2003年〜2007年の発掘パンフより

2007年夏・熊本県上天草市千崎古墳群発掘パンフより

 上天草市大矢野町にお世話になって5年が過ぎました。千崎古墳群の調査も5年目、第6次調査を迎えます。
 1つところに根を張って継続調査を実施できることはとても幸せなことで、おそらく今回で一区切りをつけるであろう今夏の調査は、これまで千崎古墳群にかかわってきた多くの諸先輩達の思いを体現する最後の機会にもなるはずです。

 『上天草いにしえの暮らしと古墳』(2007年6月、上天草市発行)にも若干の経緯を記しましたが、千崎古墳群の調査開始当初のことを少し書いておきたいと思います。

2003年3月の千崎5号墳 2002年になって大矢野町史編纂委員を委嘱された私でしたが、その夏から秋は沖縄県ナガラ原東貝塚の発掘調査と植木町高熊2号墳の測量調査、それからマロ塚古墳出土遺物の調査を立て続けに行っていて、大矢野町にまったくかかわることができませんでした。

 ようやく大矢野町の古墳を歩き始めたのは2003年度になってからで、そのゴールデンウィーク、千崎古墳群の現状確認調査を実施しました。今の学部2・3年生がまだ高校生の頃でしょうか。このとき、私と一緒に歩いてくれたのは、西嶋君、牧野さん、原さんの3人。牧野さんや原さんはまだ初々しい2年生でした。

 今は尾根頂部が伐採されて見晴らしがよくなっていますが、当時の3号墳より南側、それから北尾根はブッシュに覆われていて、玉名高校の記録と対照する作業がすこぶる大変でした。
 草をかき分けかき分け、石材の散布を調べ歩いたことを鮮明に記憶しています。
そんななか、コンパスとピッキョリだけを使っての簡単な古墳分布図を作りました。そして、すごい古墳群であることは直感的に感じていました。でも、本格的な調査を行うのかどうかを決めるまでには少し時間がかかりました。
 何度も引き合いに出して悪いのですが、カミノハナ古墳群の発掘調査のようなやっつけ仕事にはしたくなかったのです。
 正しい手順を追って、一定の水準を保ちながら千崎古墳群を調査するには、相当な時間がかかるぞと直感していたのです。
 さらに、当時の熊大生にはたしてできるのだろうか、という一抹の不安も正直ありました。だって、長さが400mを超える丘陵ですから、測量するだけでもバカになりません。

 でも、そうして悩む私の背中をそっと押して下さったのは福岡市の山崎純男さんでした。
 おそらく山崎さんにとっては当たり前の何気ない一言だったのでしょうが、私にとってはとても重い、そして大切な一言でした。
 「やるべきだろう?」

 そのようにして実施を決めた千崎古墳群の調査ですが、苦労の連続だった測量調査を経て今日まで、こんなに長くつきあうとは思ってもみませんでした。

 でも、今年の調査は、これまで以上に緊張を強いられるものになることを覚悟しておいて下さい。なぜなら、石室墓壙の断ち割り作業という、遺構を破壊する内容が含まれているからです。
 でも、熊本では石室の構築過程までを念頭に置いた発掘調査がほとんど行われていないので、とても重要で、意識のある人にとっては注目せざるを得ない調査になることは明白です。心して調査に望んで欲しいと思います。
 それから、昨年度の発掘パンフの私の言葉にも、ぜひ目を通しておいて下さい。石室調査の心得を書いてありますから。

 さて、以下は、今回の調査に参加する皆へのアドバイスと要望です。

  1. めずらしい遺物がでたとしても、喜んで取り上げないこと。原位置をとどめない遺物からは情報が半減してしまいます。とくに2年生。
  2. 視野を広く持って下さい。現場でも宿舎でも、自分が担当しているものだけにとらわれず、周囲の様子をよく見ること。後輩の様子をよく見ること。とくに3年生・4年生。
  3. 大学院生は、調査全体を見渡し、終了をみすえた作業計画を立てて下さい。調査終了までにすべき作業は何か(現場も、宿舎も!)、終了から逆算するかたちで考えて下さい。すべき作業内容をノートに整理しておくと忘れないですみます。
  4. 自分の仕事をこなすことだけで満足せず、誰かが作業をしていたらすぐに手伝って下さい。チームワークが大事です。自己中心的な人は発掘調査には向きません。
  5. 地元の方々、教育委員会の方々へのあいさつは忘れないように。発掘調査は、まわりの方々の協力があってこそ実施できるのです。
  6. そうは言っても学生時代の発掘調査は楽しいもの。敏感なアンテナを常に立て、調査技術はもちろんそれ以外でもいろんなことを吸収し、何か1つでも心に刻んでくれればうれしいです。


2006年夏・熊本県上天草市千崎古墳群・桐ノ木尾ばね古墳発掘パンフより

 2003年度に開始した千崎古墳群の調査。
 いよいよ今年は、5号墳の主体部を最後まで掘り切る覚悟でいる。また、50年前(1955年)に人骨が検出された10号墳の石棺を再精査することも予定している。
 調査期間の延長は十分に予想されることで、そうなった場合、何(大学業務でさえ)をおいてもきちんとした調査を遂行することに専念する決意をしている。
 主体部の調査はそれほどまでに重い。

 授業でも少し紹介しているが、雪野山古墳の調査およびその整理作業は私を徹底的に鍛えたもので、主体部調査の厳しさ、難しさ、そして楽しさを大いに教えてくれたものだった。

yukinoyama-1 sekishitsu-taiki.jpg(62119 byte)  1989年9月7日、約1ヶ月間の長法寺南原古墳第5次調査(思えばこれも前方部主体部の調査)を終えたばかりの私は下宿でゴロゴロしていたが、そこに突然大学から集合を告げる電話が鳴った。緊急調査によって未盗掘の竪穴式石室が発見されたが、至急調査体制を整えねばならず、大学に協力を求められたので学生の意見を聞きたい、とのことだった。
 とはいっても、集合がかかった時点で"GO!"になることはほぼ決まっていたのだと思う。数日でバタバタと発掘や合宿の準備を整え、9月13日、滋賀県八日市市の八幡神社(宿舎)へ向かったのだった。

 その日の私の日誌には「都出先生も泊まりである」とわざわざ記述していることからみても、教員も含めて研究室の皆が相当の覚悟をもって調査に臨んだことがうかがえる。
 それから約2ヶ月、11月の上旬まで。本当に目まぐるしい日々を過ごすことになる。
 (我々学生はほぼすべての授業をさぼった…それが許された時代…)

 当時、私は大学院修士1年生だったが、石室内埋土の掘り下げは精鋭部隊(松木・北條・岸本)が行っていたから、おもに石室上部での仕事を担当していた。石室上面図作成や清掃、そして待機である。
 待機というのは一見それほど役に立っていないようにも思えるが、しかし待機者がいないと狭い石室内での作業はスムーズに行えない。土を上げたり、必要な道具を渡したり、そういったことをいちいち石室内の作業者が行っていたら、きわめて作業効率が悪くなる。
 調査の中盤、石室に入って靫の検出を担当するようになった時、そのことを痛感した。(靫に出会ったのはこの時…)

 今回調査対象とする石室は大変小さいから、中に1人しか入れないかもしれない。石室上面に寝そべって、手だけを伸ばして掘り下げないといけないかもしれない。
 このあたりの作業段取りと人員配置、そしてチームワークがとても大切になると思う。

 棺や人骨、副葬品を検出したら、しっかり出土状況を記録することは基本中の基本。きちんとした出土状況図(点上げ図ではない)を作成し、いい写真を撮影することに目一杯の神経を使わなければならない。
 ここにはいくら時間をかけてもいい…
 そのくらいの気持ちがなければ、学術調査で主体部に手を出すべきではない。
 とくに今回の写真撮影は、石室が狭く、光の状態が一定でないことが予想されるから、相当の忍耐(いい条件を待つという意味での)と工夫が必要とされるだろう。

 石室構築過程についての調査も重要だ。そのためには、どこを断ち割る必要があるのか。そして、どのような図面を作成する必要があるのか。
 頭をフル回転して考えてほしい。

 主体部の調査は、さまざまな要素が組み合わさった応用編のようなものである。経験のない人が容易に掘れるものではない。
 だから、今回は、いちいち口を出すつもり。私も相当に緊張して臨むから、皆も覚悟して参加してほしい。
 (でも、こういう時に在籍できていることは幸せなことだと思うよ…)

 さて、以下は、今回の調査に参加する皆へのアドバイスと要望です。
  1. めずらしい遺物がでたとしても、喜んで取り上げないこと。原位置をとどめない遺物からは情報が半減してしまいます。とくに2年生。
  2. 視野を広く持って下さい。現場でも宿舎でも、自分が担当しているものだけにとらわれず、周囲の様子をよく見ること。後輩の様子をよく見ること。とくに3年生・4年生。
  3. 大学院生は、調査全体を見渡し、終了をみすえた作業計画を立てて下さい。調査終了までにすべき作業は何か(現場も、宿舎も!)、終了から逆算するかたちで考えて下さい。すべき作業内容をノートに整理しておくと忘れないですみます。
  4. 自分の仕事をこなすことだけで満足せず、誰かが作業をしていたらすぐに手伝って下さい。チームワークが大事です。自己中心的な人は発掘調査には向きません。
  5. 地元の方々、教育委員会の方々へのあいさつは忘れないように。発掘調査は、まわりの方々の協力があってこそ実施できるのです。
  6. そうは言っても学生時代の発掘調査は楽しいもの。敏感なアンテナを常に立て、調査技術はもちろんそれ以外でもいろんなことを吸収し、何か1つでも心に刻んでくれればうれしいです。


2005年夏・熊本県上天草市千崎古墳群・広浦古墳発掘パンフより

 今年は、整理作業の話をしよう。それも、大学における正式報告書作成についての…

 熊本大学考古学研究室は、発掘調査をすれば必ずその年度のうちに報告書を刊行するということを続けている。昨年度で40冊目となったその継続性と、大学院生・学部生が中心となって報告書を作るというこのシステムは、全国のどの大学と比べてもすごいことで、誇りに思っていい。年度末の皆の頑張りに、私はとても感謝している。
 しかし、さらにやるべきことがあると思う。それは最近よく言っていることだが、正式報告書を作ることである。とくに、数次にわたる調査を実施した場合、すべての調査を総括する作業は必須である。そうすることによって初めて、他者に発掘調査の本当の成果を知ってもらうことができる。調査対象遺跡を人類史のなかにどのように位置づけるのか。こうした評価は、遺跡を発掘した者がまずなすべきことなのである。

 でも、大学は人の出入りが激しいところであるから、数年にわたる調査とそれ以上の年月を必要とする整理作業・報告書作成作業を大学で行うには、大変多くの困難がともなう。必ず正式報告書を出さなければならないという強い義務感と意志がなければ、そしてそうした気持ちの教員と学生がそろわなければ、けっして成功することはない。
 熊本大学では、発掘調査に参加すること、そして報告書作成作業に参加することは単位に直結している。しかし、単位のためだけにそうした作業をしているなんて、けっして思わないで欲しい。遺跡を発掘調査することは、ある意味、遺跡破壊と同義であるから、それにかかわった者は遺跡に対して何らかの落とし前をつける必要がある。その1つのかたちが正式報告書の刊行であり、これは考古学徒が負っている義務だ。

 今年の河原第3遺跡の発掘調査は第6次調査であり、また最終の調査である。そして、来年度には正式報告書の刊行を控えている。これに毎年の『考古学研究室報告』作成作業もあるから、今年から来年度いっぱいは皆死ぬような思いをすると思う。でも、熊本大学考古学研究室の新しい方向性を示し、研究室が新たな飛躍をとげる大きなチャンスでもある。私は、河原第3遺跡に主体的にかかわってきていないが、研究室として正式報告書を作成することに強い責任を感じている。皆には、こうした時期に在籍することができたことに喜びを感じて欲しいし、遺跡を発掘することの意味をかみしめて欲しい。

 ところで、今年の5月、ようやく『井ノ内稲荷塚古墳の研究』を出版することができた(右の写真)。
 これで、私が大阪大学でかかわった発掘調査のすべてについて、一通りのケリがついたことになる(豊中市教育委員会関連のものは少し残っているけれど…)。

 熊本大学にも送られてきているから、一度ページを繰ってみて欲しい。そして、何かを感じてくれたら、出版にかかわった者として、それに代わる喜びはない(編集についての工夫やエピソードなどは、折々に…)。

 さて、以下は、今回の調査に参加する皆へのアドバイスと要望です。
  1. めずらしい遺物がでたとしても、喜んで取り上げないこと。原位置をとどめない遺物からは情報が半減してしまいます。とくに2年生。
  2. 視野を広く持って下さい。自分が担当している場所だけにとらわれず、周囲の様子をよく見ること。後輩の様子をよく見ること。とくに3年生・4年生。
  3. 大学院生は、調査全体を見渡し、終了をみすえた作業計画を立てて下さい。調査終了までにすべき作業は何か(現場も、宿舎も)、終了から逆算するかたちで考えて下さい。すべき作業内容をノートに整理しておくと忘れないですみます。
  4. 自分の仕事をこなすことだけで満足せず、誰かが作業をしていたらすぐに手伝って下さい。チームワークが大事です。自己中心的な人は発掘調査に向きません。
  5. 地元の方々、教育委員会の方々へのあいさつは忘れないように。発掘調査は、まわりの方々の協力があってこそ実施できるのです。
  6. そうは言っても学生時代の発掘調査は楽しいもの。敏感なアンテナを常に立て、調査技術はもちろんそれ以外でもいろんなことを吸収し、何か1つでも心に刻んでくれればうれしいです。


2004年夏・熊本県上天草市千崎古墳群・長砂連古墳発掘パンフより

 2つの図を示します。
 図1はトルコ・ゲミレル島第3教会に築かれた箱形石棺、図2は今回の調査地に近い三角町要古墳群の第3号石棺です。
 トルコでの調査は私が大阪大学時代から参加してきたもので、2000年の発掘パンフにも少し紹介しています。初期ビザンティン時代の教会の調査を主目的としていましたが、教会廃絶後に墓地としても利用されていたらしく、多くの箱形石棺を検出しました。モザイクの床面を壊して墓壙を掘り、教会の建築部材を使って石棺を構築しています。箱形石棺の図としてはオーソドックスなものですが、いくつか足りない部分があります。わかりますか?
 図2の石棺は、千崎古墳群と条件が似ていると思ったので提示してみました。どこが似ているのか、わかりますか?



 トルコでの調査では、当初、石棺が検出されるとは考えてもいませんでした。また、教会を形作っていた石材が多数転がっていて、なれるまでは土層の観察が非常に困難でした。したがって、墓壙の認識に甘さがあります。つまり、教会が一定程度埋没したあと石棺を作っていることがのちに判明しましたから、本来なら、教会埋没土除去中に石棺を埋めた墓壙埋土の輪郭を検出しなければなりません。しかし、この図にはその表示がありませんね。また、調査が困難でしたから仕方がないのですが、石棺石材背後の墓壙埋土の観察が不十分です。さらに、この図に示されていない点として、@棺内埋土の土層図、A人骨が乗る石棺床面の断面ライン、B石棺床面の平面図(石棺石材の当たりのライン)などがあります。

 要古墳群第3号石棺は、地表面にすでに露出していたという点が千崎古墳群の石棺と同じです。したがって、イメージとしては、今回作成する図はこのようなものになります。しかし、今回は現状図を書くのみですから、この図で示されているような堀方の表現は当然のことながら省略されます。また、小口を見通す際の断面を切る位置ですが、石棺中央ではなくもっと小口に近いところでとる方がいいと思います。また、床面の平面図も欲しいところです。

 なお、今回の9・10号墳の調査では墓壙の確認も目指しますので、図1に近い図になろうかと思います。5号墳と6号墳については現地で指導します。

 さて、以下は、今回の調査に参加する皆さんへのアドバイスと要望です。
  1. めずらしい遺物がでたとしても、喜んで取り上げないこと。原位置をとどめない遺物からは情報が半減してしまいます。とくに2年生。
  2. 視野を広く持って下さい。自分が担当している場所だけにとらわれず、周囲の様子をよく見ること。後輩の様子をよく見ること。とくに3年生・4年生。
  3. 大学院生は、調査全体を見渡し、終了をみすえた作業計画を立てて下さい。調査終了までにすべき作業は何か(現場も、宿舎も)、終了から逆算するかたちで考えて下さい。今後すべき作業内容をノートに整理しておくと忘れないですみます。今回の調査では、進行に合わせた柔軟な人員配置がもっとも大切です。4年生は、そんな大学院生の手助けになるように気を配って下さい。
  4. 自分に与えられた仕事をこなすことだけで満足せず、誰かが作業をしていたら、すぐに気がついて手伝って下さい。チームワークが大事です。自己中心的な人は発掘調査に向きません。
  5. 地元の方々、教育委員会の方々へのあいさつは忘れないように。発掘調査は、まわりの方々の協力があってこそ実施できるのです。
  6. そうは言っても学生時代の発掘調査は楽しいものです。敏感なアンテナを常に立て、調査技術はもちろん、それ以外でもいろんなことを吸収し、何か1つでも心に刻んでくれればうれしいです。
おまけ。
発掘パンフにはなかった写真です。トルコ・ゲミレル島第3教会での箱形石棺調査風景です。



2003年夏・熊本県植木町高熊古墳発掘パンフより

 去年から始めた高熊古墳・高熊2号墳測量調査の結果を受け、今年はいよいよ高熊古墳の発掘調査を実施します。私は勝手に「熊本県地域における古墳動向の総合的研究」と銘打っていますが、その名称からもわかるように、私が思い描いているこのプロジェクトはかなりの長期的な視野に立っています。これは、南島や阿蘇旧石器遺跡で行われている長年の調査を見習ったもので、これらに加えて古墳の調査をもう1つの熊本大学考古学研究室の柱に育てたいと目論んでいます。また、自分のかかわってきたことで恐縮ですが、大阪大学が京都府乙訓(おとくに)地域で行ってきた古墳調査も手本としています。これは都出比呂志先生が京都大学時代に行っておられた調査を引き継いだものですから、都出先生にすれば40年にわたって1つところに根を下ろして調査をされてきたことになります。だからこそ、首長墓系譜研究といえばまず乙訓地域が引き合いに出されるところにまで研究が進展したのだと思います。埴輪編年も当該地域の古墳がベースとなって作り上げられています。
 こうした息の長い調査に育てていくことを目標として、そして古墳研究の1つの拠点となることを目指して、今回の高熊古墳発掘調査を実施します。そうした目標に向けての第一歩となる調査です。
 以上のような目的を持ちならがら、今、次のような調査・研究を始めつつあります。
  1. 植木町周辺地域における古墳動向の調査・研究
    1. 高熊古墳の調査・研究…これは、言わずと知れた、今回皆がかかわるものですね。
    2. マロ塚古墳出土遺物の調査・研究…これは、今年3月に出版した『高熊2号墳測量調査報告』を読んでもらえばわかりますが、マロ塚古墳(正式な所在地不明、高熊2号墳がその候補地)から出土した甲胄などを整理しています。全国の武器・武具研究者を組織して国立歴史民俗博物館との共同研究体制を作りました。2007年度に報告書を出版します。甲胄研究のスタンダードになるような報告書を目指しています。とても残りがいいものばかりなので、ぜひ皆にも見てもらえる機会を作りたいと思っています(何年後になるか?)。西嶋君がこれにかかわっています。
    3. 高熊2号墳の調査・研究…この古墳は3年生が去年頑張ってくれて測量調査を行いました。今後は、これが古墳であるのかどうかの確定を行わねばなりません。まずは、電気探査やレーダー探査ができればと思っています。
    4. 塚園古墳の調査・研究…この古墳は、国道3号線から高熊古墳へ行く道の途中にあります。前方後円墳です。まともな測量図がないので、植木町教育委員会の中原幹彦さんと「測量すべきですね」と話しています。
  1. 天草地域の古墳動向の調査・研究
    1. 千崎古墳群の調査・研究…大矢野町史関連の事業で、今年の4月末に分布調査を行いました。2年生の2人が参加した調査です。この古墳群の測量調査を来年の3月から開始します。皆さんのがんばりに期待します。そして、来夏の発掘調査候補地の1つとして考えています(高熊古墳の調査を今年で終わるというわけではありません。作業日程上、来夏は千崎古墳群の発掘調査を間にはさむ方がいいのではないかと考えています)。
    2. 長砂連古墳の調査・研究…直弧文で著名な古墳です。その再実測を計画中です。
 さて、以下は皆さんへのアドバイスと要望です。
  1. めずらしい遺物がでたとしても、喜んで取り上げないこと。原位置をとどめない遺物からは情報が半減してしまいます。とくに2年生。
  2. 掘り下げている土層から、何が検出されているのかをよく観察して下さい。古墳より新しいものが含まれていれば、古墳以後の堆積土ということになります。埴輪が1つの指標です。また、土質に細心の注意を払って下さい。後世の堆積土と古墳の盛土は絶対区別できます(葺石がなければ、最終的には断ち割りでの確認が必要ですが)。これは全員。
  3. 視野を広く持って下さい。自分が掘っている場所だけにとらわれず、周囲の様子をよく見ること。後輩の様子をよく見ること。とくに3年生。
  4. 大学院生は、調査全体を見渡し、終了をみすえた作業計画を立てて下さい。調査終了までにすべき作業は何か(現場だけではなく、宿舎にかんする作業も当然考慮して下さい)、終了から逆算するかたちで考えて下さい。すべき作業内容をノートに整理しておくと忘れないですみます。
  5. 自分に与えられた仕事をこなすことだけで満足せず、誰かが作業をしていたら、すぐに気がついて手伝って下さい。チームワークが大事です。自己中心的な人は発掘調査に向きません。
  6. 地元の方々、教育委員会の方々へのあいさつは忘れないように。発掘調査は、まわりの方々の協力があってこそ実施できるのです。
  7. そうは言っても、学生時代の発掘調査は楽しいものです。敏感なアンテナを常に立て、発掘調査技術はもちろん、それ以外でもいろんなことを吸収し、何か1つでも心に刻んでくれればうれしいです。