河原第3遺跡6次調査
熊本県西原村
河原第3遺跡6次調査日誌



8/17 現場初日

 今年度でこの河原第3遺跡の調査も最後となります。個人的には第1次調査から参加しているので、 最終調査である今回の調査にはただならぬ気合が入っています。
 その調査が今日から開始されたわけですが、初日からハプニングです。参りました。
今日の作業は調査区設定とそれに伴う草刈り。私は西原村から借用した草刈り機で勢いよく草刈りをし、 その傍らで数人が調査区設定を行っている、といういつもながらの作業を行っていたわけです。

   ところがです。今日はスズメバチに全てを持っていかれました。あれは午後3時くらい。 草刈りをしていた私に突如スズメバチの大群が押し寄せ、肩を刺されたと思った瞬間、頭を襲ってきたのです。
振り向いた時には5、6匹のスズメバチが私を取り囲んでいました。
その現場は写真の右側付近。 後輩たちは手早く救急車を呼んでくれ、応急処置をしてくれました。
その必死の看病の結果、私はこうやってパソコンに向かえています。

結局、刺されたのは頭3ヶ所、肩1ヶ所の計4ヶ所。痛かった、ホントに。(まだちょっと痛い。)
いやーよかった。無事で。後輩たちには本当に感謝です。
刺されたのがもし2回目だったら命の危険もあるそうです。怖いですね。
大惨事スレスレです。危うく河原に骨を埋めるところでした。

 ハプニングで始まった現場。この先どうなるか不安で、また何か起こりそうな予感がします。
それにしても、あのスズメバチ・アタックの時の後輩たちの一体感はなかなかのものでした。
その点ではいい現場になるかな〜。

(写真)調査区設定風景。この写真の右側のあたりでスズメバチに襲われました。


8/18 現場2日目

 スズメバチの残していった痛みはすっかり消え、朝起きてまずは一安心。
今日はスズメバチ駆除の業者さんを呼んで、巣の駆除をしていただきました。
どうも私を襲ったスズメバチの巣は土中にあったようで、私はこの巣を草刈り機で壊そうとしていた ようです。そりゃ怒りますよね、スズメバチも。
業者さんによると、この巣の主は大スズメバチで「よく無事でしたね。」とのこと。こわー。
 8月はスズメバチ駆除の依頼が多いとか。一月2500件だそうです。
この駆除によって、明日中には全滅するらしいです。よかった。
確かに今日の午後にはほとんどスズメバチの姿を見ませんでした。ほんとよかった。

 すっかりスズメバチに気をとられ、今回の調査目的を書いていませんでした。
まず今回の大きな調査目的は、前回までの調査で確認していた細石刃石器群ブロックの周縁部分の確認。
もう1つは平坦面にどれだけこれが広がるのかを確認すること。今までに確認していた細石刃石器群ブロックは、 地形的に見ると平坦面の端にあたるところで出ているのですが、平坦面の調査をこれまで調査していませんでした。
いわゆる遺跡の広がりを見るためのトレンチを設定したというわけです。

この大きな2つの目的とともに、もう1つ重要な作業があります。それが地形測量。
簡単な地形測量は第1次調査でしていたのですが、遺跡が山の尾根と尾根とに挟まれた鞍部にある状況や 近くの小川の状況の分かる測量をしていませんでした。そのために測量を行うはこびとなったわけです。
今回の調査目的は大きくこの3つ。この日誌中で経過を報告しようと思います。

さて今日の作業はというと、スズメバチの巣の駆除後、9時半くらいから作業開始。
今日は全てのトレンチで表土剥ぎを終え、U層上面まで掘り下げました。
U層はこれまで縄文時代晩期の土器が出土していますが、今回はどうでしょうか。
深さにして約20p。目標の細石刃石器群の出土層位まであと1mあります。
さあ、これからが本番です。

(写真)河原第3遺跡の基本層序
上からT層(表土)、U層(褐色土層)、V層(アカホヤ火山灰を含む黄褐色土層)
W層(暗褐色土層)、X層(黒色土層)、Y層(褐色土層:ハードローム)
→細石刃石器群出土層準Z層(褐色土層:ソフトローム)


8/19 現場3日目

 今回宿舎としているのは、上益城郡御船町にある「緑の村」キャンプ場の中の研修センターです。
普段は外部の人には提供していない場のようですが、村長さんのご好意によってお借りしています。
遺跡から車で15分程度のところにあり、収容人数も30人程度(おそらく)と合宿する施設としては 最適です。われわれの人数は20人程度でこの施設も広々と使えています。

 ところで今回の調査のメンバーは、大学院修士課程1年生(3人)を筆頭に2・3年生中心 (2年生6人、3年生:6人)で、これに4年生・研究生1人ずつと私。
さらに今回は広島大学の3年生が1人参加しています。そして小畑先生。
2年生は全員が発掘は初めてで、3年生のうち今年度から入った編入生(2人)は熊大での実習発掘は初めてです。
 熊大では前期の授業で「実測」「測量」「写真」の3つの技術を学びます。 発掘調査実習はいわばその実践の場なわけです。
2年生は現場で行う作業全てが初めてで、緊張している様子。自分もそうだったなぁと懐かしく思います。
それでも3年生はやっぱり頼りになります。
作業の指示をするとそれなりに作業をこなします(たぶん悩んでいると思いますが)。
そして、自然と2年生の指導をしています。頼もしい。

今回は広大から3年生が参加しています。
熊大の実習発掘に外部からの学生はあまり参加しないので、外の話を聞ける良い機会。よい刺激になればと思います。

今日は河原第3遺跡発見者の福田正文さんが現場に来られました。
福田さんはこのあたりの遺跡の踏査をずいぶん前からされている方で、 今日も以前大学で掘っていた西原F遺跡で採集されたナイフ形石器をもって来られました。さすがです。

今日から遺物の取り上げを開始。 私たちが遺物の取り上げで使っているのはカタタという遺物の位置を記録するソフト。
光波測距器と電子野帳をつなぎ、その電子野帳に遺物の三次元データを保存します。
遺物が非常に多いため、図面ではなく、光波を使って全て遺物を取り上げています。
2年生にとっては、初めての現場でこうした機械を使った位置記録方法を見ると、 何をしているのかよく分からないかもしれません。
本当は図面で取り上げたほうが原理が分かっていいかも。


8/20 現場4日目

 今日は現場始まって始めての土曜日。今日から熊本県教育委員会の岡本真也さんが合流です。
岡本さんは熊本県の職員として働いてらっしゃいますが、熊大大学院の修士課程1年生でもあります。
岡本さんとは熊大に入られる前から交流があり、熊大での調査には何度も参加されています。
例えば熊大が中心となって発掘した象ヶ鼻D遺跡。この遺跡は岡本さんが発見された遺跡です。
4、5年前には近くに凝灰岩の原産地が発見されるに至り、これまで阿蘇産黒曜石とかサビ黒曜石と 言われていた黒曜石が阿蘇象ヶ鼻産ガラス質溶結凝灰岩であることが分かったですが、 この発見にも岡本さんの度重なる踏査があったのです。

原産地の分かっていない石器石材は多いですが、それが分かる事例として非常に重要な発見でした。
 河原第3遺跡のこれまでの調査にも週末は必ず来られ、3年前には百花台型台形石器や剥片尖頭器、 2年前には細石刃核を出されました。いわゆる「当たり屋」です。
岡本さんが今年から熊大に入学されたことは、学生たちにも刺激が多いと思います。特に私にとっては。

さて現場の状況ですが、昨日と同じくU層の堀り下げ。一部ではW層の掘り下げに入っています。
13Tr(これまでの調査区より西側に設定したトレンチ、通称小畑トレンチ)では、U層中に炭化したイチイガシが見られたので、U層の土を全てサンプリングして近くの小川でフローテーションを行うこととしました。
その他のトレンチではW層が見えるようになってきました。
W層はアカホヤ火山灰の下の層で、これまでに縄文時代早期の土器や集石を確認しています。
今回もこれまでの調査同様それが見られます。写真はアカホヤ火山灰の下から検出された集石。
扁平の礫が重なりあっています。掘り込みや炭化物は確認できませんでした。

Y層の細石刃石器群にはもう少し時間がかかりそうです。




8/21 現場5日目

 現場5日目。午前中は雨のため宿舎にて待機。
11時ころには晴れ間が出て現場へ。私は朝から市内に戻っていて少し遅れて合流。
昨日の夕方にいらっしゃった福岡市の吉留さん、福岡県の杉原さん、 多久市の岩永さん、茨城・石岡市の小杉山さんに調査に協力していただきました。感謝です。

今日掘り下げを進めたW層は、礫が結構まとまって出てくる層です。
これらが全て人為的なものかどうか分かりませんが、 30p程度の大きさの台石かと思われる礫もあります。
W層中では縄文時代早期の土器(押型文土器)が出てきますので、 おそらくこの時期のものだろうと思います。ただ土器片がかなり小さく、 量的にも少ないのでこれに伴うかどうかは検討が必要です。

(写真)W層中の集石と思われる礫のまとまり(上層にはアカホヤ火山灰がブロック状に見られる)

夕方には今日大野窟(竜北町)の調査を終えたばかりの南君、牧野さん、仙波さんが陣中見舞い。
こちらは調査を終えたばかりでテンションが高い・・・。今日は泊まっていくらしい。
明日は働いてよね。




8/22 現場6日目

 W層の集石や礫の実測を終え、いよいよX層(いわゆる黒ボク)、 Y層(ハードローム層:細石刃石器群出土層位)へと掘り進んでいきます。
13Trでは一足早く、W層〜X層で細石刃核が3点出土しました。
前にも書いたように、この13Trは、これまでの調査で確認されていた細石刃石器群ブロックの周縁部を確認する 9〜12Trとは別の目的で設けたトレンチで、いわば細石刃石器群がどこまで伸びるのかを確認するために設けたトレンチです。
現在の地形で見ると、一番平坦な場所で、ここを調査していなかったことがネックになっていたわけです。
今回あまり遺物は出て欲しくないなぁ(安易ですね)と思いながら掘り進めたのですが・・・
ここまで、U層中でイチイガシの炭化種子が出土し、W層中でも集石が出土していますので、 細石刃石器群も出るかなぁと予想はしていましたが、やっぱり出ましたね。

ただ本来細石刃石器群が中心的に出土するはずY層ではなく、W・X層から出たのは少し残念。
垂直的な遺物の移動がかなりありそうです。
Y層中でどれだけの遺物が出土するか分かりませんが、これからじっくり出方を見ていきたいと思います。

(写真)13Tr、W層中の集石と遺物の出土状況 そのほかのトレンチでもX層を掘り進めています。 もう少しでY層。こちらはどうなるでしょうか? もう1つの写真は実習中の昼食風景 熊大の伝統?であるおにぎりと缶詰の昼食。同じ釜ならぬ同じ缶詰を囲みます。 現場になるとなぜかこれがうまい。



8/23 現場7日目

 今日は朝から雨が降りっぱなし。
午前中の作業は無理と判断し、宿舎で待機。
することもないので、私はこれまで出土した石器の実測。
隣では3年生の津田君が携帯用顕微鏡で種子の監察。
その隣で小畑先生が仕事。
3人で黙々と机に向かっていました。
結局、午後になっても雨は降り止まず、全休。

しかし、夜にイベントが待っていました。
以前から予定していたBBQ。夜になって雨も小康状態となったので軒先で盛大に?やりました。
それにしても肉の減りが早い。肉に飢えていた20人の学生が集えば当然ですね。
今日はこれに加えてサプライズです。2年生高椋君の誕生日(22だよね)。
写真右:女の子の食事当番が腕をふるって作ったフルーツゼリー。それを抱きかかえて食べる高椋。
これだけとみんな(たぶん。少なくとも高椋と私は)思っていた。

ところが宴もたけなわになったころに電気が消え、ケーキ登場。
写真下左:ローソクの火を消す高椋。
写真下中:高椋を祝うために(?)「ビンタビンタ」と呼ばれる芸を披露した自称「ダンゴ2兄弟」    (左:清水、右:三好)。清水は多少三好にやらされている感がありますが。
写真下右:サッカー雑誌をプレゼントされ、陽気な高椋。
   
こんなに濃い夜はなかなかないですね。 高椋君にとってはうれしい一夜になったと思います。うらやましい。
三好君はうらやましそうに高椋君を見ていました。

ともあれ、学生にとってはちょうど中日でよい休養になったのではないでしょうか。
   


8/24 現場8日目

 今朝方は雨が降っていたのですが、すぐに上がり9時ごろから作業開始。
休み明けはなかなかエンジンのかかりも遅いですね。今日は地道に掘り下げです。
X層の黒色土は本当に真っ黒で、9トレンチでは約30センチほどもあります。
ただ遺物はほとんど出てこないため、ひたすら掘り下げ。

小畑先生と岡本さんが掘り下げられている13TrでもそろそろY層へ。
ところがまた出ました。「芝さん、出たばーい!」岡本さんです。またも細石刃核。
きれいな漆黒色の黒曜石製です。
さすが当たり屋。

(写真)X層の中ほどで出土した細石刃核
3時ごろには杉井先生が現場に来られました。
夜の岡本さんのゼミもかねて。
今、私の横でゼミが展開されています。



8/25 現場9日目

 いよいよ今日から目標だったY層(細石刃石器群出土層位)の掘り下げです。
さてブロックの周縁部の確認という調査目的は果たされるでしょうか。
 私も掘り下げに参加。トレンチの上に立っているだけではいてもたってもいられず・・・
11Trというこれまでの調査区の北側にあたるトレンチで掘り下げていたところ、 私も出してしまいました、剥片尖頭器。しかし、ここはY層しかもまだ上面。
なぜこんな層で・・・。よく出土した場所を確かめてみるとクラックの中でした。
驚きました。
 2年生の実習の時に沖縄の現場で貝符を出した時の感覚を思い出しました。
いつになってもドキドキするものですね。

 今日から測量班も調査区のある農道北側の測量をほぼ終え、東方面へと測量しています。
2日目にも書いたように測量は本来調査の最初にするものですが、今回の調査まで使っていたものは、 かなり大雑把なものということもあり、今回作り直そうということになったのです。
修士1年の前田さんを中心にやってもらってますが、草木が生い茂っていることやスズメバチ被害などもあり、 難航していました。やっと軌道に乗ってきたというとこでしょうか。

 河原第3遺跡は山の尾根と尾根との間のちょうど鞍部になっているところにあります。
しかも近くには水場があり、人の居住に非常に適した場所だと容易に想像できます。
これが分かる測量図を作りたいのです。測量班頼むぞー。






8/26 現場10日目

 Y層を掘り下げ続けて2日目。午前中は遺物出土状況の写真撮影。トレンチ内の清掃から順次とトレンチごとに写真を 撮っていきました。
 去年の千崎古墳群の調査日誌に杉井先生が書かれていたように、 熊大の調査では写真撮影を全て学生が行います。ただし最近の調査で少し変わったことがあります。
これまでの調査では「写真係」がほとんどの写真を撮っていたのですが、 去年の調査あたりから学生全員が写真撮影に携わるようにしたのです。

今回は去年ほど写真撮影の機会は多くないのですが、それでも今日のように写真を多く撮る日はなるべく 自分の掘っているトレンチの写真、それから自分の出した遺物等は自分で撮ってもらうようにしています。
そうすることで自分の掘っているトレンチに責任が少しでも出てくると思います。
私も数年前は「写真係」で、自分ばかりが写真を撮っていることに不安もありましたし、 分業にすることは良いこととは思いませんでした(その時はそんなもんなんだと思ってましたが)。
ですから今回のように全員が写真に携わることは良いことだと思っています。

  写真撮影を終え、さらに掘り下げ。今日は遺物出土ラッシュでした。
細石刃核や石核、流紋岩製の削器、おそらく阿蘇4(Aso-4の中に含まれる)黒曜石製の石器など ブロックの周縁部とはいえ、重要な遺物が次々と・・・

こうしたある程度大きい石器を見ると、気になるのは今まで出た石器とくっつくんじゃないかということです。
われわれはこれまでの調査で出土した石器全てを、母岩別に分ける作業を行っています。
今回の調査でも「あの母岩だなぁ」という石器が少しずつ出てきていました。
しかし、今日は「絶対くっつく」と思ったものが出たんです。しかも2つ。これで葛藤です。
「あと数日で終わるし、終わってからくっつければいいやん」と「いや今日大学から持ってきてくっつけよう」
という気持ちがあって風呂に入っている間に完全に後者が勝ってしまいました。

「メシは残しといてね」と言い残し、往復2時間。
はやる気持ちを抑えつつ、宿舎に帰って、まずは1つめ。
「くっつかん・・・」まさかでした。自己嫌悪に陥りそうになりましたが、 気を取り直して2つめ。悪戦苦闘。
剥離面を見つめつつ、20分。
「くっついた!」一時は「2時間返せ」と思いましたが、くっつきました。ちょっとほっとしました。
絶対くっつくと豪語して帰ったのにくっつかなかったら、拍子抜けですよね。

さぁ明日も帰ることになるかなー。


8/27 現場11日目

本日もY層の掘り下げです。
Y層の土は非常に固いので、掘る人も大変です。
2、3年生は腕が痛いとY層に対して恐れをなしています。
9Tr〜12Trでは遺物の出方はほぼ想定どおり。やはりブロックの周縁部を思わせる出方で遺物量もあまり多くありません。(写真右)
ところが、これと比べて非常に多いのが13Tr(写真左下)。トレンチの中はすぐにチャック袋で覆われます。

 それにしても本当にこの13Trではよく遺物が出ます。出方としてはこれまで確認していたブロックの中心部に匹敵するほどの出方です。 そうした意味で、おそらくこれまでの確認していたブロックとは別のブロックの一部だろうと思います。
しかし、遺物の内容や石材構成などはほとんど一緒。 細石刃の形態的特徴なんかも非常に似ている。

実際の遺物の内容を見ると、さほど違っているところは見当たらないのですが、 1つ気になることがあります。それは細石刃核の大きさ。
これまでの調査で出土した細石刃核は小さくても細石刃剥離作業面の長さが2〜3pはあり、 厚みも1〜2pはありました。ところが13Trで出てくるものは全て小ぶり。

細石刃剥離作業面の長さが2センチに満たないもの、厚みも1pに満たないものばかりです。
これが本当に明瞭に分かれます。

これは何の違いでしょうか。ブロックはおそらく違います。
ブロックの違いが時期的な違いなのか、製作者の違いなのか、素材が違うだけなのか・・・。
詳しくは整理作業の中で明らかになっていくと思います。
楽しみ(?)が1つ増えました。



8/28 現場12日目

 今日は現地説明会。
ところが朝から雲行きが怪しい・・・思えば一昨年も天気悪かったなぁと思いつつ現場へ。
開始10時までに調査区内や調査区周辺の清掃と看板設置。
9時ごろには案の定雨が・・・しかし、30分ほどで止み人も集まってきました。

結局、天気も悪さもあってか来てくださった方は15人程度でしたが、 それでも来て下さった方々にしっかりと今回の調査成果を報告。
現場を担当している修士1年の神川さんが、みなさんに成果を報告しました。
現説に来て下さった方々は熱心に説明を耳を傾け、展示していた遺物も興味深そうにご覧になっていました。
旧石器時代の現場の説明は、現場を見てもなかなか実感がわかず説明も難しいですが、 うまく成果は伝わったでしょうか。発掘調査をどのように一般の方々に説明するか、 どのようにすれば分かりやすいか、これからもしっかり考えていかなければならないと思いました。

 午後は4時に切り上げ、ちょっとした打ち上げ。
南阿蘇の高森町にある「らくだ山」という地鶏のおいしいお店へ。岡本さんの紹介。
これがまた美味い。最高でした。




(写真左)お腹が減って目がつりあがっていいる三好君
(写真右)皿に大きく盛られた地鶏






8/29 現場13日目

 昨日の現説を終え、今日からラストスパート。
まだY層の残っているところでは細石刃が出ています。
一部ではZ層が出てきました。これがうってかわって柔らかい。いわゆるソフトローム。
掘っているとすぐに分かります。

 Z層にまで掘り下げが進むと、これまで出ていた細石刃やその製作剥片が出土しなくなります。
明瞭に分かるのは黒曜石の有無。河原第3遺跡の細石刃石器群は黒曜石(特に腰岳産と思われる漆黒色の黒曜石) を主体に構成されます。
したがってY層では黒曜石製の石器がよく出てきます。
これは今回の調査でも変わっていません。

ところが掘り進めて、Z層になると、黒曜石よりもチャートを主体とする 遺跡近隣で採集できる石材で作られた石器が出土し始めます。
これまでの調査ではZ層中でナイフ形石器も出ていますので、これらは文化層が異なるものと考えています。
石材の違いによって明瞭に分けられると考えています。
しかし、一方でY層中で出てきたチャートなどの石材製石器を細石刃石器群に入れないのかという問題も出てきます。
これとZ層石器群の分離は非常に難しく、頭を悩ませます。

黒曜石を携えて河原にやってきた人々が、このあたりの石材を全く使わなかったとは言い切れません。
これは石材の個体別資料化を経なければ何とも言えません。
これも今後の整理作業に託される重要な作業の1つです。

 13Trではまた細石刃核が出土しました。
しかもこの細石刃核は6日目に出た細石刃核と接合します(折れ面接合)。
やっぱりよく出る。

さぁあと2日。



8/30 現場14日目

 いよいよ残すところあと2日。
各トレンチはY層の完掘に向け、ラストスパートです。
12Trでは最後の最後に台形石器出土。
チャート製のきれいな百花台型台形石器。
百花台型台形石器はこれまでの調査でも出ていて、これで8点目。
今回の調査では2点目。これまで全て細石刃石器群と同じY層中で出ています。

今のところ細石刃石器群とは別物として考えていますが、出土層位はほとんど同じ。
石材も数種類の黒曜石製とチャート製で多様です。分けられるかどうか・・・。
今後の整理作業に委ねます。

午後には9Tr、12Tr、13Trの完掘写真を撮影。
やはり写真撮影には少々時間がかかりました。今回の調査ではトレンチの数が多く、 それらが離れていたり、コの字状になっているので別々に撮影しています。
そのためおのずと時間がかかるのですが、写真撮影は速やかに行うことも重要だと思います。
写真はその他の作業を止めてしまいますから。だからちょっと怒りました。
分かってくれていればよいですが。

測量は今日で終了。あの険しい山中をよく分け入ってくれました・・・。
いい図面ができました。
遺跡が尾根と尾根との間の鞍部に存在していること。
遺跡のある平坦部の眼下には谷があり、その先には小川が流れていること。
よく分かります。
1つの重要な作業が終わりました、お疲れでした。



8/31 現場15日目

今日で最終日。
午前中は昨日撮れなかった完掘写真。
調査区のある農道の北側を反対の北側から撮影。
昨日と同じく雲がなかなか来ず、我慢の時間が続きます。
1時間ほど経ち、やっと撮影が終わると、昨日撮れなかった2つのトレンチの完掘写真撮影。
その間に埋め戻しのできるトレンチは埋め戻しを行い、 トレンチの写真が撮り終わると、次は土層断面の実測。
8mのトレンチを4分割し、2、3年生がペアになって実測。
4時ころから全員で埋め戻し。
ところが4時半ごろから不運の雨。5時半ごろに雨も止み埋め戻しを再開させましたが、 結局6割程度しか埋め戻せず、今日の作業続行を断念。

今日で最終日の予定でしたが・・・。
最終日にやり残した仕事が多すぎました。反省。
残りは明日、しっかりとやりたいと思います。



9/1 現場16日目

昨日の埋め戻しの続き。
2年生と一部の3年生は集中講義のため、一部の3年生と4年生、大学院生で埋め戻し。
遠飛投げと一輪車で一心不乱に埋め戻しです。
途中、暑さで持ってきていたお茶もなくなり、みんなの勢いもなくなってきたため、 水分補給と休憩を兼ねて吉無田水源へ。
これが功を奏したのか、再び勢いを取り戻し、午後4時半には埋め戻しを終えました。
この後器材洗いを終え、大学へ帰還。

   合計16日間という短い日程でしたが、蜂事件というハプニングも今にしてみるといい(?)思い出。
成果も私の予想通りだったもの、予想を裏切ったもの両方ありましたが、 これからの整理作業で面白くなると思える材料を得た上々の現場でした。
予定よりも1日伸びてしまいましたが・・・
2年生にとっては初めての現場。どう感じたか気になるところです。
(写真上)埋め戻し後の調査区
(写真下)埋め戻しを終え、達成感に満ち溢れる人たち

メグ、まゆっち、三好、西山っち、荒田、清水、愛子、平野、津田、森、山手、
一本、さっちゃん、まっさん、慎平、高濱、高椋、みんなほんとお疲れ。
そして岡本さん、どうもありがとうございました。
小畑先生、ご迷惑おかけしました。

最後に、宿舎を提供してくださった緑の村の方々、現場に来てご指導下さった方々、 本当にありがとうございました。