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活動内容

【社会連携】シャンソンと映画、詩人と映画

2013.07.05

6月27日と7月4日の講師は詩人の庄司祐子さんでした。

 ・シャンソンはフランス映画のうた (6/27)
 ・詩情が映画を美しくする (7/4)
 
6月29日にBAHIA で開かれたシャンソン発表会の様子も交えて、講義内容を紹介します。
 
(庄司祐子詩集『和田浦の夏』はこちらから→ 
 

《シャンソンはフランス映画のうた (6/27)》
 
前回の辻先生の授業の一部ではグレン・グールドが弾く「ゴールドベルグ変奏曲」、「アヴァマリア」、木村弓の「いつも何度でも」等を聴かせていただき、聴覚から感じられるもの、音楽の力に触れることができました。
 
今回はフランス映画とフランスの「歌 」(=シャンソン chanson)についてのお話です。
 
シャンソンとはフランス語で「歌」の意味です(参考:日本シャンソン協会)。
民謡からオペレッタ、更にはロック・ラップまでフランス語の詞のついた楽曲はシャンソンと称されます」とのこと(そのうえでいろんなジャンル分けがなされているよう)。
 
つまり、最近ヨーロッパで流行っているフランス人歌手ZAZの歌も、シャルロット・ゲンズブールの歌うフランス語もシャンソン。
 
とはいえ、日本語でシャンソンと聞いて思い浮かべるのは、もっと古い世代の歌ではないでしょうか。
授業で取り上げられたのは1930-1961年の映画に出てきた曲でした。
 
 
①『巴里の屋根の下』1930「巴里の屋根の下」A.プレジャン
②『巴里祭』1932「巴里恋しや
③『モンパルナスの夜』1933「哀訴」ダミア
④『望郷』1937「モンマルトルの挽歌」フレエル
⑤『巴里の空の下 セーヌは流れる』1951「巴里の空の下」ジャン・ブルトニエル
⑥『フレンチ・カンカン』1954「モンマルトルの丘」コラ・ヴォケール
⑦『赤い風車』(米)1952「ムーラン・ルージュの歌
⑧『かくも長き不在』1961「三つの小さな音符」コラ・ヴォケール
 
 
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歌詞、映像、音楽、そしてストーリーが融合するフランス映画から、説明的な台詞から得られる理解とは異なる理解に達した人も多かったようです。フランス語の勉強を始めたばかりの学生にも刺激を与えていました。
 
どの曲が好きだった?という質問には「巴里の屋根の下」「巴里の空の下」「モンマルトルの丘」といった明るい曲を選ぶ人が比較的多かったです。
一方、ダミアの「哀訴」も「どこか圧倒するものがあった」「暗く静かでありながらも、力強い歌声が映画自体の雰囲気をよりはっきり感じさせてくれた」というような局所的人気を博しておりました。
また、記憶を失った愛する男の前で女が流す曲であり、授業の最後に庄司さんが日本語で歌ってくれた「三つの小さな音符」も強い印象を残したようです。
 
私は『望郷』でフレエルが歌う「モンマルトルの挽歌」が、非常に母性的な優しさを感じて好きでした。場面的には暗く悲しいのですがね。学生にはあまり人気なかったよう。。男に逃げられたり、アルコール・コカイン中毒、自殺未遂など、フレエルは一度歌手として消えてしまいますが、その後リバイバルを果たしたそう。
そんな実人生に重なるように、落ちぶれた歌手で娼館の女将タニアを演じる彼女は、蓄音機から流れる若い綺麗な時に歌っていた歌にあわせて歌い、涙を流します。彼女の太った姿や顔に見られる業、そしてそんな彼女にタニアという役をやらせる監督の業が感じられるという庄司さんの解説と相まり、強烈でした。
 
10代、20代では自ら手に取ることはなかなかないかもしれない大戦前後のフランス映画とシャンソンですが、椎名林檎カバーの「枯葉」(曲: ジョセフ・コズマ/詩: ジャック・プレヴェール/唄: コラ・ヴォケール等)あたりから聴いてみるのもいいかもですね。
 
 
[学生のコメント]
・どういう音かはっきりしないし苦手な「r」の発音がたいへん魅力的に歌い上げられていたことに感動した。
・「パリの屋根の下」は素朴な恋愛の歌詞だがフランス語やメロディと合わさって今まで見たことのない雰囲気があった。
・「かくも長き不在」は戦争を描かずに、戦争の治らない傷跡を描いた作品ということでとても心に残った。後頭部の傷がナチスによる脳手術のものと知り、悲しくなった。ダンスをするシーン(「三つの小さな音符」)はとてもよかった。切なく、悲しかった。
・言葉もなく映像だけでナチスが行った行為を見せるというのは、とても考えさせられるものでした。逆に言葉があったら、あの映画が持つ力は弱くなってしまったのではないかと思いました。
・台詞がなくても、歌がその様子を反映していることが多々あり、場面を思い浮かべたり理解しやすかった。
・「パリの空の下」に癒され、穏やかな気持ちになれました。歌手の方々も美しく、人びとをひきつける魅力を感じました。先生が歌ってくれて、無数の星空の下で聞いているような気になりました。
・今日聴いたのも何かの縁なので、Youtube で原曲を聴いてみたい。
・これまで見てきた映画とは違い、何か強いメッセージを伝えるというよりも音楽や踊りを通して美しさを題材としているところが、いかにもフランスらしいと思った。分かりにくいものから何かを引き出すことは大切だと思った。
 
 
 
 
《ベル・ヴァガボンド発表会  (6/29)》
 
熊本上通りのBAHIA で開催されました。
 
庄司さんは授業でもご披露いただいた「三つの小さな音符」とダミアの「かもめ」を聴かせていただきました。特に「かもめ」の迫力はすごかったです!もう一度聴きたい。
 
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《詩情が映画を美しくする (7/4)》
 
「詩は出会うものだから」
 
この日心に残ったのはこの言葉です。
誰の詩が好きか、どの訳が好きか、表現の好みは選べるけど、出会いは確かに選べないな。
 
この前、庄司さんが出演していた「パブロ・ネルーダを思い出す」でも詩との出会いがありましたが、前回と今回の講座でも色んな詩、そして詩情との出会いがありました。ひとつの詩からひとつの映画に、音楽に、異なる場所に、そしてまた誰かにつながっていけたらいいですね。
 
講義では、アニメーター・映画監督 ポール・グリモーと詩人ジャック・プレヴェール(『天井桟敷の人びと』脚本など)による『王と鳥』、そして『やぶにらみの暴君』が紹介されました(原作:アンデルセン「羊飼い娘と煙突掃除人」)。
 
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[その他紹介された映画(短編傑作集『ターニングテーブル』より)]
 
・『ダイアモンド』←あの侵略者はほんとに怖かった…まさか傘が…。音がまた怖かったです。
 
・『小さな兵士』←第二次大戦後にできたお話。泣けます。グリモー雪だるま登場。が、悪役の最後のシーンが、短いながらも悲惨で欲望や死の生々しい感じがして、またまた怖かったです。
 
・『大熊座号の乗客』
・『かかし』
 
 
「ジブリの原点」とも言われているようです
 
プレヴェールについて詩人・谷川俊太郎も語っています。
講義では、高畑勲訳の「朝の食事」(ジャック・プレヴェール)の朗読もありました。   
 
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[朗読された詩(一部のみ)]
 
「夜のパリ」ジャック・プレヴェール/小笠原富樹訳
「Sensation」アルチュール・ランボオ/金子光晴訳 (トルコ映画『蜂蜜』に挿入)
「夜になると蛙は」レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳
「悲しみの後で」ウンベルト・サバ/須賀敦子訳
 
 
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希望者が持ち帰れるようにと、庄司さん発行の LARGO(No. 10-14)を出入り口近くの机に積んでいた。バイトなのか、帰りを急ぎ出入り口に殺到する若者たちのほとんどは、積まれたLARGO をチラ見しながらも手に取ることなく去って行った。そんな中、詩情など解しそうにない風貌の男子学生(完全に私感です)がひとり、極めて素早く手を伸ばし、ささっと一冊バッグに入れて、ささっと廊下へ出て行った。
彼にも今日、詩との出会いが訪れたのかもしれませんね。
 
 
この日は庄司さんの旦那様である熊大理学部数学教室の井上先生が、映像を流すお手伝いをしてくださいました。数学者と詩人、う〜ん、ロマンチック。
 
 
 
追記:
陶芸家の山幸さん、阿蘇在住で作家の吉田優子さんが聴講においで下さいました。
庄司さんのお友達で、それぞれシャンソン発表会、パブロ・ネルーダの会でもお会いしました。
熊本の身近なところにも、モノを創ったり、文章を書いたり、絵を描いたりするプロフェッショナルな方々がいるということに、急に気づく昨今です。
 
 
 
(香室)
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