京都京北病院事件

事件の経緯

 19964月,末期癌で入院していた昏睡状態の48歳の患者に医師の独断で筋弛緩剤を投与,約10分後に死なせたとして,京北病院の当時の院長が翌年殺人容疑で書類送検された。

 患者本人に告知はされておらず,患者からの意思表示もなかった。前院長は事件直後,「安楽死の認識はあった」と話したが,半年後には「苦悶の表情を消すのが目的で医療行為の一環」と主張,「筋弛緩剤の効果が表れるまでに起きた自然死」と殺意を否定した。結局,筋弛緩剤投与と患者の死の因果関係などの立証が困難となり,最終的には今回の死は「安楽死」や「慈悲殺」ではなく自然死だったと判断されたため,「容疑なし」で不起訴処分に終わっている。

場所 京都府北桑田郡京北町の京北病院

(過去10年間に、同病院で家族の希望でモルヒネを連続投与し、末期患者が亡くなったケースがある)

48歳の末期癌患者(院長とは20年来の知人という関係)

19949月 住民検診で胃がんが見つかる

   10月 入院・手術

1995年秋  肝臓がんが進行していることが判明

1996

 41日 再入院 この時、家族と口頭で@延命治療はしないA苦痛は取り除くことに合意

 4月下旬 腸閉塞がひどくなり、モルヒネを注射しても痙攣が治まらなくなった

      主治医は臨終が近いことを告げ(誰に?)病室を出る

      患者の妻が見ていられなくなり、「もう苦しませないでくれ」と泣き叫ぶ

      院長が病室に入り、筋弛緩剤を持ってくるように命じた

      院長は筋弛緩剤の投与を決断(看護婦は点滴を拒否)

      レラキシン200rを生理食塩水100mlにまぜて点滴

      この筋弛緩剤投与の相談は主治医にはなされなかった

      看護婦の内線電話にて事実を知り、院長からの説明は531日にされる

      数分で患者は死亡

院長のコメント 「生から死へのスムーズな移行も医師の仕事。殺人という意識は全くない」

        「あの状況では仕方はない」

        「結果として一人の人間の生死を自分一人の判断で決定した」

 そのうえで… 「患者は自然死」と主張、「投与は患者の顔の引きつりをとるため」

京都の病院長が末期がん患者「安楽死」

佐賀新聞 1996/06/07

 京都府北桑田郡京北町の京北病院=**院長(58)=で四月、入院中の末期がん患者に対し院長自らが、呼吸不全を起こさせる筋弛緩(しかん)剤を投与し、直後にこの患者が死亡していたことが六日、明らかになった。京都府警捜査一課は院長が「安楽死」させた疑いもあるとみて、殺人容疑で院長から事情を聴くとともにカルテの提出を求めて捜査を始めた。**院長は「本人の意思確認はないが、殺人という意識は全くない。(法の)裁きには従う」としている。本人へのがん告知はしていないという。医師の薬物投与による「安楽死」は、一九九一(平成三)年の東海大「安楽死」事件以来で、終末医療の在り方、安楽死、尊厳死の要件についてあらためて論議を呼びそうだ。

 **院長によると、この患者は同町内に住む四十代の男性会社員で、院長とは二十年来の知人だった。九四年九月の住民検診で胃がんが見つかり十月に入院、手術したが、昨年秋には肝臓に進行がんが見つかり、今年四月一日、最後の入院をした。この際、家族とは口頭で@延命治療はしないA苦痛は取り除く―という合意をしていた。

 四月下旬には、腸閉塞(へいそく)がひどく、腹部の病巣が皮膚を突き破りそうな状態になり、鎮痛剤のモルヒネを注射してもけいれんが治まらなくなったため、院長はモルヒネの投与量を増やし鎮静剤の静脈注射をしたが、功を奏さなかった。

 血圧が極度に落ち込み、患者の妻が「もう苦しませないでくれ」と泣き叫んだため、院長が筋弛緩剤を点滴の中に入れて投与することを決断、自らが点滴を開始した。数分で患者は死亡した。

 **院長は「生から死へのスムーズな移行も医師の仕事だ。殺人という意識は全くない。本人、家族と薬で安楽死させるという合意があったとは言えないが、あの状況では仕方なかった。捜査には協力を惜しまないし(法の)裁きには従う」と話している。筋弛緩剤のことは家族に約一カ月後に話したという。

 五月末、京北署に「京北病院で末期がん患者が死亡したが、安楽死ではないか」という匿名の電話があり、京都府警が捜査に乗り出した。府警は、**院長が「安楽死」についての患者の意思確認をしていなかった疑いがあるとみて調べている。

 同病院はベッド数六十七で、内科、外科、小児科など八つの科を持つ総合病院。これまで医師が患者を薬物で「安楽死」させたケースとしては、神奈川県伊勢原市の東海大付属病院で九一年四月、男性末期がん患者の主治医がこの患者に塩化カリウムを注射して死亡させ、九五年三月に横浜地裁で殺人罪で懲役二年、執行猶予二年の判決を受けた。

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〈**院長「医師として信念持って」〉

 「私は医師として、信念を持ってこの行為をしました」。末期がんの患者に筋弛緩(しかん)剤を投与し、断末魔の苦しみを訴える患者を死亡させた京北病院の**院長(58)は六日夜、京都府京北町役場で記者会見し、自らの行為を振り返った。

 **院長と患者は二十年来の友人だった。友人は入院中、のたうち苦しみながら死んでいく末期がんの患者を多く見ていたという。

 院長は「奥さんの強い要望で、友人に末期がんを告知することができなかった。しかし友人は他の患者の苦しみ方を見てきており『もし自分なら、早く楽にしてほしいよ』と言っていた」と語った。「安楽死が法的に認められていない現状で『私があなたの死の苦しみを取り除いてあげます』という約束ができるでしょうか」。**院長は充血した目で自

分に問い直すようにつぶやいた。

京北病院の筋弛緩剤投与事件

佐賀新聞 1996/06/08

終末期医療の延長としての「安楽死」だったのか、医療を逸脱した「殺人」なのか。京都府京北町立の国保京北病院長が末期がん患者に筋弛緩(しかん)剤を投与し、死亡させた事件は、末期の病に苦しむ患者への医療の在り方をあらためて問い掛けた。患者の苦痛を見過ごせず「医師としての信念」で自ら薬剤点滴のバルブを開いたという山中祥弘院長(58)は七日、過去にも数件、末期患者にモルヒネを大量投与し、結果的に「安楽死」になったと公表し、積極的に安楽死の是非を世に問う姿勢を見せる。今後の焦点は京都府警の捜査の行方。事件は医療現場にも大きく波紋を広げた。

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殺人の意識なし

京都市から周山街道を北に約三十`。週末にはアユ釣り客が訪れる人口七千人の山あいの町が揺れた。六日夜から七日まで四度もの記者会見に応じた山中院長の足取りは重い。疲れ切った表情を見せながらも、繰り返し「これを安楽死の法整備に向けた議論のきっかけにしたい」と強調した。

 院長によると、四月二十七日、モルヒネを大量投与しても患者はけいれんし、ほえるような叫び声を上げ続けた。「もうこれ以上苦しませないで」と泣き崩れる家族。院長は「筋肉弛緩剤を持ってきてくれ」と看護婦に命じた。「えっ」と聞き返す看護婦。院長は大声で繰り返し、看護婦は薬をセットしたものの「これ以上できません」と点滴を拒否したという。「現場のあの修羅場をみれば、苦しみを取り除いてやりたいと思う。殺人という意識は全くない」。院長は生から死へのスムーズな移行が医師の務めと断言した。

医療現場も批判

しかし、医療現場からは「末期患者の痛み治療と、薬剤で死期を早める行為は別」と強い批判が出ている。在宅ホスピスに取り組む中島美知子・中島医院院長は「末期のけいれんの止め方は抗けいれん薬など適切な方法がいくつもある。筋弛緩剤は手術時の人工呼吸管理で呼吸を止めるために使う薬で、ターミナルケアで使うのは許されない。医師の勉強不足ではないか」と手厳しい。院長は記者会見で「安楽死について現場の医師、看護婦らの間でコンセンサスはなかった」と認めた。医師が薬物を投与する「積極的」安楽死が許されるための厳重な要件の一つ、本人の明確な意思表示はなく、しかも妻への説明は死から一カ月後。「いま考えるとすぐ説明すべきだったが」と院長の歯切れは悪い。

 元最高検検事の土本武司筑波大教授は「今回のケースは今の日本では違法というほかないが、患者のためを思った行為。犯罪性が乏しく、ここに安楽死の問題の本質がある」と指摘した。

東海大安楽死事件の弁護人を務めた山田宰弁護士は「医師のぎりぎりの判断を『殺人』という言葉で片付けられるのか。患者の明確な意思表示があるのが理想だが、苦痛の中の患者らの叫びをどう判断するかは難しい」と、問題の奥深さを指摘する。

京都府警幹部は「東海大安楽死事件では投与した薬品の残りがあったが、今回はない。医師らから調書は取っているがまだまだこれから。数カ月単位でかかるだろう」と捜査の難しさを説明した。

 患者には告知しない。家族の意見は口頭で聞いておくが、最終的な医療行為は医師の独断で決め事後に説明―。国立がんセンター東病院の吉田茂昭副院長は、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)が確立していない日本の医療がもたらした悲劇とみる。

「延命治療をしてほしくない。あるいは一日も長く生きたい。患者の意思確認ががん治療の基本なのに、多くの患者が何も知らずに死んでいく」。インフォームドコンセントがどの病院でも行われていれば、この悲劇は起きなかったはず、と吉田副院長は訴えた。

「安楽死」事件、がん告知、意思確認せず

佐賀新聞 1996/06/08

 京都府京北町立の国保京北病院「安楽死」事件で、京都府警は七日、病院関係者らの事情聴取を進めるとともに、**院長(58)が末期がん患者に筋弛緩(しかん)剤を投与した行為が殺人罪に該当するかどうか、京都地検と協議を始めた。**院長はこの日、未明から午後にかけて計三回の記者会見に臨み、患者本人にはがんを告知しておらず「安楽死」の意思確認もしていないことを明らかにしたほか、過去十年間に同病院で家族の希望でモルヒネを長期間、連続投与し末期患者が亡くなったケースが数例あったとした。

 その上で「今回、結果として一人の人間の生死を私一人の判断で決定した。治療はもちろん医師主導だが、医師一人が(安楽死の)決定権を持ってはいけない」と述べ、安楽死について法的枠組みの整備の必要性を重ねて訴えた。

 また、モルヒネ投与をめぐり、一部テレビが「院長自身が末期がん患者十人をモルヒネ大量投与で安楽死させた」と報道したことについて、「私が直接処置したことはない。私の真意が伝わらず残念」などと述べた。

 **院長は今回のケースについて、さらに@家族から明白な「安楽死」の依頼を受けておらず、筋弛緩剤使用を打ち明けたのも、一部マスコミの取材を受けた患者の妻から問いただされてのことだったA筋弛緩剤のレラキシン二百_cを生理的食塩水百_gに混ぜて点滴した―などと語った。

 府警は今後、家族が安楽死を望んでいたのかどうかや、患者死亡の場に立ち会った看護婦が院長の処置をどう認識していたかなどについて、関係者から詳細な事情聴取を行う方針だ。

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〈**院長「楽になってほしかった」〉

 末期がん患者に筋弛緩(しかん)剤を投与して死亡させた京都府京北町・京北病院の**院長(58)は七日午前、町役場で記者会見し「末期の患者の苦痛を取る目的でモルヒネの(致死量を超える)大量投与をしたことは数例、記憶がある。モルヒネなら何も言われず、なぜ筋弛緩剤なら問題になるのかという気持ちはある」と述べ、過去にも同病院で

過去十年間に家族の希望で「苦痛を除く処置の延長線上の安楽死」をさせた例があることを認めた。

 **院長は今回の筋弛緩剤投与の理由について「死の直前にモルヒネを注入するボタンを押して思い切り量を上げた。それで亡くなると思ったが(亡くならなかった)」と述べた。

 さらに「モルヒネと筋弛緩剤が全く違うとは思っていない。痛みや苦痛を止めるという延長線上に死があるという意味では変わらないのでは」とする一方で「筋弛緩剤を使うことは社会的な問題がある」とも認めた。

 その上で「医療ですべての病気は治せない。一番大事なことは苦痛を取ることだと思っている。これまでもモルヒネを治療目的ではなく、致死量を超える量を投与したことがある。死を目前にした人に楽になってほしかった」と話した。

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〈治療行為と言えない〉

 終末期医療に詳しい柏木哲夫・大阪大人間科学部教授の話 末期の患者には、命を縮めることなく意識レベルを低下させて苦痛を緩和する方法が確立している。なぜその手段を取らなかったのか。死期を早める目的での薬剤投与は医師の治療行為とは言えない。

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〈違法とすべきでない〉

 元最高検検事の土本武司筑波大教授(刑法)の話 モルヒネ投与の第一の目的は苦痛を取り除く治療行為。結果的ないし派生的に生命を短縮する効果があり、「間接的安楽死」と言える。治療行為である以上、違法とするべきではない。多くの医師が日常的にやっていると推測できるが、それを隠さずに堂々と明らかにするのは、勇気ある行動と敬服する

。安楽死の行為の定義について日本はスタートラインについたばかり。厚生省はぜひとも実態調査をするべきだ。

「安楽死」事件、筋弛緩剤投与の記載なし

佐賀新聞 1996/06/09

 京都府京北町立の国保京北病院で、**院長(58)が末期がん患者(48)に筋弛緩(しかん)剤を投与し「安楽死」させた事件で、患者の主治医だった外科医(49)が八日午後、「死亡診断書の作成時には、カルテに筋弛緩剤投与の記載はなかった」と証言。**院長は、これまでの記者会見で「筋弛緩剤の使用も含めすべて記載した」と語っており、二人の証言が大きく食い違う形となった。

 主治医は「院長から事前に筋弛緩剤投与の相談は受けていない。(臨終の際)病室にはいなかったが、いたなら絶対止めた」と述べ、安楽死が院長の独断だったことを強調した。京都府警はこの証言を重視し、九日、主治医から詳しい事情を聴く方針だ。

 主治医によると、四月二十七日午後、患者が死亡する直前に主治医は「まもなく臨終を迎えるので(病室内で)待っていなさい」と看護婦に指示して病室の外に出た。筋弛緩剤の投与は、その後、間もなく院長が独断でしたという。

 患者の死亡後、主治医が院長の書いたカルテを基に死亡診断書を書いていたところ、看護婦から「筋弛緩剤が投与された」と泣き声で内線電話が入った。「この時、カルテには筋弛緩剤の記載はなかった。筋弛緩剤投与を院長から知らされたのは五月三十一日だった」という。また、**院長がこれまでの記者会見で、「数分後に亡くなる人に筋弛緩剤を打ったのだから批判はしない」と、主治医も院長の処置を容認したと話したことに対し、主治医は「とんでもないこと。そんなことは言っていない。筋弛緩剤なんて、どこにあるかも知らない」と反論した。

「安楽死」事件で院長を事情聴取へ

佐賀新聞 1996/06/11

 京都府京北町立の国保京北病院の「安楽死」事件で、京都府警は十日までに、殺人容疑の立件に向け、末期がん患者に筋弛緩(しかん)剤を投与した**院長(58)を容疑者として近く本格的な事情聴取をするとともに、エックス線フィルムなどプライバシー保護の面から任意提出が難しい病院の治療記録については、捜索令状を取り押収する方針を固

めた。

 また**院長はガラス瓶一本(二百_c入り)の筋弛緩剤を一度に投与したとみられ、同府警は、薬品の特定や使用量の裏付けのため、空き瓶の発見に全力を挙げる。

 調べによると、末期がん患者は四月二十七日午後、こん睡状態に陥り、激しいけいれんを起こして呼吸困難になった。主治医(49)は看護婦に臨終が近いことを告げて病室を離れた。その後、**院長が病室に入り、看護婦に筋弛緩剤を持ってくるよう命じた。

 看護婦は点滴の準備を終えた後、筋弛緩剤を投与する直前になって「私にはこれ以上できません」と拒んだため、**院長自らが生理的食塩水百_g内に筋弛緩剤二百_cを注入した。

「安楽死」事件

佐賀新聞 1996/06/11

許されない独断行為

京都府の町立京北病院で起きた「安楽死」事件が波紋を広げている。患者のためを思っての措置と見るか、「殺人行為」と断を下すか。そこには天と地以上の落差がある。

新聞やテレビでの報道で知る限り、いかに患者が苦しんでいたとしても「医療行為としては逸脱している」と言わざるを得まい。

 これまで医師が患者を「安楽死」させたケースとしては、五年前に神奈川県の大学病院で、男性末期がん患者に主治医が塩化カリウムを注射して死亡させた事件があった。この事件では、医師の殺人罪有罪が昨年三月確定した。

 懲役二年、執行猶予三年の判決を出した横浜地裁ではこの際、安楽死許容の要件として@耐えがたい肉体的苦痛があるA死期が目前に迫っているB苦痛を除く他の方法がないC患者の明確な意思表示がある―の四点を示した。

 今回の京北病院の場合、患者の意思表示を受けていないことを医師自身が認めている。また、患者は昏睡(こんすい)状態だったといい、すさまじいけいれんだったにしても、耐えがたい苦痛だったか判然としない。

家族の意思聞かず

最も気になるのは、医師が独断で「安楽死」を決めて実行したことだ。患者と家族が苦しむせい惨な医療の現場で、患者の意思確認の難しさは分からないではない。だが、家族の意思さえ聞いていなかったというのは、どういうことなのか。

 本紙では、年次企画「がんを生きる」の第4部で終末期医療をテーマに取り上げてきた。その中で、福岡亀山栄光病院の下稲葉康之ホスピス長は「患者や家族と医療スタッフのコミュニケーションが何よりも欠かせない」と強調している。このように終末期医療は、本人、家族と看護婦などさまざまなスタッフが、チームで取り組んでこそ成果があるとさ

れる。

 今回のケースに、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫氏は「終末医療は、医学的判断ではなく人間学的判断に基づくチーム医療。医師が独断で筋弛緩(しかん)剤を投与するとの発想は、チームで検討すれば出てこない」(きょう付社会面)と断ずる。

4条件に合致せず

 本人に対しては「告知」という壁があったかもしれないが、同僚の医師にさえ相談していないのは何とも解せない。

今回の事件は、横浜地裁判決の四条件には明らかに合致していない。もちろん、こういう終末期医療の問題は、法律に照らすだけで解決するとは思わない。修羅場のような状況の中で、患者を思えばこそ医師の苦渋も深いものがあろう。

 安楽死、尊厳死などの問題を含めて、終末期医療について、国民の関心は高まっている。延命を図るだけの医療には疑問の声も多くなっている。だが、命を左右する問題だけに峻別(しゅんべつ)されねばならない。容認条件の拡大解釈に結びつく危険性もあるからだ。

 現在、がんの告知はまだ一般化していない。死を予測できない患者の意思をどういう方法で確認するのか。医療システムにとどまらない問題も多い。安楽死を含む終末期医療のあり方について、広く深く議論し問い直す必要がある。(鷲崎 輝彦)

府警、京都の安楽死事件立件へ照合作業

佐賀新聞 1996/06/12

 京都府京北町立の国保京北病院「安楽死」事件を捜査している京都府警は十一日までに、一九九一(平成三)年に神奈川県で起きた「東海大安楽死事件」の捜査資料を神奈川県警に請求、京北病院の事件との詳細な照合作業を進める方針を決めた。

 京北病院の**院長(58)の証言によると、院長は四月二十七日、末期がんで入院中の男性患者(48)が激しいけいれんに襲われて苦しんでいるのを見かね、筋弛緩(しかん)剤二百_cを投与。患者は間もなく死亡した。

 東海大事件は九一年四月、神奈川県伊勢原市の東海大付属病院に入院していた末期がん患者=当時(58)=に、家族の強い依頼を受けた同大の医師が塩化カリウムを注射し死亡させた。医師は殺人罪で起訴され九五年三月、横浜地裁で執行猶予付きの有罪判決が出され確定した。

 この判決は安楽死が認められるケースとして@患者本人の生前の明確な意思表示があるA患者に耐えがたい苦痛があるB苦痛を取り除く手段が安楽死以外ないC死期が迫っている―ことを指摘した。

安楽死で治療記録を押収

佐賀新聞 1996/06/17

 京都府・京北町立の国保京北病院の**院長(58)が末期がんの男性患者(48)に筋弛緩(しかん)剤を投与し「安楽死」させた事件で京都府警は十六日までに、裁判所の差し押さえ令状に基づき、患者のエックス線写真や心電図などの治療記録と医療器具を京北病院から押収した。同事件での強制捜査は初めて。

 今後、京都府警は専門家に鑑定を依頼してこれらの資料を詳しく分析、**院長が患者に筋弛緩剤を投与し死亡させるまでの経緯を詳しく調べるとともに、近く**院長を殺人容疑で本格的に事情聴取をする方針。

 府警の調べや関係者の証言によると、**院長は@死亡した患者にがん告知をしておらず、安楽死の明確な意思確認を行っていないA筋弛緩剤を投与すれば患者が死亡すると認識していたB主治医だった外科医(49)に相談せず、独断で筋弛緩剤を投与した―などが明らかになっている。

 府警はこれまでに、院長や主治医の外科医、看護婦などの関係者から参考人として事情聴取。東海大病院安楽死事件(一九九一年)の横浜地裁判決で示された「耐え難い苦痛」「死期が迫っている」「患者本人の意思明示」など安楽死が認められる四要件が満たされていたかどうか調べている。

 東海大事件では、専門医の診療記録の鑑定に約二カ月を要しており、京都府警が捜査の結論を出すまでには数カ月はかかるとみられる。

佐賀新聞 1997/04/25


〈「安楽死」事件、殺人容疑で前院長送検〉

京都府京北町立の**病院の**前院長(59)=現町総務課主査=が、末期がん患者に筋弛緩(しかん)剤を投与して死期を早めたとされる「安楽死」事件で、京都府警は二十四日、殺人容疑で山中前院長を書類送検した。前院長は当初「安楽死」の認識を示す発言をしていたが、その後「患者は自然死」と殺意を否定している。

 終末期医療をめぐり医師が殺人容疑で送検されたのは一九九一年、東海大病院(神奈川県)で医師が末期がん患者を薬物注射で死亡させた事件以来。医の倫理をめぐり論議を呼んだ事件は、検察の司法判断が焦点になった。

 同府警は「筋弛緩剤の投与は治療行為ではない」とし、安楽死に当たるかについては、東海大事件で示された四要件をすべては満たしてはいないと判断した。

 調べによると、**前院長は昨年四月二十七日午後、京北町内の末期がん入院患者=当時(48)=がこん睡状態に陥った際、自ら生理食塩水百_gに筋弛緩剤二百_cを混ぜ、点滴で注入。患者を数分後に死亡させた疑い。

 **前院長は昨年六月の事件発覚後は「安楽死の認識があった」などと発言。しかし九月に「投与は顔の引きつりを取るのが目的で、安楽死の認識はなかった」とする上申書を府警に提出した。

 府警は、昨年六月から病院関係者や家族らから参考人聴取、院長執務室や京都市左京区の自宅などを家宅捜索した。京都大医学部教授に委嘱した患者の看護記録やカルテなどの鑑定結果を基に、**前院長を事情聴取。筋弛緩剤投与で患者が死亡する認識があり殺意があったと判断、書類送検に踏み切った。



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