文学部通信17号
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■総合人間学科       本脇 賢尚さん(4年) 私は2016年9月~17年2月の間に、中国の南方にある深センに留学しました。深センはもともとこれといった特色もない寒村でしたが、80年代に「経済特区」として開発が始まり、今では中国内でも屈指の大都市に発展しました。香港の隣という立地を生かして、安価な電子部品などを供給する地域としてスタートした深センですが、最近ではドローンやVRなどの最新のハードウェア製品を開発するエンジニアたちが集う「第二のシリコンバレー」として世界的に注目されるようになっています。 街の中心地では、エンジニアたちが作った無数のドローンが飛び交い、ほかにもVRなどを体験・購入することができます。私は残念ながらそういったハードウェアに明るくないので、それぞれのギミックの凄さなどを完全には理解できませんでしたが、一緒に観光した理系の友人は子供のようにはしゃいでいました。また、深セン大学には語学の勉強をしながら、エンジニアとしてベンチャー企業などで働く外国人の方も多くいました。そういった分野に興味がある人はぜひ深センを訪れてみてほしいです。 大学生活に関しては、ひたすら中国語の勉強をしていました。月~金曜8時~12時に語学の授業を受けて、午後はフリーなので自習をしたり、他にも広東語の授業を受けたりしていました。また、大型の連休などがあると、友人と一緒に香港に遊びに行ったりもしました。深セン―香港中心地の距離はだいたい熊本市―八代市ぐらいの距離なので、ほとんど日帰りで帰ってこられる距離です(ただ税関でかなり時間を取られるので要注意)。たったこれだけの距離なのに、国境(のようなもの)を境にがらりと街の雰囲気が変わるのはなかなか面白いです。 また大学の授業にも慣れはじめた頃、もっと大学外の人とも話してみたいと考え、剣道の道場にも参加しました。「中国で剣道?」と訝しがる人もいるでしょう。もちろん日本とは違った形で剣道を受容してはいますが、実際に稽古に参加してみると、道場生たちは日本の剣道仲間にも負けず劣らずの剣道好きでした。さらに、その道場の館長のご厚意で中国の全国大会にも参加させていただき、団体で優勝することができました。ただ、うれしかったのはその結果よりも、チームメイトと一緒に自分もそのメンバーの一員として戦えたことでした。言葉はまだまだ通じない部分も多かったですが、語学力以上に大事なものを得ることができたと思います。■文学科          中﨑 直哉さん(4年) 私はアメリカのモンタナ州で約10ヶ月間留学生活を送りました。モンタナはロッキー山脈やグレイシャー国立公園を有する大きな州で、雄大な自然を身近に感じられる壮大で空気の美味しいところでした。留学先MSU(モンタナ州立大学)のあるボーズマンは田舎町で、高層ビルの全くない古い街並みがそのまま残っていて、時間もゆったりと流れているような気がしました。 中学生の頃からアメリカのテレビドラマやアメコミ系の映画を鑑賞することが趣味で「いつか自分もかっこよく英語を使いたい」と憧れ続けており、大学に入る前から長期留学を夢見ていました。その思いは常に消えず、日々の英語学習の大きな原動力になっていたと思います。大学でもアメリカ文学を専攻し、学習を続ける中でもっと英語を学んでネイティブのように使いこなしたいという思いが強まり、ゼミの先生に相談しながら、留学を決断しました。 無事に交換留学生としてアメリカへ派遣されることになり最初はホッとしていましたが、現地での生活は想像とは全く違うことだらけで苦戦しました。ある程度英語は勉強していたはずなのに、現地の学生のようには話せない、聞き取れない、書けないという言語の壁。慣れ親しんだ日本文化と異国文化との違い。留学初期は日常生活の中で常に劣等感を抱き、ストレスを感じながら周りについていくことで必死でした。それと同時に、長年の夢だった長期アメリカ留学をただ苦しいだけの経験にしたくないという思いが強くなっていき、「一から学び直すぞ」という根性で学習に取り組めるようになりました。友人や先生の力を借りながら少しずつ慣れていくことができ、授業も8割方聞き取れるようになったり、ちょっとしたスラングを真似できるようになったり、カフェでのバイトに挑戦できるようになったりと、日々成長を感じることができました。また、アメリカの学生が平日はこらえて勉強に集中し、週末は思いっきり遊ぶというサイクルで勉強をしているのを真似て、常にモチベーションを維持して勉強を頑張る姿勢も確立できました。 思い返せばたくさん苦労をした留学生活でしたが、その中で信頼し合える友人ができたこと、彼らとたくさんの思い出を作れたこと、何より夢のひとつを叶えられたことで、とても価値のある10ヶ月を送れたと思います。日々学習する中で英語や異文化理解に関して自分の未熟さを再発見することもできました。とても悔しいですが、これが今でも英語学習の原動力になっています。現在は英語で卒業論文を執筆中ですが、まだまだ学ぶべきことは山ほどあり、理想の英語話者には程遠いなと思います。納得できるまでとことん勉強し、胸をはって英語を使いこなせる自分を夢見て、今後も努力を続けようと決めました。貴重な経験をさせてくれた両親、そして留学準備から本番まで常に支え続けてくれた先生方、友人たちにはとても感謝しているので、今度は自分が誰かの力になりたいです。留学経験者として自分の経験を発信することで今後留学をする人たちの後押しが出来ればと思います。■コミュニケーション情報学科 堤 はるなさん(4年) 英国留学中、全自動運転技術や新しいモビリティサービスの台頭に伴う自動車業界の変動を知り、日産自動車グローバル本社のインターンに参加しました。夏期と冬期の二部構成となっており、まずビジネスの現場で求められる知識やスキルを学び、その知識やスキルを具体的な課題解決に活用するプログラムでした。 夏期は、日産独自のV-upプログラムを用いた課題解決ワークショップ。実際のビジネス課題をテーマに、クロスファンクショナル(組織横断型)な形で解決を図るという内容です。限られた時間での意見集約・厳しい質疑への対応を通じて「一皮剥けた」嬉しさを味わいました。 冬季は予想をはるかに超えたハードさ。開発から販売までの自動車メーカーの業務プロセスを体験しながら、利益を競うものでした。各部門に与えられた情報やデータを分析、他部門と調整・連携を図りながら、業績を最大化するのがミッションです。たったひとつの小さなミスが連携をズタズタにしてしまいます。私の属したチームは当初致命的なミスで出遅れたものの、後半の追い上げで全10チーム中1位の成績を獲得することができました。 また、目指すリーダー像を定めアクションプランを作成・実行したのも初めての経験でした。自己評価に丁寧なフィードバックが提供されたことで、モチベーションを高めることができました。 キャンパスでは経験できない学びを得たことに対して、日産自動車の方々と色々な大学から集まった仲間でありライバルに、感謝の気持ちで一杯です。      文学部GLC学生担当メンター教員 教授 齋藤 靖  「今年の実施は厳しい…」、「いや、受験生の期待を裏切るわけにはいかない」。2016年4月の熊本地震直後、授業再開に向けた対応に追われる中、グローバルリーダーコース(GLC)入試について大学内部ではギリギリの検討が続いていました。 その約半年後、2日間にわたる入試も無事に終了。地震の影響を危惧する声を吹き飛ばすほど文学部の人気は高く、心配は杞憂でした。合格した文学部GLC第1期生10名は、朗報から間もない11月、入学前セミナーで一足早い「大学」生活を開始したのです。3回のスクーリング(11月、12月、3月)で英語演習(聴解力と会話力の訓練)や文学部演習(学部長と語り合う企画等)を受ける一方、e-ラーニングで英語力強化を図りながら様々な課題に取組み大学での学びにつながる学習に励みました。 入学後のカリキュラムは、主に次の点で他の文学部生と異なります。毎週水曜・5時限目にGLC生限定開講のファウンデーションセミナーによるグローバルリーダーの基礎力研鑽(英語による演習等)、英語による教養科目の集中的履修や3年進級時に選ぶ学科・コースを見据えた専門科目の履修などです。第1期生の悲鳴が聞こえるときもありましたが、留学生との合宿研修、講演会や県内企業の海外インターンシップにも積極的に参加し、期待以上の成長を遂げています。すでに、GLC独自の短期留学プログラムに対する熊本大学基金の支援制度を活用し、留学に向けて準備を進めている学生もいるようです。 2018年4月にはGLC第2期生10名が入学予定です。文学部GLCのこれからにぜひご注目ください。 憧れのカレッジライフinアメリカ 深セン大学への留学を終えて文学部グローバルリーダーコース始動!文学部通信 第17号7留学体験記インターンシップに参加してグローバルリーダーコース報告留学体験記インターンシップに参加してグローバルリーダーコース報告▲必死です!(留学生との芦北合宿)

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