文学部通信11号
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■文学科英語英米文学 佐伯 遥さん(4年) 私は2010年8月~2011年5月まで、交換留学生としてアメリカ・カリフォルニア州にあるパシフィック大学に留学をしました。パシフィック大学は私立大学と言うこともあり、きれいに整ったキャンパスと、少人数制の授業が特徴だったと言えます。また、留学生を積極的に受け入れており、アメリカ人のみならず多くの国籍を持つ人たちとふれあえる機会を持てたことも良い経験でした。 授業では、語学面での苦労はもちろんありましたが、それ以上に日本とは違う授業スタイルに慣れることにも苦労しました。日本であれば教師が一方的に教授するスタイルがほとんどですが、パシフィック大学の授業では個人の意見やグループでのディスカッションが多く求められました。ここでは、教師は正解を教える存在ではなく皆の意見をまとめる立場といった感じで、生徒たちが自ら答えを考え出していくような授業が多かったように思います。また、宿題やテストの量は日本に比べてとても多く、海外の大学生の「学び」に対する意欲の高さに焦る思いもしました。 このように、授業はとてもストイックに取り組むのですが、週末とのメリハリをつけるのがアメリカの大学生の特徴で、週末の夜には大学主催でダンスパーティーや多くのイベントが催されていました。この、平日は一生懸命勉学に取り組み、週末は思い切り遊ぶというスタイルは日本に戻ってからも続けたい習慣のひとつです。 また、私がこの留学生活の中で一番印象に残ったのは、3月11日に起きた東日本大震災のための募金活動です。パシフィック大学に在籍していた20名弱の日本人留学生が一丸となって、学内のカフェテリアで3日間の募金活動を行いました。アメリカの学生は普段現金を持ち歩く習慣がないのでFacebookを使って告知したことや、この活動が地元紙やニュース番組に取り上げられたことなどの効果で、予想をはるかに上回る6000ドル超の金額を3日間で集めることができました。わざわざ学外から募金のためだけに訪ねてくれる人もいて、そのボランティア精神には本当に頭が下がりました。この活動を通して、私自身のボランティアに対する意識も大きく変わったように思います。 留学生活を通して、語学のみでなく多様な価値観や日本に対する新しい見方、生活力など多くのことを学べたように思います。決して楽しいこと、上手くいくことばかりではありませんでしたが、この留学が私の中でプラスになったことは間違いないと思います。■コミュニケーション情報学科 本村 裕美さん(4年) 私は2010年2月から2011年7月まで上海師範大学に留学しました。交換留学生として、そしてのちに自費留学生として延長しました。 学校では、リスニング、ライティング、スピーキング、リーディングの4つの講義が週に計10時間あります。初級クラスから高級クラスまで7クラス、その他にビジネスクラスもあり多様でした。留学生は華僑のインドネシア人が全体的に多く、その次に韓国人という割合です。他の大学に比べて規模がそんなに大きい方ではないので、友達もすぐにできました。 これまで韓国語を勉強してきた私にとって、中国留学はまた違った視点を与えてくれました。日本と似た部分の多い韓国とは違い、中国は同じアジアながら全くの異国。そして中国国内でも地方ごとにそれぞれのはっきりした色があり、約1年半の間飽きることはありませんでした。 中国に留学してよかったことの一つは、上海の「変化」を見られたことです。2010年は上海万博もあり、中国へ行くには絶好の機会でした。万博前は工事だらけで、落ち着かない雰囲気だった上海。万博後には道路舗装や公共交通機関でのマナーなど多数の変化が見られました。既に大都市である上海がたった一年の間にこんなにも変わるのかと驚きました。 二つ目は中国国内旅行をできたこと。時間があればすぐにカバンを背負ってあちこち旅をしました。上海市内はほぼ網羅し、北京、安徽省、浙江省、山西省、江蘇省、湖南省、広東省、広西チワン族自治区、陜西省へ。中には鈍行列車で往復12時間の旅もありました。列車やゴンドラで相席した中国の方と「どこから来たの?」で会話の始まり。このような偶然の出会いが留学で一番記憶に残る思い出です。会話をしていく中で感じたのは、三つ目「イメージと違った中国」です。 留学に行く前に日本のメディアから得た中国の印象は「経済発展」「ビジネスチャンス」「反日デモ」でした。しかし上海においてはもう既に多くの外国企業が来ていて何でも揃っている印象を受けました。さらに意外だったのは、3.11の地震が起きた際に専門番組が作られ、四六時中日本の地震情報を流していたことです。自分が今まで当たり前に抱いていた中国に対するイメージは間違っていたのだと気付かされました。 たった1年半の留学ではありましたが、留学は私の価値観に大きな影響を与えてくれました。一番養われたのは、「自分で計画して、行動する。自分の目で見て確認する。」ことです。言われたことをこなすのは誰でもできるかもしれません。しかし、白紙の中で様々な可能性を考慮して計画、行動する。問題が生じたら即座に対応する。中国で動きながら実践できたことで、大きな自信にもつながりました。中国で積んだこれらの経験をぜひ活かしていきたいです。■コミュニケーション情報学科 御手洗 桜さん(3年) 何かに挑戦したいという思いから、日当1万円、能力を認められれば採用が約束されるという、ワークスアプリケーションズのインターンシップに応募しました。年間4万人が応募するというこのインターンなら、刺激的で優秀な学生に出会えるだろうという期待もありました。論理思考や企画アイデア策定および面談という延べ3日間に及ぶハードな選考を経て、3週間の慣れない東京生活が始まりました。 課せられたテーマは「動物園の日常業務を支援するソフトをつくる」というもので、企画立案から設計、開発までの一連の流れをひとりでやり遂げなければならない内容。簡単な資料とパソコンが配布されるだけで、作業に関する質問には一切応じないという厳しいプログラムだったため、リタイアする学生もいました。実際のプログラミングには相当苦労しましたが、何度も諦めようとする中で気づいたのは、問われているのは技術力ではなく、顧客の理想と現実のギャップ、すなわち課題を様々な視点から考え抜くことこそが重要だということ。 最終日のプレゼンを終えたときの達成感は味わったことがないほどのものでした。嬉しいことに評価は期待を上回り、卒業後3年以内ならいつでも採用という「3年パス」を頂きました。 決まった解答の存在しない課題に挑み続けること、いきいきと働く社員の方々やモチベーションの高い学生と議論や交流をおこなうことを通じて、一皮剥けた自分がそこにいました。■歴史学科 内田 さきさん(3年) 大学2年生のころから、漠然と「公務員になりたい。」「市役所で働きたい。」ということを考えていました。そんな折、熊本市役所のインターンシップの応募があると知り、公務員の仕事を体験し、より理解するためのチャンスだと思い参加することを決めました。 8月の初めにまず、2日間の集合説明会に参加しました。ここでは、熊本市役所の各部署の方がそれぞれの仕事内容についてプレゼンしてくださったのですが、それぞれの仕事内容について深く知ることが出来ました。特に、政令指定都市に向けた取り組みや政策から、各部署の方の熊本市の町づくりに対する熱い思いを感じました。また、説明会の中で「市役所での仕事は3~4年で異動。それまでとは全く違う仕事をするから転職みたいなものだ。」という話がありました。様々な事業所で働くことが出来るということで、自分の可能性を広げることができる仕事であるように思い、やりがいのある仕事だ、とますます公務員の仕事に関心を持つようになりました。 8月末の3日間は、かねてより希望していた生涯学習部の仕事を体験するために南部公民館に実習に行きました。公民館では、生涯学習ということで地域の人に向けてさまざまな講座を企画し、開催しています。今回は、主にその講座の見学や準備、後片付けをしました。その中で多くの年齢層の方々と触れ合う機会があったのですが、みなさんがとても生き生きと活動しておられ、講座を楽しみにしていらっしゃるようでした。この時、地域に根差した運営をすることで町づくりに貢献しているのだと公民館や生涯学習の大切さを実感するとともに、私も運営する側となり、地域の方々が充実した日々を送れるようにこうした町づくりに関わっていきたいと強く思いました。 今回のインターンシップは自分の中で非常に有意義なものとなり、参加して本当に良かったです。この体験を今後の就職活動に活かしていきたいと思います。文学部通信 第11号7留学体験記インターンシップに参加にして留学体験記インターンシップに参加にして

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