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【研究室】地震ストーリーズ④ M0.2-M0.8

2016.05.23

今回は熊本大学に通う学生・院生たちのストーリーズです。授業が再開された5/9(月)の 慶田ゼミでみんなで順番に話した内容を、修士・松永さんが書き起こしました。各内容は、発言者がそれぞれチェックしています。

九 州内でも揺れにかなりの差がありました。そのため、実家に帰ったものの親や地域の人たちと感覚を共有できなかったり、熊本に残って働く人たちへの想いが複 雑に生じていました。気持ちや危機感、緊張感の共有や周囲との温度差がかなりのジレンマを生んだことが伺えます。(香室)


[女性、修士Aさん] M 0.2
熊本出身。合志市、北区だったので被災はそこまで酷くなかった。
報道される被災の情報が自分の境遇とは違い、メディアの報道に疑問を持った。
被 害が深刻な地域があることも事実だが、「被災地熊本」と報道することによって、実際の熊本で再開された普通の日常が否定されるような、「熊本」のなかにあ るひとつの日常の再開というひとつの事実が否定され、異なる印象をあたえるのではないかと思った。→観光業への風評被害の懸念。
倒壊した熊本城を見て、自分が思っていた以上に熊本城にアイデンティティを持っていたことを感じた。
 
[女性、大学生Bさん] M 0.3
熊本出身。実家、東区、嘉島の隣町にいた。一回目の揺れはそこまで感じなかった。二回目の揺れで家具が大きく動いていて驚いた。今回の震災を通して、近所の人同士の繋がりが強くなった気がした。情報が人から伝わることが多かった。
 
[女性、研究者Cさん] M 0.4
仕 事の関係で偶然熊本市外にいたので震度6強を経験していない。15日に市内に戻る予定が14日の前震で公共交通機関が使えなくなり、出張先から戻れない状 態に。熊本市中央区にいた夫からも「アパートや自分は大丈夫だが余震が続いているし、迎えも遅くなるので今日は戻らない方がよい」と言われ、16日深夜の 本震時も市外にいた。14日夜の揺れの時点で、県外や市内の友人たちから安否確認の連絡がかなりきていた。みんなの様子がLINEやメールで伝わってき て、最悪のことしか想像できず焦りと不安が募りそのまま眠れなかった。15日はどうしようもないので仕事を続けた。その深夜、やっと眠ったときにまさかの 「地震です」アラートが鳴り驚いて起きると本震がきて(私がいた所は5弱)呆然となり、前日と同様に安否確認の電話やメールが続いた。そこから伝わる市内 の様子は前日よりさらに恐ろしかった。そのまま再び眠れず、ずっとメールのやり取りを続けていた。こんなことは初めてだと思った。16日、夫が迎えに来て くれてなんとか市内のアパートへ戻った。数年ぶりに会った気がした。市内に入るのが怖かったが、主に益城町が映っていたTV映像より建物は壊れていなかっ た。水もガスも使えず感じる余震は強かったものの、自分の想像より状況はましだと思い不思議と安心した。次の日、福岡方面に出たい友人2人を拾って佐賀の 実家へ帰った。その後一週間ほど、避難、物資郵送、片づけ等で身近な人たちの手伝いをしつつ、熊本と実家を行ったり来たりしていた。
 
[女性、大学生Dさん] M 0.5
前 震の際はバイト中であった。野菜屋さんでバイトをしていて野菜が上からふってきた。出口がふさがれたので、避けて外に避難した。地震の大きさより、周りの 状況がいつもと違うのが怖かった。寮に帰らず、歯医者が無料解放していたので、そこで一泊した。歯医者ではお布団も出してくれた。朝、熊大寮に帰った。寮 が潰れずに立っていてほっとした。その日の夜は寮の友だち数人と集まってPizaa Partyをしていた。その中で2回目の地震を体験した。みんなで外に避難した。寮に戻ることができず、外で用をたしたりした。夜通し外に避難していたが 朝寒くて、改めて地震の凄さを実感した。一時、寮に住むことができないため帰省するようにと指示が出たが、実家も遠くすぐに帰れなかった。実家に帰らない 50人ほどの生徒と一緒に学校に避難した。大学での避難生活は、寮生が自分のもっているものを持ち寄っていたので、ご飯は足りていたし、学校はトイレも使 えた。帰省よりも残ってボランティアをしたいと思った。帰省した方が支援物資など他の必要としている人に渡るのか、ボランティアをした方が他の人の力にな れるのか、などいろいろすごく悩んだ。結局、実家(鳥取)に帰ることにした。鳥取で被災の状況を伝えるようになった。被災地との、様々な面でのギャップに 驚いた。自分でできることを探し、募金活動をした。募金活動には小学生〜高校生も協力してくれた。募金は赤十字に送った。募金活動をする際、駅前での許可 はおりやすかったが、大学では許可がおりにくかった。
 
[女性、大学生Eさん] M 0.6
前 震のときは学生団体の部会中で人といたためそこまで怖くなかった。余震が多く怖かったのでその日の夜は道場で寝た。これがテレビで見るいわゆる被災者の光 景だなと感じた。次の日には家に戻った。友達と一緒に寝ているところ本震がきた。その後学生団体がボランティアをすることがすぐに決まった。家に帰ったら 壁にひびが入ったり天井から水漏れしたりしていたのでもう住めないと思った。その後もボランティアを実施していたが、行政に指示を聞いても、上の指示がな いと動けないと言われ、やりづらかった。みんなには申し訳なかったが実家の広島に帰った。自分だけ危険な場所から逃げているといううしろめたさがあった。 ツイッターで広島出身者の熊本つながりで募金をはじめた。
 
[女性、大学生Fさん] M 0.7
サー クルの帰り道で前震があった。初めての大きな地震に不安な気持ちだったが、大学のグラウンドに行くと多くの知り合いに会えて安心した。もう大きい揺れはこ ないと思い、次の日は友人とDVDを見たりお好み焼きをつくったり、のんきに生活していた。その日の深夜に本震にあい、強い揺れに驚いた。外のグラウンド に避難したが、寒くて水も止まってしまった状況に現実を感じた。お昼頃に親が心配して迎えに来た。熊本を去るのはうしろめたい気持ちがあって、地元で募金 に参加した。学校ではボランティアを頑張っている友達がいるのに、何もしていない自分が嫌になった。ツイッターやフェイスブック、LINEでくる熊本にい る友人の情報と親が知っている情報(テレビ報道)の違いが大きかった(例:熊本市に住む友人がライフラインは復旧しもう生活は大丈夫といっていても、テレ ビでは被害の大きい場所を取り上げて報道しているため熊本では生活できないように思える)。自分は早く熊本に戻りたいという気持ちだったが、それを親に理 解してもらえず心が苦しかった。熊本外にいると、逃げてきた身なのだから自粛(遊んだりしてはダメ)しなきゃいけないというようなプレッシャーを感じた。 熊本にいたほうが自由に遊んだり、いろいろしたりしても許されるような気がした。
 
[女性、大学生Gさん] M 0.8
一回目の地震は、組織部の部会中で周りに友達がたくさんいたため、あまり怖くなかった。原付で実家で帰るのは怖かったので、友達の家に泊めてもらった。
二 回目の地震は家族とリビングで寝ていたときだった。犬がいたのだが、犬が大パニックになり家の中を走り回ってしまいそれを落ち着かせるのが大変だった。 LINEで状況がいっぱい回ってくるが自分は何もできず無力感を感じた。被災者としての立場が現実と自分にズレがあり辛かった。環境が落ち着いてからボラ ンティア活動を行った。ボランティア活動中、仕事をしていないと申し訳ない気持ちになった。
 

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