慶田研究室ニュース

【研究室】ドキュメンタリー鑑賞会「私の父には蒸発癖があった 写真家 金川晋吾 父を撮る」

5月1日(水)に研究室でドキュメンタリー鑑賞会をしました。鑑賞した番組はEテレで放送された「私の父には蒸発癖があった 写真家 金川晋吾 父を撮る」(2018.2.21再放送分録画)です。その場で、気軽に感想を言い合いながら視聴することで、それぞれの疑問や視点を共有することができ一人で視聴するより発見が多いように感じました。今後も研究室内でこうしたドキュメンタリーを鑑賞会を続けていく予定です。(田口)
 
◆番組HPより内容紹介(HP:https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/282/
 
「私の父には蒸発癖があった。蒸発をくりかえすことで父は何もない人間になった。」─文・金川晋吾
8年以上にわたり、自分の父親を撮り続けている写真家―― 金川晋吾、36歳。
「father」と名付けられた一連の写真作品は、若手の登竜門と呼ばれる三木淳賞を受賞し、去年写真集も出版。高い評価を得ています。晋吾さんの父にはかつて蒸発癖があり、ある日突然家からいなくなり姿を消してしまうことがありました。そんな父と晋吾さんは、いつしか疎遠になっていたといいます。しかし、2008年に父が久しぶりに蒸発したことをきっかけに、父を撮りながら父と関わることを選択します。なぜ写真を撮るのか、撮り続けることの意味とは。写真を介して再び関わり合うことになった親子の日々を淡々と見つめます。
 
 
◆鑑賞後の感想
 
根っからのモデルというのはいるような気がする。たとえば友人の庄司さんもそうなのだが、カメラを向けても顔や身体のこわばりがないというか、普段通りなんだけれど過剰も不足もなく見せてくれている、金川さんのお父さんにもそんな感じがした。変な自意識がないのだろう。お父さん自身が常に人との距離を適度にとっているからかもしれない(だから近くなると蒸発するのかも)。なによりも、金川さんは被写体として、ひとりの男としてお父さんに魅力を感じているように思えた。それは写真にも表れている。男としての憧れというのは言い過ぎかもしれないが、世の中の「普通」の動きをせずに、開き直っているわけでもなく淡々と「普通」に生きるお父さんの姿、その妙な肯定感が捉えられているように感じた。社会的地位があり職場でバリバリ働く父親の姿、とは対照的なイメージだが、なんかかっこいいのだ。
「蒸発」が印象的なタイトルである。しかし、観終わったときには「蒸発」という出来事よりも、お父さん自身の無防備でいながら謎を含んだ存在が心に残る。家族を撮ることに対しては、内向きで好きじゃないという意見もあるが、金川さんにとって父親は「他者」だったのだろう。例えば、統合失調症を発症した母を撮った金山貴宏さんにとっても、母はよくわからない存在なのかもしれない。写真を撮ることで定期的に父を訪れているわけだし、お父さんも嬉しいのではないか。撮り始めた当初はどうだったかわからないが、今回の映像からは写真を定期的に撮るというコミュニケーションから両者の関係性が新たに築かれている感じがした。親子と他人の中間、友達でもなく、そんな感じ。それもまた写真を撮る・撮られることの魔力のひとつなのだと思う。(香室)
 
 
視聴前は、蒸発僻がある父親というタイトルから金川氏の父親について気難しそうな人というイメージを抱いていたが映像の中の父・優氏は穏やかで気さくな空気をまとった人だった。
過去、金川氏が優氏を撮った写真集に載っている写真と比べると、父親の表情は柔らかい印象を受ける。撮影者の金川氏も写真集と同じ表情を写すことは、現在ではできないだろうと語っていた。そうした、優氏の表情の変化は、本人の変化だけでなく、撮影者である金川氏と優氏の関係の変化なのではないかと思った。
優氏は自身の蒸発について、人間関係やコミュニケーション問題をあげていたが、自分でも明確な理由はわかっていないように思えた。本人も理解していないのならば、例え息子であっても理解しがたかったのだと思う。ぶつけられないうっぷんや疑問が金川氏には溜まっていったのだと思う。
金川氏は父親を撮り続けられたことについて、被写体に対する感情が愛情だけでないことを語っていた。写真は金川さんにとって、心理的にも疎遠だった父親と接点を持つツールであり、父親に対する不満や疑問をぶつけるコミュニケーション手段なのだろうと思った。また、写真集や写真展はそうしたコミュニケーションの過程を物的に残すことができるのだと思った。(田口)
 

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