文学部案内2019年度
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Research研 究総合人間学科歴史学科は人間だ。これを読んでいる、きみもまた人間のはず(ですよね?)。その人間とはどんな存在だろう? 二つの側面があるだろう。一つ、人間は生きものであり生きものとして自然の一部であるという面がある。人間は38億年の進化が生んだまぎれもない動物であり、動物としての特性を様々に受け継いでいる。しかしいま一つ、人間には意識や理性が、つまり心があるという面もある。人間には食事や音楽を味わい娯しむことも、さらには定理を証明することや宇宙を旅することもできるのだ。生きものとして自然の一部であるという面と意識や理性をそなえるという面、かけ離れて見えるこの二つの側面が、人間をいわば天地のあいだに宙吊りになった奇妙な存在にしている。人間のこの宙ぶらりんのあり方は、さまざまな悲喜劇を生んできたばかりではない。様々な問いを投げかけてもくるのだ。哲学の問いを。 私のいまの関心事は、人間のこの奇妙なあり方だ。つまり、人間はどこまで生きもの、自然の一部なのだろう?それを考えるとき、この地上に人間を生み出した進化というものを考えないわけにゆかない。それはまた人間の本来のあり方、「人間の原像」を考えることでもある。こうして考えを進めてゆくと、しかし自然の内部に収まらないように見える人間の側面、意識や理性という面をどう位置づけるか、という究極の問いにぶつかるだろう。それはすなわち、私たちは結局のところ何者であるのか、という問いなのだ。私12総合人間学科 人間科学コース(哲学)大 正晴 准教授哲学京大学に留学中、長期休みに旅行を計画したときのこと、私は酷寒のなか切符売り場に早朝から並びました。2時間も並ぶと寒さで全身が凍えてきます。そんなとき中国人の友達Aからメールが着信。愚痴まじりに状況を説明したところ、助けてあげるとのこと。20分後、助けに来たのはなんとその友達Aの古い友達Bでした。「・・・誰この人?」初対面のBに戸惑いつつ、寒さに参っていた私は現場をBに任せました。40分後、売り場に戻った私を待っていたのは、私を助けに来たはずなのに、私の切符だけでなく、大勢の友人のための切符の束までをも握りしめたホクホク顔のBだったのです。 この経験は、中国に住まう人々が外からは分からない様々な人間関係を張り巡らし、それを自分や友人の問題解決のためにしたたかに、そして日常的に利用し合っているということを改めて教えてくれました。錯綜した人間関係のあり様は、現在の国家主席の習近平にも見られます。習近平が政治的に重用している人物や側近たちの多くは、習の青年時代からの友人や、習が地方の役職を務めていたときの部下たちだというのです。そしてこうした構図は、実は私が研究している1000年ほど前の中国の政治史上にすでに見られるものなのです。 近代化前の中国のあり方を、我々は伝統中国と呼んでいます。異文化に生きる人々の行動原理を理解するには、現在だけでなく、過去から考える必要があります。分かりにくいといわれる中国を理解する鍵は、史料から読み取られる伝統中国の姿とどう向き合うかにあるのではないでしょうか?北歴史学科 世界システム史学コース(アジア史学)小林 晃 准教授宋代を中心とした中国近世政治史研究テーマ私たちは何者なのか研究テーマ過去から考える異文化の原理教員の研究紹介

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