熊本時代の漱石の読書――樋口一葉と広津柳浪

夏目漱石は、実父直克の死去を承けての一八九七(明治三〇)年七月四日からの約二ヶ月間の上京期間中に、当時『読売新聞』に連載中の尾崎紅葉「金色夜叉」(同年一月一日連載開始)などと並んで、「たけくらべ」を含む樋口一葉の著作と広津柳浪「今戸心中」を読んだことが知られています。
「たけくらべ」の初出は『文学界』での七回連載(明治二八年一月-二九年一月)であり、『文学界』連載終了後に『文芸倶楽部』(明治二九年四月)に一括再録されていますが、漱石が読んだのは一葉の没後刊行の『一葉全集』(明治三〇年一月 博文館)であったようです。また、柳浪の「今戸心中」の初出は『文芸倶楽部』(明治二九年七月)でした。
夏目鏡子『漱石の思い出』によれば、漱石は紅葉の〈『金色夜叉』にはいっこう感心していなかった〉そうですが、この両作家には〈感心〉していたと記されています。〈感心していたのは一葉女史の作物でした。一葉女史の全集を買って参りまして、官舎の二階にねころびまして、『たけくらべ』などにはことに感嘆して、男でもなかなかこれだけ書けるものはないと申して、しきりに全集を読んでいたそうです。これは私の弟から聞いた話です。それから私が覚えているものでは、広津柳浪の『今戸心中』に感心していたことでした。〉(夏目鏡子『漱石の思い出』)当時既に世評の高かった紅葉の新聞小説「金色夜叉」を否定して、一葉「たけくらべ」と柳浪「今戸心中」を肯定する漱石の批評眼の背景にあったものは、興味深いものがあります。硯友社文学の延長上で類型的な人間観の表出に留まった「金色夜叉」に対して、同時代の東京吉原とその周辺の空間にあった人々(特に女性)を巧みに描写して、近代都市の周縁部で管理されると同時に不安定な形での生を強いられた同時代人の現実を描いた両作品への評価は、漱石の当時の知的関心をうかがわせるものではないでしょうか。

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