から、牧畜民はまともな文化を持たないものとみなされ、野蛮や破壊といったマイナスなイメージと結びつけられやすい。
 だが今日、学界内では牧畜民をめぐる認識が改められるようになっている。スキタイや匈奴、突厥やモンゴルなど、国家にも民族にも融通無碍である彼ら牧畜民こそユーラシアの歴史を突き動かしたとする研究(杉山正明『遊牧民から見た世界史:民族も国境もこえて』一九九七、日本経済新聞社)や、世界史はモンゴル帝国とともに始まったのであり、中央ユーラシアの草原の牧畜民の活動が、地中海文明と中国文明の運命を変えたとする研究(岡田英弘『世界史の誕生:モンゴルの発展と伝統』一九九九、筑摩書房)が現れた。
 そして、グローバル化は何も産業革命や冷戦以降に限られるものではなく、産業革命や大航海時代をさらに遡ったところから既に始まっており、それを促したのがモンゴル帝国の拡張がもたらした、ユーラシア大陸の内陸交通とインド洋における海洋交通の有機的結合、すなわち「一三世紀世界システム」だったとする学説も登場した(ジャネット・L・アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前:もうひとつの世界システム』二〇〇一、佐藤次高他訳、岩波書店)。このように、西洋中心史観や中華中心史観、そして定住民中心史観が揺さぶられつつある。
 さらに、牧畜の一形態である遊牧に、西洋近代文明が直面する課題の解決策を見出そうとする識者も増えている。人類学にも多大な影響を与えた思想家ドゥルーズらは、越境性を特徴とする遊牧民の文化や生き方を基にノマドロジーという概念を導入し、定住民の閉塞的な思想や生き方、ひいては権力のくびきから脱走し、境界を横断しながら多様性を生きる可能性を模索する(G・ドゥルーズ/F・ガタリ『千のプラトー』一九九四、宇野邦一他訳、河出書房新社)。
どうやら、遊牧民の暮らしは教科書の中だけに留まる話ではないようだ。彼らは、近代社会を生きる我々にいい影響を与えるヒントを持っているのかもしれない。
 では、牧畜民たちが歩んできた真の歴史と、今おかれるリアルな状況をどのように理解すればよいのか。実際、彼らの生き方から何が学べるのか。
 本書は、一二人の歴史学者と人類学者が一堂に会して、文字だけではなくフィールドで撮られた写真というメディアを生かし、アフロ・ユーラシア、南アメリカ大陸に暮らす牧畜民と、彼らを取りまく環境が構成する牧畜世界の現在を描く。そして、その世界で醸成されてきたもう一つの共生の論理を見出そうとするものである。
  世界の牧畜をめぐる我々の研究成果が、本書を通して多くの人びとのもとへ届くことを祈念する。
 
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