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<日本の安楽死事件>

 東海大学安楽死事件・京都京北病院安楽死事件・川崎協同病院安楽死事件の新聞報道などから、これらの事件についていくつかの共通点を見ることができるかもしれない。まず、東海大学安楽死事件の横浜地裁の判決で示された、積極的安楽死の4要件を各事件に照らし合わせて考えてみたい。東海大事件の横浜地裁の要件とは、@患者が絶えがたい肉体的苦痛に苦しんでいるA患者は死が避けられず、その死期が迫っているB患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替する手段がないC生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある。以上の4要件を指す。

 東海大学事件においては、患者は事件が発生する直前は深い昏睡状態にあり、肉体的な苦痛を感じる状態にあったとは考えにくい。また、昏睡状態に陥る前の肉体的苦痛についても解決可能なものであったと考えられる。よって@の要件を満たしていない。同様に、京都京北病院事件・川崎協同病事件においても、患者は深い昏睡状態にあったため@の要件を満たしていない。また、東海大事件においてはCの要件も満たされないとされている。この患者には病名の告知はされておらず、医師は患者の家族に病名を伝え、本人への告知は家族の自由意思にまかされた。この状態では、患者は生命の短縮に対する明示の意思を表すことはできないだろう。このCの要件に関しては、まったく同様の理由により京都京北病院事件・川崎共同病院でも満たされていないと考えられる。京都京北病院事件では@・Aに加え、Bが満たされないとされる。患者は腸閉塞がひどくなり、モルヒネの投与をしてもけいれんが治まらなくなっていたが、この場合でもまだ抗けいれん剤を投与するなど代替手段が残されていた。川崎協同病院事件については、この4要件に対する病院側の発表があったので、それを参照したい。「今回のケースにおいて川崎協同病院は、@意識がない状態で、患者は苦痛を感じる状態になかったA口内のチューブが入った状態であれば死亡する可能性がないBチューブを再挿入する手段があったC本人は意識がなく、意思表示ができなかった…と、いずれも4要件に該当しない(2002・04・22読売新聞記事より)」つまり、4つの要件すべてを満たしてはいない。東海大学事件では4要件という司法判断が示されたが、京都京北病院事件では筋弛緩剤の投与は直接の死因ではないとの判断から不起訴処分に終わっている。川崎協同病院事件は、検察が起訴したということからなんらかの司法判断が示されるだろう。死期が目前に迫っているわけではない患者を医師の独善的な判断で死に至らしめたことから、殺人罪に問われる可能性が大きいように思われるが、司法判断についてはこれからの報道を待ちたい。

 以上のように、3つの事件すべてに共通するのは@とCである。@の要件において、耐えがたい肉体的苦痛とあるが、現在ホスピス医療などの現場では患者の苦痛の9割が除去可能なものであるとされている。新聞報道などからは、患者が意識不明の昏睡状態に陥る前にも医師が積極的に苦痛除去のために行動したという情報はなく、適切な処置がとられていなかった可能性がある。これは患者の延命処置を重視し、患者の苦痛緩和を軽視するという日本の医療の現状が顕著に表れている。
Cの要件においてだが、3つの事件の患者は自らの病名や病状をなにも知らなかったことが最も問題だろう。患者が自分の病状を知っていれば、昏睡状態に陥る前に苦痛の多い処置を拒否し、納得のできる医療を受けられたかもしれない。しかし実際は、患者本人が不在のまま家族と医師とのあいだで話し合われ、延命治療を優先する医師の意見により治療が進められた。このような非倫理的なことは、表に出ないものも含めて相当数行われているものと思われる。安楽死は原則的に認められない。尊厳死に関しては、「誰もが自己自身にふさわしい死を迎えることができるように、医療を改革し、終末期医療(ターミナルケア)を充実させる必要がある」ということである。実際、尊厳死の宣言書に署名した人だけが尊厳ある死を迎えることができ、そうでない人は悲惨な死に方をするというのでは、医療の実態は少しも変わらない。終末期医療の改革に関して日本尊厳死協会の果たしてきた役割とその意義を否定するものではない。しかし、それだけでは十分ではない。リビング・ウィルを書いた人も、まだ書いてない人も含めて、誰もが尊厳ある死を迎えることができる。これが理想的な医療のあり方でだろう。

<東海大学事件について>  <京都京北病院事件について>  <川崎協同病院事件について>


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