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第一部討論会

高橋：ではこれから、第一部の討論会を始めたいと思います。進行役を私が兼ねていくことにします。まず佐谷先生から、自分の論文の概要あるいは背景だとか、書いた動機とか、そういうものを説明していただいて、次に中山先生にも同様の説明をしていただき、それから討論に入っていきます。はじめは、私がきっかけを作り、後はかなり自由な討論をしたいと思います。それではお願いします。

佐谷：私は、細胞における死について、特に細胞死には一定の流儀と生物学的意義があることについて、書かせていただきました。本論文の主張は、細胞内のイヴェントの一つとしてアポトーシスという機構が存在し、そしてそのアポトーシスが、死という一見否定的な現象でありながら、個体の生存や種の保存そして進化を決定付けるために重要な役割を果たしているということであります。?部では、まずアポトーシスとネクローシスと呼ばれる二つの細胞死の様式について説明し、特にアポトーシスは細胞の分裂や運動等他のイヴェントと全く同じく、細胞の中の分子シグナルによって生じる現象があるということについて解説しています｡また、アポトーシスにはミトコンドリアという細胞内小器官が関与していることについて、生物史的な観点から言及しています。?部では、どうしてアポトーシスが個体の生存や種の保存に重要な役割を果たしているのか、その根拠について例を挙げて説明しています。我々の臓器が構成されていく上で、アポトーシスが必要であること、外部から侵入してきた異物に対抗するための免疫機構はアポトーシスによってコントロールされていること、そして我々の細胞の遺伝子が変異を受けた場合、アポトーシスによって傷害細胞を除去し個体を守っていること、更には発生段階で傷害を受けた胎児に死を誘導することによって遺伝子を保全するシステムについて述べています。しかしこれらアポトーシスは過剰にあるいは異常に働くことによって、逆に病気として我々のからだを侵したり、死を誘導したりすることがあり、更に考え方を展開すれば、アポトーシスという機構があるがために、かえって大きな環境変化に対してヒトのような高等生物が極めて脆弱であるというパラドックスについて解説し、問題を提起させて頂きました。こうした事実に基づき､アポトーシスという現象は、もはやある特定の個体や種において有利に働くとか不利に働くとかという価値観で議論すべきものではなく､生物全体の進化の経路を決定していくための単純な機械的なイヴェントとして捉えるべきではないかという考察を行っています｡?部の最後に、神経細胞について私の考えを少し述べさせていただきました｡生まれてから死ぬまで、神経細胞にはアポトーシスが起こらず､それが知識や記憶を蓄積する脳という器官を作り上げたことに興味がありましたので。最後に「おわりに」では、アポトーシスという新たな概念を十分に取り入れた上で、進化論を再考する必要があるのではないかという考えを述べさせていただいております｡

高橋：はい、どうもありがとうございました。非常に明快な説明でした。では中山先生の方からお願いします。

中山：目次に沿うて簡単に申し上げますと、まず第一章で問題のありかを探る中で出て来たことは、一つには生（人間が生きるということであって、生物学的な意味ではない）の意義は、量ではなく質にあること、二つには、死の時点で、生の意味づけをする可能性があること。それからもう一つは、「老いと病」について否定的な現象に肯定的な意味があるのではないか、という三つです。それから、第二章ですが、死ぬということをどう考えるのか、これまでの色々な伝統的な考え方をおおまかに概観しながら探りました。私は、死ぬことは結局人間にとってどうすることなのかまとめました。動詞で言いかえるとすれば、おおまかに「赴く」と「帰る」という二つにまとめ、現代の傾向として「帰る」という方に賛意を示す傾向にあるのではないか、と考えました。「帰る」という中にはいくつか種別がありますが、それでも「帰る」に落ち着くのではないかと。第三章では、死ぬのは誰かと副題に問うたように、要するに人間は死ぬときどういう存在として死ぬのかを問われるということ、人間としてが最低限あるとしても、その個人を見るときに、本当の「自分」自身に帰らないまま死んでいくことも結構ありはしないかを問題にしました。「他人」の死をどういうふうに見るかが、「世人」としての自分に入り込むところがあります。望ましいのは、この「自分自身に帰って」ということです。第四章、ここで「よい死」というのをよりくわしく吟味しました。「よい」というのは何なのか、ということをめぐって、「幸福」がよく言われるけども、これはなかなか決まらないので、次に「ふさわしい」「望ましい」が思い浮かびます。「ふさわしい」には、人間にふさわしいと、自分にふさわしいが区別されます。「望ましい」というのは、自分にとってとか、あるいは家族にとってというレベルですね。問題は、四番目の「おのずから」ですが、これは、ここまでずっと述べてきたことが、えてして非常に実現困難な、理想的な話になりがちなんだけれども、多くの人達には、あてはまらないかもしれない、後でまた戻りますが、自力道と他力道というか、つまり修行して初めて到達し得る、非常に厳しい死と、何かに預け委ね可能になる死と、いずれとも両方の要素を二つながら具えているわけですが、「おのずから」において、そういう大多数の道を考えた次第です。その後は「死にゆく者にとって」と「見送る者にとって」という、立場の相違からよい死を具体的に考えたわけですね。第五章でいう「統合作用」というのは、死が人と人との結びつきを結びなおすということと、個人の生の過去・現在・未来を照らし出して、意味づけをする可能性があることを含みます。過去的な統合でありまして、「死の受容」は、意味づけの前提です。受容しなければ、意味づけもできないわけで、死をどうやって受け入れるかというのが一番の問題です。「生の意味づけ」は過去的な統合であると同時に、遺った人達の未来的な生の統合でもあります。そうしますと、先の「死の受容」は、現在的統合ですね。失おうとするものの現在の受容、現在の確認であるわけです。こと、キーワードと申しますか、結局私の中で問題になることは、否定的な要素と肯定的な要素の共存、あるいは否定的なものの肯定的な意味合いが一貫してあるというのが一つ。統合ないしい統合作用がいろいろなところに出てきます。これは生物学的ないし医学的にも統合という言葉があって、たとえば分裂症を統合失調症ということや、脳の統合的な働きなどですが、人間学的にも考えられます。もう一つは、自力と他力ということ。意志的・意欲的に向上しようとする道と、何かに委ねてしかもよい死を死んでいけるという道と、その両方の可能性があって、そのどっちかというのではなく、個々人に両方の要素があって。どっちに重きを置くことになるのかで違ってくるわけです。それからもう一つは、自然概念が一貫して問題となっています生物学的自然と人間学的自然（本然）と。「おのずから」というのも自然概念に含まれます。これらのことも共通の問題点になればと思います。

高橋：はい、どうもありがとうございます。お二人の論文は、一つは生物学的なレベルで、細胞の死だとかあるいは個体の死とかいうところまで非常に幅広く論じているのと、他方は人間の死という問題、それについての論なので、うまくかみ合わないかもしれませんので、初めにですね、かみ合いそうなポイントをとりだしてみます。中山先生の論文の中に、カタカナの「ヒト」と、漢字の「人」が度々登場しますね。その辺でまずお二人の論が少しかみ合ってくるのかなと思います。中山先生がそのように書いたのは、以前から「ヒト」と「人」を分けるという構想を持っていて、この論集シリーズの中の論集１や３でも展開しておられるんだけども、今回それを多用したというのは、佐谷先生の論文との関連を意識していたのではと思ったんですけども。

中山：これまで書いた論文の続きで書かざるをえないというのが最初にありますが、結果としてかみ合う部分は当然出てくると思います。まず最初に、死の問題が、佐谷先生の場合、生物学的な意味での「ヒト」の死、つまり個体死であるわけですが、私の場合は「人」の死、人間学的なレヴェルの、個人の死になります。「人」は、生物学的なレヴェルの「ヒト」をもちろん統合しているわけです。医療的な見地からの死のプロセスは、当然生物学的に進行するわけですが、それと平行して人間学的なレヴェルのプロセスがあるわけで、それをいかに統合するか、言い換えれば、生物学的なレヴェルの死のプロセスは、厳格に否応なく進むわけですが、それを人間学的なレヴェルでどう統合するかの問題になります。もう一つは、佐谷先生の中で、私がさっき肯定と否定の共存といった事態がやはりあるわけですね。生物学的なレヴェルでもある。それは原理的な話としてかみ合うと思うんですね。

高橋：それは具体的にはどこを？

中山：たとえばミトコンドリアが、生と死の制御を両方ともするという話がある。それからp53がプラスとマイナスの両面の働きをする可能性がある。それからもう一つは、自然の概念とつながるのですが、進化の視点から見た時に、偶然が大きな作用をする中で適切に生と死を選択していった種が、たとえば細胞死、個体死のレヴェルで選択していった種が生き残っていくという話があります。これらは自然概念の中で偶然を許容する必然として理解すればいいのかと思ったわけですけれども。この自然概念は、私の中でも別の意味合いで非常に重要なので、この辺もかみ合うのではないかと思います。

高橋：その辺についてはどうですか、佐谷先生は。

佐谷：私も中山先生の論文との間に興味深い接点を多く見出しています｡まず、「ヒト」と「人」の話しですが､中山先生は主に「人」としての「よい死」は何かということについて述べておられます。そこで、わたしは生物としての「ヒト」にとって「よい死」とは何かということについて考えました。そして、ヒトにおける「よい死」のキーワードとして「遺（のこ）す」という言葉が思い浮かびました。生物にとっては遺伝子の中にその特有の能力を蓄積し、進化させながら次の世代に伝えていくことこそが「よい死」ではないかと思ったのです｡しかしヒトという生物は、遺伝子に記載された情報を遺すのみならず、言葉という道具を用いることによって、自分が蓄積した経験や知識まで伝えることが出来る能力を持っています｡先ほど述べましたように、神経細胞は生涯アポトーシスを起こさず経験や知識を記憶として蓄えることが出来､そのエッセンスを遺伝子以外の手段で子孫に遺す事が出来るというのは、他の生物にはない､ヒトという生物特有の素晴らしい能力だと考えます｡

中山：今のお話はとてもよく分かります。私の場合にも、そういう表現はしませんでしたが、生の意味づけという相互作用において、死にゆく者と見送る者との間に生の意味の授受や継承が行われます。たとえば私の論文の中で唯物論が出てくるところがありますが（第二章の(3)の2)帰着の中に「無に帰する」と書いたところ）、唯物論では結局、死ぬことは何もなくなる（無化）、無になってしまうことになりますが、にも拘らず、唯物論の立場に立ちつつ何とか死の意味を取り戻そうと考える人が出てきます。生命の連鎖と文化的な織物、そういう中に織り込まれていくことに意味を見出すのですね。生物としては無くなるが、その個人の歴史は残ることで救われるんですね。だから「遺す」という同じ字を使っても構わないと思います。

高橋：佐谷先生の場合、「よいヒトの死」、カタカナの死をさっき話されたわけですね。

佐谷：そうですね。はい。

高橋：そうなると、脳の知識を伝えるというのは、どうなるんですか？

佐谷：脳の知識を遺すというのは一見「人」の「よい死」のための要素だと思いがちですが､｢ヒト｣の｢よい死｣にとっても重要だと思います｡知識を磨きながらそれを言語などで残せるというのは、明らかにヒトという種が進化の過程で獲得した生物学的な能力ですから。

高橋：そうすると、文化的なところまで考えてるわけですか？

佐谷：遺伝子以外の手段で子孫に何かを遺すという能力は「ヒト」という生物が獲得した能力であり、文化的遺産としてだけではなく生物学遺産として捉えてよいと思っています。生物はもともと遺伝子の変異と死のアルゴリズムだけで進化してきたと考えられますが、ヒトの出現によって遺伝子以外に「遺す」手段が登場したわけで、これは明らかに進化の過程の出来事です。そうなると、知識や文化という形で、精神的なものが遺伝し、進化を遂げていくということも、生物学的現象の一環と考えることが出来るかもしれません。

中山：質問ですが、論文の中で、精神的な意味合いを排除して述べたい、という部分がありましたが、今おっしゃったのは精神的なレヴェルまで、生物学的な進化、あるいは遺伝子的な意味合いで説明するということでしょうか？

佐谷：そうですね。もともと進化は全く精神的な要素を排除したアルゴリズムの過程で行われてきたことに疑いはなく、あくまで精神的かつ比喩的な考えを生物の進化に持ち込むつもりはありません。しかし、進化の過程において精神を持つ生物が生まれてしまったことにこの問題の複雑さがあります。つまり、「ヒト」という生物が精神を持つがゆえに、今後はその進化に対して遺伝子の伝達や変異のみならず、精神的な要素が加わってくる可能性があるということです。

田口：宗教民俗学者の山折哲雄はある本の中で、文化遺伝子というものを考えるべきだと言ってますね。この表現を最初に用いたのは、彼ではなくて、文化遺伝子とはミームと呼ばれていますが、遺伝子に加えて、人間が精神を持つ生物として登場したときに、この文化的遺伝子が、生物の進化に新しい局面を開いていくことになったわけですね。

高橋：ただ、そうすると広範な進化論になりますね。DNAレヴェルだけで考えてきた進化論とは違いますね。

佐谷：そうですね。ダーウィンが進化論の中で絶対にヒトのことは述べていないのはそのあたりに理由があるのではないでしょうか。ヒトの進化には精神や文化もその要素として加わることになりますね。

高橋：もし我々の文化的なこととDNAというのを結びつけるとなるとすれば、遺伝子操作とかを通じて進化に関わる、とそうしたことも考えているんですね。

佐谷：そのとおりです。今はヒトの生殖細胞に対してDNA操作をすることは許可されていませんが、現実には故意にしろ偶然にしろ操作した遺伝子が残る可能性は十分にあるわけです。

高橋：その場合、よい遺伝子を遺すという時に、いつもぶつかるのが優生思想の問題がありますね。「よい」というのはどういう意味なのかと。それは生物学からは？

佐谷：生物学的には「よい」～の解答はありません。遺伝子の違いの選択は全てアルゴリズムの一環だと考えるべきで、その時点の環境において生き残るか死ぬかという結果があるだけだと思います。

高橋：そうすると例えば権力を握った強いある一群の人々がいて、彼らの意のままにDNAを操作していく。これもアルゴリズムだということになってしまいますね。

佐谷：そういうことになります。

高橋：それはいけないというのが倫理的判断ですが…。

佐谷：はい。あくまで自然科学的に考えるとそれも包括的に考えれば、もし遺伝子によって生物が滅ぶことがあったとしても、それも地球全体の中の一つのいわゆる選択の終末だということになるんですね。

中山：こういう話については伝統的には、たとえば人為と自然の対概念があるわけですね。遺伝子操作とか、生物学的な知見を利用した改変が、いわば自然に対する人為的な加工が自然のプロセスの中に取り込まれていく、ということになりますが、でも人為の結果が自然のプロセスの中に取り込まれるかどうかは、結局自然全体のプロセスがそれをどう受け取るかという話だとすれば、人為はやはり自然に対してはまだまだ非常に小さい変化に過ぎないのかどうかが気になります。

佐谷：そうですね、まだ自然という大海の中では、人為は中和されてしまうでしょうね。

高橋：ジョークを言えばね、gene（ジーン、遺伝子）の世界に人為が加わるというか、そういう時代なんですね。そういう時代における「よいヒトの死」という話なんですね、先ほどのは。

中山：ちょっと別の視点から言いますと、生物学的な死を人間において考えた場合に、たとえば医療の進歩によって寿命が延びるとか、種としての寿命は延びないだろうという話がありますね。遺伝子改変でそれが延びるとした場合に、生命科学や医学において、そういうものの進展の限度が、考えられないのかどうか、ということがあるのですけれども。死はやはり世代交代とか、種が生き残るためにも必要なわけで、個体の寿命が大きく延びた場合には、種の在りかたとしても非常におかしくなってくるわけでしょう。つまり人為の展開がどこかで何か抑制されないと、自分自体が属する種の存在を危うくするところがあるわけですね。そういう大きなパラドックスを目指して進むのかどうか、という話にもなりそうですが。

佐谷：そうですね。私も「はじめ」の中で述べてますが、個体の寿命延長というのが一つの大きなテーマとしてあり、現在実際に老化研究者は、いかにして老化を防ぐか、そしてできれば寿命を長くしたい、ということに視点を置いて、大きなプロジェクトを展開してるわけですけども、それは逆に言えば、ヒトという種全体にとっては、危機をもたらすことになります。それで、ですから先ほど言いましたように、「ヒト」において「よい死」というのは、遺すということと同時にturn over、つまり入れ替わりが重要なのではないかと思います。

高橋：それに関連してですが、「ヒト」というのは個体と種両方考えられますね。それで中山先生にうかがいたいのですが、そうなるとですね、「人」においても、個人、そして人類だとか、あるいはそのもっと超えてしまって、死んで帰る所、自然であり宇宙である、そういう所が考えられるのならば、そこには「ヒト」とパラレルな構造が成り立ってるんじゃないかなと思うんですけども。どうですか？

中山：今言われたのは、「ヒト」と「人」の死に関しては、自然をキーワードにしてパラレルな関係にあるんじゃないかと？

高橋：はい。先ほど「自然」に帰るとか言った場合に、それが種ということと対応しているのかな、と。

中山：私は、論文を書きながら、そういうことがあるなと時々感じました。先ほど自然概念が私のキーワードの一つだと言ったのは、自然科学的な意味での自然と、「おのずから」に表れるような人間学的な意味での自然概念とが、結局は重なっているのだろうと思うんですね。表裏の関係にあるんじゃないか、という気がずっとしていたわけです。ただ必ずしも単純でないのは、やはり人間学的なレヴェルでは、自然に対する人為の反逆のようなことが、始終起こるわけです。だからこそ、「おのずから」ということが取り出されて尊重されるところがあるわけですけが。平行的なところは確かにありますが、単純な平行ではないだろうなという気はします。

高橋：そうですね。森先生は何か？

森：私は、ちょっと別の観点から関わっていきましょうか。中山先生の論文の中で、今私達が死というものをどういうふうに捉えようとしてるか、「現代の傾向」という所で、現代人は「赴く」よりは「帰る」に与する人が多いのではないかという指摘をなさっておられます。そうだろうと思いますが、ただこの場合アラブ社会とか、様々な社会をいったん除かないとこの議論は成り立たないと思うんですね。しかしながら、私達が死を「還帰」という捉え方をするようになった背景は何であるか、というと、それは一面で生命科学を始めとする自然科学の発達ということが背景にあって、私達は科学の知識というものを、死を考える時の手がかりにしようとしているわけです。そういう意味では現代社会に受け入れやすい考えなのかと思いました。そういう意味でお二人の先生の、一見違うテーマなんですけども、そこに何か響き合うものがあるような感じがして、お二方の接点を見つけようと思った時に私はまずここに目がいったんです。そのあたりは、中山先生はどういうふうにお考えだったんでしょうか？

中山：ええ。最近読んだ本の中で、唯物論と生命観に関するものがありましたが、その著者は、現代人はもう唯物論者だと言ってしまいたいぐらいに、現代人を非宗教的な人間の集団と考えているところがあるのです。私はそうは決して言えないだろうと思いますけれども、科学の発達と科学主義的な言説が最近ふえてきたことから考えると、そういう見方が多くなっているだろうな、という気はするんですね。伝統的な宗教はどうしても保守的ですから、それが持っている伝統的な形式・形態がなかなか現代生活にそぐわなくなっているところがある。世界宗教の原始形態、原始仏教や原始キリスト教に帰ればまたちょっと別なんだけれども、自然科学の発達ということが一つのポイントになってることは確かですね。それから、もう一つは来世や永遠ということがなかなか信じがたい、伝統的な宗教が説いてきた言葉を実感としてなかなか捉えがたい、というところがもう一つの点ですね。

森：そうしたらですね、現代のおそらく宗教家達もですね、科学と宗教をどういうふうに関連づけようかということは、かなり苦心しているんだろうと思うんですね。すると、そのあたり高橋先生は？科学と宗教の関わりを、宗教の側がどう捉えようとしてるのかな、ということについて何かご存知ではないですか？

高橋：これはむしろ田口先生の領域じゃないですか？

田口：そうですね。科学と宗教を対比したとき、科学は政治によって歪められた時代もあったけれども、旧い科学的認識は新しい科学的認識によって乗り越えられ、塗り替えられていくものだという、科学についてのパラダイムに収斂してきたように見えますが、宗教は各々の世界解釈の正統性を主張しているように思われます。科学は事実を扱い、宗教は意味を問う、というふうに単純に対比はできないのですが、やはり、「意味を問い与える」という宗教のもつ側面を見逃すことはできないと思いますね。世界の、あるいは宇宙の隅々まで、この意味の織物で覆い尽くされていて、人間の生も死も、これとの関係ですべて解釈されるはずのものであったわけです。ところが近代の科学はというと、この世界解釈の神話的部分を事実にもとづく検証・再検証可能な説明へと置きかえてきた、と言えます。そこには、いわばポッカリと穴があいて縦横に亀裂が入ってくる。世界を視野に入れたとき、このようなことが過去二、三百年くらいの間に進行したのではないか、と思います。その上、異なる宗教を携えた人々が、頻繁に行き来するようになると、一枚の意味の織物で人々を覆い尽くすことは、実際問題としてますます不可能になってくるわけで、巨大宗教、あるいは世界宗教に収まりきらない人々が、身の丈に合った小さな宗教を選ぶという動きが、日本でも過去百年間くらいの間に活発になってきていますね。

森：田口先生の「自然葬」の話によると、自然葬を求める方達はですね割合高学歴の方が多いということですね。それでその自然葬の考え方というのはやはり自然に自分の肉体が回帰していくという捉え方、イメージを持って、そうした葬法を選択することにつながっていくというふうなお話があったと思います。その問題とつながるのでしょうか。

田口：確かにそうですね。その辺はどこまで確かなことが言えるのか分からないんですけども、漠然と自然の、生命の循環の過程に、自分は入っていくんだという、そういうぼんやりした意識を自分なりの言葉で表現しておられる方も見受けられると思いますね。その場合に、それですべてが無に帰するかというと、そうでもない。どういう形であれ、霊がやはり残っていくと考える人もいるし、遺された者の中に記憶として、その人が生き続けるという形でイメージする人もいるんです。科学的な捉え方をする人の中には死ねばもうそれでおしまいと言う人もいて、非常に多様なんですね。一枚岩ではないですね。けれどもそれを全部包容していこうというのが今の運動だと言えるでしょう。

高橋：私は、現代の特にカルト教団だとか、あるいは神秘的な宗教が流行っているのは、これはある意味では科学主義とか自然科学の発達とかの裏返しだろうと思っています。一つは自然科学でここまで分かる、後は完全な神秘の世界であるというふうな捉え方で、神秘を、何か非常に霊的なもの、おどろおどろしたものとして求める。もう一つは、カルト教団のあるグループなどでは、よく順を踏んで修行していきますね。順番を踏んでいけば必ず結果が出る。神秘的な体験が出来る。これは科学的なプロセスと非常によく似てると思うんですね。それと、科学と直接の関係はないんだけれども、日本にも個人主義的な考え方が浸透してきたので、だんだん巨大教団じゃなくて、小さな教団、そんなのが力を得てきてるんではないかなと思うんです。

中山：そういう現象は、一面では社会病理みたいなところがありますでしょう。それで科学の発達との関連ということが、そう簡単には言えないんですね。自然科学者であって伝統的な信仰を持ってる人達はたくさんいるわけです。決して矛盾しないんですよ。つまり、自然科学で細かく分かれば分かるほど、これだけのものをどうやって造ってきたのだろうという、むしろ造物主の知恵、創造神の偉大さに感嘆して、信仰を深めることもあるわけですね。だから自然科学が発達したから信仰が希薄になった、信仰を離れたというのでもないように思うのですよ。

森：ある宇宙物理学者が、インタビューを受けてるテレビ番組を見ていて、その学者の机の傍らに実は仏像が置いてあるのに気付いたことがありました。非常に象徴的でした。

佐谷：私が最近一番影響を受けたのは、ダニエル・デネットが書いてる『ダーウィンの危険な思想』（Dawin’s dangerous idea）という本です。題名だけを聞くと、ダーウィンが危険な思想を提唱したように見えるのですが、内容はそうではなく、ダーウィンが唱えた科学的論拠を自分の論理に置き換えて危険な思想としていくことがこれまで多かったということを述べ、ダーウィンの真意はどこにあるかということを追求しています。その科学的根拠を勝手に解釈すれば、いろんな思想に利用することができるわけです。それから、今回の論文では私は徹底して、生物学的な死はアルゴリズムの過程において起こっているという論旨で書いたのですが、だからといって私自身にいわゆる終末思想とかがないわけじゃなくて、科学的背景とは全然別のものとして置くことができると思っていますし、自分の中では何の矛盾もありません。

中山：そういう視点からですね、「人」と「ヒト」を、私の言い方では階層的に考え、そういう存在として、つまり生物学的なレヴェルを踏まえて、日常的にはそういう「人」と付き合っているのだ、という考え方には別に抵抗はないわけですね。

佐谷：「ヒト」が進化した結果「人」が生まれたわけですから。

高橋：倫理学的に問題なのはさきほど言われた、ダーウィンの思想を危険な方向で解釈することですが、これはいわゆる「自然主義」ですね。ダーウィンが述べたのはもちろん事実である、科学的な。それで科学的な事実から倫理とか道徳を引き出してしまう、それも直接引き出す。例えば適者生存という生物学上の事実があるとして、それが進歩だと考える。だったら社会もそうあるべきだ、といったふうに。これは危険思想の気味を帯びてくる。そういうわけで、先ほど「よいヒト」を遺すということで何か遺伝子操作の話までいきましたけれども、これはあくまで科学のレヴェルの話だということですよね。それをもって善いか悪いか考えるのは倫理の話で、事実レヴェルのことはやはり倫理的善悪にとってのヒントにはなっても、直接結びついてはいけないと思うんですね。それを結びつけてしまうと自然主義という形でよく倫理学の中では批判されるわけです。

佐谷：そこはだから「人」が考えるべき問題なんでしょうね。

高橋：そうですね。こんなに科学的事実として豊かなものがあるぞ、というので、今までの概念の枠を取り払って、非常に斬新的なことを考えられる。そういう意味では大きなヒントになると思うんですね。

佐谷：そうですね。

中山：ちょっと別の質問をしていいですか？質問というより、問題提起です。細胞死の話と、細胞死と個体死との関連の話ですが、アポトーシスとネクローシスの対比に関して、アポトーシスのパラドックスとして、疾病の原因になることもあると言われた。そういうふうにアポトーシスが不利な形で活性化する場合、その結果起こる現象というのはネクローシスなんですか？

佐谷：過剰なアポトーシスが起こることによって、例えば臓器組織の欠損や免疫系の機能不全などが起こることになります。

中山：欠損状況というのは、ネクローシスですか？

佐谷：いや、これはあくまでアポトーシスです。アポトーシスが過剰に起こってるだけです。アルツハイマーでは、神経細胞がアポトーシスを起こしています。

中山：では、アポトーシス、ネクローシスというのは、発生の違いではなく、進行過程まで含めて言うのですね。

佐谷：そうですね。ネクローシスとはいわば先生が言われる「横死」にあたるものだと思います。

中山：ああ。その上で、細胞死と個体死の関連ですが、脳死にせよ心臓死にせよ、臓器死で個体死を判定しますよね。細胞死を徹底して考えれば、個体の全細胞が死ぬのは、いつになるか分からない、埋葬してからかもしれないわけですね。しかし、通常、「人」の死は、「ヒト」の死の判定もですが、そういうふうに臓器死の時点で言いますね。そうすると、致命的な臓器死に関わるところまで細胞死が及ぶ時点で、個体死が判定されていると考えればいいのですね。

佐谷：ここは難しい問題ですね。神経細胞が完全に死んだ場合に、人間の心が死ぬことになるわけですが、それは果たしてその個人の死なのかという問題もあります。神経細胞の死といっても、大脳の皮質の細胞だけが死んで思考や記憶が失われても、これは決して脳死ではない。もっと旧皮質や脳全体が死なないと、脳死の判定には至りません。

高橋：いわゆる全脳死ではなく大脳死レヴェルということですね。

佐谷：そうです。大脳の皮質レヴェルの死だと、心は閉ざされてしまいますが「ヒト」の死とはいえません。「ヒト」の死と「人」の死の違いも難解ですね。

中山：そこに私が、「統合」というのが一つのキーワードとして問題だと思った理由があるわけです。私がいう「統合」概念は全く「人」レヴェルの話でしたが、生命体の有機的なレヴェルでも、統合作用の不可逆的な消滅ないし破綻が生命体の死の判定になっているのかどうか。

佐谷：脳は肺や心臓を統合的に動かす器官であり、それぞれの臓器の細胞は生き残っていても統合する器官がないことをもって「脳死」ということになってるわけです。だから、脳死の段階でも他の臓器の細胞は、まだほとんど生きてるということになるわけですね。いわゆる心臓死を起こしたところで、まだやはりおそらく骨や筋肉の細胞などは生きてると思います。

高橋：骨の細胞というのは、例えば土葬した場合にはどのくらい生きるのですか？

佐谷：どのくらいかは分かりませんが、骨のような器官では長く生きる細胞があると思います。

高橋：よくDNAを骨から取るといいますが、あれは骨の細胞が生きてるということなのですか？

佐谷：いや、生きてはいないですけども、DNAの保存はよいようですね。

中山：DNAレヴェルというのは物質ですね？物質レヴェルだから生命でなくてもいいわけですよね？ちょっと言い方が変ですが。

佐谷：それはもう生命ではないですね。DNAレヴェルまでくるとですね。

田口：生命という場合、一個の細胞であれ何であれ、外との間に物質とか情報の交換が常時行われるシステムのことですね。それはいわば開かれている。骨のDNAはそのような交換がなく、形成された後の状態が保持されているものと理解していいですね。

佐谷：はい。ただ生きてる細胞としてのスパンもですね、骨の細胞とかははるかに長いですから、これはたとえ心臓死がきても、細胞死のレヴェルまでいくと、まだまだ時間はある、ということですね。

高橋：ただ本当は概念のレヴェルでは話が逆で、細胞の死があって臓器死があって、「ヒト」の死が、というよりもむしろ、元々人類にあったのは「人」の死の概念ですね。これは葬送儀礼にも関係し、どこの時点ということが元々言いにくいものだと思います。

佐谷：はい、そのとおりです。

高橋：すると、「ヒト」の死というのは後で決めたわけですね。

佐谷：はい。

高橋：今、「脳死」だとかあるいは「臓器が死ぬ」といった言い方をしてきたわけですが、その辺を理解しないと、生物学的に下位のレヴェルから順に死の概念を構成してるような話になったり、「ヒト」の死はどうで、「人」の死は何だと、いうふうな議論になるとおかしいんじゃないかと思います。

佐谷：つまり、先に「人」の死があった。それから、「人」の死が一体どこで定義できるんだろう、ということで「ヒト」の死に戻った。更にそこから臓器死だとか細胞死とかいう言葉が生まれていったんですね。

中山：私の論文の中でも「ヒト」の死と、「人」の死は本来違うのだと考えますね。脳死判定云々というのはそれらを無理矢理合わせてるのだと、重ねているのだと。

森：中山先生のおっしゃってるのは、「脳死」というのは、これは死の定義ではないと、一つの約束であるということですね？

中山：ええ、そういうことです。

森：それは「ヒト」の死であろうと「人」の死であろうと。

中山：はい。「人」の死に、この死とは違うのだけれども、臓器死をもって当てているわけですね。臓器死をもって「ヒト」の統合作用が無くなったと判定しているわけでしょ。だから、「ヒト」の死でもあるわけです。

森：それを一致させないと、いけなかったわけですね。とりあえず。それは法律のためにだったわけですよね。そういうふうに理解してよろしいんですか？

中山：「脳死」の議論というのは、臓器死－「ヒト」の死を「人」の方に及ぼすための議論でしょう？したがって、これら三つのレヴェルを臓器利用のために無理に合わせているのだということです。

森：はい。その辺私もよく理解できます。

高橋：それは三兆候による死（心臓と呼吸の停止、瞳孔の散大）だって、どこかで区切っているのではないですか？ご臨終です、と言っても、本当にその瞬間に死んだのかというと、これは大いに疑問が残りますね。

中山：われわれにとっては通常「人」の死が問題なのですが、「人」の死は遺族の思うままには出来ません。最近これに関連する事件があるように、遺体をずっと放置しておくことは出来ないから、どこかで社会として「人」の死を判定しなければいけない。三兆候死は、そのための臓器－「ヒト」の次元からの納得できる裏づけであると考えます。これは脳死判定が臓器利用のために「人」の死の方を脳死に合わせたのとは異なると思います。

高橋：このあたりでアポトーシスとp53の話に移ることにしましょうか。

中山：私が気になっているのは、肯定と否定の共存ということです。アポトーシスの視点からの話でも、死が生に有利に働くということと、死が生に反逆的に滅ぼすような方向で働く場合もあるということでしたよね。アポトーシス本来の働きとしての活性化であれば、死は生に有利に働くわけですね。これは原理的な話なので、生物学的なレヴェルを人間学的なレヴェルに持ちこんで話しても意味があるのではないか、という気がするのですね。

高橋：今の話で死が生に有利になったり不利になったりという時の死と生は、レヴェルが違ってるんだと思います。つまり、細胞とかが死ぬというのと、個体が生きるということのレヴェルの違いですが。中山先生の論文の中での死と生は、個人の死と個人の生でしょう？

中山：もちろんそうですが、死というマイナス概念が、決して単にマイナスではないんだということを言いたいわけですよ。

高橋：ちょっと比喩的になってしまうだろうなと思いますね。

中山：ええ。しかし死の概念が細胞死、臓器死、「ヒト」の死というように「人」の死以外にも使われていることは無視できないと思います。生物学的なレヴェルでそういうことがある、人間学的なレヴェルでもそういうことがあるという、つまり死という概念が両方に使われているわけが、それが帯びる意味合いが、あっちでもこういうことがあり、こっちでもこういうことがあるという、それが分かるだけでもいいのではないしょうか？

高橋：言いたいことは分かります。生と死というのは、「人」のレヴェルの話なんだけども、それが細胞とか臓器とかいうところまで比喩的に使われていくと。その比喩的な使われ方というのをもとにして、逆に漢字の「人」の生と死について考えると、また、ヒントになるだろうということですね。

佐谷：今回の論文を書く過程で、研究会で皆さんとお話をさせていただき大変勉強になったことがあります。それは森先生から、「生物学者っていうのは、細胞で起こってる現象を社会の現象に当てはめる作業をよくしますね」とご指摘いただいたことです。というのは、あの時点で私は、現在生物が持っている機能は最も合理的で、その機能は社会のシステムにも投影できるんではないか、という錯覚をしていたことに気がついたのです。実はそうじゃなくて、生物がもっている機能が最も合理的なものである必要はなく、それが社会に投影できるというのも大きな間違いではないかということにまず気がつきました。我々はあくまでまだ進化の過程にある生物であり、これはアルゴリズムの中の一過程であるに過ぎません。例えば気候の大きな変化が何万年も前にあったがために、今たまたまヒトのような生物が出来ているだけなのかもしれない。偶然の産物として今の生物が存在するわけで、それが何も合理的な生物であるという必要性はない。ですから、p53が生物に対して有利に働いたり不利に働いたりするのもある意味では当たり前のことであるという考え方です。環境の変化によって、p53を持つことが不利に働いた場合は、それらの生物は淘汰されて死んでいく。そしてp53遺伝子をもっていない生物が残り、もう一度一から進化を始める。そういう考え方を勉強できたことが非常に大きな収穫でした。

田口：ということは、「合理的である」ということと、アルゴリズムの作動というのは、切り離して考えなければだめだということですね。

佐谷：そのとおりですね。現実には、確かに今の環境に対して合理的に適応できるものが残っていることは確かなのですが、その機能が完璧なものであるという考え方はまず捨てるべきであって、そしてそれを例えば社会の構造に投影したりするという作業は、生物学者としてはすべき姿勢ではないな、というのが今の私の考えですね。

中山：別の言い方をすると、環境との相互作用がありますよね。環境要因とか、細胞内の内的環境というのもあるのかもしれませんが、環境との兼ね合いのところで偶然がいくらでも起こると。しかし、起こってからは合理的に進行するわけですね。

高橋：ですから、生物学的な事実というのから、一足とびに倫理にはいけないと思うわけです。ただし、先生の論文を読んでいて面白いのは、変異したもの、他と違うもの、つまり異常とか言われるもの、それを積極的に肯定できる図式というのが、この進化の図式なんだというところです。これは非常に面白いところですね。

佐谷：そうですね。

高橋：今そういうのに対して我々は、人間の間での「平等」ということを言います。その場合の「平等」というのは、「差別をしてはいけない」という平等、「平等に扱え」というのであって、変異や他と異なるものに積極的に意義を認めるというのではない。違いはあっても平等なんだというだけにとどまって、区別そのもの、違いそのものが積極的な意義を持ってるっていうことまで言えないわけです。

佐谷：そうですね。ｐ53社会だと思いますね、比較的。変異を認めず、変異を止めてしまう社会。あっ、これはまた社会に置き換えるといけないわけですけど。

高橋：佐谷先生は、この研究会の初めの頃の討論会の時と違って、進化論的な視点で自分の研究を見直す視点で論文を書かれたんですね。

佐谷：そうです、はい。

高橋：それに私は非常に感心したんです。柔軟な頭というか。自然科学者には自分のやってることを客観化するのが苦手な人が多いんですけども、先生はだいぶ違うなと思いました。

佐谷：いえいえ、そんなことはないです。でも、この論集作成に参加してから、生物学者が細胞の中で起こってる現象を、実は神様が造ったものであるかのように話していることが多いことに、気がついたんですね。神様が造ったものだから、きっと極めて精巧であると。だから、よく大学院生との論議の中でも、この蛋白がどうしてこんな所で作用してるんだろうか、それはきっと非常に巧妙なシステムがあるに違いないと。この蛋白はきっとそのシステムを行うために存在するんだ、みたいなことを簡単に言っちゃうんですね。神様が造ったんだからきっと精巧だとか、この蛋白が機能もしないのにこんな所にあるはずがない、というような目的論的な議論からスタートしているんですね、みんな。でもそれは、私は今の考え方から言えば、大きな間違いだと思います。ある蛋白が何もしなくてもそこにいてもいいじゃないかと。まだ進化の過程で、そういう時期なのかもしれない、という考え方で捉えられるようになった事は収穫でした。

高橋：五年ちょっと前に、熊大の自然科学系のシンポジウムがありまして、そこに参加して色々聞いているとどうも、研究者達は機械論的な方法に従いながら、言葉の端々に何か目的論的なことがのぞいているという印象を受けました。

佐谷：そうですね、はい。

高橋：どうも不思議なんですが、それらが一緒になってるんですね。それがどうやって調和するのかというのは哲学での難問の一つなのですが、そういうことはあまり意識しないで二つが並存しているというのは、とても面白いと思います。

佐谷：面白いですね。非常に権威のあるミーティングでも、「どうしてそれが起こるんですか」という質問に対して、回答者が“God only knows”、神のみぞ知る、という。

中山：そうしますと、自然概念が天然とか天とか、こう言いかえられるごとに、神に近づいていくわけですよね。それで今のお話だと自然というのは、造物主を置かないで見るべきだという話になりますね。するとそこには、偶然を取りこんだ、しかし合理的な進行があるということになりますが、それはどうかという評価はしないわけですよね？ところが、人間学的なレヴェルだと、そこに評価が入ってくるように思うのですね。「おのずから」とか「委ねる」とか書きましたけれども、それはそれでよしとするというところがあって、天や自然という大きなものに委ねる進行、プロセス、あるいは法則というのがあって、それはそれでいいものなのだ、ということがあると思うんですよ。それで「よし」とするところに安らぎが生まれたりするんですね。そこが大きな違いではないか、と思いましたね。

高橋：「安らぎ」の話がでましたので、話題をそちらへ向けますと、中山先生の「おわりに」の前の所ですが、結局帰るべきところに帰って安らかに眠るとありますね。死を念頭に置きながら、精一杯生きていく。これは本来的自己に「帰る」という点について、高いレヴェルと低いレヴェルの両方を包含したいということですね。

中山：仏教で、自力道と他力道は一応宗門としては別で、たとえば禅と浄土門のように、分けて言うけれども、要素としては両方がそれぞれに入っているわけですね。禅的な方にも他力の要素が入っており、その逆も言えます。ということで、高いレヴェルと低いレヴェル両方ともあるのではないかと思うんですね。そうすると最終的にはどうなるのかというと、これまた当たり前みたいなことでがっかりするんだけれども、結局「人事を尽くして天命を待つ」なんですよ。できるだけよい、ふさわしいと、望ましいことをやった末に、「おのずから」に委ねるという、そういう感じがするんですね。

高橋：それは、でもやはり高いレヴェルの話ですか？本来の自己に帰るという。

中山：高いレヴェルを目指しながら、やりつつ最後には委ねるというか。

高橋：もっと習俗的な、

中山：習俗的なレヴェルには、そういう意志的なところが顕著には見られず、委ねる方が大きくなってるわけですね。つまり両方の要素があるといった、委ねるの方が非常に大きくなってるわけですね。ではその意志的な方が全くないかというと、そんなことはないわけで、妙好人（みょうこうにん）などはその生活態度が真摯です。そこには、よいことを目指す心性が、働いているわけです。

高橋：妙好人は低いレヴェルではないんでしょう？

中山：信仰としては低いレヴェルではありませんが、浄土真宗で言えば、僧侶のレヴェルと、妙好人のような全くの民衆レヴェルとあって、妙好人は教義も経典も読んだことはないのだけれども、信仰としてはまことに真実であるということがあるわけですね。この両方の要素という意味で、妙好人を出したのです。だから、本来の自己に帰るということを、意識的に意欲的にやるということはしないけれども、「おのずから」そうなるということがあるわけなんですね。

高橋：はい。妙好人についてはそうですね、私はこの論文で、これはポイントだなと思ったのは、「よき死」に上限と下限があるという点です。たいていは、よき死というのは、こうなるんだとか、よく立派に生きて充実した一生を送って、とか厳しいことを言う。でもこの論文では、よき死には下限があって、一般庶民にとってのよき死があるんだという。そこが面白いと思います。

中山：今までの死生論を見ると、非常に立派なことが言われ、それを目指して頑張ることになるのだけれども、天寿をまっとうしない人の方が圧倒的に多いように、意欲的に立派な修行をするというのではない人達がどのように救われるのだろうか、というふうに考えたんです。

高橋：ええ。その場合の、下限の基準というか、そこまでいかなくても、下限というのは、こういうところが満たされてればいいんだ、というのは何かないのかと思うのですが、どうでしょうか？

中山：ああ、そうですね。そこをもう少しはっきり言わなければいけないですね。

佐谷：私が、中山先生の論文を読ませていただいて感じたことですが。私は生物としての「ヒト」におけるよい死は、「遺す」ということとturn over、入れ替わりだというお話をしましたですね。もしそれだけが生物として大切な死だとすると、子供を産んですぐに死んでしまうのは生物としてよい死という事になってしまいます。でも実はそうではなくて、「人」は年をとって記憶と経験と知識を重ねて、それを伝えていくという過程、つまり精神的に培ったものを遺す事が大切であるということが分かりました。他の生物と大きく異なる点だと思います。だから人にとってturn over time、交代までの時間というのは、知識や経験を蓄えるためにある程度長く設定されるべきであると考えたわけです。

中山：今のお話はとてもよく分かります。私の考えでは、「ヒト」のレヴェルと「人」のレヴェルは平行しますが、最終的には後者によって前者が統合されますから、前者がそれほどよくなくても、後者の統合次第でよいものになり得るのです。先ほど、高橋先生が言われた問いに答えようとすれば、結局生の途上でどういうことが起こっても、最後に意味づけの可能性が残っているというふうに、最初に書いたように「死の統合作用」を、最小限為すことで、下限が満たされると思います。つまり、受容して、どういう生であれ意味づけをして、そのことが遺る者へ何かしらの示唆を与えるということで終われれば、それでいいのではないかと思うんですね。

田口：それが下限ということですか。

佐谷：遺る者への示唆、ということですね。

高橋：そうすると、割と多くの人がその条件に適うというわけですね。また、仏教でも易行道といわれるものがあり、一遍の念仏でも往生できると言われます。ああいうのはどうなんですか？あれもよき死なのですか？死ぬ前に一遍でも唱えたというのは。

中山：死の思想の概観において、(2)の「赴く」の三番目に書いた「転回」に親鸞を置きましたが、今の一遍の話はそこに入ります。つまり、生の最期に何がしかよいことを目指してすることによって転回ができるという、そこに易行道の極があるわけですね。そういうことが、宗教を離れたレヴェルでも、ありうるというふうに考えたかったわけです。

高橋：それがさっきの下限の話なんですね。

中山：はい。

田口：よき死の「よい」と評価するのは、死に行く当人ですか？見送る者が当人の意味づけなりを受け取る時、よき死が訪れたと言えるということですね。

中山：死んでいく人の生の意味づけは、当人だけでは不十分です。当人だけでは十分には見えないんですね。だから、関わった人達の意味づけもそこに加えていくということが、統合を形成します。さらに、死にゆく人の生の統合が、遺った人のこれからの生へ何らかの示唆を与えるということがあります。

高橋：私の論文では、そちらの方を中心に書きました。死んで意味づけられるとはどういうことかを中心に。そういう他者からの意味づけの面白い点は、意味づけしてる人が逆にまた、自分を反省的に捉えざるをえなくなることです。そういうような存在として死者と生者はありますね。これは第?部の討論にまわすとして、では、今日はこのくらいで。どうもありがとうございました。

テープ起こし　　西田晃一（文学研究科修士課程）

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第二部討論会

高橋：ではさっそく、第二部の討論会を始めたいと思います。第一部と同じように、まず執筆者から簡単な説明と、各自の作った論文に関する説明をして、それから質疑応答というふうにしたいと思います。ではまず第三章井田先生、数分で簡単にまとめていただけますか。

井田：はい。私はホスピスの現場で医師として仕事をしております。今回、私は、できるだけホスピスの患者さん・家族が、どういう心境であったのか、その点に少しでも触れるように、事例をできるだけ紹介したいと考えました。また、ホスピスの現場を少しでも知ってほしいというのも私の願いです。ホスピスの定義は、今後、基本は一緒だと思うのですが、時代と共にホスピス・緩和ケアのあり方、内容が変わってくると思っています。ホスピスケアの利用をどの時期から開始するのかということは、今後、癌の治療が進歩すると共に難しい選択になってくると予想しています。ホスピス・緩和ケアの病棟でも、何らかの少量の抗がん剤の使用が必要になってくるように思いますが、この論集でははっきりと論じていません。癌の患者さんができるだけ自宅療養したいと希望していることを、読者の方々に伝える中で、それに応じる在宅ホスピスケアという選択肢を提供したいと考えました。実際、欧米は在宅ホスピスケアを中心としていますが、とくにホスピスの発祥であります聖クリストファーホスピスでは、病棟での機能よりも在宅でのケアの方に重点が移っていると紹介しました。そして、実際のホスピスケアの利用者の声、ケース2では、大切にされるということが、その人の役割、人生の見直しに役立つということを教わりました。ケース3では、この方も聖書との接点はあるわけですけども、最終的には洗礼を受けることはありませんでした。自分の生き方、ホスピスでは、自分が受けた幸を他の人に伝えたいから、亡くなる直前に手記を書いたというところを紹介しました。ケース4は、やはり宗教としては、真宗の方なんですけども、自分の存在を特に家族が支えてくれ、そしてスタッフが自分の思いをよく聴いてくれた。そのような関わりの中で、生きる希望が沸いてくると説明しています。どういう生き方が安らかな最期を導くのかということで、これは調査・研究ではありませんが、現場の印象として、感謝ができて「ありがとう」と言える方々は、心が平安で、安らかに最期を迎えていると思っています。私達が人生の最期をお手伝いしていく、学んでいく姿勢が大切だと思っています。最後は、今の私の気持ちを書き添えています。それから論集の論文としては、比較的読み物風になってしまいましたが、できるだけ生の声を伝えたいというのが、私の考えでありました。以上です。

高橋：はい。ありがとうございます。では、森田先生、先生の論文をまとめていただけますか。

森田：はい。「看護における死」ということで書かせて頂きました。日本人は、この数十年間というのは、生と死が身近にあった生活をしていて、その中で生きることとか生まれること、あるいは誰かの死を看取ることによって、色々なことを学び、自然とそれらが考えられる力を養っていたように思います。ここ数年来は、生と死が日常から遠ざかっています。この日常から遠ざかる生と死という問題は、私達看護に携わる者、看護とは何かを教える者にとっては、重要な課題であると思います。そのことから生活をしていく中で死というものを見つめ、真剣にあるいは継続的に死を考える必要があるのではないかということを、第一節の部分で述べました。第二節では、人間にとって死はどのようなものかということ、それを看護がどう受け止めているかということを述べました。死は誰にでも訪れますけれども、それを何かの出来事のように、「ああ、そうですか」というふうには受け止めにくい状況にあるわけです。そういう方達を看護として傍に寄り添うというところが、大事なポイントになると思います。そこで、亡くなる方のその人の最期に、どう関わることが看護になりうるのかということですけれども、ホスピスの井田先生もお話しになりましたように、安らかな最期、「ありがとう」という感謝を、生きてきたことに対する感謝ですね、その人がこの世に生を享けて、この生が終わるということに対する感謝を、その人が認識できるような関わりをすること、その人がその人らしくこの世に存在したということが見出せるような関わりができれば、それは看護ではないか、と考えました。それで、そのことによって、より精神的な深い安堵感とか安らぎみたいな感覚に包まれれば癒しの看護につながります。それを我々が今後究明していく必要があると思います。それから、今まで看護の中で不足してたものが、グリーフワークという分野ですが、遺族に対して私達はあまり関与してきませんでした。患者が亡くなって、遺体が病院から外に出た段階で看護は終わっていた、ということになります。その亡くなられた方を抱える方、遺族の方の悲しみに、看護が今後向き合う必要があるのではないかということで、このことは今後の看護の課題になるかと思います。

高橋：はい、ありがとうございます。では、第五章、これは私の論文ですけども、安楽死というのは元々「安楽」ですから、「安らかな死」という意味を含んでいたはずなんですけども、この言葉自体は、安楽というよりは、原則的には医師が苦痛に苦しむ患者を楽にさせてあげる、そういう意味で使われるようになってきています。その「安楽死」という言葉、また「尊厳死」についても、様々な意味を含みうるので、それについて一応簡単な整理をしておきました。それらを前提にして、今まで安楽死、特に積極的安楽死ですけれども、それを否定する議論というものが長いこと行われていた、それに関しての、おおざっぱなまとめをしてみました。それから今度は、積極的安楽死、これを肯定する議論はどんなものがあるか、ということを見ていったわけです。それを通じて、安楽死を、つまり積極的安楽死を肯定するあるいは否定する決定的論拠はないんだ、というような状況に今あるということを示すと同時に、特に積極的安楽死や自殺を否定する議論の背景には、「我々の命というものを左右する権限は人間にはなくて、神にある」という、いわゆる形而上学的な神学的な教説、それプラス「生と死は断絶している」という観念があるだろうというようなことを述べてみました。これが前半部分ですね。それで、後半部分では、そうした背景というものは日本ではどう捉えられるんだろうかということを中心に考えながら、日本において安楽死を肯定するあるいは否定する議論を見てみましょう、というわけです。日本というのは、ある人に言わせると、安楽死先進国の仲間入りしていると言われますけれども、その日本の伝統から見ると、自殺が否定されてこなかったというのが欧米との非常に大きな違いだろうと思います。それでそれの背景にあるのは何かというと、人間の生命、それを人間が左右してもいい、そこにおいて、究極の自由が発揮されたりもするんだということになります。そういう考え方というのは、キリスト教的な考え方とは大きく異なるだろうと思います。この論文でも少し述べましたけれども、ヨーロッパでも例えばローマ時代とか、あるいはキリスト教がローマ帝国に公認される以前には自殺を否定しない伝統もあった。そういう点では日本の伝統というのは、そのようなキリスト教の国教化以前の伝統とつながるものがあるのではないかと思われます。そこでさらに、我々にとって死というのは、生と死が断絶してるというよりも、むしろ連続してるというふうに、一般的には捉えられてきたんだろう、ということを論じてみました。というわけで、ヨーロッパ的な安楽死否定の論拠にあるもの、それは日本の伝統としては弱いだろうと考えられます。では、安楽死を肯定する自己決定・自由、そういったものはどうかというと、それもやはり日本ではそれほど根づいている、というふうにも思えない。そういうわけで、日本においてもまだ積極的な安楽死を肯定するという面は弱いけれども、否定するという論拠というのはもっと弱いのではないかなと思います。そうしたことから、日本では安楽死を否定する必要はないだろう、という結論を出しました。ただし安楽死の法制化、合法化という点については、やはりまだその時期に至ってはいないのではないか、と考えられます。これが私の論文のおおざっぱなまとめということになります。

高橋：今回は共通の論点を出して始めるのは難しそうですので、ではまず第三章に関してご意見があったらどうぞ。

中山：まずは病名認識について、病名認識をホスピス入院の前提条件としないけれども、同時に入院条件とする時期に来ているのではないか、と言われる。一方で、病名認識があっても、最期の迎え方はそのことによって効果がある場合とない場合が見られる。これらのことをどのように受け取ればいいのでしょうか。認識があってもなくてもいい、しかし認識があった方が望ましいということでしょうか。

井田：私は病名認識、癌告知は、された方がいいと思っています。しかしながら、知っておかないといけないのは、癌告知ということと、次に自分の病気が治らないこと、それから余命が短いことを認識している、というこの三点です。癌告知とよく言われているのは、あくまで最初の「病名を知っているか」ということです。自分が癌と知っていても、後の認識が不十分であると、自分が今後どうなるんだろうかと心が揺れている方がいます。自分の病名を知らなくても、医療保険の制度上、ホスピス・緩和ケア病棟の入院基準には合致します。しかし、利用者が増えれば増えるほど、よりホスピスケアを受けたい人や病名を知ってる方を優先せざるをえないでしょう。ただ私自身は、三分の二は病名を知っている人、三分の一は知らない人でも、家族がホスピスケアを希望すれば、そのケアを受ける機会は提供したいと考えています。

高橋：非常に不思議だなと思ったのは、ホスピスに入りながら、病名を知らないということがあるのですか。患者はもうあまり長くは生きられないということを知ってるわけですね。

井田：70歳以上では、昨年の統計で、4割ぐらいが自分の病気を知らないという現実があります。

高橋：ホスピスだということは知ってるんですね。

井田：ホスピスのことも知らない。

高橋：知らないんですか。

井田：これ以上の積極的な治療が望めないということを、医師は家族に説明をする。そうすると家族は、治らないのであれば、痛みなどの治療をしてくれるホスピスの現場に、自分の家族を移動させたい。そういう流れで、私達は家族がホスピスのことを理解しているのであれば、OKしましょうということなんですね。ただ、十年後には、この前のある新聞に載ってましたけど、100％癌告知を行う時代に至ると。しかし、80歳以上でもかなり自分の病名を知らされていない現実があります。

高橋：死ぬまで知らないという人もいるんですか。

井田：自分の病名を知らない人はいます。しかし、自分がやはり死ぬ定めというか、死ぬ運命にあるんだなということはやはり、分かっていくんですね、病名は分からなくても。

田口：一進一退しながらも、自分の体力が次第に衰えていくのを感じ、死ぬ定めを患者は自覚する、しかし、病名は知りたくない、と思う場合もあるし、患者が高齢の場合は、周囲の家族が、ここまで生きられたのだからもうやり遺していることもないだろうから、本人にショックを与えてまで病名を知らさなくてもいい、と判断することもあるのでしょうね。

井田：どうなんでしょうかね。80歳代ぐらいの方は、十分ここまで生きてきたというお気持ちもあるようです。ただ、段々と戦争体験者が減ってきています。今後、どのように変わってくるのか、五年前はかなりシベリア抑留とか、原爆ということがありましたが、減ってきたなと思ってます。ただ、苦しい時代を生きてきた方の体験は、その人の人生の力になっていることが十分に分かります。今後、どうなるんでしょうかね。

中山：最期をできるだけ安らかに迎えるという観点から、もう一つお尋ねします。信仰の有無の問題ですが、信仰があろうとなかろうとホスピスは等しく迎え入れて、それで、扱いの上でも何の違いもないわけですね。信者の場合は信仰の教義によって癒されるであろうし、信仰がない場合でも周囲との関係で幸福であれば安らぎが得られる。そうすると「安らかな」最期とは、どう理解すればいいのでしょうか。

井田：最終的には、人は安らかに最期を迎えるように色んな力で導かれるのかな、というのが私の思いなんですね。それで、あくまでケース2の方は、自分で信仰を一生懸命勉強してこられたんです。何か自分の不勉強さを思って、本当にクリスチャンとして自分は良かったのだろうかという迷いもあったようです。死を受け入れられるようになったのは、信仰の力に勝るものはないと言われました。信仰を持たなかったなら、どうなるんだろうかという形で、クリスチャンでない息子さんにコメントをなさっていたようですね。

中山：ご論文の中の「ロゴス」という概念が今少しはっきりしないのでお尋ねします。聖書に「初め言葉ありき」というときの「言葉」は、ギリシャ語訳ではロゴスになりますが、信仰を持っていない人が、周囲とのコミュニケーションを通じて癒されることがあり、一方、ロゴスに「神」の意味があるとすれば、ロゴスが究極にあって、信仰の有無にかかわらず死にゆく人に応答し、救うことになると、そういうふうに読みとってもいいのでしょうか。

井田：シスター泉が、「愛されれば生きることができる」と述べています。確かに、そうだと思うんですね。あとの註に入れましたが、愛ということは日本になかったということで、当時は、ご大切にという意味でした。読み替えますと、大切にしてもらう、それが生きる力を与えるのですから、どんな人でも、孤独の中での最期は安らかさの中にはなりにくいでしょう。それが医療のケアを受けると、みんなからの関わりの中で、やはり何か安らかに亡くなっていける、自然と力を与えられるように私は現場で感じております。

森田：ホスピスの中では、信仰が無くても、その方が、今井田先生がおっしゃったように、大切にされているという、まさにその人が大切にされているということを感覚的に感じ取ることが大事だと思います。それがホスピスの医師であったり、ナースであったり、それから家族であったりするのだと思います。痛みがあるともちろんそれはできませんし、孤独にされてしまいますとそれはできません。ましてや冷たくされるとそれはできませんので、最終的にはその人が温かい気持ち、温かい感情に包まれる状況に導くことによって、ホスピスの究極的なケアがなされるのだと思います。

高橋：今のがスピリチュアルケアに関する森田先生の理解であると考えていいですか。

森田：はい。

高橋：スピリチュアルとは、井田先生の論文では霊的と訳されるんですけども、他に訳しようがありますか。

中山：関連して付加的な質問ですが、「心理的」や「精神的」、どのように説明されるのでしょう。

森田：もうこの究極的なターミナル期になった時には、言葉の概念の説明も不要になってくるというふうに思っています。心理的な側面とか精神とか…。

中山：現場ではそうかもしれませんが、我々が理解するには、ことばの違いに応じて意味内容がどう違うのかが気になるのですね。

高橋：精神的とか心理的というのは、メンタルでしょ。以前の研究会では、薬で対処する、そういうレヴェルがメンタルだというふうに聞きましたけども。

森田：そうですね。それも確かにあたっていると思いますけれど、便宜上ですね。私達の身体とか精神とか社会的なとかいって、それらの理解を深めるために分けて考えますけれども、一つの統合されたものですから、はっきりとは、薬で治療可能なものが心理とか精神で、そうじゃないものが霊的というふうにも言えないというのが私の思いなのです。

井田：分類は簡単にはできないことですよね、その発言は。霊的という区分は難しいと思います。ただ、段々と死が近づいている方の発言の中に、私達はどういう意味なんだろうと、さらに深く考えながら言葉を一つ一つ、それから表情、態度を受けとめていかないといけないと思っています。

森田：だから本当に、真実その人に向かわないと、受けとめられないです。それが大事なことかなと思います。

中山：おそらく死にゆく方も、段々とそういう境位へ純化されていくのでしょうね。すると寄り添っている感じですよね。

森田：ええ。だから、研ぎ澄まされるというふうに言いますけど、感覚がもうまさに両者研ぎ澄まされたような状態で、平安な状態を構築していくことになります。

井田：私はこの論集に書いておりませんけど、よく患者さんが、「段々状態が悪くなると、人の心がよく分かるようになるんです。」と、そういう言葉を私達スタッフは聞くことがあるんですね。だからといって、私達が別にどっきりとする必要はないにしても、本当に患者さんは、そんなお気持ちになられるんだな、と。もしかしたら自分もそう感じるようになっていくのかな、と感じています。

中山：「末期の目」には、よく見えるわけですね。

井田：ホスピスの現場で行われているようなケアは、基本的には一般病院、一般病棟でも行われている方向性と思うんですね。ですが、どうしても十分にケアを受けられない患者さんがおられるのは事実です。これからの目標は、ホスピスであればケアが受けられるということではなくて、もう一度、医療と看護の原点に立ち戻って、どの病棟でも行われるケアとして努力してゆくべきだと思います。そのためにも、マンパワーが必要だろうと思います。

佐谷：私は仕事の関係上、末期癌治療に関わることが多くありますが､患者さんの気持ちが医師あるいは看護師との会話によって変わっていくことをよく経験します｡コミュニケーションが本当にうまく行きだすと、患者さんが死に向かって徐々に適応していく、つまりアニールしていくことを経験します｡アニールというのは鉄を熱く焼いて打つことによって、どんどん分子間の距離を短くして鉄を硬くする作業のことを言いますが､会話を通じて患者さんが死への距離を少しずつ詰めていくように感じます｡その作業がうまく運ぶかどうかは、患者さんが決定的な質問をしたときに対する回答にかかっていると思います｡例えば「今日はすごく体の調子が悪いんですけど、私やっぱり段々悪くなってますよね」という質問をされた時に、「いやそんなことないですよ、あなたはあなたが思ってるほど悪くはなってないですよ」と答えるか、あるいは、「そうですね、本当に確かに少し悪くなってますね」と患者さんの言葉を反復するような解答をするかで、その後の患者さんの気持ちはかなり変わってくると思います。最近癌センターなどから出されているマニュアルには、「悪くなってない」と一時的な気休めの言葉をかけて重要な問題を先送りするよりは、むしろ患者さんが言った言葉をもう一度反復していく方が、現実の状況にアニールしやすくなるということが書かれていますが､ホスピスではどういう形でこの問題に対処されてるのでしょうか。

井田：患者さんから、同じような質問を受けた時、とっさに答えにくい時があるんですね。ですから私達も、やはりご本人にお返しすることをワンクッションとして、ご本人が言いたい内容を確認をする。そうしながら、私達も答えを準備してるところはあります。そこで即答すると、実は患者さんが思っていない方向に私達が答えてしまうこともあるんですね。ですから、ただ感じますことは、患者さんは自分が残された時間が短いというニュアンスを出した時に、みんながそれを否定してほしいわけではなくて、やっぱり自分の思っていることを一度受けとめてほしい存在として、医療者を捉えていると思います。ですから私達は、ご家族に対して、突然別れめいた言葉が出てくることがあるかもしれませんから、そういう時は辛いでしょうが、受けとめられる、そうなさった方がいいと思いますよというお話をしています。しかし、患者側が私達スタッフに対して尋ねながら、自分の病状を色々チェックして確かめているのも事実だと思います。

高橋：今までの医師は、なかなかそういう応対はしなかったんじゃないですか。

佐谷：そうかもしれませんね。

高橋：ちゃんとしたこと言わなければいけないとか、あるいはパターナリスティックにこれは言ってはいけないとか、どっちかだったと思うんですね。

森田：看護で言えば、その時の患者さんのプロセスの状況である程度判断できて、今の話題のように現実悪くなっていますと、死期が目の前ということがはっきり分かっていますから、「そうではないですよ」ともし言ったとしても、目ではそうは言ってないんです。言葉では言っても、目とか表情は言ってないので、患者は敏感に感じ取られます。それで、「今あなたはそう思ってらっしゃるんですね」という気持ちを投げかけると、お互いの目が素直な、言葉と表情と目が一致した状態で対話ができるのです。そのことが、看護では大事なのです。見せかけの言葉とか見せかけの慰めというのは、先ほどの精神じゃないですけど、患者と自分の心に寄り添ってないんですよね。だからナースも、必ず自分自身の感情と気持ちが、看護の専門家として患者に向き合うようにしないといけないのです。それが一致すると患者は本当に安らぎを得られる状況になるということを私も何度も体験しております。

高橋：森田さんの論文に、ちょっと入ってしまいますが、「死を創る」という言葉が出てきますね。創作するだとか。それは今言ったような意味なんですか。患者と医師で相互に死というものを創り上げていく。それをお互いにまだどういうふうに決めていいか分からないけども試行錯誤しながら、そんなプロセスというわけですか。

中山：もう一つ、患者さんの「その人らしさ」ということもありますね。それに沿うて個別に創っていく…。

高橋：そういう意味で、個別性が出てくるから、毎回毎回やっぱり新しいということで、なかなかマニュアル化しにくい面がありますね。

森田：マニュアル化できないですよね。マニュアル化するとすれば、それは「患者の気持ちを尊重する」という言葉になると思いますね。

田口：前に、福岡にある亀山栄光病院のホスピス担当のお医者さんは、先ほど佐谷先生がおっしゃったような対応をすると話しておられました。医師は患者からの問いかけに対して、「そうですね」という具合に、ゆっくりと間を置きながらそこで即答しないという応答をするというやり方。それが患者にとっては、ゆっくり自分のことを聞いて受けとめて考えてくれてる、と感じるところがあるんだなと思いましたね。経験を積んだドクターの場合は、そのような対話法が患者に対する時の原則として堅持されてるように思いましたね。

中山：森田先生に関連しながら、ホスピスにも関連するんですけれども、ホスピスでは遺族に対しても、フォローしますよね。それで、森田先生の方で、グリーフワークの話をされましたね。それで看護としてグリーフワークが必要だとおっしゃるのは分かるんだけれども、看護の現状というのは、非常に難しいでしょ。

森田：現実的には、今の医療スタッフではほとんど不可能に近い状態ですから、できにくいと思います。しかし、グリーフワークという考え方とか、それをしたいという気持ちとかが、皆無の状態でケアを終わるのと、そういうことをしたいとか、あるいはナースはその役割の一端を担っていると思って、最期のお見送りをするのとでは、全く違った対応になってくるんです。それで、ホスピスのように、丁寧なグリーフワークはできにくいのですけれども、事例によってはフォローアップをすることも役割と考えたいのです。しかし、どの患者にもということではありません。かなり頑張ってケアしていますですけれど、色んな医療事故が起こる状況ですし、法律の人数規制がありますので難しいとは思いますけれど、それをしようとか、したいとか、それがナースの役割であるという認識をするところから始める必要があるのではないかと思っています。

中山：もう一つ、アメリカではカウンセラーの制度が発達していますね。これがナースの仕事なのか、カウンセラーという職にむしろ委ねた方がいいのか、その辺はどうなんでしょう。

森田：カウンセラーの制度が構築されていけば、その方達の活躍に委ねる部分があると思います。現実にはそれは皆無の状態ですし、ナースが24時間患者を看ていますので精神的な部分の介入は、ナースの役割だと思っています。

中山：結局、拝見して思ったのは、看護という理念と、現実の職業形態とは違うということですね。看護という仕事の中に、グリーフワークが入ってほしいけれども、職業形態としては現状では到底不可能ですよね。その辺がどうなのかなと感じました.。

高橋：それは看護職の看護職たる所以、定義みたいなものに関わると思うんですけども、それは何ですか、苦痛緩和ですか。

森田：はい。平和な死への援助。

高橋：そうですか。もちろん死なない患者に関しても、言えるわけですけども、それを医師とは違う仕方で、しかも医療的な仕方でさまざまな苦痛緩和に関わる。そういう点で他のケアとは違う、そんな了解でいいんですか。

森田：はい。医師の方が身体の臓器とか機能とかメカニズムの部分で治療の部分に介入しますけど、ナースはそういう病態にある方が、どのように生活上の反応を示すかというところに焦点を当てますので、反応された状態として、日常生活の基本的な欲求である食べるとか眠るとか排泄するとかという行動ができないという反応であれば、それをサポートしますし、心理的に悩みが深かったり苦しんだりの状況があれば、先ほどのカウンセリングマインド的なところで介入していきます。そのことをすることによって、苦痛の緩和とか平和な死への看取りを実現させたいというのがナースの役割であるというふうに定義されているのです。ただ、確かに現状は厳しいですね。

田口：ベテランの看護師の方が書いておられる本の中で、看護師の方々に呼びかけてる言葉で、「あくまで最良のケアの担い手は家族ですよ」というのがあります。これは、あまり看護師の方が家族をさておいて、やりすぎてはダメですよ、ということを忠告しておられたんですね。家族にも色々ありますけれど、看護師の方としては知りえない、やはり非常に微妙な心の襞というのがあると思うんですね。それをまるで知ってるかのように思い込まない方がいいんだ、そういうい忠告だったと思うんですね。看護師は家族に何かを教育し、ある方向に引っ張るリーダーとしてではなく、適切な助言や共感によって、患者を支える家族を他方から支える役割を担っていくことが大切だと思います。

森田：はい。今回の論文でも書きましたけど、やはり看取るのは家族だと思うのです。だから家族が十二分に患者さんと対話ができたり、時間と空間を共有する状況を創ること、そういうこともナースの役割だと思います。

田口：その条件、つまり家族が十分な看取りのケアをできるような条件づくりをしていく、というのが、ナースの役割ということでしょうね。条件づくりが家族には適わないところがあるので、むしろそういう厳しい場であり時であるという状況の中で、看護師がそれを支援していく、というのがやはり終末期の看護の役割だと思うんですね。

森田：そうだと思います。

森：今、患者の家族のことが出て来ましたが、経験的に言いますと実は、家族も非常に患者との距離の取り方、あるいは医師や看護師さんとの距離の取り方は難しいんですね。そして、一人の病人が出たために、家族の中に対立が生まれたりするんですね。それまではうまくいってたのに、その家族にはなかなか解決できない状況を一体誰が手助けしてくれるのか。その時、医療に携わっている方々にこそ、状況がよく見え、冷静な判断ができ、そこからよい助言もいただけるのではないかと思います。この本を手に取られる方々の中には、そんな関心から読まれる人もいらっしゃるだろうと思いますから、その辺のことをお二人にお話ししていただけませんか。

井田：私達は、患者さんが安らかに亡くなっていくことを願ってます。どうしても、今まで人間関係においてうまく行かない、願わくばその人間関係が修復できたり、和解ができればいいなと思うんです。ただこれは、あまり私達が深入りできない部分でもあると思うんです。その方が何十年と生きてきた、色んな歴史があるわけです。ですけれども、やはり問題点として感じますと、話題提供として家族との面談の中で出すようにしています。その面談を通して、簡単に修復しえない問題だと感じるところもあるんですね。しかし、段々悪くなってる患者さんを、人間関係が悪くても、家族はやはり看ていくのです。お互いがこれは亡くなっていくんだなということを、亡くなっていく過程において共通認識ができれば、今何をしていったらいいのかなと理解できます。そうしたことを通じて、それぞれの家族が看取りを自分達なりにやり終えた満足感を持ったり、家族内の人間関係を少しでも修復できたという例はあるんですね。ですからやはりこれは、大事なポイントであると思っています。

森田：親子で憎み合い、いがみ合ってずっと暮らしてて、そしてそのお父さんが、亡くなるという状況があります。ナースとしては和解していただいたらいいな、という思いがあって、ある時期までの間に少し会ってみませんか、というような投げかけはするのですね。そうすると憎み合ってる方の本人は、患者に死んでもらったら困るんですね、憎む対象がいなくなってしまうので。そんなケースもあります。だから、なかなかそれに応じて頂けないんですけれども、患者の今の状態が、よろしくない状況になっています、というようなお話をします。一度では受けとめていただけないので、時間をおいて、今こういう状況になりました、という病状を投げかけていくと、憎んでらした方の方も、いよいよ最期かもしれないな、最期の死に目を、どんなに苦しんで死ぬのか見てやろう、みたいな気持ちがあって病院を訪れられる方を見たことがありますけれども、患者のお部屋に入られた途端に、憎しみが消えてしまって、思わず手を握るとか、辛かったのか、というような言葉が第一声に出てきます。色んな事例がありますけれども、最期はやはり、融和した状態で終わりたい、それを支援したいというのがあって、うまくいく場合といかない場合がありますけれども、確かに投げかけることによって、今までの三十年ぐらい憎み合ってきたのは何だったんだろう、みたいな感じで氷解していく場合があります。

中山：森田先生、さっきの死にゆく過程で、本人の思いも浄化されるけれども、死にゆく当人を囲む関係もある程度浄化されていくところがありますね。そのことに関連して、森田先生の19ページに、「癒し」が関係性との関連で話されますが、その関係性は看護者と患者との間だけでなく、家族も含んでいると思いながら伺っていました。そういう関係性には相互性があって、癒し癒されるという関係が患者の死をめぐって究極まで展開していくのだなと思いました。

田口：ケアする人は当然、癒しの役割を患者に対して果たすわけですけれども、同時にその実践を通して自らが癒される、そういう関係にもなっています。それで、人間というのは、常に完全であるわけではないので、癒す行為によって癒され、自分という存在が傲慢ではなくて謙虚を学び、知恵を深めるという方向にも変わっていく機会を与えられているのだという、そういうスタンスでいた方がいいんでしょうね。その方がケアされる側にとって心の重荷にならない、よい看護になると思います。そうでないと、あまり理想主義的に終末期の看護はこのようにあるべきだ、というふうに思い込んでしまうと、私は燃え尽きが心配なんですね。ケアする看護師が燃え尽きるような看護は良い看護であったとは評価できないような気がするのです。

森田：はい。大事なことだと思います。

中山：そのことは、私の場合、別の観点から言うことになります。つまり、看護する側は自分の死に直面してはいないので、その点で切迫してないのですが、死にゆく人は大変に切迫していて、それこそ人生の最期に立っているわけだから、内面的にははるかに先達なんですね。看取る者はそこから学ぶことができるわけですが、その姿勢がないと看護は押しつけになってしまう。

田口：さきほどのお話のなかで「寄り添っていく」という表現が使われましたけど、看護する側も悩み多い存在であるという自覚がそこでもやはりあった方がいいと思います。そのことを患者さんの側も感じ、理解できたら、なおさらよいでしょう。

井田：患者さんの中で、上手にケアを受ける患者さんがいますよね。ある患者さんは文句ばかり言って、それに対してある患者さんは色んな形で自然と手を合わせ、「ありがとう」という言葉を伝えたりします。私達は両方同じケアをするんですけれども、やはりケアの担当者にも心があります。私達自分自身として、やはり患者になった時には、可能な範囲で、ケアを提供してる人達の労いを一部考えていくといいのかなと感じる時はありますね。

中山：文句を言う人も、それなりに受容過程のプロセスを歩んでいるのですね。

佐谷：先ほど話題になった死にたいしてアジャストしていく作業において、人間関係の修復だとか、医師や看護師さんへの信頼感などは極めて重要なファクターだと思います。また、信仰への依存も、死への適応のファクターの一つだと思います。もうひとつ、病気に対するパラダイムの変化も大切だとおもいます。例えば、「癌というのはさほど世間が考えるほど悪い病気じゃない。癌になった人は、死への準備が十分にできるし、物事を極めてシンプルに捉えることが出来る｡家族もやさしいし､」なんてパラダイムはもちろん発病直後には受け入れられませんが、段々と適応していく過程で定着していく人もおられるようです｡森田先生が書かれているように、私も「希望」に治療価値があることは認めますし、患者さんには「希望」を持って頂きたいと思いますが、現実には希望を抱くことと病気を受け入れることとは逆の作用があるように感じます｡先生が言われるところの「希望」というのは、どんな希望なのでしょうか｡

森田：患者が、死ということに直面している時に絶望してしまわれたら、もう本当に立ちあがれないくらいに苦しまれるんですね。だから、絶望の反対に希望があるんですけれども、「今生きている」、「次の瞬間も生きられる」というその希望と、それから私達ナースであれ、家族であれ、医師であれ、関わっている人がいるということ、そして日常の、死を目前に控えて生きていく人としての営みそのものが希望につながります。だから、次の瞬間外の樹木を見て、「ああ、これも一つの希望になる」というようなことだろうと思うんですね。

佐谷：たしかに、死を覚悟してる人でも、明日死ぬとは誰も思っていない。その感覚こそが、非常に近い将来に対する希望なのかもしれないですね。

高橋：そういう、希望とか、アジャストでもいいですけれど、それが可能だという条件の中には、痛みの問題があると思います。それで、森田先生の論文には、癒しの五段階というものがあったでしょ。あの中で二段階目で、痛みからの解放がありますね。そうすると痛みから解放されないと次のレヴェルの3、4、5に行けないというふうに考えていいわけですか。

森田：いいえ、一つのレヴェルが終わって次のレヴェル、ということではなくて、順序性はありますが、前後することはあると思います。でも、痛みがあれば、患者の意識はもう痛みしかないんですね。

高橋：我々の関心とか意識とかが痛みに全部集中するわけですね。

森田：例えばここが痛ければですね、常にここしか見ないんですよ。

高橋：そうですね。何か大きな希望とか、やる仕事とかが残ってると、いかに痛くてもそちらの方に心が向かうけれども、そういうこともなく、また激しい痛みだと、どうしてもそちらに集中してしまいますね。それは死にアジャストできないという状況といえますね。

佐谷：はい。痛みは死へのアジャストにおいて反作用を持つ一番大きなファクターでしょうね。

森田：ここにホスピスの価値があるんですね、痛みを緩和するという。

井田：今日、私は医学部の三年生に講義をしました。今まで、病院は、痛みがちょっとひどくなったらホスピスに紹介しようと考えている流れがあります。紹介を受けるんですが、そこでも対応できる患者の数が限られてますよね。どこの医療機関においても、基本的な痛み、そして苦しみを和らげることのできる緩和医療の知識を医師が持っておかないといけないと思うんです。

高橋：ホスピスは痛みを緩和するというけれども、緩和しきれないような状況にいる人もたくさんいるわけでは。

井田：そうですね。特に実際痛みの方はかなり緩和をできたとしても、やはり体がどうしてもきついという、身の置きどころのないきつさが、なかなか対応が難しい。その時に、痛み止めであるモルヒネを増やしても、うまく対応できませんので、私達は少しずつ安定剤を増やしながら、会話ができるレヴェルを探しながら薬を使ってます。しかし、時間が経つとともに、段々と少しずつうとうととする、寝てる時間が増えてくる。それも一つの苦しみを和らげるための方法と考えてます。

高橋：そのまま意識がなくなって死期が早まるというのを、私の論文では「間接的安楽死」と呼んだんですけども、そういうのはホスピスでも行われる場合があるんですね。

井田：患者さんを急激に眠らせなくてはいけないということがあるんですね。それは激しい痛みが発作的に起こった時には、一時的に意識を落とさない限りは、苦痛は取れない。しかし、ある程度薬剤が追いついていくと、徐々に睡眠剤の量をまた下げながら、本人が意識が戻ってくるように試みています。それが耐えられるレヴェルかについてチェックすることはできます。そのような時には、医師や看護師が付き添いながら、呼吸状態はどうなのかとか、やはり血圧などの変動を細かく見て、生命が維持できるレヴェルで、努力をしてるのが実際です。

中山：高橋先生の論文に、末期癌患者の約5％には、緩和治療をしても激しい痛みが残るとありますが、ホスピスの現場で、やはりどうしても痛みが残るケースというのは、あるのでしょうか。

井田：やはり、痛みというのが内臓の痛みではなくて、骨盤の中の神経の痛みとか、首などの痛みというのは除痛が難しく、膵臓癌の痛みも難しい。ですから、今までのモルヒネだけではなくて、その鎮痛を補助する薬剤を今開発することが進められてると思うんです。

中山：それで、今後とも緩和治療のレヴェルは進歩するとみていいわけですか。

井田：期待をしたいと思ってます。しかし、100％の除痛とはなりえないのではないかなと思ってるんですね。ただ、それぞれの方に感じ方、閾値の問題として違うなというふうに思います。

中山：そのことに関連して、井田先生の論文のケース何番かにですね、18ページでしたけれども、この方は信仰を持ってるせいか分かりませんが、苦しみは最大の贈り物だと書いてある。そういう理解もありえるわけですよね。

井田：それはおっしゃられる時には、その時に苦しみが緩和されてる時だろうと思うんですね。

中山：ああ、なるほど。では、高橋先生に関連して、ヒポクラテスの誓いの中に、安楽死のための薬は渡さない意味の文言がありますね。技術があまり発達していない古代にも、安楽死のための薬は行われていたから、わざわざ言及がなされ、医者としてそれを抑える自戒が出てくるわけですね。しかし現代は、医療が、とりわけ緩和治療が進歩している中で、なおかつ安楽死を、積極的安楽死を考えなければいけないという、この辺の違いをどういうふうに考えますか。

高橋：やはり、実際に医療の現場で安楽死が求められている、そういう場合があると思うんですね。それで、この論文では書きませんでしたけれども、秘密のうちにそれを行ってしまったとかいう記事も去年の新聞に特集が出たりしました。このように、要請に応えて、どうしても医師が行ってしまうというような場合もあると思うんです。ですから、緩和治療で全部カバーできるということは、当分ともかくそれはありえない、そういう状況だと思うんですね。そうすると、死にたいという要求をどうして拒むのか、その理由が問われてきます。それは殺すという点では確かにいけないんだけども、でも自殺そのものというのが罪でないというような状況下であれば、相手のためを思って、死を手助けすることは許されるのではないかと思います。

中山：私の視点から、よい死を迎えるためにということから言えば、苦痛が和らげられて、自分の生涯を振り返って、生の意味づけをする余裕がほしいわけですね。しかし、苦痛緩和からさらに一歩進んで安楽死まで進むための理由が、結局問題なわけです。それを「究極のケア」と言われるのですね。例えば、切腹の時の介錯とか、戦場における深手を負った場合の介錯的な処置は、医術を施す場面ではないところでの処置だと考えられます。一方、病死は、自然死を期待し、自然死に近づけようとして処置をするわけですが、そういう場合にも、「介錯としてのケア」が必要なのかどうか。

高橋：アジャストという話、死への適応という話があったんですけども、ノーマルな状況での死には、ケアする人達と共に、我々には死へと何とか適応できるというロジックのようなものがあると思うんですよ。それを我々は経験上知っている。ただ、あまりに大きな痛みとか、苦悶とかがあると、そのような適応がはなはだしく困難になってくる。適応できないままただ悶絶して亡くなっていく、それをほっておいていいかという問題があります。そういう時にやはり、本人の要請というもの、これを尊重し、ケアするものされるもの、共に傷つきやすい存在であるということを前提としながら、個別的な状況で、相手の求めに応じて、ある行動をしていくということが必要かなと思うんですね。そういった意味で究極のケアというふうに捉えたんです。

中山：その際、ケアをして安楽死に至らしめる人がそういう行為に手を貸したということで、悩まないようにしなければいけないですね。そのためには、「究極のケア」としての安楽死は、認められてるのだということが必要なわけでしょう。

高橋：ええ。それと共に、医師には義務がない、ということが重要ですね。もっと言えば、ボランティアなんだと。そうしないと、頼まれた医師は、必ず義務的に安楽死を行わないといけないというのでは、医師にとって大変な苦痛、負担になりますね。

中山：それは、医師でなくてもいいとはならないのですか。

高橋：医師以外の人が行うと、問題はそれがどれだけ普通の殺人と紛れないかどうかですね。そういう問題が起きるので、やはり病院内で複数の人が立ち会ってという公開の場が必要だと思います。切腹介錯も公開の場でやりますね。家の中でばっと切って介錯だと言ったって、それではダメなんですね。

佐谷：高橋先生の論文には、読ませて頂いて考えることがいっぱいありました。しかし、わざと議論をふっかけて、先生のお考えをお聞きしたいと思います｡生きるか死ぬか、という二つのオプションが平等なものではないことに問題があると思います。というのは、生きるという選択をした人は、もう一度死ぬという選択ができますけれども、死ぬという選択をした人はもう生きるという選択はできないわけです。ここに安楽死の決定的な問題があるように思います｡今、技術的には、完全に患者さんの意識をなくすことによって痛みを完全に除去することは可能ですから、選択を変える余地を与えて安楽死を避けることは出来ないのだろうかと考えます。そちらのほうが非人道的だと思われるかもしれませんが。

高橋：初めの方についてですが、ここで安楽死を選ぶ人が、あと一年も二年も生きられるという状況だったら別ですけれども、ほとんどの場合には、もうあとせいぜい数日とかの命ですね。ですから、一方は生きることを選んで、また死ぬことも選べるが、他方は終わりだというのは議論として弱いと思います。さらに、安楽死の場合には、患者が要請しても、それは本心かどうかというのを、確かめる手続きが当然必要だと思うんですね。それもかなり厳密にですね。昔からそういう意思を表明していたとか、それで今も変わらないとか、さらにもう一回聞いてもやはり変わらないとか、そういう状況下で行うと思うんですね。二番目の話というのは、それは論文でも書いたんですけれど、どうも間接的安楽死に近くなるんではないかなと思うんです。そういう状態で生きたくないという考えもあります。例えば植物人間でさえ嫌だと。人工延命装置を止めてほしいという尊厳死の立場もあります。ですからそちらの方が安楽死よりよいとか、同じだとかいうことはできないと思います。

中山：法制化について、現在の日本では無理だというお話ですが、日本における情勢が煮詰まるのはどういう場合なのか。オランダは現状追認として法制化が行われたとすると、結局日本でも現状が迫ってきてからでないと法制化は無理だろうと、そういう論旨になりますか。

高橋：まず第一点は、闇行為を行うに至らないとしても、安楽死を求める声が非常に高まる。しかし法制化されてないので、医師の方としてはしたいけども、やはり躊躇してしまう。それが大きな問題となるといった状況が考えられます。それから次には、医師と患者関係だと思うんです。医師と患者の関係が、オランダの場合にはかなり親密であって、ホームドクターというのは、イギリスのGPと似て、長い間、患者との関係を保っていて、それとは別に専門的な治療までできる医師がいるというシステムがあるみたいですね。それとさらに、法制化の前提には国民がそれなりのレヴェルの自己決定をしていることが必要ですが、その点に関して、やはりまだ日本の現状というのは、無理があるのかなというふうに思います。

森：ちょっと議論をもう少し戻してもいいかなという気がするんですけども。安楽死が認められるかどうかというのは、高橋先生はどうも社会情勢を見ながら、最終的には決めていくべきだという見通しを持って書いておられます。そこで問題になってくるのは、安楽死を容認する土壌として、日本の死に対する伝統的な考え方というものを持ってこられるわけです。ところが、生命とか死というのは、確かに文化に大きく左右されるものでもあるのですけども、同時に人間にとって普遍的な課題だと思うんですね。そこからの問いを、哲学者としての高橋先生はですね、どうしてお立てにならなかったのか。もう一つ言いますと、私は国文学をやってるだけに、日本の伝統文化とか伝統的な思想というのはよく分かるだけに、それをどこかでやっぱり相対化する視点を持たなくてはと考えているのです。高橋先生は、西洋の哲学から、日本の伝統文化に手を差し伸ばされてですね、それを議論の拠りどころにされたのは、さほど不自然ではないのかもしれませんけれども、それは大丈夫かなという気持ちが一方であるわけなのですね。それで、その辺りのところをお聞かせ頂きたいと思うのですが。

高橋：例えば、無実の人の命を奪ってはいけないということ、そういう規範自体は、古今東西を問わず同じだと思うんですけれども、それはなぜいけないかとか、認められる殺人の条件は何かということになると、様々な立場があると思うんですね。そして、自殺してはいけないというのは普遍的な規範ではないんですね。そういう意味で、絶対的な何か普遍的な規範や立場から安楽死を論じきることができるかというと、それは無理だろうと思いますね。そしてまた、絶対的な規範でもまた、その根拠というのが、時代とか、あるいは国によって変わってきてしまう。それが現状だなと思います。では、私の論文では死というものをどう考えているのか、ということに関しては、これは私の立場を実は出したつもりですが、森先生は、私が単に日本の伝統を受け入れてしまったと思われたようですね。というのは、私は死や宗教的なことに関しても、日常の経験に即しながら筋道立てて考えたいと思っています。そうしたことを踏まえて、宗教的なものがどこまで信じられるかについても考えていきたい。そうなると、私がこれはと言える、死について語れることと言うのは、死の現象だと思うんですよ。現象というと、分かりにくいでしょうけども、死ということについて、神話や教養も含めてみんなが何を考えてきたか、どういうふうにしてそれに取り組んできたか、死ぬ間際の人や家族、医療従事者たちがどんなことを語ってきたのか、どんな行動をするのかとかのすべてです。ですから、看護の領域については、看護はそういう死の現象の現れるまさに宝庫みたいなものだ、というふうに思うんです。我々にとって死というものはそういうものとしてある。それを越えるとどうしても謎の世界に入ってしまう。謎のところまでなるべく行かないで、死ということを考えてみる。すると、我々にとって死者とは何だ、死者は本当に存在しないか、という問いかけに対して、宗教的な答えではなくて、さっき言ったような、経験に根差した現象に関しては、死者は死者として存在するんだ、というところまで言えるんじゃないか、そしてそれの延長上に日本の伝統的死生観というのがあるだろうと考えたんです。そういうわけで、私としてはできる限り経験的な仕方で死というものを捉えていく、というふうなスタンスをとって書いたつもりなんです。

森：日本の伝統的な死生観と高橋先生の考え方との関係は今分かりましたけれども、さらに問題にしたいのは、そういう伝統、例えば日本には自殺を禁止する精神的土壌は希薄であるというのはおっしゃる通りだと思います。ただ、例えば切腹という一つの自殺の方法があります。ああいう自殺の方法が出てくるのは、南北朝以降だろうと思います。それで、なぜそういう死に方が出てきたのかというと、あえて苦痛の多い死に方を選ぶ、という自殺の方法ではないかと解釈されるのです。ご存知の通り、切腹だけではなかなか死ぬことができない、介錯が必要だということなんです。あえて苦痛の多い死に方をするのはなぜかと言うと、敵を激しく憎悪する、その憎悪を敵に向けることによって、死者が、生きている者に対して、災いをもたらす、そういうことをおそらく意図した死に方ではないか、と解釈されます。そういう意味では、切腹というのはそう長い伝統の中で、培われてきた自殺の方法ではないような気がします。どちらかというと乱世の風習の不正な継承ではなかったかと。

高橋：ええただ後には、自らの清さ潔さを文字通り腹蔵なく示すという意義も持つようになってきますね。ただ、切腹以外の自殺としては、例えば入水するというのは、平家物語の中などに出てくる。それから、そうとう古い時代だと天皇の崩御の際に殉死するとかがあります。やはり自殺ですね。ですから、自殺という点でまず、日本にはそれを否定する伝統がなかったということは言えると思うんですね。そして、切腹に言及したのは介錯ということを最後に持ち出すためにしたということになります。

中山：今のことに関連して、「死ぬということは……自らは何も能動的に欲求したり経験しない立場への移行」とされますが、生者と死者との間が断絶ではなく連続しているのだという考え方が背景にあるからでしょうけれども、この言い方は植物状態をも含んでいますよね。

高橋：それは論文の中にも書いておきました。それは11ページの下の方。例えば事故や病気で意識を喪失したりですね、

中山：ああ、この下の方ですね。

高橋：ええ。でもこの世から消滅しないだろうと。それで身体そのものの統合的な機構、そういうのも消滅してしかも息も無くなった、これが死というふうに考えました。

中山：そうすると、植物状態からは区別してるわけですね。

高橋：ええ、もちろん区別してます。

中山：死者の位置づけが少し理解しにくいので、おたずねします。死者は死者として存続し、生者と連続する存在となるが、生者との間で受動的でありつつ能動的にもなる。この在り方は、動物、自然物のみならず、将来世代の人々にも共通し、これら４者は類似の存在として同じグループに属する。お説をこのように理解するとして、この世での存在仕方は、動物、自然物が実在し、死者はそれと連続しつつ別の仕方で存在するのに対し、将来世代は未だ存在しません。将来世代も連続的に存在するのだとすれば、それは生者から移行した死者とは別の仕方、今は存在しないが予想される存在、未来の生者としてになります。これらを、「発語せず応答しないが、ケアされ、働きかけもする存在」としてくくるのは、前３者はよいとしても、将来世代は無理があるように思いますがどうでしょうか。

高橋：それは、将来世代の人には死者と違って名前を持っていないので、それを個人の集まりと見るのは確かに無理なんですね。しかし、我々を取り巻くのは、人と物プラス今言ったグループだと思うんです。人と人の間には権利とか義務とか、そういう意味での相互性、また、泣いたり笑ったり悲しかったりとかのコミュニケーションという意味での相互性が成り立っている。しかし我々と物の間にはそんなものがない。ところが、それの中間グループみたいのがあって、それに対して、こっちが話しても向こうはそれにあまり応答してくれない。まあ犬はかわいがるとそれなりに応答するだろうけども、もっと動物も下等になると、ほとんど応答してくれない。それでもたんなる物ではなく、我々はそれらに特別の関心を持っているし持たざるをえないとも言える、そういうグループがある。

中山：そこまで言いながら、将来世代を含めるとね、何か無理な様な気がしますね。むしろ、例えば動物も植物も、例えば植物でもね、人間が癒されるという場合もあるわけでしょ。そうするとケアというのは、人間の側から一方的にケアするわけではなくて、そこに相互性があるわけでしょ。環境倫理の根本問題というのはやはり、相互性のうちに見ないと、まずいんじゃないかと思いますが。

高橋：動物、植物などを含んで、将来世代も含んで、論じている我々とそれらの関係を論ずるのが、環境倫理なんですけども、それの根本は何かというと、私は今自己評価委員をさせられていますけれども、人間の自己評価性みたいなものなのかなと思うんですね。我々は何かに対して自己評価していく。それで、自己評価する人間同士だったら、そこには普通のコミュニケーションが成り立つのですけれども、コミュニケーションができない相手にも、自己評価という形で、関わってるんじゃないかと思うんです。

中山：いや、私はあまり自己というべきじゃないという気がするんですね。相互性と言ったのは、そういう意味でして、これは一方的に人間の側からのみ考えるんじゃなくて、やっぱり向こう側からも何かあるものが働きかけるというわけでしょ。

高橋：考えるのはやはり人間の側、今生きている人間の側からとしか言いようがないですね。そういう意味で自己評価と言ったのですが、そうした考えの中に死者とか将来世代とかがどうしてもはいってきてしまう。例えば何かすると「末代の恥」だと思い、するのをやめるという時、将来世代が念頭にありますね。それぞれとの関わり方は違っていても、それらを気にしながら我々の生はあると思いますね。そこでは我々の現在の態度によってそれらが変化するとともに、我々の生き方がそうした存在によって影響されざるをえない、という意味では相互性が成り立っているとも言えます。

中山：それは、結局死者の位置づけにも関連してきますね。死者の方からも働きかけがあるだろうというふうに見るか見ないかで随分違ってくるでしょう。高橋先生はあると見ているんですね。

高橋：ええ。そういうふうにして我々は生きてきた。我々にとって死者は、この世の中に死者としてやはり存在すると思います。例えば、死んだおじいちゃんが見てるいからそんなことはしちゃいけない、とかいう仕方で我々に働きかけてきますよね。これは宗教じゃなくてもいいです、まさに経験のレヴェルで、処理できる話ですね。

中山：それでまた、夢に現れたりしますね。

高橋：ええ。それは万国共通だと思うんですね、そこまでは。

中山：それは宗教と言わなくてもいいわけですよね。

高橋：ええ、言わなくていいですね。そこからさらに、死者は別の世界に実在しこの世の人々と因果的に結びついているなどと言ったりすると、宗教の領域になります。

森田：13ページのところの、「私はここには人間の生の根源的構造と、環境倫理の根本問題が潜んでいると考えている」というところが私にはまだよく分かりにくいので、もう少し説明して頂いていいですか。

高橋：これ話すと長くなるんですけど、つまり、今この何分間かで話してきたことですね。今人間にとって環境とは何だとかいうことを考えていった時に、人間を取り巻くもの、それは自分と同じような存在者である人間、それから人工物を含めての物、あるいは自然の土だとか石だとかいう環境の要素プラス動植物、また死者、将来世代、こういう存在者に囲まれて我々は生活している。

森田：そこに倫理が入ってくるんですね。

高橋：そうですね。我々がいかに生きるべきかという時に、いつもやはりそういうファクターを念頭に置かなければいけない。それで、非常に近代的な考えというのは、人間は人間だけを念頭に置けばいいということだったんですね。それでそこに権利や契約関係だとかを考えていった。でも、それではいけないんだというのが環境倫理であって、二十世紀の後半に登場してきますね。そしてそこでは、道徳的配慮の対象に、人間とコミュニケーションできない動物とか、植物、生態系や自然物まで入ってしまいますね。また、まだ生まれてこない人達、五十年後、百年後に生まれる人達とか、そういう人達に対しても我々はある責任を持っているというんですね。倫理的な関係がそこにあるんだという場合に、今いる人間と人間の関係とは違う特別の関係がそこに出来あがる、となりますね。ここにあるのは私は、権利義務関係というよりも責任やケアの関係だと思います。それで、その関係をよく見てみると、それは死者との関係と似てるんではないか、というふうに考えて、死者というのを仲間に入れたんですね。中山先生からの質問に十分に答えられたかどうかはともかくとして、それが私のここでの新しい論点といえます。

佐谷： ESの問題にしろ、臓器移植の問題にしろ、遺伝子治療の問題にしろ、賛否両論が世界中で巻き起こってきたわけですが、議論していてもすぐには回答が出ないことが分かってきた。それじゃ、それぞれの地域でいいと思う方をやってもらおうじゃないかと、そしてどちらが良かったかは最終的に結果を見てからにしようという考え方が最近支配してきているように思います｡歴史と社会全体の嗜好によって解決していくという、非常に単純なアルゴリズムをつかっているんですね。

高橋：社会淘汰ですね。

佐谷：先生の論文は、安楽死を是認するかそれとも否定するかを考えるときに、その民族の歴史的背景や民族性を要素としてよいという論理だと僕は取ったのですが｡そういう背景を持っている民族だからこそ、安楽死を日本で是認してみてはどうか。そんな解釈をしたんですけど、それでよろしいんでしょうか。

高橋：ええ。けれども途中にちらっと書いたんですけども、これはある程度は普遍的な事柄を含むことができます。というのは、先ほどここでも話したように、ローマ時代でも自殺は認められるという立場もあったし、いけないというのもあった。それが、ヨーロッパでは自殺はいけないんだという一色に、塗りこめられていくんですね、四世紀ぐらいから。安楽死の議論も基本的にはその背景のもとでなされてきた。その伝統を枠組みをはずしてしまって議論をすれば、四世紀頃よりもっと前の人達も包含しながら、しかも、我々が経験的に納得できることにできるだけ基礎を置きながらする議論であれば、日本だけじゃなくて、もっと多くの立場からの共感を得るのではないかなといった思いがあります。そういった意味で、日本的なものに非常に近くなって、実際に日本の伝統で考えているんですが、やはりもう少し普遍的な立場というのを志向しています。

森田：自殺の場合は自ら命を絶ちますが、そうでない場合は、救命措置をしないとか、中止することに、他者が必要ですよね。その他者がどうか、ということが、安楽死にとっては非常に重要な位置になってますね。

高橋：だと思いますね。ですから、自殺を否定してこなかったという文脈だけで、安楽死はOKかというと、そうはいかないんですね。今度は他殺という大きな問題が待っています。それに日本の伝統だと、自殺というのも、お国のためだとか名誉のためという理由で称賛されがちなので、それを安楽死と結びつけ、お国のために死んでもらうとなっては困ります。そう簡単にはいかないですね、かなりクッションを置いて、話をしないといけないと思います。

森田：ある方が多発性硬化症でひどく悩んでらして、身動き一つできない状態で自殺をすごく望まれていて、殺してくれということを、非常に哀願されていました。涙を拭くことさえ出来ないで、耳が爛れてしまってボロボロになるぐらいに悲しまれた方なんですけれども、多発性硬化症の治療が開発されてきて、今その方は車イスに乗られてるんです。だから、医療と言いますか、ナースの側からすると、諦めてはいけないということなのです。看護が諦めてしまったらもう、患者はそこでストップするのです。看護は、先ほどの希望の話ではないですけれども、明日にかけていく部分、そしてなおかつ苦しみを除く部分ということの、ジレンマにあるんです。

高橋：でも、いつかは人は死ぬし、死を受け入れなければいけない。

森田：だからその見定めが、個々によって違うと思います。その見極めというか判断というか、現象を受けとめて、なぜそういう考えに至るかという部分を大事にしないと、個々のケースで違った対応になるだろうと思います。

井田：残された時間が数日の時に、かなり積極的な安楽死を望まれるというのが先ほどの話でしたけど、私はもう少し早い時期に積極的な安楽死を、まだ何とか自分で体を動かすことができるんだけども、自殺をしえない、しかし安楽死を望むという方が、多いのではないのかなと思ったんです。

高橋：私の論文の註に挙げた統計を見ても、安楽死の要請が7％ぐらいで、実際にするのが2％ぐらいだから、七分の五は、要請しただけで実際には行ってないですね。自殺幇助まで入れても、実施は3％いかない。

井田：ということは、状態が悪いために、色々な手続きの中で亡くなっていく方も、かなりいると思うんですね。

高橋：あるいは、要請を取り下げるとか、何度も聞いてるうちに、気持ちが変わってしまうとかですね。

井田：やはり、このオランダとかベルギーの安楽死の動向を、私達は見つめていく必要性はあるわけですね。

高橋：そう思いますね。これは90年と95年しか統計がありませんが、いずれ最新のが出ると思います。そして、安楽死が合法化されたので、届け出ない安楽死というのは、現在では非常に減ってるだろうというふうに思いますね。95年の統計では半分以上が届けてないというふうになってますが。

中山：今日のキーワードは、「究極のケア」ですね。ホスピス・ドクターも患者と同じ病で死にゆくことを願い、看護もグリーフワークまで含めて遺族をもケアしようとするのですから。

高橋：中山先生からまとめの言葉も出ましたし、このくらいできりあげることにしましょう、では今日はどうもありがとうございました。

テープ起こし　　西田晃一（文学研究科修士課程）

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第三部討論会

高橋：では第３部の討論会を始めたいと思います。第６章森先生、第７章慶田先生、第８章田口先生の順で各々の論文についての簡単なまとめを先ず話してもらいたいと思います。

先ず森先生お願いします。

森：私がこの共同研究に参加するにあたりまして最初用意しておりましたテーマは、「釈迦の涅槃と人の死と」というものでありました。今昔物語集という古代末期の説話集を中心に、人間の死をめぐる問題を仏教における涅槃や往生極楽に関する考え方や表現を通して探ってみようとし、一度は研究会で発表もさせていただきました。

ところが、不幸なことに、諸行無常の原理にしたがいまして、私の論文の原稿を収めてあったフロッピィディスクが壊れてしまいました。もちろんプリントアウトしたものは残ってはいたんですけれども、この偶発事故を超越者による一つの啓示と受け止めることにしまして、そのころ私の内部に兆しつつあった、もう一つの問題、古代日本人の死後の世界に対する観念と表現に対する関心の赴くところに素直に従うことに致しました。その結果、おおまかではありますけれども、古代日本人の死と冥界に対する観念を導き出し、多様なそれら相互に位置づけを与えることができたと思います。そして、私たち現代人のこわばった常識によって理解を妨げられていた作品に適切な解釈をいくつか示すことができたのは、訓詁注釈を研究の基礎と考えている国文学研究者として内心嬉しくもありました。さて、私の論文は、仏教の移入によって日本人の死と死後の世界がどのように変化したのかという観点から、仏教が日本の風土に定着を始めた平安時代初期、９世紀初めの仏教説話集、日本霊異記における冥界観について検討するとともに、その展開を１２世紀末頃までくだってたどって見ました。平安時代以降の冥界観の形成について、画期的な変化をもたらしたのが源信の往生要集の出現であったことは誰もが認めるところです。で、そうした仏教的な著述にとどまらず地獄絵などの屏風とか、あるいは絵巻、あるいは一般の民衆を含めた聞き手を対象とする説法でありますとか、そういう非常に身近な教化方法が大きな役割をはたしているということを確かめました。日本霊異記の冥界は、仏教の冥界というものを一応基礎に、中国の道教思想が加わって、さらに、日本の仏教以前の伝統的な冥界観もそこに潜んでいました。そこで日本霊異記を起点としまして、仏教以前の古い日本の死と冥界に対する観念がどのようなものだったかを遡ってみました。人間というものを肉体と魂の結合したものと私たちは考えていますけれども、古代の、つまり仏教以前の、かなり古い時代の日本人は、人間を霊と肉とに分けないで捉える、とりわけ肉体にこそ人間のあり方を見るという考え方があった、ということが導き出せたように思います。例えば黄泉の国のイザナミノミコトが、死んでその肉体が醜く変化をしていく姿、これを一つの死であり、あるいはそれを死後の世界であるという風に捉える。あるいは逆にヤマトタケルのように、その遺体が鳥になって空に飛びかけっていく形として把握をする、そういう死の捉え方というのがありました。さらに死というのは、山の奥とか山の上とか、あるいは雲とか霧の彼方にとか、あるいは黄泉の世界に去って隠れるものとして受け止められていたと考えてよいかと思います。冥界と死に関する観念の非常に古い部分にそういう考え方がありまして、これに仏教とか、儒教とか、あるいは道教とか、あるいは近代以降はキリスト教でありますとか、唯物論思想でありますとか、そういういろんな宗教や思想が積み重なり複雑に組み合わさりあるいは融合しているといえるかと思います。これを混乱していると批判的に見る立場もあると思います。けれども、私はやはり多様性というものを、肯定的に認識しなおす必要があるんではないかと思います。それを私たちの文化の豊かさの可能性と評価する事によって、今の私たちの一見混乱しているかに見える死生観というものを見つめていってもいいのではないか、そして現代の若者を中心とする非常に多様な死と死後の世界に対する混乱した状況というのが、何に由来するのかという事を探っていくと同時に、そこからまた新しい文化が芽生えてくる可能性に期待をしながら見守っていってもいいのではないかと、そういうふうに考えております。以上です。

高橋：ありがとうございました。では慶田先生お願いします。

慶田：慶田です。私はタイトルを『受取人不在の死』、サブタイトルを『―水俣の魂と儀礼・口頭領域―』にしました。最初は私の専門が文化人類学ということもあり、ケニアの死の儀礼について話す事にしていたんですけれども、ケニアの、それも非常にマイナーな地域の葬式について詳しく書いたとしてもなかなか一般的理解が得られにくいのではないかと思いました。昨年から少し水俣の方に行くようになりまして、その中で、魂という言葉がある領域の中では重要な用語として語られていると言う事に気が付いて、これについて議論する事は出来ないかという事で「水俣の魂」を中心とした論文に変更しました。詳しくは第７章訳（１）を参照して下さい。私の論文における全体的なテーマですけれども、特に脳死と臓器移植の問題以降、生と死の境界みたいなものが崩れてきて、医学的なレベル、それから社会文化的なレベルで人の死とは一体何なのかということが議論されていくようになります。つまり生と死というものの境界を決定する事の困難性というものが出てきてしまった。逆にいえば、そういった決定不能の状況というものがあるからこそ、躍起になって生と死を区別するようになっていく訳ですね。だから死とは何か、生とは何か、ということが、それぞれ異なった形で語られていく事になります。そこで思ったのは、それでは生と死の関係っていうのはいったいどうなっているのか。これらの一般的議論では、生と死の関係性というものがむしろ欠落しているような印象を受けました。特に臓器移植の場合は、臓器というものは命の贈り物として語られますけれども、死者を想像する、つまり、臓器の贈り主を想像するという事は制度的には禁止されているわけですわけです。臓器としての命はやってくるけれどもその贈り主を想像する事が、制度的に禁止されている。ですから、分離されてしまった生と死というものをもう一度繋ぎ合わせていくようなものとして、ここでは儀礼と言うものを捉えてみたいというのが全体的なテーマです。内容は大きく二つに分かれるんですが、前半は儀礼論になっています。儀礼とは何かということですね。その一つの事例として、１９９６年に東京で初めて開かれた「水俣・東京展」から議論開始します。そのときの展示物として打瀬船が運ばれていくわけですが、東京に着いた時に実はこの船には魂が乗っていましたという事で、魂がそこで主題化されるんですね。そうすると、受け取り側が、その一部の人たちが、その魂の受け取りを拒否するわけです。行為としては、海を通って水俣から東京に打瀬船が移動していくだけです。ところが、それに魂というものが付け加えられると、途端にそれが儀礼に見えてしまう。そして、何か普通の移動ではない特殊な意味がそこに読み込まれていくのです。一体それがなんであるのかということがこの論文では主題化されます。船が水俣から東京まで海を渡って運ばれたということなんだけれども、その行為に対して異なる解釈が生じていきます。魂の受け取りのような儀礼として語られる行為の根拠が一体どこにあり、何がそれを特殊なものに見せているのかということを、この前半では論じています。そしてその儀礼と言うものが意味付けられていく場合には、行為と同時にその行為について語るということ、つまり儀礼についての語りというものが最終的には重要になります。そのため、この論文では儀礼と口頭領域を一つのセットのような形で取り扱っています。それからもう一つのテーマは、そこではほとんど誰も経験したことの無いような壮絶な経験をするわけですが、そういった人たちが、未来を見つめていく時に魂を通じて一体何を語ろうとしているのかが、特に緒方正人さんという人の語りを中心に主題化されます。次に、今現在水俣が世界のどういった場所に連結していこうとするのかを幾つか事例として提出しています。結論が何なのかと言われると困るんですけれども、問題提起みたいな形で、一つの水俣と言う場所から生者と死者の関係を日常的なレベルで取り戻していくという、そういった動きに関するモデルのようなものをここで提示してみました。

高橋：では第８章の田口先生お願いします。

田口：私は第８章の「自然葬と現代」という章を書きました。この自然葬というのはまだ一般的には名前を知らない人も多いですね。自然葬のことをここでは「生成する文化」と位置づけていますがまさに生成中なんです。まず第?節では、自然葬とは何かと問いかけます。そこでは具体的な事例を織り込みながら自然葬の実際を理解してもらうようにしました。自然葬を広い意味でとらえると、古代あたりでも山野に遺灰が撒かれていたらしいのです。今日の自然葬は、このような葬法が新しい装いで行なわれていると見ることができます。考察のなかではそのことをとらえて消失した葬法の「復活」と呼んでいるのです。しかしながら他面ではそれは「復活」ではなくて、新しい葬送の文化でもあるというのが私の見方です。例えば、今日、大型のクルーザーをチャーターして海上で遺灰を撒く、その人に合った個性的な自然葬にするなど、新しい葬送文化ではないかと考えた次第です。ただ、儀礼を通して死者を「自然」という「他界」に送り出してゆく、という意義が共有されている点は案外、文化の古層に通じるものがあるのかもしれません。

ところで、今日の自然葬が始まったきっかけは何かといいますと、特に1980年代に大都市圏の周辺の山々が墓地、霊園開発のためにどんどん破壊されていくという深刻な事態があったことです。これに危機感を持った人たちが、つまり、自然と人間が共生してゆく道は何か、墓を作らないで済む方法とは何か、と考えたすえ、「自然葬をすすめる会」が立ち上げられたようです。これが市民運動の母体です。遺灰を山野や海に撒くことは長い間違法だと考えられてきました。しかし会が結成された同じ年に、批判があっても理論的には勝算があると判断して、第1回自然葬を実行したのです。決行してみると法務省も厚生省も早い段階で、違法ではないという公式見解を発表しています。ところが、会員が増えてくると、霊園業者の団体や彼らに対する行政指導の見返りに天下りを期待する厚生省のお役人たちが規制をしようとするわけですね。結局は規制を断念して今日に至っています。そしてやがて「すすめる会」は任意団体からNPO法人に衣替えをして、今では11、000人ぐらいの会員を擁する団体になっています。

さて、このように自然葬運動が広がっていくにはそれなりの社会的な背景があると考えれれます。それを論じたのが第?節の「家郷喪失者たちと自然葬」。ご存知のように高度経済成長といわれた時期から今日まで、主に農村から大都市へと大量の人々が移動し、大半がそこに定住します。人々は都会で新しい都市的な社会関係や擬似共同体的な社会関係をつくり、都市定住者になるにつれて故郷との絆はだんだん弱まり、家郷には戻る可能性は少なくなっていきます。ところが観念としては墓を作らなくてはならないという頭があります。彼らを習俗的保守層と呼ぶとすれば、かれらが都市で墓の需要を押し上げていく、すると都市では墓不足、墓地不足が起こってくる。そういう状況が一方ではあるわけですね。他方では、都市の定住者になったけれども、核家族が進み少子化が進んでいくなかで、将来の墓の維持管理で悩みや不安を抱える人が増えていきます。ところがいろいろ「しがらみ」があります。「しがらみ」とは、世間体という他人の眼差しによって、他に選びようがないと自覚して、依存するほかないと思い込んでいる関係のことだとします。それは安住できると同時に不自由な関係です。必ずしも否定的な面ばかりではないんです。例えば伝統的な農村地帯に数多く見られる関係はまさにそれでしょうが、血縁・地縁の関係がすべて「しがらみ」というわけではありません。これに対して「きずな」は「選択意志によって選びとられる関係」です。形式上は同じような関係でも、個別の関係性によって「しがらみ」になったり、「きずな」になったりすると考えたほうがよいかもしれません。

そこで自然葬を選ぶということは、現行習俗を背後で支える「しがらみ」を一旦突き放すことです。夫婦ふたりでそうする人もいます。突き放しつつ死後のことについての今までとはべつの世界の見方とあたらしい「きずな」を求めて「すすめる会」に入会する、というケースが多いのです。シンポジウムや交流会はじつはそのような世界観と「きずな」を確認する儀礼だともいえるでしょう。ではそこで人を結び付ける機縁というのは何なのか、共通の何かがあるはずだと思うんですけれども、それは自然と向き合う態度、自然に対する構えだろうと思います。自然葬に賛同するたいていの人々は「自然に還る」という言い方をよくします。「自然」と「自然に還る私」と、この二つの点で人々は互いに繋がり合っていると思えてくるわけです。つまり、都市定住者としての家郷喪失者たちが本来の葬送習俗に従う限りでは出会うことのない人々と出会い、その「きずな」のなかで実施されているのが今日の自然葬だととられようとしているのです。

高橋：第?部の３つの章はいろいろな繋がりを持ちながらそれぞれ緊張関係を保っているような、そういう内容だと思うのですが、先ず議論の取っ掛かりとして第6章の森先生の日本人の冥界観の古層から始めようと思います。霊肉不分離という概念が日本の古層に有るというわけですね。仏教の場合は魂の輪廻を言うので霊肉分離だとというわけですか？

森：仏教もですね、どの仏教かということを言い出すと大変難しいんですね。古代の日本人が受け入れた仏教だとこれはよく分からないところがありますね。少なくとも日本霊異記の時代の、あるいは日本霊異記が考えた人間観というのはやはり霊肉二元論だと思うんです。でないとつまり、現世と来世とが一つの人格で一貫をしていないと因果応報の道理というのが貫徹しないということになるわけですからね。

高橋：ただ因果応報の道理の一貫性を求めて霊肉分離にすると我の実体性というのが出てきて、これは仏教の無我説が否定した事ですよね？

森：そうなんです。ただ日本霊異記ではおそらく仏教というものを新しい呪術という仕方で捉えているだろうと思うんですね。難しい仏教哲学は実は背後に退いていると思いますね。できるだけ分かりやすい形で私達人間の在り方をあるいは死後の世界を説明をする必要があった。これがおそらく日本霊異記の抱えていた課題だろうと思うんですね。

高橋：日本のこの相当古い時代の死生観で、霊肉が分離できないというのも問題があるのではないかと思うんですが。例えば折口信夫も述べているように、タマフリ（鎮魂）で霊魂が遊離していくといったことが古代では言われていましたね。そんな観念と霊肉不分離というのはどうしてもうまく結びつかないのです。

森：そうですね、非常にそれは難しい問題です。そうですね、私たちの肉体に確かにタマというのがあるんですね。これは私たちの肉体を離れて浮遊し得る可能性を持っているんですね。では浮遊したからといって、私たちが例えば意識を失ったりあるいは死んだりするかというと必ずしもそうでもないんですね。私は私として此処に在りながら私のタマがどこかに行ってしまっているわけです。そこで何かを経験してまた帰ってくるわけですね。そうするとそのタマの経験した事が例えば夢であると考えられていたわけですね。するとそこにはやはり肉体とタマとが分離し得るという考え方があるじゃないか、というのはおっしゃる通りなんですけれどね、ただ問題は死というものを説明しようとする時に、タマが離れた状態が死であるとはどうも考えていない。その死というのは肉体的な活動が一切停止をして息をしていない、そして体が次第に変化をしていく、それを死だと言う風に説明するわけですね。それはタマがどこかに離れていっているからそうなってるんだという風な理解は、後の時代の理解じゃないかというのが私の考え方なんですね。

高橋：ああそうですか。

森：ええ、遡っていきますと、そういう霊肉分離の形とは異なる非常に古い死に対するの観念があったのではないかと言う理解なんですよ。

高橋：そういうのは、まあ私だけ話していて申し訳ないけれども、日本霊異記、あそこの山田の郡の衣女ともう１人の衣女、２人の衣女の話、あれは非常に面白いんだけど、あれはいわゆるパーソナルアイデンティティという現代哲学でも盛んに論じられているところなんですね。人格同一性はどこにあるかというと、一つは身体の時空連続性にあると。もう一つは記憶とかの心の能力にあるんだと。一応こういう二つに説が分かれるんですね。そこからまたいろいろな議論が展開されるんだけれども、森先生のだと古代の日本人というのはここでの身体説にかなり近い。でも、身体説というのは身体が無くなったら人格は滅びるんだと。そんな説ですね。

森：ええ。

高橋：記憶説の場合には魂の輪廻とかは言わないんですけれども、ある時代に突然何百年も前の人の記憶が蘇ったらどうなのかとか、その人は誰だとか、そんな議論をしますね。記憶説によればそのときは蘇った昔の人がそこに居るんだと。そのような説というのは人の死後の話に通じる事ができると思うんですけれども、身体説で死後の話がどこまで語れるのかなと思うんですね。例えば先生の論文にあるように、ヤマトタケルが死んで白鳥になった。しかし魂が白鳥になったのではないんだという時、そのことは一体何を意味しているのですか。

森：ええ。私たちの理解だとですね、身体から魂が飛んでいったと、あるいは魂が肉体から離れたのを白鳥として飛んでいったんだと証言したんだと、言う風に理解をすると分かりやすいんですね。実際にそれに近い理解をしている人もいたかもしれないんです。けれども、記紀にはそうは書いていないと言う事はやっぱり大事な事だと私は思うわけですよね。そういう捉え方を古代の人たちはしっていたからそういう風に記述をしたんだという風に考える他はないだろうというのが私の理解なんですね。

高橋：ではもう一歩進んで、その捉えていたのは一体なんだったんですか？魂が続くのではなければ、肉体を伴った魂ですか？

森：そうなんでしょうねぇ。だけど魂と肉体と二元論で捉えるから私たちはそう説明するんですが、古代の人はそう捉えていない。だから例えばイザナミが死んだ、神去る（カムサル）という言葉なんですが、彼女はどうしたかというと、黄泉の国へ行ったと説明されているわけですよ。そうすると黄泉の国には、彼女の魂が行ったのかというとそうではないわけですね。彼女の肉体も一緒に行ってるわけですよ。それで黄泉の国には腐乱しつつある肉体があるわけですね。肉体はこちらに残って魂だけが黄泉の世界に行ったと言う理解ではないって言う事ははっきりしているんじゃないでしょうか。イザナミの神話に関するかぎりですね。そう考えないと古事記の解釈は出来ない。

高橋：第7章の慶田先生の論文には、盛んに魂の事が出てきますね。打瀬船が魂を運ぶとか。生きている人の魂も運ぶんですね？

慶田：そうですね。

高橋：それで、ここで言う魂というのは何だろうかなあと思ったんですが。慶田先生はどうですか。森先生の論文を読んで、何か自分の書いたものとの繋がりを感じませんでしたか。

慶田：そうですね。一つはタマ、いわゆる二元論で語られないそういったものを違う世界に送る時に具体的にどうやって送るのかというのが気になりますね。魂なんていうのは目に見えないわけだから、そういったものを送るにはたぶん儀礼みたいな、そういった形でしか出来ないものです。つまり何らかの行為として実践されなれなければならない。

森：たぶんですね、それは一つの儀礼として殯斂（もがり）という儀式があって、かなりの期間ですね、死者を、これは身分の高い人に限られるわけですが、棺の中に入れて一定の場所に安置するわけですね。当然ながら肉体の破壊は進んでき、そしてしかる後に、死者をしかるべく葬るわけなんですよね。それが慶田先生のおっしゃる儀礼なんだと思うんですね。その場合に魂はもうどこかに行っているんだとかあるいは体は抜け殻であるとか、そういう風には考えないわけです。だから死体を安置し続けるわけですよ、長期間。

田口：少しわかりかけてきました。

森：この議論はですね、国文学会でも相当議論になるところだと思うんですね｡本当にそう解釈できるのかどうかと。それはもうおそらく文献の解釈の問題があるわけですよ。それと、先程から確かに問題になっているタマとの折り合いをどうつけるのかというのが私のまだ解釈では十分説明が出来ていない。それで、高橋先生は、そこのところを問題にしておられる。それはおっしゃる通りなんですよね｡

高橋：ええ。慶田先生みたいに、生者が死者とある種の儀式によって接触するとかいう時に我々はどうしてもそこにやはり魂という言葉を使わざるを得ないのかなと、論文を読みながら思ったんですね｡

慶田：私がやっぱり不思議に思うのは、例えば「水俣・東京展」の場合、遺影という写真も運ばれるわけです。で、写真はすごく丁寧に包まれてそして梱包されて持って行って、丁寧に受け取られると思うんです。ところがそれが、いきなり「じゃあ魂持ってきました」って言った瞬間に、「えっ、それ、何」という風なものになってしまうのはどうしてなのかという話なんですよ｡「私は魂を持って来たんですよ」と言った瞬間にそれが何かとてつもなく変なもの。一つは何かものすごく神秘的なものか、もう一つは何か非常に未開なものになんか思えてしまう｡

中山：今のことに関連して、お二人にお尋ねします。森先生には、衣女の話のときに出た「カラダ」と「身」という二つの言葉は区別して使われているのでしょう。「カラダ」は何かが抜けて中が殻になったものを、「身」は具体的に心身一体になった存在を窺わせるわけですね？そして、霊肉不分離で冥界に行くのであれば、現世に残るものは依り代のようなものと考えているのかどうか｡

それから、慶田先生には、「魂」というとき、霊肉二元論の魂を意味するのではなくて、「魂」という語で言おうとしているのは、私が理解する限りでは、行動全部をひっくるめた何か、生き方そのもの、存在そのものではないのか。そういうものを受け取ってくれと言っているように聞こえるんですね。「魂」という語で何を言おうとしているかが問題になると思います｡以上、まずお二人に質問します。

森：はい、最初にご指摘くださった点ですね、カラダと身というのは実は日本霊異記の中ではっきりと書き分けられております｡カラダというのは遺体と言った方が分かり易い。身って言うのはですね、生きている身であり、かつ生きるはずの身、身体を言っています。引用の部分では十分示すことができなかったのですけれども、日本霊異記では当然あの話は霊肉二元論で語られているわけですよ｡

中山：そう言うようになったと、書かれるべきだったとおっしゃっていますね。

森：ええ、そうです。書かれるべきだったんですが、問題はその蘇った後ですね、一体誰が蘇ったのだという事が非常に曖昧になっているということなんですよね。そこのところに仏教的な、日本霊異記の考えるいわゆる霊肉二元論で語られた話の中にですね、仏教以前の非常に古い未分化の形での人間観というのが入り込んできてしまっている。それで、還ってきたのは誰かということが非常に曖昧な結末になるわけなんですね。どちらの衣女なのかと。実はどちらの衣女も蘇っていると、なっているんだろうとは思うんですね。

高橋：誰が蘇ったのか決定したのは父母が納得したからというところがとても面白いんですね。たとえば閻魔王とか、そういう形而上学的存在とか神話的存在じゃなくて、我々が認めたから、だから二人ここに存在するんだという。

森：ええそうですね。そうなんです。肉体だけであってもそれはわが娘であり、また、そこに宿っている魂も実はわが娘であると両方の親がそれぞれに我が子というふうに理解を受け止めたということですね。

中山：結局その二組の両親が認めたということは、何か生前の面影とか素振りとかを思わせるものを持っていたということですか。

森：ええ、もちろん肉体はそのままですよね両方とも。そしてもう1人の衣女の方は記憶ですよね。自分を親と見てくれるその子の心が我が子であることのいわば徴ですかね。

中山：二重のアイディンティティを持っていたわけですね。

森：そうですね。そういう意味ではやっぱりいわゆる亡骸ですね。魂は無くなっているはずなんだけれども、肉体があるということが我が子であるということの証であると、やっぱりそこに肉体というものをただの魂の抜け殻とは考えない、古い未分化な形の人間観というのがあるということになりませんかね。

森田：古代日本人の中には、いわゆる遺体を安置したりすることが出来ないような生活をしていた人たちも居たと思うんです。ある時点で誰かが死んでそれが腐乱した状態で放置されているというのも目の当たりに見たりしていると思います。そのような人達の死体に対する考え方は森先生の解釈ではどうなりますか。

森：そうですね。死者を丁重に殯斂のできる人と出来ない人があったにもかかわらず、やはりこうした死に対する、死体に対する考え方というのは古いところでは全ての日本人におそらく抱かれていたんだろうと思うんですね。ただ色んな新しい宗教あるいは思想が入ってきて幾重にも積み重なってしまってますから、日本霊異記の時代にはですね、どれが自分たちの先祖が持っていた霊魂観、肉体観だったのかわからなくなるんだろうと思うんです。そういうある種の混乱が先程の衣女の話に出ていると、理解をしていいと思いますね。

高橋：その話でまた慶田先生に繋がると思うんですけれども、魂という言葉で何が意味されているか、ですが。

慶田：一つは、ここでは魂というのは実際に受け取ったりできるものなんです。どうすればそれを受け取る事ができるのか。それはある決められた、あるきちっとした法則性を持っているというよりは、かなり恣意的で偶然性によるものだと思いますけれども、ある行為をすることによって初めて成立する事柄です。だから行為それ以前に先立って魂というものを実体化して捉える事はできない。実際にこの魂という言葉が水俣で使われ始めたのは、あるいは主題化されてくるのはかなり後だと思います。つまり、政治的な闘争が終わって、一体自分たちの戦いは何だったのかということを振り返っていって、そして自分たちにとって水俣病とは何だったのかという事を語るときに、何か遠い記憶の中で、魂を入れなければいけないとお父さんの言っていた言葉とか、そういった非常に日常的な言葉から、ああ、何か魂という言葉があったという記憶が現在の彼等の生き方を指し示す言葉として出て来るのではないかと思うわけです。だからこれを日本人一般の魂であるとか、そういった形で抽象化はなかなか出来ない。そういったかなり歴史的な問題、あるいはそういった関係性に密着した概念であるとは思います。

中山：もう一つ関連してお尋ねします。死に関する意識の古層という点ですが、森先生の論文の中で、たとえばヨミガエリとか、山隠り（やまがくり）、雲隠り（くもがくり）、それから白鳥になるという辺りは、例えば自然、宇宙、あるいは天という意識の古層にあるような概念との関係で考えてもいいのかどうか、が一つ。慶田先生に対しては、石牟礼さんが言う、意識の古層に関する話は、どういうところに要点があるだろう、と考えるわけです。それから、田口先生に関しては、「長い中断の後で復活した自然葬」というとき、古い時代の死と自然、あるいは葬法と自然との関係が復活したのであれば、死の葬送に関する古層にあった自然との関係を、どういうふうに考えておられるのかということです。つまり、古層に関して3人にお尋ねしたいのです。

森：そうですね、大変それは難しいのですが、万葉集を読んでみますと、天皇か、あるいは皇太子、非常に特別な人たちについてその死を表現する時には、天の観念と関連付けて歌われるという事が多い様に思います。それはやはり天孫降臨の神話を歌人たちが念頭におきながら天皇の死を高天原に帰っていったというふうに理解をする、そういう歌い方だろうと思うんですね。その天の観念は新しいものなのかどうなのかというと、よく分からないんですが、まあ新しいといって良いかと思います。古いところでは黄泉の国に行くというのが死に対する考え方です。ただそういう言葉はタブーですから、避けて岩隠りとか、山隠りとか雲隠りとか抽象的なあるいは間接的な表現で説明をするんですね。

慶田：古層というのは、私の言葉でいえば起源になるのかもしれません。私がここで主張しているのは、ある行為に連続性を見る、魂なら魂に個体間の連続性を見るということを出来るだけ否定したいというか、もっと行為それ自体に目を向けたいということなんです。何か魂というと、古代からのある種の連続性って言うものをどうしても連想してしまう。石牟礼道子さんも、例えば自然を非常に神秘的な形で語ろうとしますし、その時にそこには何か日本古来のものというのがイメージされる感じはします、どうしても。おそらくそういう読みも可能ではないかと思いますが、重要なのはやっぱり近代ということだと思います。近代というものはそういった一つの連続性というものを完全に破壊していますから、もう元には戻れない。なにかそういった経験でもあるわけですね。水俣病の経験というのは真にそういう経験だと思います。しかし、我々はそういった近代の中で、脱中心化してしまった個というのが生きていくために、作っていかなければならない一つの生の形として、過去が存在するのであり、過去をもう一度語りなおす必要があるのです。例えば一般的に語られてきた水俣病というものとはまた違う別の語り方でそれを語っていきたい。と彼等はそう言っているわけですから、そういった時に出てくる伝統とか自然というのは、過去とは全く同じものではありえないし、連続でもない。ツギハギしていくような、そういったアイディンティティのようなもの。いわゆる水俣の経験っていうのは、そういった意味ではある種の連続性を逆にいえば拒否しているような、そういった概念ではないかと思いますね。

中山：ふむふむ、それは面白いですね。

田口：自然葬の場合、長い中断の後の「復活」として捉えられる面もある、と言ったわけですが、その場合に日本人の意識の「古層」というものが、今も連綿として続いていて、その儀礼行為のなかに見て取れるかどうかは非常に難しいところだと思うんです。遺灰を山野に撒くということはかなり古い時代、淳和天皇の時代にされたという記録があるらしいし、それから万葉集にも遺灰を山野に撒く内容の歌が残っています。そういうのが、現代人の意識の古層に繋がる自然葬への親和性として理解できるかもしれませんね。

中山：ええ、お尋ねしたのは、墓地不足とか、非常に現実的な理由の陰で、自然葬が比較的受け入れられ易い葬法だとすれば、歴史的に昔もあったという事がその理由になっているのかなということなんです。

田口：歴史的にそれがあったという事実を知ったから、というよりやはり自然に対する眠っていた意識、自然に抱かれたい、自然に合一したい、自分という人間は自然から生み出されてきたのだという意識が覚醒したといってもいいのではないかと思います。人間が自らの欲望のために利活用する対象としての自然ではなく、人が死後もなお形をかえて生きつづける他界としての「大いなる自然」なのです。

高橋：山とか、海に撒くとか、あるいは樹木にでしょ？大体、これは慶田先生は嫌がるかもしれないけれども、私はね、近代と伝統というのはそんなに簡単に乖離してないと思っています。山、海、樹木というのは昔からやはり神様に近いところだったと思います。山には神が宿る、海のかなたには観音菩薩のすむ補陀落（フダラク）があるとか、ニライカナイの神様が居るとか、あるいは樹木の精とか、そういう何か我々の古層にある死生観のみたいなものがここで復活しているのかなあと思っているんですけれどもね。例えば、砂地なんかには撒かないでしょ？やっぱり命のあるところ、そういうところを選んでいるというところに何かがあるんではないかと思うんですね。

森田：私は、ただ単に墓が足りないという理由から離れて、純粋な気持ちで神が宿るような、海であるとか山であるとか、ある意味でその人にとって聖なる地に帰りたいという純粋な気持ちの発露から自然葬に賛同すると考えたいのですけれど。

森：ちょっとお聞きしたいのはですね、どうして遺骨とか遺灰だけにこだわるのかなということです。例えば古代の人たちは火葬の煙に、常に目を向けるんですよ。今の遺体の処理の仕方とは煙の出方も違うんでしょうけれどもね、その立ち上る煙を亡き人のよすがというふうに見る。煙も自然の中に還っていくはずなんですがね、あくまでも遺骨遺灰にこだわる意識がですね、それは何なんだろうかとね。たぶん遺骨にこだわってきたここ数百年の伝統なのでしょうかねぇ。どうですか。

田口：こだわり方といっても、例えばそれを墓に入れてこだわるこだわり方と大分違うように思いますね。スケールの大きさの違いともいえますが、もっと重要なのは、自然葬を選ぶ人は、骨自体はとけてなくなる、とけて「大いなる自然」と一体化する、と思っているふしがあります。遺骨をいつまでも保存しようという意識は皆無でしょうね。

森：ああ、なるほど、それはわかりますけれどね。

高橋：一ついいですか。私ごとなんですが、私もある公園の一つの大きな樹が非常に気に入って、死んだら密かに骨を撒いてくれと家族に話してあります。それは骨が、やはり樹の栄養になるというようなそんな考えが自分の中にあるんですね。その栄養になって吸われていく、そして樹の幹を作って葉を作ると。煙ではやっぱりそうはいかないだろうと思うんですね。

森：ああそうですか。うーん。

慶田：何でそこでなんか大層なものに、古層までその行為を結び付けて説明しなければならないのかというのが、よくわからないですけれどね。

高橋：でもすぐ切り離したがるというのもね。（一同笑い）問題かなあと思います。石牟礼さんなんかもやはり結びついているでしょ？古層と。

慶田：いやいやそれは違うんですよ。石牟礼さんの場合はゴミ焼き場でしょう、結び付いているのは。だから、それがまた水俣という形で、その経験を特定化することに緒方さんたちは反発している。起源をそこに想定していき、そして「貴方の経験とはこういうものですよ」と外側から、こういうふうに語られる事自体に対してですね、別に、それとは違う生き方があるんだという、

高橋：分かってます。言いたいことは。だからね、そういう事をやりながらもやはり、ある部分は古層によって、規定される　（一同笑い）　というふうに思うんですよ。

慶田：やっぱりそれが一般的すぎるので、ブチブチブチブチ、こう切りたくなるんですよ。　　　（一同大笑い）

高橋：ええ。その気持ちは分かります。ところで田口先生の論文で、自然葬の大事な問題というのは墓を作らなくなるっていう点かなあと思ったんです。そこまでいく自然葬は、これは生者と死者の間の対話を家族だけに限定してしまうんじゃないかと思うんですね。また、墓が無いという事になると、対話自体がどういう形で行われるようになるのでしょうか。

田口：その場合、墓は象徴であって、ご先祖自体ではないですね。その意味でなら、自然葬の賛同者にとっては海全体、山全体がご先祖の大きな墓といえるのかもしれませんね。その前に立って手を合わせて対話することはいつでもできると考えるでしょうね。世界の海は繋がっているんだから、世界中どこの海の海辺に立ってもね、ここに故人が眠る、という言い方をするんですけれども。親子、孫、それから友達とかでね。

高橋：その場合にね、かなり強固な生きている人同士のネットワークが必要なんじゃないかと思うんですよ。でもこの論文で強調されるのは、無縁の縁と言う弱いネットワークでしょ？ほんとに強固な人間的な絆があった場合には墓なんか無くてもいいと思うんですよね。皆で色んな事語り合いながら思い出しながらね、ずーっと語り継いでいくと。そういうこともない、とすると、それが果たして生と死、死生観として我々が描くべきイメージなんだろうかと、疑問に思うんですね。

森田：しかも、撒くのは遺灰の一部分ですよね。大部分はお墓か何かに収めることになりますか。

田口：いえ、その場合に、撒灰されない残りのものは火葬場で産業廃棄物として捨てられていくんです。撒く分についてはある一定の儀礼が伴います。

森田：私は儀礼とか行わずに自然に帰す、その方が本当に自然葬らしいと思います。

田口：その儀礼に関わった人たちが記憶を皆で共有してくという、儀礼の持つ意味合いというのがあると思いますね。それについては、慶田先生どう思われますか。

慶田：儀礼というのは一つの行為ですよね。で、それは目的を持っている。しかし、実際はあまり根拠の無い行為に見えたり、何か変なものに見えたりするのをただ単に儀礼と呼んでいただけで、取り立てて儀礼として語る、そこに何か重大な意味をもたせる必要なんか無いと思いますね。何で儀礼にすごい意味を紡ぎだしてしまうのか不思議ですよね。

高橋：慶田先生が研究しているのは、儀礼の研究じゃないんですか？

慶田：だから何でそんな余計なものがくっ付いてしまったのかというのを剥ぎ落す研究なんです。

中山：慶田先生にお尋ねします。そういうふうに意味付けというか、重みを背負ったということは剥ぎ取りたいとおっしゃるんでしょう。しかし、論文の中で「生の形」を盛んにおっしゃいますね。これは拝見する限り、常に不断に生き直す行為として考えられているでしょう。生活は形骸化するものではないですよね。

慶田：ええ。

中山：でも、その観点からすると、儀礼を形骸化した生の形というふうにお考えなんですか？

慶田：いや、それは違いますけど。私は言語みたいなものだと思うんですね、そこでやってることというのは。言語は基本的には恣意性を原理として作られているものですよね。人間の一つの行為も同じように、そこで何らかの形で意味が作り上げられていく時には必ずその恣意性を原理にしている。恣意性を原理とした一つの意味世界が成立している。今おっしゃっているのは、その時に、そういった言語の内部にある特殊な言語があって、特殊な意味領域とそうではない普通の意味領域があるというふうに聞こえるわけです。行為のレベルにおいても、基本的に儀礼と呼んでいるのは、ある言語の一部分だけを切り取ってここに何か特殊な領域があるというように言っているように聞こえる。でも実際我々がやっているのは言語を使ってコミュニケーションをやっているだけではないのか。それと同じように儀礼が我々にとって異常に見えるのは、初めてアラビア語を聞いたときに異常に見えるのと同じようなものでしかない。

高橋：うん、でも実際にアラビア語と我々の言葉とは違うでしょ。いわゆるヴィトゲンシュタインの言語ゲームという概念を使えば、そういう儀礼的なのは儀礼的言語ゲームとして成立してるといえる。で、それは我々の普通日常に理解しているものとは違う意味体系を持つ、こういうふうにヴィトゲンシュタインならば説明しますね。

慶田：そうですね。

高橋：それで、その言語ゲームの根拠はというと無根拠だと彼は言うでしょう。彼にとっては数学の言語でさえ無根拠なんだから。それでも儀礼的言語、日常的言語、こういう立て分けは当然ありますね。

慶田：うーん。たぶんそれはそういった区別がないと人間生きていけないと思うので有るとは思うんですが、それを固定化して、そこへ全てを回収していくようなものとは違う。もっといえば、儀礼というのはその変化を確かめ様がない。書かれた一つのテキストというのは常に何か変化が起こると、必ずその文字資料を使って変化を検証していく事が出来るんですね。ところが儀礼というのはそういった変化を確認しようがない。例えば自然葬の時に、この前のは右手で骨粉を撒いたような気もするけれども、左で撒いてもいいのかなとか言う風なことは検証しようが無いわけですよね。そこで「いや俺は左手で撒くんだ」という感じで撒いたとしても、それはそれで一つの自然葬の在り方だといってしまえば成立するわけですよ。

高橋：うん。まあたぶんそこでは、1人でやっても意味がなくて、複数の人がして、そしてそれが実践として定着していくというのが肝心な事かと思うんですよね。

慶田：そうですね。それはおそらく確かめようのない変化が常に起こっている、そういう領域ですね。ですから常に解釈されているんだけれども、儀礼という行為自体はむしろそこから常にズレていく。そういうふうな生の言葉というか形ではないかと思います。

高橋：さっき森先生の話でもね、我々の古代人の死生観というのは自分たちにも一体なんだか分からないというような、状況にあった、そうおっしゃったでしょう。

森：ええ。

高橋：だから、ある儀礼なんかがあっても古代は古代として固定しているのではなくて常にやっぱり動いてる。

慶田：変わっている。

高橋：古代人もそうした中で生きていた。それは現代でもやはり同じような事が言えるんであって、あんまりこの今の現代を古代から切り離すとか、近代だとか言ってスパッと切ってしまうのにかなり抵抗を覚えるんですけどね。

中山：切ったつもりでも残っているものがあるということでしょう、高橋先生が言われるのは。私も、あるような気がしますね。

田口：例えば、他界観念もそういうものでしょうか。

高橋：ええ、例えば生者と死者の間のやり取り、相互性みたいなもの。私の論文もこれが基本なんですが。これはどうしても残ると思うんだけど。

中山：それは結局は民族の文化とかね、そういうものの根本にあるわけでしょう?

高橋：ええ。それは決して固定したものではないにしても、葬送儀礼として共通する。死生観もどんどん変わっていくそういう中で何千年も我々は生きてきたと思うんですね。その一つの形態がこの水俣の打瀬船の魂観かなと思うんです。

中山：さっき言語の話が出ましたけれども、例えば国語というものは変化しながらも受け継がれていきますが、それが伝統を全く切って新しくなることはありえないわけでしょう？「生の形」というヴィトゲンシュタインの概念自体、（哲学では生活形式と訳されていますが）言語と関連しています。言語は生活の中に根差していますし、生活は言語によって組織化されて形を与えられている。「生の形」はその両面を含んだ概念ですよね。そうするとやはり言語自体がそういう伝統を含んでいますから、何か残るんですよね。脈々と何か繋がっているものを、言語自体が含んでいるわけですよ。

慶田：しつこく残るのはあると思うんですけれども・・・

中山：言語学的な言語ではなくて、言語活動でしょう。言語活動というのはもう生活それ自体ですよね。

高橋：慶田先生は活動として水俣の経験も言いたいわけでしょ。まだ活動中、まだ生まれつつある経験。

慶田：それはでもその過去の連続、悲劇の連続みたいなもの、そういう物語ではないですね。そういった形で常に外部から規定されてきますが、それとは別の生き方みたいなものとが拮抗しています。

田口：過去との連続性に関してですが、他界観念は自然葬の賛同者にもあるように思われます。ところが、祖先祭祀は縦関係の意識が非常に強いのに対し、この自然葬をやる人たちはむしろ死者と生者が、体験記憶を共有した水平の関係になっているように思えます。死ぬのはどちらが先か後かというのはありますが。

中山：そこを読んでいてね、いろいろ考えたのですが、それは確かに新しい関係付けでけれども、水平というのは同時代的な感じがして、では未来世代との関係はどうなるんだろうと思ってしまいます。それから、縦の関係というのは「しがらみ」として断ち切りたいわけでしょうか？

田口：いや、縦の関係って言うのはあれですよ。例えば親族の繋がり、記憶を必ずしも共有しない人たち、ですね。

中山：それを離れて絆の方へ編成替えをするわけですね。それは時代の傾向としてわかる気もするんだけれども、縦の関係を離れてしまうと、デラシネというか、流民化するというか、基盤喪失の感じがしますでしょう。

田口：いや、系譜の記憶はあるのです。それがなくなって無縁の人々のネットワークだけになるということではないのです。実際、子が親の、孫が祖父母の、甥がおじおばの自然葬を実施しますから。しかし、それが半ば神格化されたご先祖としてイメージされるものではないという点が興味深いと思うのです。権威主義的でないという意味において水平的、人間死ねば自然に還っていってみな平等だという考え方です。

中山：ああ、そういう水平ですか。ただ、死者との関係はそれだとしても、コスモポリタン的な横の繋がりというのは「無縁の縁」ですね？そっちの方で水平的に広がっていくわけですね。

田口：各々が無縁の縁だけで生きているということではないのです。むしろ親子、きょうだいなど、肉親が仲良くないと自然葬は実現しないのです。その上で実施を応援するのが無縁の縁の人々であるということです。それは場合によっては地球的広がりを持つかもしれません。国外で自然葬を実施する場合などそのような援助が必要になしますし。

慶田：ただすごい境界はあるような感じがしますよね。つまり中山先生がおっしゃったような形でデラシネ化して横にどんどん広がっていけばいいかなと思いますけれども、なんかそうはならない。その境界って言うのは何なんでしょう。インターナショナルな感じでどんどん増えていくという、そういうネットワークともちょっと違う感じがします。

田口：自然葬でどういう関係の人たちがやりあうかというと、親子、兄弟、甥姪とおじおばの関係、その辺までの広がりですね。子供さんがいないおじさんおばさんを、甥や姪がやってあげるということがあります。そこが一番外延でしょうか。

高橋：無縁の縁ではなくなりますね。

田口：無縁であったはずの人が自然葬を契機に縁の間柄になる、これが無縁の縁という意味です。

高橋：それではどういう意味なんですかそのネットワークは、死者にとって。

森田：生者にとっては意味があるでしょうね。

田口：今や遠隔地居住する親族に代わって自然葬を実施する手はずを整える役割を果たすという実際的意味があるでしょうね。といっても死者にとって全然意味がないわけではなくて、生前自然葬の場に居合わせた経験がある人なら、自分もこの人たちも、ともに同じ「自然に還る」人なんだなあと思うことでしょう。それだけかもしれませんが。

森：生者というのは送る側ですか？姪とか甥とか、

慶田：それは生者のネットワークで死者のネットワークではないですね。ほんとに無いんですか、死者のネットワークって。

田口：死者のネットワークがあるかどうかは確かめようがないですね。ただ、死んでから一緒に会おうという感覚はあるから、そういう意味ではあるかも。他方、生者のネットワークといっても会員のあいだで濃淡があるでしょう。それは他の社会でも同じことです。

森：けれどもその縁はですね、その自然葬だけによって繋がっていて、普段の生活、一緒に酒を飲むとかそういう事は無いんですね。

田口：それは酒飲む事くらいはあるでしょうけれども、普段日常的に酒飲む事は無いでしょうね。だから、なんていうかな、かなり個人主義的ですね。

高橋：それと関係してですが、この話が自然との共生を言いながら、死後の自己決定権を主張するというのがね、なんとアンバランスの妙というか、面白いところですね。自己決定権を主張していくと、結局まあ個人主義とか自由主義の世界、そして人間関係はというと密接じゃなくて希薄のといった関係が生まれてくるでしょ。普通そこから自然との共生よりもむしろ自分の好きな事をやる、快適空間を作るとか、バーチャルリアリティを楽しむとか、あるいは例えば生命倫理だったら色々な遺伝子治療や生殖医療に賛成するとかね、そういう傾向性があるんですよね。するとここでは自然というのがなんかアンバランスな形で結びついているんですね。だから何というか、自己決定権を認めるというのはよいのですけどね、これがマジョリティにならない、というふうに思うんですね、このままでは。

田口：庶民に限れば、墓習俗を日本人が固く守り続けてきたということは、日本の社会は江戸時代を引きずっている近代初期にあると捉えられないこともないですね。この組織のリーダー層は、葬送習俗に関しては近代への脱皮を図らなければならないという課題を負っていて、法的規制に抵抗していく必要上、戦略的に「自由」や「自己決定権」という法概念を立てざるを得ない、という事情があるからだと私は理解しています。しかしそれ以外の人たちは少なくとも日常的には自己決定権とかいう言葉を使わないですね。ほとんど。一般会員の人たちが多用するのは、むしろ自然への回帰ですよ。自然に還ろうっていう言葉です。だから、使う言葉が違うんですよ。こちらは脱近代です。市民運動としては近代的理念に到達することをめざしつつ、一般会員の世界観と感情はポストモダンといえるかもしれません。そこにズレがありますが、それも運動の戦略的使い分けでしょう。

高橋：それならば、無縁の縁というのを個人主義的に解釈しない別のネットワークを考え始めるかも分かりませんね。それは自然を媒介としたネットワークとでも言ってもいいわけですね。

田口：そうなるかもしれません。次の段階においては。

高橋：まあそれでもどれだけ強いものになるかについては今は未知数、

森：絆という言葉を使いましたからね

田口：時々交流会というのがあるんですよ。交流会では皆意気投合するみたいですね。

高橋：生まれつつある儀礼に対して色々な解釈をするのは慶田先生すごく嫌がるかもしれないけれど、でもやっぱり何か解釈分析してみないと、何が起きてるかよく分からないというところもあります。

田口：交流会というのがありますね。交流会、それからツアーを企画して海外旅行も参加者を募集して行くようですよ。

井田：素朴な質問ですが、私は今、自分で自分の医療を決定するホスピスの現場にいて、約１０年間で約1000名近くの方の看取りに関わってきました。実際、その自然葬を自分で選ばれた方には、まだお一人しか出会っていません。自分で葬儀を決めたりする中で、この自然葬についての情報が、まだ十分に普及していないためなのでしょうか。今後、私たちが自然葬に関連する話題があったとき、そういう方法もあるんですよというコメントすると何か変わってくるんでしょうかね。

田口：情報がまだ徹底してないんでしょうね。

井田：本人の意向ではなくて、家族の意向の中で自然葬が行われる例もあるんでしょうか。

田口：本人の意向でしょうね、まずは。

井田：自然葬は、お骨になってしばらくたってなさるんでしょうか。お別れの会というのを全くなさらないで、お骨を撒いたりするのですか。

田口：お別れの会はやってるんでしょうね。やらない人も時々いますね。

井田：家族は、やはり一周忌、三周忌、七周忌とか、そういう法事も

やはり営みながらですか。

田口：そこまではよくわかりません。

井田：お骨をどう取り扱う、ということが中心なんですね。

田口：そうです。第一次葬が通夜や本葬の意味だとすれば、自然葬は第二次葬的な意味合いがあるでしょうね。固定したお墓を作るか、作らないかという、そこの選択肢になりますね。

井田：従来の儀礼に対する否定的な意味で、自然葬であるのかもしれませんね。

田口：そういう意味があり得ますね。

佐谷：出来上がったシステムに対する抵抗感が今の人たちにはありますから、その抵抗を示す一つの形として自然葬を行う。つまり肯定的な意味ではなく単に否定的な意味での自然葬があるような気がしますね。

田口：お仕着せのはやりたくないという意味では、たしかに。

佐谷：皆さんのお話を聞いていて考えた事ですが、生物の中で人間ほど死者が残った者にとって重い意味を持つ生物はないということです。その重さをどう終息させるかという事に儀式の意味があるのではないかと思います。ですからその死の形が悲惨であれば悲惨であるほど、儀礼は複雑になるような気がしてならないのですよね。つまり、死を終息させる時の行為は、手続きがものすごく面倒くさいということをみんな知っていますから、出来れば残っている人たちの手続きをできる限り軽くしてやりたい。それが、自然葬を行う理由の一つではないでしょうか。

田口：それは強いですね。それは共通点ですね。重荷を負わせない、というですね。残された者に。

井田：葬儀の前後というのは、非常に慌しく、ゆとりがない状況です。

田口：自然葬をするのはたいていは葬儀の後で、一時おいてからですね。数年おいてからとか、そういうのもありますね。世間のなわらしに従ってお墓を作らざるを得なかった周りの圧力がありますね。その時に、頭の片隅にね、「いや、取っとこう」という具合にして分けて取っている人がいるんですね。自分の身近に置いといて、それで後に自然葬を実行する人もいます。こっそりとっておくのですよ。

井田：それは結局は、お墓との関係が関わってくるのですね。

田口：ええ。残された者に負担を掛けたくないというのが共通してあるところですね。

高橋：まだ議論し残した点もありますが、時間になりましたので今日はここで終わらせていただきます。第?部から第?部まで、長い時間どうもありがとうございました。

テープ起こし　渡邉愛（文学研究科修士課程）

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