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【研究室】地震ストーリーズ① M0.1 前編

2016.05.11
お待たせしました。第一弾です。とりいそぎ載せてみます。

 
【20代後半、女性、修士Mさん】前編
 

◆14 日 20時大学より家に帰宅する。旦那は出張でいなかったため、一人で軽く夕食を済ませた。21時過ぎ、食器の片付けをしていると突如足元からドドドドド という地鳴りとともに大きな揺れを感じた。立っていられず、揺れが収まるまで家具のないところに逃げた。すぐにTVをつけると地震速報が流れた。震度の大 きさを知ることができたが、どのような現状なのかはまだ分からない。その間も大きな揺れが絶え間なく押し寄せてきていた。すぐに友人からLINEに連絡が きた。友人から安否確認と必要なものだけ最低限もって逃げる準備をするようにと言われて、すぐに外にでられるように準備をする。町役場の放送がなり、急い でベランダの窓を開けるがガスの取り扱い注意の内容だった。私はそんなことより(重要なのは分かるが)今後どうすればいいのかの情報が欲しかった(こんな 状況では無理な話であるが)。一人、TVの情報をみながら旦那、家族、友人のLINEに返事をしつつも身体が震えていることに気づく。「どうすればいいの だろう。」ただそのことだけを考えていた。そして東日本大震災の3月11日を思い出した。その時、私は東京都内の病院の寮に住んでおり、看護師の準夜勤の 準備をしていた。あと10分もしたら寮を出ようとしたところ、大きな地震を体験した。その時もどうすればいいのか混乱したことを思い出した。その時はその まま職場に向かい準夜勤を終えたが、少ないスタッフで患者対応に追われ地獄の勤務だったことを思い出す。しかし、今思うとすぐ仕事に入れたことは自分の精 神状態を保つのに良かったと思う。今回の地震では、一人何をすればいいのかわからない、このまま家にいていいのかもわからない。この状況は精神的に苦し かった。22時頃この精神的窮屈さと余震の怖さから家を出ることにした。外にでると人は誰もおらず私一人この世界に残されてしまったのかと思った。すると 旦那の同僚夫妻が私を向かい入れてくれた。旦那が連絡してくれていたのだ。彼らと会った瞬間、心の底から安堵の気持ちが生まれた。そして、次に自分がすべ きことを考えることができた。水と食料の確保、夜だったので寝る場所の確保、これは自分の車で寝ることにした。自分以外の人々の存在が自分に冷静さを与え てくれたおかげで、私はその後、車の中で一人、熟睡することができた。

 

◆15日 目覚ましのアラームが鳴る前に太陽 の光で目を覚ました。朝日の暖かさを感じて昨日の恐怖が夢だったのではないかと思ったが、すぐに余震を感じ現実に戻された。家に入ると台所以外は大きな被 害はなかった。しかし、テレビでは断水や停電の問題も取り上げられていたため、いつ何があるかわからないと考え、着替えと水食料を車に積んだ。蓄えられる 物資は蓄えておこうと町に買い出しに行く。日常のような光景だったが、よくみると商品が倒れていたり、侵入禁止の張り紙はなされていたり、やはり被害があ るようだった。生活用品や食料を調達すると、再び安心感がでてきた。お昼すぎには旦那から出張先から帰るという連絡を受けた。余震はあるが、このまま大事 には至らないだろうと感じはじめていた。冷静になって情報を収集する。去年(2015年)11月に熊本に引越してきた私だったが、震源地である益城町が隣 町であることを知り大きく驚いた。熊本城の瓦が剥がれ落ちているのをTVでみて、結婚式の前撮りの写真を先月熊本城で撮り終えたばかりだったので、早めに 撮っておいてラッキーだったかも。なんてそんな冗談を親にも話していた。アルバイト先や学校関係から安否確認の連絡がくる。安全確認ができたらまた元にも どるだろうと考えた。21時頃旦那が出張先から帰ってきた。とっても疲れている雰囲気だった。ずっと私のことを気にかけくれていたし、半日かけて出張先か ら戻ってくるのに体力を使ったのだろう。その日はお土産のいくらを二人で美味しくいただいた。お腹がいっぱいになったのと、安心感ですぐに就寝。

 

◆16 日 早朝1時半頃、バーーーーン!という大きな音と共に大きな揺れに驚いて目を覚ました。旦那もすぐに気づいたようで目を覚ました。どのくらい揺れたかわ からないが、旦那がとっさに私を庇うため私の上に覆い被さったため揺れよりも、旦那の重さで苦しさを感じていた。旦那は「大丈夫、大丈夫」と声をかけ続け てくれた。私は苦しくて死にそうと感じていたが、旦那の優しさのおかげで地震の恐怖をそこまで感じなくて済んだように思う。揺れがおさまり、現状を確認し ようと寝室を出ると電気がつかない。そして、旦那の落胆の叫び声に驚く。家具が四方八方倒れていた。14日の揺れよりはるかに大きな地震だったということ を倒れた家具をみて見て強く感じた。しかし今回の地震では、次にどうすればいいのかなんて悩むことはなく、すぐ家から出ようと旦那に言う。幸い貴重品や上 着などは玄関前に置いていた。旦那は少し放心状態だったが、はっぱをかけ外に避難した。今回は外に出ると多くの人が外に避難していた。この日も再び車の中 で夜を明かすこととなった。昨日はよく眠れたはずなのに、今回は心が休まらず一睡もできなかった。次にしなければいけないことがずっと頭の中で回ってい た。朝日が昇りはじめる、私たちの住んでいた地区は一時の停電はあったがすぐ復旧していた。しかし水道管が割れているため、日中断水するとの情報が入っ た。ライフラインが不安定になるためここでの生活は困難かもしれないと考えた。その日朝7時、旦那の実家の福岡に避難することにした。避難のための必要最 低限のものを家に取り入ると、夜の光の少ない中でみた家の中の全容がありありと見えた。足の踏み場がないぐらいに荒れた部屋、冷蔵庫は揺れでドアが開けっ 放しの状態になっていたため、せっかく備蓄にためていた生物や卵も割れおじゃんになってしまった。お気に入りの食器が割れている。なんでこんなところに炊 飯器?というような現状であった。朝になっても余震は続いていた。1週間分ほどの生活ができる必要な物品を急いで探した。これ以上被害がひどくならないよ う、傾いている棚や物を完全に床に下ろし家を後にした。町を出ると、家の壁が崩れていたり、道路が波打っていたりと大きな被害があることを目の当たりにし た。しかし、崩れたものを道の端に寄せてポールを立てかけてあるのを見て、日本人の対応の迅速さに恐れ入った。はやい。ほとんど九州の土地勘がない私は、 旦那に運転やルート選択の全てを任せ、ただただ窓から被害の状況を目の当たりにしていた。福岡への道のりは高速が菊水インターしかあいていないとのこと で、そこまで下道を走る。そんな中、畑作業をする人をみかけ、日本人は本当に律儀というかなんというか、真面目な人種だと改めて感じた。

  福岡に到着。すぐ隣の県のはずなのに、見える景色や人の対応が大きく異なりびっくりした。長閑かな景色に心底癒された。旦那の実家につくと、依然として熊 本の被災状況のすごさが伝わってきた。福岡にも余震があったが、熊本ほどではない。お昼ご飯を食べたら安堵とともにすぐに眠りについてしまった。気づけば 夕方となり、旦那の家族と一緒に夕飯の食卓を囲んだ。何もしてないのにただ食欲はあり、たらふくご飯を食べた。人間の食欲はこんなときにも働くのか。でも 医療従事者の経験上、食欲があるということは健康ということ。健康に感謝した。旦那の会社の休みや私の大学の休講の知らせが入る。周りからもしばらくここ にいていいと言われたので、そのままその言葉に甘えてしばらく居候することにした。

 熊本被災者への支援の情報も多く入ってきていたが、あ まり自分が被災者の看板を持つ気にはなれなかった。私はすぐに福岡に避難し、家の損害も崩れたりしているわけではなかったので、片付けさえできればすぐ住 むことができる状況であった。土地への思い入れも薄かったため、なんだか自分がどこにも属していないような気持ちになった。それがなんだか少しさみしい気 もしたが、今回の震災ではぼんやりそんなことを思った。

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