慶田研究室ニュース

【KAFS・報告】熊本人類学映画会 第11回 12/1(Fri)17:45-, 11th Session: Memories of Edward Said OUT OF PLACE/ 日常をいかに撮るかー将来に向けた共生の夢物語

ご報告が遅くなりました。KAFS11 担当の香室です。

 

KAFS11 では、映画監督の石田優子さんが助監督を務めた「OUT OF PLACE」 http://www.cine.co.jp/detail/0081.html の上映と石田さんのトークを開きました。お越しいただいた皆様、そして熊本まで来てくださった石田さん、ありがとうございます。当日のトークは映像、記憶、記録、さまようことに関して非常に示唆に富むもので、石田さんの語り自体が佐藤さんや映像に関するひとつの語り継ぎでありパフォーマンスだったように感じます。語りの書き起こしをしましたので、可能であれば編集した全文を本HPに載せたいと考えています。

 

広島の木に会いにいく(単行本、偕成社) – 2015/6/16  石田 優子

被爆樹木をテーマにしたノンフィクションです。

ドキュメンタリー映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』:SIGLO 監督:石田 優子
http://www.cine.co.jp/gen/

 

 

 12.1石田(1).JPG 作品写真

 

【1】佐藤監督の作風とOUT OF PLACE について

 

本作の監督・佐藤真氏の作品として、ドキュメンタリー「阿賀に生きる」http://www.cine.co.jp/detail/0047.html をご存知の方が多いのではないでしょうか。先日、没後10年イベント「映画監督・佐藤真の新潟ー反転するドキュメンタリー」https://www.sakyukan.jp/2017/09/5710のパンフレット(同リンクから入手可)の文章が非常に面白く、「阿賀に生きる」で描かれた内容が反転する様について論じられていました。新潟水俣病を描いた映画なのか、川の生活文化を描いた映画なのか、老人たちの日常を描いた映画なのか、いずれにも定まらない「あいまいさ」=反転性を持つドキュメンタリーだと、イベント主催者の砂丘館館長・大倉宏氏は述べています。ちなみに、砂丘館はとても素敵な館ですのでぜひ足をお運びください。

 

<水俣病>を撮る写真家たちも、そこに悩んでいるのではないでしょうか。<水俣病>は出会う「被写体」に関心を持ったきっかけかもしれないけれど、付き合っていくうちに「被写体」は様々な顔を持ち始めます。

 

初めは<水俣病>の患者だと思って見ていた相手が普通のおじさんおばさんになったり、逆に付き合っていくうちに<水俣病>が見えてきたり、想像を超えた展開や魅力が出てきたり。相手や問題を「コレ!」と規定しない、あいまいな人間の日常であったり性(さが)であったり出来事を淡々とゆるやかに描写する、佐藤さんの映像からはそのような姿勢を感じます。

 

タイトルにもあるように、本作はある(べき)場所、本来はこうだったはずなのに・・・という場所から外(さ)れてしまった、はぐれてしまった、さまよってしまった、そのような状態(Patti Smith の歌にOut of Society というのもありますが)がテーマになっています。それぞれの人々が、なぜここにいるのか、なぜこうなってしまったのか、美しい自分たちの土地になぜ壁が作られ続けているのか、自分たちの土地のはずなのになぜ流浪せねばならないのか、答えはわかるようでわからない、理不尽な状況。だけどそれが常態である日常。

 

そんな「OUT OF PLACE」を描く本作では「声の共振」が重要な核になっており、サイードの思考(パレスチナについて書かれた著作の引用)を手掛かりにしながらも、どの声にも寄らないつくりになっています。パレスチナやイスラエルの「現実」がなんらかの単一の声から成っているわけではないという点が、本作における佐藤監督の批判点だったように思います。

 

かといってそれらの声自体がわかりやすい発言ばかりではないので、どのように共振しているのかは観た我々の解釈に委ねられています。毎回異なる共振を受容するからか、私自身は観るたびに異なる印象が残る作品です。

 

アメリカでの上映の際に「ゆるい」「もっと問題を掘り下げろ」といったようなコメントを受けたということですが、これは他の佐藤作品と同じく、佐藤さんが一定の視点に寄らない撮り方・編集をあえてしているからでしょう。像(被写体)の姿形を定めていくというより、見える像を増やしていく、脱臼させる魔術的な手法だと思いますが、人間の性質や営みに関して本質を確定することの困難さや不可能性を佐藤さんは映像から示してくれているように受け止めました。

 

上述した大倉氏も触れているように、同じシーンが全く異なる像をもつ可能性を佐藤さんの映像は感じさせてくれます。「現実」は画面に見えている像とは異なる次元にあるのかもしれない。対象にカメラを向けて映せば「現実」が見える、そのような素朴な現実信仰にNOといい、ドキュメンタリーを世界を批判的に映し出す鏡と考えた佐藤監督、だからこそ観る我々は、監督が作り出した映像を「読み」、写っている人々、風景、モノ、そして作者である監督と対話をせねばならないのでしょう。

 

「永遠に失われたパレスチナでのサイード一家の痕跡を描いた自伝『OUT OF PLACE』を、将来に向けた共生の夢物語として読みかえられないかと願って、旅を統け、多くの人々と出会った」(本作DVD冊子5頁より)

 

と佐藤さんが述べているように、本作は佐藤さんが作り出した「将来に向けた共生の夢物語」だといえます。

 

現代を生きる日本人にも「OUT OF PLACE」の感覚を見出していた佐藤さんが願ったのは、パレスチナに限らない、絶対的に「異なる」と感じる人々とさえも共生することができる可能性であり、現在とこれからの日本においてもあてはまる物語です。

 

「われわれはいつもどこかあるべき場所から離れてさまよいつづけているかもしれない…それでもさまよいつづけることを緩やかに認めればいいのではないか」(石田さんによる2007年佐藤監督授章式スピーチの紹介から)、さまようことへの肯定、それがサイードと佐藤さんの最大の共振点だったのかもしれません。

 

「"OUT OF PLACE"であることは、あらゆる呪縛と制度を乗り越える未来への指針なのかもしれない。」(佐藤真、本作DVD冊子5頁より)

 

「はたして私がもくろんだ「声の共振」が成功しているかどうかは自分ではよくわからない。また、この映画の目的が「共振」であるかぎり、見る人によって驚くほどよく共振する人も、まったくバイブレーションが振れない人もいることは重々承知している。しかし、パレスチナな問題からも、ニューヨークのサイード死後のコロンビア大のかかえる問題からもはるかに遠い日本に暮らす私にとって、この一年あまりの旅で見聞きしたさまざまな<声>を、少しでも共振するようにどう構成できるかが、私にとっての精一杯のことであった。」佐藤誠『声の共振を求めて 制作ノート』2006  みすず書房

 

 

【2】トーク内容について

 

この日のトークは株式会社シグロ代表取締役・山上徹二郎さんと佐藤さんの水俣での出会いのエピソードから始まりました。そして石田さんは映画美学校で佐藤さんと出会い、ドキュメンタリーを作りたいと考え、シグロに勤め始めました。

 

山上プロデューサーからエドワード・サイードに関する映画を作らないかと佐藤さんに話があったのが2003年だったということですが、それまでパレスチナ問題を取り扱ったこともサイードの熱烈な読者でもなかった佐藤さんが「映画を撮ろう」と決めたそのすぐ後、サイードが亡くなります。本当はサイードに会いに行きインタビューをしてということを考えていたものの、そうではないところからスタートした、サイードが不在の状態から始まった映画づくりだったということです。

 

●映像にしかできないこと

 

まだまだふわっとした疑問にすぎないのですが、KAFSでは映像にしかできないこととは?映像とはなんなのか?をメンバー各自考えています。本作には、サイードの父親がプライベートフィルムとして写した8mmの映像が挿入されています。もともとサイードと親交を持っていたわけでもなかった石田さんたちは、「サイードが亡くなった後にしかサイードを感じることができない映画クルー」でした。

 

8mm フィルムの中で少年時代のサイードは、父親という親密な存在に柔らかな視線を送っています。その視線は私たち観客や映画クルーに向けられたものではないはずですが、本作に挿入されている事で、「カメラに向かって笑いかけているサイードとそれを見つめる私たちの視線が交わって行く瞬間がある」と石田さんはいいます。

 

「そこに言葉はないのだけれど、言葉を超えるようなやりとりというか、出会いが、映像の中に生まれている。それはテキストというよりも映像の中でしか感じることができないのではないか」(石田さん)

 

石田さんのコメントに、昨年、慶田研究室が共催した水俣病資料館企画展・半永一光写真展「まなざし」とのつながりを感じました。半永さんは胎児性のメチル水銀中毒患者で、水俣の人々や<水俣病>事件の出来事をカメラでしつこく撮り続けてきたアマチュアカメラマンの一人です。明るいオーラを湛えた彼の気さくな雰囲気に誘われ、カメラを向けられるとついみんな笑顔でレンズを覗き込みます。

また、車椅子から撮影する半永さんは自由に動けるわけではないため、被写体が彼のカメラに能動的に入らねば成立していない写真が多くあります。共同作業で出来上がっている写真が多いのです。

 

そんな、半永さんのカメラアイと、半永さんを見つめる人々のまなざし、そしてそのまなざしを見る我々という3つのまなざしの交歓を目指した企画でした。半永さんは口で思うように語ることができません。企画展では半永さんの映像世界に入ってもらおうと、写真にキャプションはつけず、視覚情報だけで展示を構成しました。

 

3者の間に言葉はありませんが、写真を観る我々は半永さんと撮られた人々のコミュニケーションや関係性を感じるわけで、私たちに向けられているわけではない柔らかいまなざしに参入するような感覚を覚えます。時間と空間を超えた体感があるのです。

 

石田さんは助監督としてサイードのテキストを網羅されたということですが、サイードの8mmフィルムはおそらくその文字を読む経験からは得られない、異なる「出会い」だったのではと思います。(それが何かを、また考えねばならないのですが・・・)

 

あとひとつ、広島で被爆し家族を亡くした方々にとっての写真の話がありました。母や父の身体を原爆によって失い、さらに写真という「イメージ」まで焼けてしまった遺族は母や父の顔の記憶を喪失し、それが辛いという話を聞くということです。

 

「人類の歴史と比べたら写真の歴史はそんなに長くないはずだが、映像の中にある視線や人の表情から実際には聞こえない息づかいまで感じられるような気がする。そういうものに対して人間が持っている感覚というのはなんなんだろうか」(石田さん)。

 

「それを言語化してテキストに起こしていくことが、もしかしたら学問の領域の方の仕事なのかもしれない」ということで、人類学者にも投げかけられている仕事です。

 

 

●多様な観られ方の生成

 

石田さんのトークで一番面白かったのが、本作に出てきた人(被写体となった人々やコミュニティ)による本作の観られ方でした。

 

サイードの本拠地コロンビア大学:学生を含めサイードのことをよく知る人たち。笑いも多く盛り上がったが、批判も歓迎もなく薄い反応。「非常にゆるい」、なぜ西岸地区の政治的状況をもっと掘り下げなかったのか、長すぎる、なぜ日本人の佐藤真がこの映画を撮ったのかなど。

 

アレッポから来たユダヤ人であるイスラエルの一家:撮影時、パレスチナのサイードのためのドキュメンタリーへの協力に違和感を示されていた。が、完成映像にパレスチナもイスラエルもバランスよく撮られた作品であると喜び、これを自分たちのコミュニティで上映してもよいと言ってもらえた。

 

タルシーハ:自分たちが映っているところだけを早送りで観る。映っている知人について語る。非常にローカルな受け入れられ方で、サイードについてはあまり関心なし。

 

レバノンの一家:情勢的にそもそも映像を届けることができなかった。

 

石田さんは、このような状況に映画自体が漂流しており、さらに「私が」という一人称でこの映画を語ることができるはずの佐藤監督までもが亡くなり不在になってしまったということが非常につらく残念、とおっしゃっていました。確かに今回、助監督であった石田さんが映画を語らざるをえなかったように、一番本作について考え思いがあるはずの監督の佐藤さんの不在、主役のはずのサイードの不在、本映画の主な評価の不在、まさにOUT OF PLACE 状態。

 

しかし、石田さんご自身が佐藤さんとの出会いから映画監督になり、広島に関わって来られたように、今の時代になってまた佐藤さんの映像に影響を受けた若手作家が複数出てきています(「息の跡」の小森はるかさんなど http://ikinoato.com/)。佐藤さんの映像を旅するような見方をそれぞれが行い、自分の作品を発展させ、新たな映像を生み出しているということです。

 

また、OUT OF PLACEもひとつの読みで終わるような映像ではないからこそ、各地で様々な観られ方をされているのだと思うし、それが面白いし、今後も撮影した佐藤さんですら予期しなかったような観られ方をされていくのかもしれません。OUT OF PLACEにはいくつもの「現実」の入口が示されており、どの入口に誘われるかは観る我々次第なのです。

 

指揮者/ ピアニストのバレンボイムの音楽と語りが、本作の最後をゆるやかに締めくくります。「この世のものはすべて、他のものに何かしら影響を及ぼしており、他から完全に断絶したものなどひとつもないということを、彼は知っていました」(本作DVD冊子15頁より)。オーケストラはひとつの楽器からではなく、複数の楽器のバランスとそれぞれの応答により成り立ちます。バレンボイムはサイードが多様な要素の統合として音楽を、そして文化や人間の帰属を理解していたからこそ、「エドワードは音楽家だった」と述べます。

 

 

【3】フロアからのコメント

 

1)フロア

映画として、サイードと彼の生き方を体現する人たちを挟み込んで描くことはかなり難しかったと思うがバランス良くできていた。第三者的な立場でサイードのこともパレスチナのことも見れたからだと思う。自分はある程度知識があったので場面を結びつけながら観ることができたが、知らない人にとっては長すぎるかも。キブツあたりから非常に話が面白く、昔はちゃんと一緒に生活していたことを喋らせている。イスラエルの人にも、サイード的な生き方を発言されている。これは取材の力だと思う。一緒に生活していたにもかかわらず、なぜいまこうなってるの?ということが非常によくわかるように描かれている。ただ、私たちには向こうのことは生活していないからよくわからないのだが、日本と全く関係ないのかと考えると、いま北朝鮮問題がある。ミサイルを打ち上げたという、そういうような話ばっかりが盛んに報道されている。が、実は対話が非常になくなっている。この映画は、対話をなくしたら絶対解決しないことを語っている。いろんな問題に通じる、普遍性を持った映画。

 

2)フロア

サイードの著作の引用によってサイードを隅々まで感じられたが、それがなかったら佐藤さんの存在が感じられたように思う。

 

3)石田さん

佐藤さんは編集・構成で非常に苦労されていて、2ヶ月間くらい佐藤さんの自宅に通って作業を行った。「声の共振を求めて」これが大事な核なんだというメモだけは残っているが、どうやってこの共振がバランスをとって形になっていったか記憶がないくらい追い込まれ、悩みながらだった。

助監督として、サイードがパレスチアについて語った書籍の中から映画の中で引用される文章として使えそうなものを選び、佐藤さんに渡し、その中から佐藤さんが選んだものを映像に当ててみては、「ああ違った」「じゃ、こっちはどうか」という作業を繰り返した。本当はサイードが映った記録映像や、音声も調べていて、本編に入れるかどうか探したが入る余地がなかった。これは不思議なことでだが、映像のことは論理だけではバランスを取ることができない、何か論理を超えたようなものがある。どうしてもバランスとして、サイード自身の声や映像は入ってこなかった。

 

 

【4】サイードの著作と映像からの引用

 

オリエンタリズム

pp. 67-68「私がこの研究に身を投じた個人的な動機は、二つのイギリス植民地で少年時代を過ごした人間としての私の「東洋人」意識である。これらの植民地(パレスティナとエジプト)と合衆国で私が受けた教育は、すべて西洋的なものであった。それにもかかわらず、私は幼い日々の記憶を持ち続けてきた。多くの点で私のオリエンタリズム研究は、すべてのオリエントの人々の生活をきわめて強力に律していた文化が、私というオリエントの臣民の上に刻みつけたその痕跡を記録する試みであった。」

p. 68「「東洋人」としての歴史的割り当てに自分自身がまき込まれていることを一瞬たりとも忘れたことはなかった。」

 

OUT OF PLACE: A Memoir 1999

(『遠い場所の記憶 自伝』) より・・・ 映像中にも引用、本作DVD冊子7頁より

ときおり、自分は流れつづける潮流の束ではないかと感じることがある。安定した固体としての「自己」という観念、多くの人があれほど重要視しているアイデンティティというものよりも、わたしにはこちらのほうが好ましい。これらの潮流は人生におけるさまざまな主旋律のようなもので、 目覚めている間は流れつづけ、最高の状態にあるときにはそれぞれに折り合いをつけさせたり、調和させたりする努力もいらない。

これほど多くの不協和音を人生に抱え込んだ結果、 かえってわたしは、 どこかぴったりこない、何かずれているというあり方のほうを、あえて選ぶようになった。

 

ゴーリ・ビスワナサン(コロンビア大学 比較文学)  本作DVD冊子15頁より

愛国的なものの限界は乗り越えられるとエドワードは思っていました。人々を分断し、仕切りの中に閉じ込めて、民族とか、共同体とか、国民などに分類しようとする、ナショナリズムの偏狭性を超えていくことができると。さまざまな潮流が自分の中を通り抜けていくという発想はまた、彼自身のエグザイルの人生、祖国を追われた者の感覚を語りながら、その追放を必ずしも否定的なものとしないための、彼なりの方法でした。

実際、それこそが今日の世界の現実に重なっているのです。大勢の人々が移民となり、大勢の人々が帰るところをもたない。でもエドワードは、それに恨みや怒りで対処するのではなく、むしろこの多様性を糧にしてひとつの哲学を築き上げました。それが生涯を通じて、彼を支えるものになったのでしょう。

 

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(関連:『文化の窮状―二十世紀の民族誌、文学、芸術 (叢書・文化研究)』第十一章「『オリエンタリズム』について」ジェイムズ・クリフォード 2003  太田 好信・ 慶田 勝彦・清水 展・浜本 満・古谷 嘉章・星埜 守之(訳))※サイードを批判する複雑な章ですが、最終的には問題意識は共有されているんじゃないかという流れです。

 

「サイードの研究の、隠れてはいるが最も重要な強調点は、全体性への倦むことなき疑念である。…「それぞれ根本的に他と『異なった』土着の住民を抱える複数の地理的空間があって、各々の住民をその地理的空間固有の宗教、文化、あるいは人種的本質のようなものにもとづいて定義することができる、という観念自体が、きわめて議論の余地のある考え方なのである」(Said  1978, Orientalism: 332)。 最後の何ページかのところでは、サイードは彼の研究のなかでももっとも重要な理論的な問いを発している。「人は他の文化をどのように表象する[下線部強調]のか。はっきりと輪郭を持った文化(あるいは人種、宗教、文明)の概念は、有効なのだろうか」(p. 325)。」

 

「おそらくパレスチナとは、分断された、そして再創造されるべき国家という意味では、二十世紀のポーランドである。そしてサイードは、彼が尊敬し、頻繁に引用しているこのポーランド系英語作家と同じように、個人と文化のアイデンティティはけっして所与ではなく、交渉されなければならないことを認めている。…このような状況を、亡命者の抱える異常な状況として片付けてしまうのは誤りだろう。『オリエンタリズム』の示している不安定な窮状やその方法論的アンビヴァレンスは、ますます一般化しつつある地球規模の経験の特徴なのだ。」(クリフォード 2003: 347)

 

「サイードは、ひとりの「東洋人」として、しかしもっぱらこのカテゴリーを解体するために書く。彼はひとりのパレスチナ人として書くが、べつだんパレスチナ固有の文化やアイデンティティに支えを求めるわけではなく、基本的な価値観の表現についてはヨーロッパの詩人たちに学び、分析の道具立てについてはフランス哲学に学んでいる。西洋の文化的伝統の中枢を批判するラディカルな論者でありつつ、サイードは彼の基準の大部分をこの同じ伝統から引き出している。こうしたことを言うのは、『オリエンタリズム』のような書物がどうあっても書かれなければならなかった状況を、ある程度示唆しておこと思ったからだ。それはサイードが他のところで…「一般化されたホームレス状況」(Said 1979: 18)と呼ぶひとつの文脈である。このような状況はさまざまな困難な問いを生み出している。」(クリフォード 2003:348)

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以上、長くなりましたがKAFS11の報告でした。(香室)

 

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