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研究室ニュース

【研究室】2015年度 卒業論文発表会(2016.2.11-12)

2016.03.14

熊本大学文学部総合人間学科社会人間学コースの卒業論文発表会が行われました。文化人類学ゼミからは5名が発表しました。3年生が少ない本年度は、発表者同士でコメントし合うピアレビュー方式をとりました。自分の発表に加えて他発表へのコメントと気が休まる間もなく緊張感を持って取り組むことができました。発表者のみなさまお疲れさまでした!(4年)

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【発表者・題目・概要】※概要は本人執筆
 
◆井出菜央子(慶田ゼミ)
上橋菜穂子が紡ぐ「他者と共に生きる物語」
―「守り人」シリーズにおける異界が表すものは何か―
 
 人類学者であり作家の上橋菜穂子の代表作『守り人』シリーズには、「異界」という独自に創作された存在が描写されている。本論文では『守り人』シリーズにおける異界が何を表すために創作されたのかについて、作中で異界が果たす役割の考察から明らかにする。そのとき、これまで自身が出会った作品や経験についての上橋の語りを参照し、上橋の考えを読み解くことを試みる。『守り人』シリーズにおける異界は物語登場人物から様々な形で捉えられ、また、異界との接触と関わりは既存の環境を省みるきっかけとなっている。すなわち、異界は不明瞭な世界という究極の他者を表したものなのである。「共感」が他者との共存のための力になると考える上橋は、文化や立場が異なる他者と共に生きていくことの難しさを物語や自身の経験を通して理解している。それでもなお、上橋は異なる者同士が努力の末に共存していくことに対して希望を持っており、究極の他者としての異界と人々の関わりを物語として描くことでその希望を表現したのである。
 
 
◆片岡藍(慶田ゼミ)
ドイツ生まれのトルコ系移民
―文化リテラシーとイスラーム―
 
 本論文では、ドイツで生まれ育ったトルコ系移民にとってイスラームとはどのようなものであるかについて、ドイツにおける移民政策の変遷と移民のイスラームの実践から明らかにした。第二次世界大戦後、ドイツは労働力不足を解消するために近隣諸国から外国人労働者を受け入れた。外国人労働者の出身地内訳において最多であったのはトルコであり、彼らの多くはムスリムであった。定住化に伴い、トルコ出身の外国人労働者はドイツ国内でイスラームの実践を行うようになった。そして現在では、ドイツのトルコ系移民の大部分をドイツで生まれ育った第二世代以降が占めている。彼らの実践と彼らのルーツであるトルコの宗教イスラームはどのように関係しているのか。結論では、第二世代のトルコ系移民は第一世代とは違い、トルコの伝統的な習慣とイスラームの知識や実践を区別して捉えていることを論じた。
 
 
◆田口由夏(慶田ゼミ)
写真は〈現実〉を切り取ることができるか
 
  本論は、写真によって表現されている現実とはなにかを問うたものである。写真を文化人類学的観点から考察したテレンス・ライトは、写真は単に現実を写すのではなく、撮影者や写真を見る側の知識によって異なった見方がなされると述べた。写真が表している現実と私たちが知覚している現実が必ずしも一致しないのであれば、写真によって表現されている現実とは私たちにとってどのようなものなのだろうか。結論では、写真は見る側に知覚や現実の理解を促す働きをしていると論じた。写真は私たちの知覚と異なった現実を提示しているが、それらの異なる現実は互いに否定されるべきものではない。写真上の画と知覚間の相違は私たちが現実をどう認識しているのかについての内省を促し、対象や現実についての理解を深める作用をもたらすのである。
[付記] 私は2015年度の前期と後期に渡り、理論と実践の両面から人類学的実践と写真について学んできた。理論面では、写真や映像について文化人類学者たちが記した論文を精読し、文化人類学において写真や映像がどのように用いられてきたかについての理解を深めた。実践面では、プロカメラマン野中元氏を講師に迎えた写真教室(文化人類学応用演習)で基本的かつ効果的な写真の撮り方―対象をどのように切り取るのか―について教わった。 
 
 
◆妻瀬裟季(慶田ゼミ)
ウィリアム・ジェイムズと「二度生まれ」
―我々の生きる現代の宗教的諸相とはどのようなものか
 
 本論文は、現代日本における宗教の諸相とはどのようなものなのかを問うたものである。この問いを明らかにするため、宗教のあり方や役割が世俗化すると言われた伝統社会から現代社会への変動の中でウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)が示した「二度生まれ」(『宗教的経験の諸相』)の概念に焦点を当てた。第一に、本論文の主要文献であるジェイムズの『宗教的経験の諸相』から「二度生まれ」の定義を行い、ジェイムズの宗教観を読解した。第二に、『宗教的経験の諸相』の先行研究であるチャールズ・テイラーの『今日の宗教の諸相』(2002)から、テイラーが捉えた「今日の宗教的経験」を「二度生まれ」に着目し考察した。第三に、これら読解を踏まえながら、現代社会を生きる日本人がどのような宗教観を持っているのかを検討した。結論では、現代における日本人の宗教観、そして現代における宗教的諸相とはどのようなものかという本論文の問いに対し、人々が自身の精神的霊感に従い行動したことが宗教的経験になること、そして各自は各々の精神世界において救いや癒しを求めることを論じた。
 
 
◆野村美咲(慶田ゼミ)
「奇妙なもの」との向き合い方
―ボーカロイド<初音ミク>を事例として―
 
 本論文は、人が対象を「奇妙なもの」として認識したとき、対象に対して抱く奇妙さは当人の中に残り続けるのかという問いから、人と奇妙なものとの向き合い方を考察するものである。例えばイロンゴット族の首狩りなど、私たちは(私たちにとっての)奇妙なものに遭遇したとき、その対象を(自分たちの)常識からの逸脱として扱い、好奇心や感動、あるいは嫌悪感や恐怖といった反応を示す。人は集団のなかでつくられた視点や学習された文化から物事を眺め、一方的な視点から対象を分類する傾向にあるからだ。本論では奇妙なものの事例としてボーカロイドの初音ミクを取り上げる。初音ミクは身近な存在だが、機械の音で人間のように歌う声や二次元の存在がライブパフォーマンスを行うことを奇妙に感じる人がいる一方、高い評価を受けている。これらの異なる反応は、初音ミクが初音ミクを見る人の分類からこぼれおちた穢れであると同時に、分類の境界を越境する神秘的な存在でもあることに起因すると考えられる。ただし、どちらの視点も既存の分類体系にはなかった新しい存在として初音ミクを捉えていることに変わりはない。すなわち、人が対象に抱く奇妙さは既存の分類の撹乱として個人の意識に残り続けるのであり、私たちの常識に問いを突きつけるのである。
 
 
[写真:卒論発表会の様子]
 

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