漱石とパリ
漱石が到着したリヨン駅
1900年10月から約二年間漱石はロンドンに留学します。横浜港を出発し、スエズ運河経由で地中海に入り、10月19日にイタリアのジェノバに上陸。ジェノバからは列車でフランスへ向かい、10月21日朝、パリのリヨン駅に到着しました。
漱石はエッフェル塔には昇っていますが、ノートルダム寺院、凱旋門、そしてルーブル美術館など名所旧跡は訪れていません。パリ滞在の主な目的と考えられるのは、一週間の間三度足も運んだことからも、当時開催されていた万国博覧会です。漱石は博覧会場で、美術、工芸作品も鑑賞していますが、やはり最先端の技術、科学を各国が競って展示するのが万博であり、フランス革命百周年を記念し開催された1889年の万博がエッフェル塔に象徴されるように鉄とガラスとすれば、1900年の万博では、動く歩道など電機や電気が新しい文明の主役として注目を浴びました。
オスマンによるパリ改造によって整然と統一された街並み、光あふれる繁華街、そして万博会場で新しい文明をパリで見て、漱石はロンドンに渡ったのです。