熊本県上天草市
千崎(せんざき)古墳群発掘調査・広浦(ひろうら)古墳測量調査
徒 然 な る ま ま に
千崎(せんざき)古墳群発掘調査・広浦(ひろうら)古墳測量調査
徒 然 な る ま ま に
2005年9月28日(水)
市内、ブエノスアイレスとかいう店で、打ち上げ!
2005年9月28日(水)


18日目。最終日
撮り残していた写真の撮影のため、朝5時40分のまだ薄暗い中を出発。広浦古墳へ。
そして、7時までには、無事終えることができました。
でも、青く写っているだろうなあ・・・朝早くや夕方近くに写真を撮るときは、やはりフィルターが必要ですね。鹿児島大学の橋本さんにも同じことを言われていましたが、この現場では実現することができませんでした。
たとえば、『井ノ内稲荷塚古墳の研究』の巻頭写真。夕方撮影だったので、やや赤みがかっています・・・これとは別に、朝早出して撮った写真があるのですが、それはかなり青く写っています・・・
さて、上の写真左は、そうした早出にも文句を言わず、写真撮影に頑張ってくれている学生さんたち。写真右は、まだほぐれていない身体をのばす仲良し二人組。
そんなこんなで、朝7時には予定の現場作業がすべて終了。
7時半からの朝食のち、宿舎撤収作業に入りました。
今日の朝早くに、帰宅していた津田君が駆けつけてくれたこともあって、宿舎清掃は思いのほか順調に進み、そして、夕方4時すぎには大学への器材搬入作業を終えることができました。
今回の調査は18日間。去年の17日間を抜いて、私が熊大へ赴任して以来、もっとも長期間の発掘調査となりました。
でも、1ヶ月以上続く現場が当たり前の他大学からすれば、何とも短い・・・ということになるでしょうが・・・
千崎古墳群。やり残したことが多々あります。
次年度以降にも、何とか調査を継続していきたいと強く思っています。
さて、明日は打ち上げ・・・学生の飲み過ぎには注意しないと去年の二の舞に・・・
2005年9月27日(土)
17日目。
最近毎日書いていることですが・・・とても眠いです。なぜだろう?
この日誌の一行を書くのにも四苦八苦しています。
今日は、早出で広浦古墳へ。この現場初めての早出・・・
で、墳丘実測図の一部を手直しし、石材にレベルを落としました。これは11時過ぎに終了。その後、墳丘残存部の写真撮影。
芝君によれば、光線の具合が悪く、北側からの写真を撮れなかったとのこと。そのため、明日も早出をすることになりました。5時40分に出発・・・
千崎古墳群では、いよいよ埋め戻し。埋め戻しは何とか今日で終わりましたが、上天草市から借用していたテントのぞうきんがけをしていたら、時間切れで今日は返せず。
そのため、テントの返却は、明日の朝一で行う予定です。
いや〜、本当に本当に眠いです・・・
2005年9月26日(月)


16日目。
私は、軽トラックを大きなトラックに変更するべく、大学にもどりました。ですから午前中の現場の様子は不明なのですが、上の左の写真のような状況だったのではないでしょうか
その写真。広浦古墳の作業風景です。
最後の追い込みで、レベリングとコンターライン測量。若い2・3年生がほとんどいませんので、上級生だけで頑張っています。
千崎古墳群では、午後1時半から1時間程、維和中学校1年の生徒さん23名と引率の先生4名程が現場に来てくださいました。
去年も思ったことですが、中学生への説明って、大変難しいものですね。前田さんは、昨日の現地説明会での反省をもとに、話す内容をよく整理していたみたい・・・
その前田さんの雄姿が右の写真に写っています。
あと2日。明後日の午前中には引き上げたいと思っていますので、明日が勝負です。
しかしそれにしても眠い・・・
2005年9月25日(日)

千崎古墳群のみにいらした人、広浦古墳のみにいらした人を数えれば、のべ40人以上の参加者があったと思います。
地元の文化財を知っていただくよい機会ですので、多くの参加者の方がいろいろ質問してくださったのはとてもうれしかったですね。
フィールドマターの前田さん、どうでした?
いっぱいいっぱいだったかな?
右の写真は、現地説明会の一風景。神川さんが、広浦古墳について説明をしています。
さて、本日で2・3年生のほとんどが帰宅。明日から集中講義なのです・・・
ですから現場に残ったのは、たったの6人(杉井と芝、神川、前田、三好、清水)。
明日から3日間は、このメンバーで頑張ります。
しかし、それにしても眠い・・・はいから食堂で飲んだ3杯の生ビールがたたっています・・・
2005年9月24日(土)


千崎古墳群では7号墳の実測作業がようやく終了。横穴式石室をもつ5号墳については、石室残存面検出状況の実測作業が終了し、あとは、地形のコンターライン測量を一部残すのみとなりました。
写真の右は、その千崎5号墳の作業風景です。手前にあるのが東トレンチ。表土直下地山である状況がよくわかると思います。
一方、広浦古墳では、墳丘残存部とそこに積み上げられた石室・石棺石材の実測作業が佳境を迎えています。
なかなか難航していて、実測作業が明日の現説時間にまで食い込むことは確実な情勢です。でも、いい図ができあがりつつあると思います。
さて、今日の私は、広浦古墳の遠景撮影のため、上島まで足を伸ばしました。大戸鼻古墳群のところまでです。
でも、一番アングルがよかったのは、結局、一番近くの長砂連古墳前の海岸から撮った写真となるでしょうか?
写真の左がそれに当たります。
大戸ノ瀬戸と呼ばれる海峡部をはさんで、左側の陸地、そこの鉄塔の下に広浦古墳は所在します。ちなみに、右側の陸地部分には大戸鼻古墳が所在します。

古墳時代においては、今考えるよりもはるかに、海上交通が重要な役割を果たしていたのでしょう。
ところで、今日の夜は、合津港周辺での花火大会。
幾人かの学生さんと、5号橋の上から、花火が打ちがあるのをながめていました。
風がとても強く、少し肌寒く感じました。夏の終わりを告げるような花火・・・そんな思いを強くする夜となりました。
右の写真はその花火を撮したものです。
花火を思い通りに撮るのって難しいですね・・・
それにしても、男性陣、もっと女性陣としゃべればいいのに・・・今日、女性陣と一緒に花火を見ていた男性は、私と芝君の2人のみでした。
2005年9月23日(金)
13日目。
今回の調査に関する限り、千崎古墳群はほぼメドがつきました。明日、遅くとも明後日の現説までにはすべての作業を終えることができるのではないでしょうか。
一方、広浦古墳は難航しています。
墳丘および石室・石棺材残存状況の実測作業ですが、明日に石材の記入が終わったとしても、レベル入れとコンターライン測量に2日はかかるかなあという見通しです。
そうすると26日の月曜日にまで、仕事を残すことになります。
明日、どれくらい進むかにかかっていますね。
26日から集中講義が始まりますので、それを受講する2・3年生を、25日夜に全員帰宅させます。そうすると、現場には私を含めてロートルばかり7人が残るだけ・・・
これで埋め戻しから、宿舎清掃などの撤収作業を行わないといけないので、なかなか大変な3日間、26日から28日になりそうです。
2005年9月22日(木)
12日目。
実測、なかなか進まないなあ・・・というのが正直な感想。
でも、これも実習調査。効率のみを追求できないというもどかしさは、確かにあります。しかし、2年生と上級生がペアになり、上級生が2年生に実測の仕方を教えている姿は、やはり、大学の教育って先輩の存在がとても大きい。そう実感してしまいます。
島津屋君におんぶにだっこです。
思い出すと、私も、松木さんや北條さん、岸本さんたちに教えられたことが何と多いことか・・・
さて、現場は、全員が何らかの図面に取りかかる状況となっています。
多くの石材が積み上げられている広浦古墳墳丘残存部の実測に、少々手間取りそうです。
明日、様子をみてみないと・・・
2005年9月21日(水)


11日目。
いよいよ調査も佳境です。
千崎古墳群では、トレンチや石室の写真撮影を集中して行いました。
本当に運の良いことに、今日は朝から薄曇り。そしてしばらくして、あの昨日までギラギラしていた太陽が雲に隠れて・・・この現場11日目にして初めて曇りました。それも写真撮影の時期に・・・フィールドマスターの前田さん、なんとついていることか!
上の写真は千崎5号墳。18日の日誌に書いた石室の様子です。左の写真は羨道側から見た全景。でもこれでは羨道の小ささがわからないので、右の写真では人を入れて撮っています。
きわめて小さくて狭い羨道?だということがよくわかります。
こんなの機能をなすのでしょうか?
おもしろいことに、羨道?の中には小さな石材が詰まっていて、どうも転落石にしては不自然です。人為的に石材を詰め込んでいる可能性があります。
変な石室です。類例を探して、位置付けを考えないと・・・
18日の日誌にも書いたように、石室残存面を検出したこの状態で今回の調査は中止します。
体制を立て直し、うまく他の仕事との折り合いをつけて、次回は徹底的な調査ができればと思っています。
次回、熊大の発掘調査にしては、調査期間が長くなる予感・・・
2005年9月20日(火)
10日目。休み明け。
今年は、デジカメ写真をよく撮り忘れるよ・・・ということで、本日も写真がありません。
調査も、いよいよ終わりが見えてきました。というか終わりをみすえた作業段取りが必要な時期にきています。
フィールドマスターの前田さん! 頑張って!
2005年9月19日(日)
9日目。休日。
私は、数人の学生さんと、広浦古墳の座標測量。
下山三等三角点と長砂連四等三角点を使って、現場杭に国土座標を落としました。しかし、それにしても暑かった。シャツが汗でビショビショという表現が大げさでないはない程の、汗・・・
今日は鹿児島大学の橋本先生が来られました。お子様連れでとても楽しかった・・・最後は温泉に一緒に入りました。
宿舎、きれいに使わないと・・・
2005年9月18日(土)
8日目。
千崎5号墳の石室ですが、検出面で幅30pほどのきわめて狭い羨道が取り付くことがほぼ明らかとなりました。
昨年度、石室の生きている石の上面まで出していると考えていたのですが、畦の下にあった石材の1石が死んでいることが明らかとなりました。また、その石材の下に壁面を構成する石材が存在していませんでした。
調査途中から、ヒョッとしたらと疑っていたのですが、畦をはずし、死に石を除去すると、本当に狭い羨道があること、羨門に板石を立てて閉塞していること、その閉塞石の前面に割石を小口積みして閉塞石を支えているらしいことが明らかとなってきました。
千崎古墳群に投入することのできる人員が少ないこと、調査日数が限られていること、上述のような状況となったので調査体制を立て直す必要があることなどの理由より、今回は、石室残存面までの検出で終了する予定です。
次回、徹底的な調査を行いたいと思っています。
しかし、天気がよすぎて写真が撮れません。
少し曇ってくれることを願っています(でも、雨は困りますけれど・・・)。
さて、明日は休日。学生さん達はどのようにすごすのでしょうね?
2005年9月17日(土)
7日目。
今日は一日中、広浦古墳墳丘部の割り付けをしていました。修士課程2年生の南君とのペアー。さすがに早かったですね。今日で割り付けが終わり、明日から墳丘・石室石材残存状況の実測作業に入ります。
このようなことですから、今日の千崎古墳群の調査状況は夜のミーティングの時に知ったのですが、やはり5号墳の南小口部は変な構造のようです。横口?羨道?が付くようです。
私は明日、千崎古墳群に張り付く予定です。
今日は、千客万来。
熊大の卒業生がたくさん来てくれました。
現場には、甲元先生と木下先生のほか、古城さん、木村さん、江頭さん、沖さん、末永さん。
現場を手伝って宿泊するのが、壱岐尾さん、児玉さん、八郷さん、松ヶ野さん。
夜に宿舎へ来てくれたのは、仲矢さん、村上さん。
女性陣花盛りで、華やかな夜になりそうです。
ちょっと飲んできます。
2005年9月16日(金)

右の写真は、千崎5号墳。調査後の現場ミーティングの様子です。
フィールドマスターの前田さん、大活躍ですね!
毎日、快晴が続いています。
広浦古墳では炎天下での平板作業になっていて、ちょっと体力を消耗気味の学生さんが目立っています。千崎古墳群でも、少し元気がないような?
先月の河原第3遺跡の調査から数えると、発掘調査もそろそろ1ヶ月となるのでしょうか。やはり、こうした合宿制の現場になれない2・3年生は疲れるかなあ・・・と思います。
千崎古墳群・広浦古墳の調査では実測作業や測量作業が大変多くなっていますから、夜もミーティングののち、図面のチェックと修正を遅くまで続けている学生さんが多いです。
ですから、一日中、調査漬けとなっていて、その点でも疲れると思います。
で、明々後日、休日とすることにしました。皆、何をしてすごすのでしょうね。
でも私は、助っ人の上級生や卒業生が多く来ていて、もったいないので、彼らと一緒に国土座標のための測量をしようと思っています。
2005年9月15日(木)



5日目。
今日は1日、千崎古墳群にいました。とくに5号墳の発掘調査を中心に見ていました。
上の写真左がその5号墳の現状です。西側から撮しています。
中心にあるのが石室で、盗掘によって石室石材が散乱している様子がよくわかります。その東西南北それぞれに、墳丘形態確認のためのトレンチを設定しています。写真の中央に見えるのが西トレンチで、尾根の高い側に設けています。
中央の写真がその西トレンチの様子です。今日、昨日の日誌に記した溝状遺構を掘り下げましたが、写真にはその部分を示しています。
写真の左側にある石室部分から地山が緩やかな傾斜をもってレベルを低くし、最下端に達したあと、デコボコしながら写真の左側へ続いている様子がわかりますでしょうか。そして黄色の杭あたりで溝状遺構が終了し、平坦面をなす地山が丘陵頂部方向へ続きます。
しかし、とても期待したのですが、この溝状遺構から遺物はまったく出土しませんでした。したがって、厳密な意味では、溝状遺構の掘削時期は不明なのですが、石室との位置関係や周辺地形の状況から判断して、墳丘西側を画す溝状の浅い掘り込みなのではないかと考えています。
右の写真は北トレンチの様子です。
トレンチの右端(南端)で、地山が平坦面をなす部分を検出しました(写真の中央に写っている平坦な部分です)。おそらくここが墳丘下端に造られた幅狭いテラス状の部分かと思われます。写真をよくみると、この平坦な部分がトレンチの向こう側に続いている様子がわかるかと思います。現地表面にも、このテラス状部分の地形が反映されているのでしょう。
以上の様子から、今日現在ですが、やや尾根筋方向に長い直径6m前後の円墳ではないかと思っています。
でも、どうかな・・・?
ところで、石室南小口の様子がよくわからなくなってきました。
壁面石材の一部が欠けている?? 横穴式石室?
千崎古墳群は地元の方々がとても大切にされている古墳群で、しかも現在の景観がとても美しい。
撹乱のために石室あるいは石棺石材が散乱しているのですが、そうした様子も周辺の風景にとけ込んでいて、とてもいい雰囲気をかもし出しています。
ですから、今回の調査でも、なるべくそうした景観を破壊しないように心掛け、死んでいる石でもむやみに取り上げないようにしていたのですが、しかし、小口部分の構造を明らかにするためには、若干の石材除去もやむを得ないという判断に至っています。
明日は、そうした作業に取りかかります。
でも、現在の景観の保護には細心の注意を払うつもりです。
2005年9月11日(木)


4日目。
今とても身体がだるい。
まだ序盤戦だというのに・・・広浦古墳の墳丘まわりに散乱していた伐採済の草木を除去する作業を1人でやったのだけれど、その際に太陽にやられたか?
とくに左足のあちこちが、針で刺さされたようにチクチク痛む。何だろう?
長法寺南原古墳調査の際にヘルペスにかかった某先輩を思い出して、今日はちょっと心配になりました。明日まで様子をみてみます。
さて、上の写真左は、広浦古墳周辺地形平板測量の様子。右は広浦古墳の墳丘残存状況。私は今日これを掃除していました。
今日は千崎5号墳墳丘西側、すなわち丘陵上部へと続く尾根筋に、溝状の落ち込み?があることを確認しました。墳丘を画す溝になってくれればいいのですが、はたして?
いや〜、非常に眠い。で、今日はお酒をほどほどに休むことにします。
2005年9月13日(火)

昨日は教育学部に借りているトラックを返却するため大学へ戻ったりしていたので、1日中現場にいたのは今日が初めて。お昼ご飯のおにぎりを食べたのも今日が初でした。ひさしぶり!
さて、今日は千崎古墳群の5号墳で掘り下げが始まりました。3日目にして、ようやく発掘らしくなってきました。
まずは墳丘形態の確認を目的として、露出している石室の周辺に4本のトレンチを設定し、そのうちの2本の掘り下げから始めています。
もうすでに地山が出始めていて、地表下5pといったところ。とても浅いです。
こうなると、墳端の認識は、地山への加工の痕跡、具体的には不自然な傾斜変換点を探すしかない・・・どうなるでしょうか?
明日以降も慎重に掘り下げを行いたいと思います。
写真は、そうした千崎5号墳掘り下げの様子です。後方に見えている石材群が石室部分です。去年の調査の結果、竪穴式石室である可能性が高くなっていて、この石室部分の調査も行う予定・・・
しかし、今年の現場参加者は思いのほか少なく、現在17人。このうち2人は常時宿舎に残っているし、1人は私だから、実質現場で働けるのは14人しかありません。
そんな状態なのに、千崎古墳群に加えて、広浦古墳の測量調査・実測調査も行っていますから、大学院生のフィールドマスターは人員の配置に苦労しているみたいです。
現場が遠いですから、車の配置にも一苦労・・・
そんな状態ですから、今回の現場をどこで終了させるかの見極めが大変重要となっています。今月末には集中講義があり、10月には新学期が始まりますから、終了の期日が切られています。こうした状況の中、最大の成果を上げて、中途半端に終わらせないための現場運営が必要となってきます。
熊本大学では、そうした現場進行の決定を大学院生が中心になって行いますから(それがフィールドマスターです)、担当の大学院生は相当に神経を使っていると思います。
もちろん私は頻繁にアドバイスを行ってはいますが・・・
広浦古墳では地形測量と石室残存状況の実測を終わらせることが目的ですから、そこでやることは決まっています。
問題は千崎古墳群。ここでの発掘調査をどこで切り上げるのか、そして次回に残すのならばどこを残すべきなのか、そうしたところの判断がきわめて重要となってきます。
この辺のところを、もう少ししたら、フィールドマスターに話してみようと思います。
2005年9月12日(月)

今日は朝からテントの搬入。これでようやく現場での休憩場所ができました。
とくに広浦古墳にはまったく日陰がありませんので、早くテントを設置したかった・・・よかったです。
その広浦古墳。
これまで墳丘部も含めて周辺一帯が草ボウボウで、どんな様子なのかほとんどわからない状態でした。でも、今回の測量調査にあわせて、いつもお手伝いいただいている地元の山崎さんがきれいに伐採してくださいました。
こんなきれいな状態の広浦古墳がみれるなんて、おそらくこの先、まずないでしょうから、とても貴重です。
いい写真を撮りたいですね。
さて、広浦古墳では、本日から平板測量を開始しました。
一方、千崎古墳群では、ちょっと割り付けに手間取っていますね。でも、明日午後くらいから5号墳の掘り下げを開始できそうです。
調査2日目にして、何とか軌道に乗りだしたといったところでしょうか・・・
合宿制の現場では、生活のペースに慣れるのに数日かかるので、今が一番、身体がだるい時期かもしれません。学生さんの様子にも、ちょっとそんなところが見え隠れします。
疲れの出ないようにしないと・・・
今日は写真を撮り忘れたので、昨日のもので代用。下山の三角点から広浦古墳へレベルを移動している様子です。比高差は約60m。
海の向こうに見えるのは下大戸鼻。そこにも装飾古墳が分布しています。
2005年9月11日(木)

朝8時に、大学工学部3号館にある考古学資料室に集合し、器材積み込み。トラックはいつものごとく教育学部から借用しました。器材運びには、やはり1.5トンくらいのトラックがあった方がとても便利だから、教育学部のご厚意には本当に感謝しています。
10時過ぎ、上天草市史編纂室で車や器材を借りたあと、宿舎として利用させていただく合津マリンセンター到着。器材搬入、宿舎設営、昼食のち、いよいよ現場へ。
いや〜、それにしても暑いです。
今年は9月中旬開始だから去年ほどではないにしろ、汗が噴き出してきます。
まず、千崎古墳群と広浦古墳を全員でまわったのですが、この現場が初めての学生さんは、草ボウボウのなかを歩くことにかなりつかれていたようです。
でも、これが夏の現場ですよね!
今回は、かつて京都帝国大学が調査を行った広浦古墳の測量調査も実施します。これまでまともな現地の図がなかったから、どのように仕上がるのか、私もとても楽しみです。
写真はその広浦古墳。東側の三角点近くの鉄塔下からの写真です。ほぼ真ん中に広浦古墳が写っています。
海に突出した小さな丘陵上に造られていることがよくわかるのではないでしょうか。
今日、ちょっとした(ちょっとしていない??)事故がありました。
人にかかわる事故でなかったことは幸いでしたが、しかし、いけません。
現場は、安全第一!! 細心の注意を払うこと!!
それを肝に銘じた夕食前でした・・・
2005年7月21日(木)
上天草市での調査打ち合わせ。三角点の探索。
下山三角点しか見つからず・・・