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【研究室】地震ストーリーズ⑦ コラム編:地震から2ヶ月

2016.06.15

本日6月15日、地震から2ヶ月が経とうとしている。14日御船町ではスポーツセンターに開かれた集会に多くの人が集まり、地震発生後の写真を共に観て語り合っていた。集まった人たちが涙ぐんでいる姿をみると、長かったような短かったようなこの2ヶ月が思い出され、ぐっときた。余震もかなり減っており、自分がほぼ普段の生活を送れているがために、あんなに騒いでいたにもかかわらずすでにやや他人事になっていることに気づく。そして、そのニュース映像と共に何度も流れていたのは仮設住宅の不足である。

うちや研究室はありがたいことに住まいに大きな被害はなかったが、アパートを引っ越したり実家の一軒屋に住めなくなってしまった友人が複数いる。また、家族の怪我や仕事場の損壊で職場と居住地が変わった人達も知っているだけで数人いる。今日も近所のケーキ屋の解体工事が行われていた。従業員の人たちはどうしているのだろうか。

職場が無くなり職を失った人も多いし、反対に熊本市外や県外から建設業者や保険会社に雇われたタクシー運転手が働きにきていたりする。ということは、総数としてはかなりの数の人々が移動し、日常生活に変化が生じていると考えられる。それらの人々動きや変化は周りの人々にも影響するため、地震前の生活に比べるとコミュニティのあり方が変化していることは確かである。市内の人の流れも変わっているため、車の渋滞地点や時間も変わり読みにくくなった。震災に伴うこのような変化を、私たちはどう感じ、どうやって何とか対処しているのだろうか。

今回、人類学研究室の院生たちと協力し、各自でボランティアに参加したり、友人・知人を助けたり、直接モノを届けるということだけではなく、広く当事者の一部として経験を率直に語り、集め、記録することを試みている。これが誰にとってどういう意義をもつか分からないが、もう少し続けていこうと話している。

そして、県内外の友人・知人・親戚がいまもメールをくれたり気づかってくれて、感謝の気持ちでいっぱいである。ポップアフリカでライブをしてくださった松田美緒さんもその一人であり、8月にまた熊本に来れるかもしれないそうだ。嬉しい。一方、人間はなかなか歴史に学べない生き物であり、今回の地震でも人間の悪の相や、不信感や恐怖にかられる姿が多く見られた。窃盗や詐欺(私たちが仕事・研究している部屋にも住宅関連の詐欺電話がかかってくる始末)、学生ボランティアへの中傷、嫌がらせなど、それを行う人たちもなにか大変だったり、真剣だったりするのかもしれないけれど、直接の地震の被害以外での傷つけ合いも多かったように見える。今は仮設住宅に住める住めないという話で、住める人の中には嬉しいながらも罪悪感を感じるという人もいる。

最近、水俣に行くようになり、色々と勉強させてもらっているが、水俣病事件においても同様の事が起きていた。患者や水俣市民はチッソが海に流した有機水銀からの被害だけではなく、周囲の人々による感染するのではないかという恐怖や、チッソが解体されたら職を失うという不安から生まれる差別、誤解、不当な批判、嫌がらせ、補償金の使用をめぐる騒動に長い間さらされてきた。身体の痛みや不快感と日常における社会的痛みはどちらがより痛く、「リアル」なのだろうか。人はそれらの痛みをどう癒し、回復するのか、あるいはどう痛みと共存したり、跳ね返しているのだろうか 注1)。

人類学を学ぶものとして何ができるのかは分からない。何が当事者にとっての救いであり、納得いく地点なのかもいつも分からないままである。しかし、「他者」から学び「自己」を再帰的に見つめる方法論を重視してきたからには、分からなくても考え続け、自分なりの答えと実践を絞り出し続けねばならないのかもしれない。また、地震によって家が全壊したわけではないという意味では被災者ではないが、けっこう各々大変ではあった私たち研究室関係者の微妙なポジション。「当事者」と「部外者」の狭間に置かれた引き裂かれ・揺さぶられ状態が学生に多く見られた。いつも「他者」と「自己」を切り離す事ができるわけではないのだ。「他人事」はいつか自分にふりかかり、いつか同じ側・状況・心情に置かれることもあるという可能性を頭の隅においておく事は、今後調査をしていく上でも重要であるように思う。長文になってしまいました。(香室)

 

★参考ウェブサイト
西日本新聞:熊本復興 誓いの祈り 地震発生から2ヵ月 2016年06月15日
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/251954

注1)水俣におけるひとつの答えは、水俣外の全国の人々からの支援だったようだ。ある方によると、熊本市のYMCA や他県の大学生支援者といった同世代の若者たちとの暮らしや笑いがとてもよい思い出になっているそうだ。リハビリ中には手紙が届いていたという。当時、水俣には「若衆宿」という若い患者と他の若 者たちが集う一軒家があり、みなでボーリングをしたりして遊んだという。今の熊本でいうと、有名人の炊き出しやサッカー選手たちの来熊、様々なボランティ ア活動にあたるのだろうか。彼らの活動はもちろん永続的な解決をもたらすわけではないが、避難所の人からすれば大きな楽しみや助けになっており精神面で重要だと思 う。

[特に意味はないですが新譜が出たので]

 

 

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