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【社会連携・水俣病】熊本大学水俣病学術資料調査研究推進室 第6回セミナー「モノが、そしてモノをかたちづくる水俣の記憶 」下田健太郎/『みなまた日記----甦る魂を訪ねて』上映(土本典昭監督作品)慶田勝彦

2015.04.16


P3272756.JPG第6回セミナー:   

【日時】 平成27年3月27日(金) 16:30-20:00
【場所】 熊本大学法文棟4階・メディア演習室
  連絡先 TEL 096-342-2469 (熊本大学・慶田研究室)
 

今回のセミナーでは、慶應義塾大学博士課程の下田健太郎氏にお越しいただいた。昨年逝去された丸山定巳先生は、下田氏の発表を楽しみになさっていたという(by 慶田先生)。丸山先生のアプローチは、チッソが起こした公害への対処をめぐる行政と水俣病患者たちのやり取りを詳細に記しながら、社会問題化した、そして現在も問題であり続けている原因を論じ、ときに糾弾するもので、下田氏のアプローチとは異なる。だからこそ、若手研究者の新たな関心を水俣病研究に取り入れ、議論を生んでいくことが重要であると考えられたのではないかと思う。推進室セミナーがそのような場のひとつでありつづけることを願う。


1. (調査研究発表) 16:30-18:00 (質疑応答30分を含む)
 モノが、そしてモノをかたちづくる水俣の記憶 
  The Dialectical Relationship between Artifacts and Memories of Minamata
【発表者】  下田健太郎
 
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議論:

1)なぜ石なのか、なぜ他の手段ではなく石像を彫ることが重要なのかについて、参加者から質問が上がった。発表によると、「本願の会」の活動において、石は「魂石」とも呼ばれ、ただの石とは異なる扱いをされているように見える。石を彫ることが「本願の会」の人々の想いや語りの変化になぜ影響するのか。それに対して、「ひとつの答えとしては、日本の原風景を近代化と公害が生じた水俣という地に見る石牟礼道子氏による地蔵への関心が背景にあるのではないか」という指摘が別の参加者からなされた。これは、水俣におけるひとつの歴史的・文化的コンテキストから石の意味を考える立場だといえるかもしれない。一方、下田氏自身は「フィールドワークを継続し、モノや人、言葉が紡ぐネットワークに注目していくことで、水俣の人びとの『生きた現実』に迫っていきたい」とのことだったので、今後の理論的展開が期待される。

2)発表者・下田氏は、水俣における「魂」を探ろうとしているように思う。そのような研究は「現実的な問題や水俣病闘争を軽視している」と、他の研究者から批判されたこともあったという。メチル水銀によって様々な疾患や病を抱える人々、その家族や知人の間でも、意見が分かれるところだろう。様々な立場や考え、そして記憶や想いが交錯する場であるからこそ、水俣を研究する研究者間にも様々な立場が生じている。しかし、それぞれの活動や研究的立場に良し悪しはない。石を彫る人々の活動もまた現実にあるのであり、それがどのような現象なのか、彼らは何を希求し、どのような地平を切り拓こうとしているのか、行政により水俣病の「最終解決」が図られるいま、丁寧な現地調査から描き出す意義は大きい。

2. (映画上映) 18:10-20:00 (自由討議10分を含む)
 『みなまた日記——甦る魂を訪ねて』  (土本典昭監督作品)
    映画同人シネ・アソシエ製作、シグロ配給 (2004年)
【提供者】  慶田勝彦

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議論:

本作は、土本監督が水俣病で亡くなった人々の遺影を集める合間に撮影した(1990年代半ば)映像を編集したものである。他の土本監督作品とは異なり、ほぼ全編にわたり撮り方やナレーションがラフである点が指摘された(他の作品はより焦点が絞られており、対象に迫る撮り方がなされているという)。土本監督はもともと活動側の人物であったが、本作では「魂」という語が用いられており、下田氏発表で焦点化された石像も編集によって存在感を与えられている。慶田先生によると、土本監督の思考の揺らぎや推移が映像に現れているのではないかということである。

私にとっては、第一に胎児性患者である鬼塚氏と半永氏のやり取りが印象的であった。1991年、水俣で「水俣国際会議」が開催されたものの、患者たちには発言の機会が与えられていなかった。半永氏は組織者たちとのやり取りの末、自分が撮った写真を展示することに成功したという。その彼に、鬼塚氏は「半永くんは頑固だからなぁ」と微笑んだ(ように見えた)。その一幕では、「患者」という大きな枠組みを超えた個々人のパーソナリティがズームされていた。長年カメラを回してきた土本監督を通して初めて見ることができる場面だったのではないか。第二に、沖縄の歌手と共にエコパーク水俣(水俣湾の水銀汚泥を浚渫 [しゅんせつ] し、埋め立ててできた公園)の舞台に立つ緒方氏のカリスマ的姿が印象的だった。途中からボブ・マーリ―のように見えてきた。精悍に描かれているのである。緒方氏は発表者の下田氏がフィールドワークで追っている人物でもある。下田氏の発表では、緒方氏の人々を導く言葉が子に接する父のような、近くで暮らす人物の親しみのある厳しさのように感じられた。それは時代が変わったからかもしれないが、描き手と緒方氏との関係性の違いかもしれないし、どう描きたかったのかによる違いかもしれない。この日一日で緒方氏の色々な姿を見ることができた気がして、彼のイメージが頭から消えなかった。

(文責 香室)

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