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【研究室】地震ストーリーズ0.5:2週間が経ちました

2016.04.28
いつの間にか、前震が起きた14日から2週間が経っていた。この2週間なにしてたんだろうという感じで、町並みは徐々に何ごともなかったかのように「復旧」が進んでいるが、頭はぼやっとしたままである。
 
先ほど留学生の魏さんと、研究室に電気がついていたからとローズマリーさんが寄ってくれました。2人とも芯のあるマイペースな女性たちであり、いつも通りの笑顔で地震の経験やその後の生活について話してくれました。落ち着きます。たまたま地震の日に熊本に帰っていた「持ってる」ローズマリー・・・、新天地・九大での活躍を祈ってます。
 
アフリカの植民地主義の歴史を学び、ナミビアのヘレロの人たちの話を聞いたりしていると、いくら時代が変わっても過去の出来事が完全に記憶や体感の中で消え去ることはないんだなということがわかる。それは個人の記憶、継がれていく語り、身体の感覚、誰かの文章や絵や歌、そして衣装などさまざまなものを振動させながら何らかの形で継続していく。
 
私たちの経験もいくら復旧が進んでも消えるわけではないので、全てもとどうり、になることはない。もう多分一生経験しないだろうというくらい大変なことが起き、いまも続いているということをまず受け入れようと思う(キューブラー=ロスの死の受容プロセスに似ているのかも)。
 
ところで、先週末熊本に戻ってから普段会っていた人たちとやっと会えたのだが、かなり経験にばらつきがあり一元化できないことがわかった。震度7の本震時も眠ったまま目が覚めなかったから怖いも何もなかった、というつわものもいた。また、互いに被災時の具体的な状況を語りあうことで安心するということもある。いま熊本では、互いに震災の経験を物語ることが日常的に行われている。
 
これはそれぞれのストーリーを書き記し、ひとつの出来ごとについての経験と語り方の多様性を可視化する機会かもしれない。また、その語り自体が何なのかを考える機会かもしれない(【参考】慶田勝彦「水俣の民族誌的近代」『水俣の経験と記憶-問いかける水俣病-』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次・慶田勝彦編、pp. 137-162、熊本出版文化会館、2004年)。というわけで、どれだけやれるかわからないが身近な人たちのストーリーからじょじょに紹介していけたらと思う。GWは県外に「避難」するので明けてからになると思います。(香室)
 

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