熊本県上天草市
千崎(せんざき)古墳群発掘調査
桐ノ木尾ばね(きりのきおばね)古墳測量調査

徒 然 な る ま ま に


2006年10月16日(月) 50日目 最終日

 夏の調査、最終日です。

 今日は朝から、フィールドマスターの三好君と2人で上天草市史編纂室へご挨拶。
 上天草警察署と熊本県へ提出する書類(発見届と保管証)を届け、現場トイレの撤収や渡辺建設さん・沼田造園さんへの確認連絡をお願いし、そして、次回調査について少しお話。
 今回の現場が終了したと言っても、まだ石室の実測作業と断ち割り作業を残していますので、体制を立て直して近いうちに現場作業を再開するつもりでいます。

 そのような状況なのですが、やはり、ホッとしています。ちょっと疲れましたけれど・・・

 そして・・・頑張ってくれたみんなに、ありがとう!!


 さて、最後は、フィールドマスターの文章で締めくくるとしましょう。では・・・


8月28日から始まった千崎古墳群の調査ですが、本日50日目というきりのいい日についに全作業を終了することができました!
御来跡のうえ御指導いただいた方々、どうもありがとうございました。
当初は3週間という予定でしたが、主体部はさすがに手ごわくて今日まで延長となりました。しかしそれでもまだ石室の実測を残しているのですが・・・。
今回の千崎といい鹿児島県のOZKといい、やはり古墳の主体部を掘るときは延長延長また延長です!これからも頑張っていきます!

気がつけばいつの間にか山に柿が実るような季節となりましたね。まあ熊本はまだまだ暑いですけど。今年はいつまで半袖でいようかな。
初めあれだけたくさんいたセミさんやトンボさん、カニさんなどはどんどんいなくなり、最初から最後まで僕らと一緒にいてくれた生物はスズメバチさんと蚊さんだけでした!謝謝!

やっぱりフィールドマスターという立場上か、今回の現場では特にみんなの頑張りが骨身にしみました!
卒論を抱えながらもずっと参加してくれて最後には10号墳をのっとった4年生(?)の人、
延長後も目がチカチカするまで現場に通い続けてくれたとある3年生、
朝5時の出発と知らずに明日現場来れる人の質問で無邪気に手を挙げてくれた2年生、
この人が来ると必ず晴れる!奇跡のM2、
一人一人挙げていったらきりがないですけど、みんなの頑張りがなかったらきっと現場の延長も果てしないものになっていたことでしょう。
それと学年ごとに傾向みたいなものがありますね、考古学関係者の方は感じたことがありませんか?
2年生はがむしゃらさ、3年生は責任感や自覚、4年生は頼もしさ、またM2以上の人はありがとう、みなさんダンケ!

あとなんといっても先生、至らないフィールドマスターでしたが先生のおかげで現場をやりとおすことができ、またいろんな貴重な体験をさせていただきました、本当にありがとうございます。

これから報告書作業です。
現場を通して研究室のまとまりがでてきたと感じています。頑張っていきますので、みなさんよろしくお願いします!


2006年10月15日(日) 49日目

 鹿児島県考古学会秋季大会の日。
 私と三好君は、「天草の古墳」と題して、千崎古墳群のこれまでの調査成果について発表しました。

 一緒に行ったのは山野君・島津屋君・高椋君、そして中山清美さん。

 朝7時に大学を出て、発表会場のある長島に到着したのは10時頃。またまた長いドライブでした。これだけで疲れた・・・

 長島にある古墳はとても特徴的でおもしろいので、山野君たち3人には、発表を聞くよりも遺跡を見てまわることを勧めました。で、発表会場には私と三好君、中山さんが残りました。

 千崎古墳群にかんする現場作業は昨日に終了したばかり。ですから、研究会が始まっても、私は会場の席で発表資料作り・・・
 でも、三好君は、あの発掘調査に明け暮れる日々でしたが、よく準備していました。

 発表は私が前座、メインは三好君で行いましたが、上の写真はその三好君の発表風景。緊張を隠せない出だしだったけれど、全体としては、まあ、よかったかな?

 ところで、この写真ではよくわかりませんが、三好君のスーツの胸には「KIZUNA」が光っていました。・・・三好君、義理堅いよね!

2006年10月14日(土) 48日目


 朝、5時、大学集合。
 真っ暗な中、現場へ。
 現場、6時半に開始。
 タワー2回立て、最後の写真撮影。
 太陽が昇るスピードと競争・・・
 8時、予定していたすべての写真撮影が終了。

 早出での現場となった今日、集合の5時にも遅れず、日の出とともに始まった現場作業にも黙々と取り組み、埋め戻しの土嚢運びや撤収の石材運びも坦々とこなし、そして最後にとびきりの笑顔を見せてくれたみんなに、ありがとう!
 それから、これまでのすべての参加者に感謝!

 ようやく、長かった今年の夏の発掘調査が終了しました。
 石室実測作業が残ったけれど、ひとまず現場を閉めることができました。
 来週月曜日に町史編纂室へご挨拶に行って本当に終了・・・
 とても疲れたけれど、でも、終わってしまうと思うとちょっと寂しいね・・・

2006年10月13日(金) 47日目



 今日の午後は、ついに、前田さんと私の2人に・・・
 三好君と山野君はどうしてもサボれない演習があるので、午前の作業後、大学へ戻ったのです。

 前田さんと2人で、影を作るのに苦労しながら、何とかかんとか12カットの写真撮影。石室真俯瞰写真撮影では、6×7カメラが重くって、背中がつりそうに・・・
 最後には、石室両側に立てたタワーを2人でばらして・・・
 いや〜、疲労困憊でした。

 でも、前田さんの適切な補助のおかげで、今日やるべき作業を予定通りこなすことができました。固い握手!!

 あとは、石室南側にタワーを建てて撮影する写真、および北側からのローアングル写真が残っています。明日、早出して撮影する予定です。
 最後の一踏ん張り!!

2006年10月12日(木) 46日目

 中1日おくと、カラスがビニール袋で作った小さな土嚢袋をつついていました。
 石室内ではヘビが脱皮していました。
 土嚢の下ではカエルが3匹眠っていました。



 今日も玉が4点検出されたけれど、いよいよそれで打ち止め。で、屍床床面および屍床外床面を、全面砂利敷き面まで掘り下げました。ようやく石室内埋土を掘り切った・・・

 明日、写真撮影の予定。曇って欲しいと心から願っています。

2006年10月11日(水) 45日目

 今日は現場休日。
 2・3限目、考古学実習。三好君が報告書目次案を作ってきたけれど、いよいよ今年度の報告書作成作業が本格化する兆し・・・
 また、河原遺跡(旧石器)の正式報告書作成作業の進捗状況も気になります。

 今年の後半は、いつにも増して怒濤の忙しさになりそうです。
 過労死しそう?

 夕方、今週末の鹿児島県考古学会での発表準備を三好君と行いました。千崎古墳群の調査成果を中心としながら、天草の古墳について紹介します。写真を選んでいると大量になってしまった・・・

 あぁ、発表当日も現場が終わっていないと思うんですが・・・

2006年10月10日(火) 44日目



 1限目は3年生の課題研究指導、2限目は大学院演習。
 そのあと現場へ向かいました。今日は三好君と仙波さんがメンバーです。

 今日は、まず、昨日のうちに検出し終えていた玉の出土状況図を作成、そして取り上げ。そのあと、砂利(地山を砕いた角のある小礫)敷きの床面を検出すべく、玉取り上げ後の面を精査しました。
 上左の写真は、その時の様子・・・で、やっぱり、新たな玉が検出され始めました。その様子が上右の写真。

 う〜ん・・・床全面が砂利敷き面に到達するのは、木曜日になりそうな予感・・・

 そういうわけで、今日は限界まで残業。何とか、今日検出した玉を写真撮影・図化後、取り上げて作業を終了することができました。

 下の写真は、真っ暗になった中での3人・・・レンタカーしている軽バンに座っての記念撮影です。

2006年10月9日(月) 43日目

 虎屋さんからの出勤2日目。
 現場までは虎屋さんから車で5分。ですので、朝8時過ぎには現場作業を始めています。だから、いつもより午前が長く感じられます。

 さて、今日は、屍床内の勾玉・臼玉を検出し終え、その写真撮影を行いました。

 右の写真が屍床の全景。北側から撮影していますが、玉は屍床の南側に集中しています。つまり、写真の上側です。
 玉の出土位置から判断すれば、初葬者の頭位方向は南であると思われます。
 左の写真は、その玉出土箇所の真俯瞰写真。東側から撮影しています。玉出土位置の近くに竹ひごを立てています。写真をクリックするとかなり大きくなるので、玉を確認できると思います。

 ところで、屍床内が大変暗く、しかも暗部と明部の差が大きかったので、フィルム写真がうまく写っているのかどうか、少々心配ではあります・・・

 明日は、午前の授業のあと、午後から現場へ行く予定。出土状況図作成ののち玉を取り上げる予定ですが、現在見えている玉の下からもさらに玉が検出されるのかどうか。その状況によって現場終了日が変わってくるので、明日から数日が最後の山場となりそうです。

2006年10月8日(日) 42日目

 今、夜の9時20分。虎屋の夜。

 泊まりの学生さんは、やはり大変疲れているみたいで(だって、40日以上のぶっ続けの現場なのですから・・・)、皆、布団の中で夢を見ている最中です。

 でも、夕食までは元気でした。その様子が右の写真。
 虎屋さんの浴衣を着て、ビールで乾杯っ! 私の後ろにフィールドマスターが隠れてしまった・・・

 現場では、千崎5号墳屍床内埋土の掘り下げ作業を続行中。幾つかの玉がまた検出されています。

 屍床内埋土の掘り下げが終了すれば、ひとまず埋め戻して、石室実測作業は後日に行う予定です。ですから、もうそろそろ今回の調査期間中になすべきことは終了に近づいてきました。
 いつ撤収するのか。大学のトラック借用の手続きが必要な時に来ています。

 あと一踏ん張りです・・・・・・私もとっても眠いです・・・

2006年10月7日(土) 41日目



 週末、土曜日。
 9人の学生さんが参加してくれました(上段左の写真、クリックすると大きくなります)。

 というわけで、今日の1つのメイン作業は、土嚢を下の駐車場から千崎丘陵へ上げること。それを私を含めて8人で行いました。約150袋とはいえ、いや〜、疲れました。
 千崎丘陵への急な上り坂をリレー方式で運んだのですが、ロートルの私はちょっとバテ気味。女性陣は元気だというのに・・・

 今日はその土嚢を使って10号墳を埋め戻しました(上段右の写真)。これはあっという間だったなあ・・・

 土嚢運びや10号墳埋め戻しを手伝ってくれた学生さんのうち6人は、ちょっと早引けをして熊本市内の自宅へ帰っていきました。下段左の写真は、ちょっと寂しそうな前田さんの背中・・・

 残ったのは私を含めて4人。
 その4人で、この週末は蔵々の虎屋さんに宿泊して、現場作業を続行します。

 そういえば、昨日は中秋の名月だったんですね。下段右の写真は、蔵々の港とお月さんです。

2006年10月6日(金) 40日目

 今日は前田さんが手伝いに来てくれました。修論で忙しい時なのに、本当にありがとう。感謝!

 千崎5号墳では、屍床追葬面の掘り下げ作業。
 赤色顔料を含む土層の記録をとったのち追葬面以下を下げていくと、砂利混じりの土層に達します。これが玄室の床面。つまり初葬面です。
 今日はその初葬面でまた幾つかの臼玉が検出されました。とても小さいのですが、今のところ原位置で検出することができています。

 ほかには、千崎10号墳の蓋石の写真を撮り直したり、埋め戻し用の土嚢を作ったり・・・
 いよいよ現場も終盤という感じになってきました。とくに、土嚢を作っていた時にその感を強くしました。
 右の写真は、その土嚢の上で笑顔を見せる3人です。

 明日は、10号墳を埋め戻す予定です。


2006年10月5日(木) 39日目

 とうとう、今日の現場参加者は3人のみとなりました。三好君と山野君、そして私・・・

 今日は、千崎5号墳屍床の掘り下げ作業に終始。
 屍床には2枚の面が存在することを確認しています。上面直上には赤色顔料を含む土が堆積していますが、下面上にはそういった土は確認されていません。一方、下面直上では勾玉・臼玉が出土しています。でも、上面より上では遺物の出土がありません。
 こういった状況から、上面は追葬面、下面は初葬面と考えることがもっとも蓋然性が高いのではないか。今はそう考えています。
 下左の写真には、そういった2枚の床面の様子が写っているのですが、わかりますでしょうか?

 今日の午後、維和中学校の1年生が現場を訪れてくれました。下右の写真がその時の様子です。短い時間でしたが熱心に見学してくれました。これをきっかけに、郷土の文化財に関心を持ってくれたらうれしいですね!

 そうそう、埋め戻しのための山砂を買いましたが、1.5立米って、2トン車の荷台一杯もあるんですね。ちょっと買いすぎたかもしれません。千崎丘陵に持って登ることに大変苦労しそうです・・・

 ところで、夜に写真家上田義彦についてのドキュメンタリーを見ました。
 プロとは妥協をしないこと。
 そういった精神は、考古学の調査現場にも通じることだと思います。



2006年10月4日(水) 38日目



 水曜日の2・3限は考古学実習の時間なので、本日は現場休みです。

 実習では、今日から本格的に報告書作成作業を開始しました。といっても、旧石器の河原遺跡正式報告書作成作業は大学院生の芝君を中心に以前から行われていますから、今日から考古学研究室報告第42集の作成作業が加わったと言った方が正確かもしれません。

 で、千崎古墳群・桐ノ木尾ばね古墳にかんしては、千崎10号墳北側棺外埋土の水洗作業(上左の写真)と遺物整理作業(上右の写真)を行いました。
 私は、発掘調査がまだ終わっていないので本格的に整理作業が始まったという気になかなかなれないのですが、でも来年3月の報告書刊行に向けて、学生さん共々、新たな気合いを入れ直さないといけませんね・・・

 とてもとても忙しくって慌ただしくなりそうな後期がいよいよ始まりました。

2006年10月3日(火) 37日目



 通い10日目。

 今日で10号墳の作業はすべて終了しました。
 上左の写真は、鉄器取り上げ途中に新たに顔を出した遺物を図面にとる島津屋君。彼は明日から卒論に専念してくれることでしょう。右の写真は、取り上げたばかりの鉄器。器種は何でしょうか? わかりません・・・

 5号墳ではベンガラを含む土層の上にのる転落石と埋土の除去作業。いよいよ、埋葬面(追葬面?と初葬面)の精査に移行です。
 初葬面と思われる床面からは、一昨日に記したように玉が顔をのぞかせていますので、今後、それがどれほど出土するのか、楽しみであると同時に少々怖い気持ちです。他の遺物も残されているかもしれません。その辺に注意しながら、掘り下げたいと思っています。

 ところで、屍床内埋土の掘り下げと遺物の検出作業を終えた段階でいったん現場作業を中断し、調査体制を立て直して今年度末頃に石室実測作業や断ち割り作業を行うことを心に決めました。

2006年10月2日(月) 36日目

 通い9日目。

 今日から授業開始です。後期が始まりました。
 そのせいか、現場参加者もこれまでの最低人数、私を含めて4人となりました。軽トラ1台で事足ります。

 現場作業・・・
 千崎10号墳では、出土鉄器の写真撮影と出土状況図作成。写真は私が撮影しました。千崎古墳群の発掘調査3年目にして初めての遺物出土状況写真撮影でしたから、少々気合いが入りました。楽しかったです。出土状況図は島津屋君が描いてくれました。10号墳は自分が最後まで面倒をみる!との意気込みが伝わってきます。
 千崎5号墳では、フィールドマスターの三好君が、ほぼ1日かけて屍床内の土層を検討・写真撮影・図化。時間はかかったけれど、妥当な解釈をしてくれたのではないでしょうか。あとは、それを説得的に文章化することが大切。今年度末が大変そうです・・・

 そうそう、遺物検出作業を行うようになって、ようやく佐藤昭三さん作の竹ベラがその本領を発揮しています。やはり使いやすいです。

 今、熊大で使っている竹ベラには幾つかありますが、とてもきれいに形の整った竹べらは、京都府長岡京市の佐藤昭三さんから送っていただいたものです。
 私の大阪時代にお世話になっていた方で、ご自宅の竹藪から竹を切り出して発掘調査現場のためにと竹ベラを作って下さっていました。「節と節の間隔が広い竹ってなかなかないんですよ・・・」とよく聞かされたっけ・・・
 私が熊本へ行くことが決まった時、「じゃあ、熊本でも古墳を掘ることがありますよね。その時のために竹ベラを送ります。」とおっしゃって下さって、それから毎年、竹ベラを送って下さっていたのでした。
 数年前「もう歳ですから・・・」ということで、送って下さることはなくなりました。

 佐藤さんのそんな思いがこもった竹ベラですから、学生の皆さんには、大切に使って欲しい。そう願っています。
 私はもったいなくって、佐藤さんが最後に送って下さった竹ベラのたばをまだ使わずに大切にとってあります(上の写真はその一部です)。でも、そろそろ出すべき時が来たのかなあとも思っています。

2006年10月1日(日) 35日目

 通い8日目。

 出て欲しい序盤には出なくって、出て欲しくない終盤に出る。
 得てして発掘調査ってそういうものです。

 千崎10号墳箱式石棺の棺外北側断ち割り部。その断面に見えていた鉄器状のものは、やはり鉄製品であることが判明しました。でも、形がよくわかりません。
 北側にあるのは刀剣の茎でしょうか。その南側に接する鉄板状のものは、三角形を呈しているように見えます。まったく器種の特定ができない・・・取り上げてからの詳細な検討が必要です。下左の写真です。

 千崎5号墳横穴式石室の屍床南西部。赤色顔料(ベンガラ?)を含む土層の下位、黄色粘質土中から勾玉が検出されました。下右の写真です。

 これまでのまったく遺物が出土しない状態から脱却したことは相当うれしいのですが、でも、こんな調査終盤になって出なくっても・・・現場ではよくあることなのですが・・・

 5号墳屍床からはまだ遺物が出土しそうな予感がしています。しかし、明日から新学期。現場の終了をどこに置くのか。思案のしどころに来ています。
 当初に予定していたすべての作業ができるのか。調査体制を立て直して後日に期すのか。明日あるいは明後日には結論を出したいと考えています。

 しかし、主体部って先が読めないですね。本当に怖い・・・
 人生、幾度目かの実感です。



2006年9月30日(土) 34日目

 通い7日目。

 今日は午後1時半から現地説明会。
 地元の方々を中心に30名弱の参加者がありました。古城さん、西嶋君、そして恭二さんも、ありがとうございました。

 下左の写真は、三好君の勇姿。話す内容などについて、すごく頑張って準備してくれていたみたいです。
 下右の写真は、桐ノ木尾ばね古墳への道筋を指し示す看板。「たまたま通りかかっただけなのだけれど、道路のあちこちにある看板を見て来てみてみました」という方もおられて、ダンボール箱で作った看板だけれど、とても役に立っていたようです。



 現場作業は、淡々と進行中。
 10号墳では、断ち割り部の断面写真を撮影。縦断、横断ごとに、それぞれワンカットで全体が写るようにとりました。でも、考えていたより絵にならなかったというのが実感です。以下がその写真。



 今、夜の11時30分。とっても眠いです・・・

2006年9月29日(金) 33日目

 通い6日目。

 私は午前中、院試の面接があったので、現場へは午後から出勤。
 学生さんは頑張ってくれています。

 千崎10号墳にかんして残る大きな仕事は、断ち割り部すべてを通した断面写真を撮影することのみ。明日、曇ってくれれば午前中には終了します。あとは、一部の掘り下げと埋め戻しのみ・・・天気に恵まれることを祈っています。

 千崎5号墳では、屍床内埋土の掘り下げ作業が、思いのほか難航しています。
 まだ床面に達していないと思っていたレベルから、赤色顔料(ベンガラ?)を含む?土が検出されていて、もしそれが動かされていないとすれば、そのレベルに1枚の床面が存在することになります。
 でも、まだ下に床面がありそう?
 最終的には断ち割りで確定すべきことですが、屍床内に幾枚かの床面が存在する可能性も想定して明日の掘り下げを実行します。

 そんな中途半端な状態ですが、明日、主に地元の方々を対象にした現地説明会を実施します。
 今、研究室でこれを書いているのですが、後ろでは学生さんが現説資料作りに精を出してくれています。
 三好君、現説デビュー、頑張れ!

 ところで、右の写真に写るのは玉虫です。Oさん、きれいな虫でしょう?

2006年9月28日(木) 32日目

 通い5日目。

 今日は大学院修士課程の秋期入試1日目です。
 そのため、私は朝7時に大学へ出勤しましたが、その場で現場に向かう7人の学生さんを見送りました。
 私のいない現場は今回初めてでしたが、とどこおりなく作業をしてくれていたみたいです。往復3時間の車の運転も無事、無事故。ホッとしました。本当に彼ら、彼女らをはじめとする学生さんはよくやってくれています。

 夜7時半頃、研究室に帰ってきた学生さんから、屍床内から繊維が出たと見せられましたが、残念ながら繊維ではありませんでした。でも、肉眼では判断が難しい代物でした。残念・・・

 そういうわけで、今日は写真がありません。
 で、以前に写した千崎10号墳のステレオ写真を下に貼り付けておきます。
 立体的に浮き上がって見えるので試してみてね。



2006年9月27日(水) 31日目

 通い4日目。

 今日の朝は大変眠く、車の運転中、何度まぶたが閉じかけたことか・・・
 また、昼食後の午後1時までは、みんなのお昼寝タイムとなっていて、やはり、1ヶ月間ほとんど休むことなく働いてきた疲れが出ているのだと思います。
 本当に、お昼はスッと寝入ってしまいます・・・



 さて、千崎5号墳ですが、ようやく屍床内転落石の除去作業にまでこぎつけました。明日に本格的に除去しますが、はてさて、その下から何か副葬品が検出されるのかどうか? 人骨は?
 ちょっと楽しみなのですが、明日、院試のため私は大学に残ります。三好君はじめ学生さん達がしっかり調査してくれることを期待しています。

 その5号墳の羨道床面。
 羨門付近には平石の置き石が存在しないことがわかりました。そのかわりに地山礫混じりの黄色粘質土が置かれているようです(左の写真)。
 おもしろいのは、それと同種の粘質土が羨道壁体下にも置かれていること(右の写真)。さらに、その粘質土の下からも平石が検出されていること、です。
 つまり、羨道床面に敷かれた平石のうち、羨門に近い幾つかは地山礫混じり黄色粘質土によって埋め殺されている状況が想定できます。

 こうした状況から、次のような羨道構築手順を想定できるのかもしれません。
 1.墓壙底に地山礫混じり黄色粘質土を置き土する。
 2.羨道床面とする場所に平石を置く。
 3.平石から少し離れた場所に羨門下部を構成する框石を置く。
 4.羨門框石と床面平石の間の隙間に地山礫混じり黄色粘質土を置く。その粘質土は一部の平石上にも置かれる。これによって羨道床面を平坦に整える。
 5.同じ粘質土が羨道壁体構築予定箇所の一部にも置かれる。これは壁体石の一部を支える役割を果たす。
 6.羨道壁体を構築する。

 学生さんへ。私のこの想定、どう思いますか?
 羨道の様子をじっくり観察して、皆さんなりの解釈を示してくれるとうれしいです。

2006年9月26日(火) 30日目



 昨日の休養日を1日はさんで、通いの現場再開です。

 作業は淡々と進んでいます。で、早速写真の説明・・・
 上左は千崎10号墳での調査区平面図作成の様子、右は千崎5号墳横穴式石室屍床内の転落石。
 いまだ、5号墳では遺物出土せず。これら転落石を取り上げたあとに期待です。

 さて、今日の帰り、大空食堂へ立ち寄りました。毎年恒例のチャンポンです。
 右の写真でもわかるように、野菜がてんこ盛りです。麺に到達するまでに野菜の層を突破しないといけないので、でも、その野菜の量が尋常じゃないので、一気にお腹へ放り込みます。これが、うまい!

 ところで、今日、現地説明会開催の日時を決め、上天草市史編纂室に地元への広報を頼みました。
 明日から、現場と資料作りを並行して進めていくつもりです。みんな、頑張ってや!

2006年9月25日(月) 29日目

 今日は完全休養日。
 皆何をしていたのかな?
 幾人かの学生さんは、現場で作成した図面のチェックと修正を大学研究室で行っているようでした。

 で、今日は写真がないので、私と山崎さんが調べた維和島の古墳分布などを・・・
 右のサムネイルをクリックしてみて下さい。

2006年9月24日(日) 28日目

 今日で4週間が過ぎました。
 これまでの熊大の調査がどれくらいの日数で行われていたのかよく知りませんが(近いうちに調べてみます)、私が経験したこの9年間の調査のなかでは最も長いものになっています。



 さて、今日も通いでの現場です。
 10号墳では平面図の作成と土層断面図修正作業。5号墳では羨道と屍床内の埋土掘り下げ、および石室壁面の清掃を行いました。
 また、5号墳の石室ですが、昨日でどこまで掘ればいいのかメドが立ったので、全景写真撮影の準備も始めました。上左の写真は、アングル確認のために羨道側にタワーを建てた様子。右の写真は、そのタワー上から見た石室。
 こうしてみると、石室の狭さをあらためて実感します。今日は3人が入って作業していましたが、その狭いこと!

 人が多く入れないので、石室実測図作成に時間がかかりそうです。さらに、今回の現場参加学生さんで石室実測を経験した者がいない点に一抹の不安があります。いちいちの指導が必要となります。
 でも、誰でも最初は初心者。得てして大学の調査ってそういうものですから、しっかり教え込みたいと思っています。この点、覚悟しています。

 ところで、この文章は25日に書いています。
 というのは、昨日の夜、中間コンパで結構飲んだので、すぐ寝てしまったのでした。
 3次会まで行った学生さん達は何時まで飲んでいたのでしょうか? 2次会で帰った私でさえ深夜2時になっていたのですから・・・

2006年9月23日(土) 27日目

 今日から通いの現場開始です。
 朝7時15分に大学に集合。器材を積み込み7時25分に出発しました。
 今日は思いのほか道がすいていて、1時間程度で上天草市にある「お弁当のヒライ」に到着。昼食を確保した後、9時頃、千崎古墳群で作業を開始しました。

 通いということで、今日の現場参加者は私を含めて7人。右の写真は、そうした学生さん達が作業をしている様子です。
 千崎5号墳(左)では羨道と玄室の埋土掘り下げ、千崎10号墳(右)では石棺平面図の作成をしています。

 さて、今日は5号墳で大きな展開がありました。
 まず、玄室(下左の写真)。
 屍床以外の場所にある転落石をほぼ取り上げたので、玄室床面のレベルを確定するために、玄室北西コーナー部で断ち割り作業を行いました。その結果、現在出している面を一皮むけば、砂礫層が存在することが判明。その砂礫層の下には、地山礫を含む土層が存在することがわかりました。10号墳の断ち割り部の結果などを参考にすれば、この地山礫を含む土層は、石室構築時における埋土であることはほぼ確実です。つまり、玄室床面下の置き土。おそらくこれで、腰石を玄室側から支えているのでしょう。そして、その上にある砂礫層は玄室床面を構成するものであると推定できます。
 そして、羨道(下右の写真)。
 玄室側にある転落石を取り上げ、その下を精査すると、平石が並んで存在することが判明しました。そうした幾つかある平石の1つは羨道壁面の積み石の下にもぐっています。つまり、平石は生きています。羨道の床面です。



 う〜ん・・・宿舎を撤収した翌日、皆が参加していない時にこのような状況が判明するとは、現場とはわかりませんね。何か皮肉なものです。
 でも、これで、ようやく先が見えてきました。今日は少ししか掘り下げていませんが、すごく作業が進んだ気がします。

 しかし、上の推定が正しいとすれば、今後遺物の出土を期待できるのは、ほぼ屍床内だけとなってしまいました。だって、屍床部以外の埋土はほとんど除去してしまったから・・・
 時期を決めるものが出て欲しいのだけれど、どうなるでしょうか。明日からの課題です。

 さて、明日で現場開始からちょうど4週間。その間、休みなく現場を続けてきましたが、上のようなメドが立ちつつあり、また私の仕事がたまりにたまっていますので、しかしそれ以上に皆疲れ切っていますので、あさって月曜日は完全休養日にすることを決定。
 学生さん達は、じゃあ明日の夜は中間コンパ(今後も頑張ろう会?)だということで、今日の夜、店を探していたみたいです。
 明日は楽しい夜になりそうです。

2006年9月22日(金) 26日目



 本日、宿舎を完全撤収。
 約4週間の大矢野での合宿生活でしたが、今日でそれも終わり。明日から、通いの現場に切り替えです。
 長期戦覚悟の、なかなか大変な調査になっています。遺物はほとんど出ていないのですが、掘り下げにすこぶる難渋しています。

 今日の午前中は、撤収作業と宿舎清掃に費やしました。上の写真は、上天草市から借用していたブルーシートを洗っている様子です。水遊びのようで、皆、楽しそう?

 上天草市へ返す器材、まだ借りておく器材、大学へ持って帰る器材、現場へ残す器材などに分けて梱包。
 私は、本日中にトラックを返却しなければならなかったので、2時半頃、一足早く現場をあとにしました。1人の学生を熊本駅へ送った後、大学到着は4時40分頃。バタバタ器材を下ろして、5時をまわった頃、何とかトラックの返却を済ますことができました。
 慌ただしくって疲れた・・・

 現場に残った学生さん達がまだ大学へ戻っていないので(今7時過ぎ)、今日の現場の様子は詳しくわかりませんが、桐ノ木尾ばね古墳では全景写真撮影、千崎10号墳では平面図作成、千崎5号墳では転落石の記録作業と掘り下げが行われていたことと思います。

 右の写真は、今日少しだけ様子を見に行った桐ノ木尾ばね古墳の全景。石室部分のみが残されていて、墳丘はすべて削平されている様子がよくわかると思います。
 今日、学生さん達がこうした写真を撮ってくれているはずです。

 ところで・・・
 大学のパソコンを25日ぶりに開き、メールを受信しました。いや〜恐ろしかったです。1000通を超えるメールの嵐・・・そのうちの9割はスパムメールで、サーバーとメーラーでチェックして削除していってくれるのですが、そのチェックの時間がすごく長かった。パソコンがフリーズしたのかと思ったくらいでした。
 読むのが恐ろしく、まだメールを読んでいないのですが、ノートパソコンに移して、明日現場で読むことにします・・・とほほ、現実に戻る・・・
 現実に戻ることといえば、学内便での書類、それから郵便のたばがドバッとありました。これも、封を切るのがおっくうで、そのまま積んであります。
 今日はもう勘弁して・・・

 さて、明日7時、大学です。車2台で現場へ出勤です。
 今日は、ひさびさの自宅で、ゆっくりしたいと思っています。

2006年9月21日(木) 25日目


 上の写真は桐ノ木尾ばね古墳の北側石室。
 天井石の隙間から何とか石室内の写真を撮りたいと、学生さんが頑張っていたようです。堤さんは、その様子を笑顔で携帯写真しています。

 今日は、宿舎完全撤収1日前。そのため、私は朝一のバス(6:39発)で熊本市内へ戻りました。大学へは9時半頃に到着。教育学部から1.5トントラックを借りて上天草市へとって返しました。そして、町史編纂室で明日の撤収についての打ち合わせ。現場に戻ったのは午後1時半頃でした。

 現場。
 桐ノ木尾ばね古墳の現状実測図作成は終了。あとは写真撮影の一部を残すのみとなっています。
 千崎10号墳では、図面作成に移行しています。土層図はほぼメドがつきましたが、石棺の図面作成が大きな仕事として残っています。
 千崎5号墳では、玄室・羨道埋土の掘り下げ作業を継続中。なかなか進みませんねえ・・・先見えず。どうなることやら。今出している締まった面を全面に検出したら、本来の床面がどこなのか、サブトレを入れてみないといけません。そうしないと、まったく終わる気がしません。

 ・・・・・・
 私は、大学主催の長い発掘調査を幾度か経験していますが、今回の現場の学生さんを見ていて、雪野山古墳第3次調査をよく思い出します。
 その時の福永さんの気持ちが、今、わかる気がします。
 雪野山古墳の第3次調査といえば、墳丘調査と石室内漆製品検出作業(下の写真は棺外靫の部分です)を並行で進めた調査でしたが、本当に毎日の進行が遅々としたものでした。とくに漆製品検出作業。
 北條さんが石室の南側、私が北側を任されていましたが、1日中粘土床に寝そべっていても10p四方程度しか掘り進めない・・・漆製品とはそれほどやっかいな代物でした。
 そんな我々の作業状況を、福永さんはとても辛抱強く待って下さいました。もっと早く掘れんのか・・・と言われたことが幾度かあったと思いますが、でも、実際に作業を行っている我々が納得いくまで掘ることを許して下さった・・・そのせいで、3月下旬に始め4月上旬で終わる予定の調査が、5月15日までかかってしまった・・・
 そうした我々の作業の進行を待っていた福永さんの気持ちがどれほどのものだったのか推測するしかないのですが、今、千崎5号墳の作業進行を見守っている私の気持ちは、それに近いものなのかもしれない。そう感じて、雪野山古墳の頃の自分と福永さんをよく思い出してしまいます。
 ・・・・・・

 今日の学生M君の叫び。私も同じ思いです。時期を決めるものが出て欲しい!

今回の調査で私は遺物係を担当している。今回の遺物で目ぼしいものといえば9月2日に10号墳棺内南西から取り上げたチューペット(以前の学生の感想でFMが笑細に記述…)、10日に同墳棺内北西区埋土のフルイがけで見つかった大臼歯、棺内埋土から大量に出土している珪草藻と考えられるものが挙げられる(というより「しかない」と述べるべきか)。
主体部を発掘している5号墳においても、鉄片と考えられるもの数点、埋土中から幾度かフルイにかかった貝片、10号墳と同様の珪草藻片が少量見つかっているに過ぎない。
こうしてみると人工物や製品と考えられる遺物が極端に少ないといえる。いつどこで何が出土したかを毎日チェックすることは重要であり、その重要性ゆえ大変だと思う。しかしなにか土器とか、玉とか、鉄器とか出ないものか!
フルイがけをしている時にはこういったことあれやこれやと考える。はやる気持ちとは裏腹に、砂粒が落ちていく様は眠気を誘い、歌わずにはいられなくなる…そういった諸事情もあって5号墳ではへたくそな鼻歌と「維和島音頭」をみんな口ずさんでいる。口ずさむ必要がなくなる日が近いことを祈りつつ…。


2006年9月20日(水) 24日目

 右の写真は、夜のミーティング後、図面チェックをする学生さん達。
 面倒だけれど、この作業が大切なんですよねえ・・・
 その日書いた図面のおかしいところを夜のうちに修正、あるいはチェックしておく。こうした作業を先輩と一緒になって行うことによって、後輩達は考古学にとって図面とは何たるものなのかを学んでいきます。

 でも、やはり基本は現場。おかしなところのある図面は、次の日、現場で再チェックします。

 今日も、昨日に引き続き晴天。泊まり現場の最後になって、この太陽です。暑い!
 そのせいかどうか、夜の今、皆ぐったりしています。私も体が異常にだるくって眠い・・・今にも寝そう・・・

 今日の学生さんはS君。4年生ですが、現場のリーダーとなって頑張ってくれています。なんやかんや言っても頼りになるやつです。その彼が、泊まりが長く続いた現場には必ず現れる末期的症状について報告してくれています。

九月、三日。快晴。
パートから責任者まで昇進を遂げたSがお送りします。ちなみに元責任者は国外に逃亡しました。早く帰って来〜い。
因みに前回同様、書くこともないのに何故か感想二順目です。FM横暴です。
そもそも理由からして納得いきません。彼が仰ることには、僕らの担当している千崎10号墳からはいつも笑い声が絶えないから、だそうです。
確かに今日は残暑(?)厳しく、みんなテンションがおかしかった感が在って、笑い声やら歓声が幾度か上がっていました。しかしながら、その話題は主にコンベックスへの拘りやら(ちなみに僕は断然Blacky19 3.5m。手に馴染むサイズで、ストラップがついている。更に幅広で、真横に2m引き出しても折れないのだ。見た目もスキ)、どういう人がウザイかという、あからさまに一般受けの悪い話題のみです。これが5号墳の面子のライバル心を刺激して、ウソ笑いまでさせていたとは、この現場も終わりが近づいているのだなぁ、と感じます。

折角ですんで、今日話題に上ったウザイ人をいくつか上げておきましょう。これを御覧になっている皆様方のほとんどを、ぶっちぎりで置いてけ堀に置いていく事請負です。

 一、ちょっと離れた場所で一人実測している人が、笑い声が上がるたびにこちらを見る。
 二、コンベの話題を続けてほしくて、無駄にコンベを上に伸ばす。
 三、ほかの班の所に行って、お茶を飲んで特に話さず戻る。
 四、残り少ない飴ちゃんを全部ポケットに入れる。
 五、↑を作業中に音を立てて噛み砕く。
 六、折角曇ったのにフィルム交換で新しいフィルムを感光させる。
 七、レベルを見たいのにバカボー君が裏返し。
 八、鼻歌泥棒(FM 2003〜2006)

※ウザイ係はウザイと思われるのが仕事ですが、人に迷惑をかけてはいけません。
 心労はたまりますが、みんなの共通の敵になって皆の心を一つにする大切なお仕事です。


2006年9月19日(火) 23日目

 今日は、写真でご勘弁。
 上左は千崎10号墳棺蓋の実測作業風景。4年生の清水君です。
 上右は千崎10号墳棺内埋土のフルイ作業風景。3年生の一本君です。フルイはとても単調な仕事なので眠くなることもままありますが、熱心に頑張ってくれています。そうそう、今日は一本君の誕生日。21歳、おめでとう!
 下左は千崎5号墳羨道転落石の記録風景。玄室はもちろん羨道にも転落石がびっちりつまっていて、断面土層図作成がすこぶる面倒。でも、淡々と頑張ってくれています。スタッフを持っているのは4年生の森君です。
 下右は千崎10号墳から北東の海を見た様子。戸馳島・維和島間の海峡を貨物船が航行中。この海は、昔から海上交通の要衝だったんでしょうね。



 今日はひさびさの晴天で、日焼けしてしまいました。暑かった・・・去年の広浦古墳測量調査を思い出しました。
 少なくとも今週、この天気が続いて欲しいと切に願います。

 さて、今日の学生さんはOさん。10号墳の姉御的存在で、夜の談笑倶楽部会長です。では・・・

2順目トップバッターです。
今日は悲しいお知らせがあります。以前お話したKIZUNA は消滅しました。
それはFMのM好さんが、ある日黄色の水糸を首に巻いていたことに端を発します。
その後も彼は着ける様子が無く、悲しんだ仲間たちも着けるのをやめてしまいました。
ということで、現在KIZUNA は存在しません。しかし第2のKIZUNA プロジェクトはすでに始まっています。以前を凌駕するスケールと迫力。お楽しみに・・・

今日、初めて玉虫について学びました。
みんなの親切な説明によると、
鋭角な二等辺三角形(T濱)の、緑色でのゴキブリみたいな奴(S井先生)だそうです。あと、玉虫厨子は、玉虫の翅をむしってつめたもの(T椋)だそうです。
カナブンではない(みんな)らしいです。
いつか、ほんとの玉虫に出会えるまで、みんなの説明を信じてみたいと思います。


2006年9月18日(月) 22日目



 台風一過・・・とはいかず、午後一から結構な降雨。
 1時間ほどでやんだけれど、すっきり晴れることのない今年の現場です。

 昨日の台風による現場被害ですが、倒木2本程度。
 ブルーシートも、一部が破れていたとはいえ、ほぼ完璧に石室と石棺をまもってくれました。上左の写真は、10号墳近くの細い木が折れている様子。その木の向こうでは、学生さん達が10号墳の箱式石棺に変わりがないか確認しています。右の写真は、その10号墳石棺。石棺の形に水がたまっていますが、中は無事でした。
 現場に被害がなく、本当によかったです。ホッ!

 さて、今日から金曜日まで、新しい宿舎からの出勤です。泊まりの調査は金曜日で終了。その後は通いに切り替えます。
 ですから、今週中に、できうる限りの作業を済ませておきたいと、皆にハッパをかけています。5号墳の掘り下げ作業、そして10号墳の実測作業、残すのはそれらのみにしたいと考えています。
 段取りよく、適切な人員配置・・・フィールドマスターの三好君、腕の見せ所です。頑張れ!

 今日の作業。
 千崎10号墳、棺内断ち割り作業開始。5号墳、玄室・羨道掘り下げ作業継続。桐ノ木尾ばね古墳、実測作業継続。

 右の写真は、5号墳羨道埋土の断面。転落石が多くって、掘り下げ作業やや難航中です。でも、玄室では堅く締まった面が検出されつつあります。腰石のレベルからすると高すぎるのですが、屍床仕切石からすればいい高さなので、ちょっと要注意の面かもしれません。どうなる?

 さて、今日のS君。4年生ながら現場作業に本当に頑張ってくれています。卒論大丈夫?と少し不安になりますが・・・

9月18日(月)晴れ一時雨
4年生の清水が現場の様子を報告します。

現場に参加して16日が過ぎ、いつもよりもとても健康的な生活を送れている。毎日野菜を食べることができる食事がとても好き。去年よりはドレッシングもかけれるようになったし。まぁ、フレンチドレッシングに限るけど…。青じそドレッシングは唇がヒリヒリするから苦手だ。生野菜を食べるのは好きなのだが、本当のこというとすぐに食べ飽きる。そんなときはいつも塩をかけている。結構おいしいのだがあまり人前でしないほうがいいと両親に忠告されたのでこの現場では我慢している。あまり人には話さないが、自分の中で野菜には結構こだわりを持っている。特にきゅうりには思い入れがある。書き出すと長くなるのでこの場では遠慮するが、サラダの成功の鍵は実はきゅうりが握っているんじゃないかと思うくらい好きです。切り方にもこだわる…。

野菜の話ばっかりになってしまいましたが、みんな早寝早起きで、健康的な生活を送っています。この生活が熊本に帰っても続けられればなぁと思います。まぁ二・三日で断念するだろうけど…。またこの感想を書く機会があれば、今度は今日久しぶりに飲んだイチゴ・オーレについて語りたいと思います。


2006年9月17日(日) 21日目

 朝8時半、宿舎引っ越し。
 合津マリンステーションから上天草市大矢野公民館へ。
 で、3週間もお世話になったステーション前で記念撮影。いい写真なので2枚貼り付けておきます。クリックすると大きくなるのでダウンロードしてね。



 新宿舎の上天草市大矢野公民館(下の写真左)へは9時前に到着。生活資材を搬入後、宿舎設営にかかりました。
 2階の研修室1を男部屋、研修室2を女部屋として掃除開始。
 女部屋は畳敷きですこぶる快適そうですが、男部屋はとてもとても堅い床。そのためちょっといい布団を分配してもらいました。でも、寝ると腰が痛くなりそうな予感がします。下の写真右は、その男部屋の床をぞうきん拭きする面々。清水君のパワーが一番勝っている?



 宿舎設営を1時間程度で終えたあと、台風13号が午後にも最接近ということで、10時過ぎ、早速の風呂と昼食へ。風呂はスパ・タラソ。昼食は各自思い思いの場所へ。
 3週間もの長きにわたって、おにぎりと缶詰とわずかなおかずだけの昼食で我慢してきた?学生さん達の多くは、モスへ行ったようで・・・えっ、私? 私は2人の学生さんとだご汁を食べました。

 昼食からの帰り道、台風対策にと単一の電池を探しましたが、行く店行く店すべてで売り切れ。さすが天草の方々は台風対策に怠りなしと変な感心をしながら、手動充電式のラジオ付き懐中電灯を買って帰りました。

 さて、台風ですが、今、午後5時過ぎ、ますますその風の勢いは増すばかり。ゴーーーーーーーーーーッというすごい音を立てて吹き荒れています。
 おっと、今、停電しかかりました。夕食を早めにとらないと危ないぞ・・・

 下左の写真は午後3時頃のものですが、その風の強さがよくわかるのではないでしょうか。右の写真は公民館の玄関。戸がバタバタするので椅子で押さえています。



 ところで、今日17日は、日本各地で文化財関係職の就職試験が行われています。
 我々の仲間の幾人かもそれに臨んでいます。頑張れ!!

 さて、今日の学生さんはY君。フィールドマスターの三好君を陰でしっかり支えていてくれて、さらに現場のムードメーカー的存在。なかなかやるね!

感想

今年から研究生として考古学研究室の一員になりました、山野ケン陽次郎です。僭越ながら本日の感想を書かせていただきます。

今日は朝から台風でした。みんな浮かれています。そしてはしゃいでいます。みんながどの程度はしゃいでいるかを観察・調査してみました。

○第一対象者:K元君 (♂・20)
状況:公民館から風呂場への移動の際、みんなにおいて行かれ、大矢野カーを全速力で追う。
はしゃぎ度:40ウキウキ(目玉焼きには醤油派なのに、みんなに乗せられ思わずソースに手を伸ばす瞬間と同じレベル)
備考:車にのりおくれた理由は母からの電話らしい、ちなみにこの状況ははしゃいでいたのはK元君(♂・20)ではなく、おいて行ったその他のメンバーである可能性が高い。

○第二対象者:S水君(♂?・21)
状況:午後五時十五分にS水君が「UNOしましょうよ!」と寝起きの私に話しかけてきた。しかし、実は午後五時からの食事当番を忘れており、気づいて部屋を飛び出る。
はしゃぎ度:60ウキウキ(席替えでお気に入りの女の子の斜め後ろの席をゲットした瞬間と同じレベル)
備考:ちなみにこのUNOはこの時のために本日、自腹で購入したものである。これにより普通は45ウキウキのところを+15ウキウキとした。

○第三対象者:S井先生(♂・41)
状況:午後五時半、台風により停電が起きた瞬間、「停電や〜!」「飯や〜!」と思わず叫んでしまう。
はしゃぎ度:85ウキウキ(カラオケではしゃいでジャンプし、天井で突き指をした瞬間と同じレベル)
備考:そのとき他にテンションがあがったのは僕だけ。他はそそくさとご飯を手伝いにいきました。

以上、台風の日の浮かれ具合について調査してきました。ちなみに現在みんなでUNOをしようとしているときにM好さんが一人で柔道観戦しているのはマイナス90ウキウキです。

明日は台風が去ります。5号・10号・桐ノ木・トイレが無事であることを祈っております。


2006年9月16日(土) 20日目

 今日はバタバタしていて、デジカメ写真を撮る暇がなかった・・・

 明日17日、台風13号熊本直撃という予報。というか真剣に危ないです。

 そのため、朝から台風対策。
 上天草市大矢野公民館(明日からの宿舎)へ現場器材を避難させ、現場に残すタワーの脚などは風の通りの悪い6号墳周辺へ運び、テントはたたんで、現場トイレは隣の電柱にトラローブでぐるぐる巻きにし、そして5・10号墳主体部のシートは本当に厳重に土嚢で押さえ、午後3時頃、現場の作業を終了しました。
 これでシートが飛んだら、もう仕方がありません。
 台風には逆らえない・・・明日は引っ越ししたばかりの宿舎、上天草市大矢野公民館でゆっくりしたいと思います。

 そんなわけで、今日の現場作業はほとんど進みませんでした。
 10号墳では断ち割り土層の検討、5号墳では玄室・羨道埋土の掘り下げ、桐ノ木尾ばね古墳では実測作業。それらを少し行ったのみとなってしまいました。

 今日、鹿児島の橋本君が現場見学に来てくれました。
 昔からの仲間が現場に来てくれるというのはとてもうれしいと同時に、少し緊張するものです。というのは、やはりきちんと調査している、そしてきちんと学生指導をしているというところを見せたいと気が張るのだと思います。
 でも、その緊張感が心地良いことは確かです。

 学生時代に同じ釜の飯を食った仲間って本当にいいものですよ。少なくとも私はそう感じています。
 この現場に参加している学生さんも、将来、そう感じてくれるとうれしいなあ・・・

 ところで、今日は第一次撤収。明日の宿舎引っ越しに備えて少しでも荷物を減らそうと、完全撤収の22日までにはもう使わないと判断される現場器材・生活資材を大学まで運びました。今日で帰宅予定の2人の学生さんを乗せて、大学まで約1時間半のドライブ。
 大学周辺ではもう長袖のシャツを着ている人が半数以上。そんなところにも季節の移り変わりを感じてしまいました。
 我々といえば、Tシャツに短パンという格好だというのに・・・
 ・・・大学で器材を下ろしたあと、布団を持って宿舎に帰り着いたのは11時頃でした。

 さて、今日の学生さんはMさん。この現場で酒豪であることが発覚した2年生です。いいですねえ・・・・

9月16日(土) 天気、晴れのち曇り時々雨。
今日は台風対策と宿舎の引越しに追われる一日でした。午前中に器材等を大矢野公民館に運び、午前10時過ぎから正午まで作業。(桐ノ木は予定外だったけれど。)
昼食を現場で食べた後、5,10号墳の台風対策などをして、宿舎へ。それから午後5時ごろまで宿舎の清掃。と、こんな感じで一日は過ぎてゆきました。

明日、台風が直撃しそうなせいなのか、異常に蒸し暑かったです。それと雨のせいで道がぬれていて、千崎・桐ノ木の登り・下りで、非常に疲れました。(精神的に。そして人一倍。)
あ、あと岩田さんと弘中君は、部活などの都合で、夕食の後帰っていきました。一足先に、お疲れ様でした。部活頑張ってください。

あと、私的なことでは、ここ数日、すごく甘いものが食べたくてしょうがありません。(本当にどうでもいいですけど。)

まあ、私的にはもう書くことが特に無いので(多分)、これで感想(あまり感想にはなってない気がするけれど。)を終わりにしたいと思います。
お疲れ様でした。明日からも、頑張りましょう。私も頑張ります。


2006年9月15日(金) 19日目

 午前は秋雨、午後は曇りで、なんとか一日中作業ができました。よかった・・・

 でも、17日から18日頃、台風13号が九州上陸の見込み。
 明日の午後は台風対策で、器材の撤収などの仕事で忙しくなりそうです。
 そして、台風のさなか、17日に引っ越し・・・どうなることか、非常に心配しています。

 右の写真は5号墳横穴式石室。
 矢印のところに、立った石材が顔をのぞかせ始めました。
 え〜っ、腰石?
 石材の上に壁体の石材が乗っているように見えるぞ・・・
 でも、屍床の仕切石と判断している石材の上端は、この石材よりずっと高い位置にあるぞ・・・

 というわけで、もう少し下げてみないと何ともいえません。
 明日以降です。

 10号墳では、石棺の写真撮影。ついでにお遊びでステレオ写真を撮りました。
 報告書で使えればと思っていますが、ちょっとカメラ間隔を離しすぎたので石棺の長さが強調されて見えるのはご愛敬。

 2・3号墳の実測は、すべての作業を終了しました。
 桐ノ木尾ばね古墳の実測では、完存している側の石室については終了のメドが立ちつつあります。

 ところで、台風に頭を悩ませているのは私だけではありません。引っ越しをいつにしようか悩んでいるのも私だけではありません。今日の学生Fさんも、大いに心配してくれています。

千崎古墳群・桐ノ木尾ばね古墳の調査も19日目が終了しました。
5号墳ではそろそろ石室の全貌が明らかになりそうだし、10号墳も佳境に入っているし、実測も着々と終わっているし、現場はいよいよクライマックス!な感じです。調査期間も延長するし、頑張って行きましょー・・・というのに、
台 風 1 3 号 がやって来やがるんですよ。
この台風、大型で強い勢力なんですって。まぁ季節が季節なんで、台風が来るのも仕方ないのですが・・・私が気に食わないのはこの台風の進路ですよ。いっぺん逸れたかと見せかけて、中国大陸の手前でありえない位の急角度で曲るのです。ぬか喜びもいいところです。今晩の天気予報を見た限りでは、確実に天草直撃するようです。17日は宿舎移動だけでも大変だっていうのに、こんなタイミングで来るなんて!
やはり、晴れ女のM田さんが抜けた穴は大きいのですね・・・もしくは雨男(らしい)K元先生がうっかり台風を連れてきてしまったか。
とにもかくにも台風が来てしまうのは確実なようなので、まず明日の台風対策を頑張っていきたいと思います。


2006年9月14日(木) 18日目



 晴れ。空気が澄んでいて、雲仙がくっきり見えました。

 ひさびさの気持ちのいい天気のもと、5号墳では転落石除去作業、10号墳では墓壙断ち割り作業の継続。2・3号墳の実測作業も大詰めを迎え、桐ノ木尾ばね古墳の実測作業も順調に進んでいます。
 上の写真は、10号墳担当の島津屋君の様子。現場終了後、1日の調査成果を熱心にメモしています。また、とても堅い墓壙埋土の断ち割り作業につかれた腰を按摩してもらっています。

 こうしたなか、明日から、宿舎引っ越し作業も始まります。
 熊本大学の施設「合津マリンステーション」から上天草市の施設「上天草市大矢野公民館」への引っ越し。
 明日は冷蔵庫を運び込みます。上天草市大矢野公民館の冷蔵庫がこわれているので、町史編纂室の四丸さんがご自宅の冷蔵庫を貸して下さることになったのです。本当にありがたい!

 現場途中での宿舎の引っ越しといえば、大阪大学時代の井ノ内稲荷塚古墳の調査を思い出します。
 現場が始まって2日目だったでしょうか。宿舎にしていた子守勝手神社社務所の裏山が大雨のため崩れそうだということで、地元自治体によって社務所への立ち入りが禁止されてしまったのです。
 それからが大事でした。せっかく搬入したばかりの生活道具を大学へ戻したり、新しい宿舎を探して契約したりと、現場再開まで3日ほどかかったのかなあ・・・

 今回の宿舎引っ越しは、私にとってはそれ以来のことで、熊本大学考古学研究室にとっては初めてのことなのではないでしょうか? それともこれまでにあったのかな?

 そんな滅多にない経験をしているということが、学生さんにとって、いい思い出になってくれることを祈ります。

 そして宿舎完全撤収後は通いの現場に切り替えるつもりですが、そのこともまた熊大考古学にとっての経験値アップにつながることと思います。そうあって欲しい!


 ところで、週末に台風が来そうな予感。逸れて欲しいと願うこと、しきりです。


 さて、今日の学生さんは2年生の黒一点、H君です。10号墳のうるさい先輩のもと、黙々と掘り下げや図面補助に頑張ってくれています。自己紹介付きです。

9月14日(木)
本日の感想を担当することにとなりました2年、弘中正芳です。
今日のお仕事。
午前は写真撮影のために10号墳の石棺内の清掃をし、写真を撮った後は土層断面図の描き足しの手伝いをしました。
お昼休みにはいつも通りおにぎりを4〜5個は食べました。今日のおかずは餃子とマーボーナスでした。食後、5分くらい寝ました(∪_∪)zzz
お昼休みが終わり、午後の作業は棺内の掘り下げです。
石棺の外から内部を掘るために寝そべって掘っていたので今は背中から腰が微妙に疲れています。そうそう、お昼のぽかぽか陽気に誘われたのか、危うく石棺の中に頭を突っ込んだまま寝るところでした。ふ〜、あぶないあぶない( ̄□ ̄;)
3時の休憩では、水分補給をした後また少し寝ました。おかげで頭スッキリです!
その後、棺内の掘り下げも終わり土層の断面写真と断面図を描く手伝いをして今日の作業は終わりました。
今日も図面は描けませんでした。そろそろ描いてみたいな〜、と少し思ったりします。
まあ、そんな感じです。よ〜し、明日も頑張るぞ!!


2006年9月13日(水) 17日目



 また雨です。
 でも、5号墳はビニールシート、10号墳はテント、2・3号墳はマイラー用紙。それらのおかげで、何とかだましだまし作業を続行。1日中、仕事ができました。

 今日の変化といえば、5号墳羨道内の石材の解釈。

 昨年度の調査では、小さい石材を縦方向にしてびっちり詰め込んでいる様に見えるので、羨道を石材で人為的にふさいでいるのでは?と解釈していました。
 でも、上右の写真で見えるように、どうも、たんに転落石が詰まっているだけと見なす方が蓋然性が高そうです。というのは、明らかに転落石であると判断できる玄室内の石材上に羨道の石材が乗っているのです・・・
 したがって、羨道の石材は最後にはずそうと考えていましたが、明日からは、様子を注意深く観察しながら、玄室内転落石と同時にはずしていこうと思っています。
 手順としては1つ減ったので、少々楽になったのかな?

 上左の写真は、その5号墳の解釈を現場ミーティングで熱心に聞く学生さんです。

 10号墳では墓壙棺外部分の断ち割り作業に精を出しました。
 墓壙と石棺の関係がとてもおもしろいですね。その辺、夜のミーティングで説明しましたが、学生さんはどの程度わかったのかな? 断ち割り作業は、石棺構築過程を解明する目的で行っているのだから、そのことを考えながら掘って欲しいと願っています。

 そうそう、昨日帰った仙波さんですが、自宅に帰り着いたのは今朝の7時半頃だって・・・途中で仮眠していると朝まで寝てしまったのかな? 彼女らしいです。

 さて、今日の学生さんはTさん。甲元先生にシュークリームを持って来て欲しいと電話した強者です。では・・・

GANTAIと私

今、現場では全く流行っていませんが個人的に流行らせたいものがあります。
それは「眼帯」です。
私は生まれてから約20年間、一度としてウインクを成功させたことがありません。
ウインクなんて一生できなくてもいーやーと思って生きてきた私ですが、この研究室に入ってその必要性を痛感しました。
光波を見る時、レベルを見る時、アリダードを見る時…
とにかく小さい穴を見る時は片目をつぶらないとはっきり見えんとです!!!
考古学は寸分の誤差も許されない世界…どうやってこの問題に立ち向かえばいいか、私は朝から晩まで考えました。
その結果思いついたのが「眼帯」です。
これさえあればウインクできない私でも片目をつぶった状態になれるんです!!
少々装着に時間はかかりますが、そこはご愛嬌♪(あと距離感もつかみにくいので光波のボタンを押すときスカしたりもします。)
今では「眼帯」が私の中で野帳・ホルダー・コンベに次いでマストなアイテムのひとつになりました。もう「眼帯」なしでは生きていけません。
全国の片目がつぶれず小さい穴がのぞけないみなさーん、「眼帯」はめて、どんどんのぞいちゃいましょう。そして「眼帯」流行らせましょう。

あと、個人的に「貝面くん」流行らせたいんですけどー。誰も食いついてくれなくて寂しいです。


2006年9月12日(火) 16日目

 一日中曇り空。
 そのおかげで、10号墳では、箱式石棺の細部写真を順調に撮影することができました。
 右の写真はそのなかの1枚。石棺の真俯瞰写真です。

 しかし、仙波さん、ついているね。曇っていたおかげで、太陽を気にせず写真を撮れたんだから・・・ほっとしました。
 10号墳はこれでおよそのメドがつきました。

 全景写真撮影は発掘調査における1つの山場なのです。2・3年生には、そのことを実感して欲しいなあと心から思います。

 仙波さん、来週のロシアでの発表準備のため、本日で帰宅。現場は島津屋君に任せて、発表準備と本番、頑張って下さい。
 帰国後、まだ現場をやっていたら、ぜひ戻ってきて下さいね!

 今日、甲元先生が激励に来られて、夕食に腕をふるって下さいました。そのときに飲んだビールのせいか、今、非常に眠い・・・眠い・・・

 で、早速学生さんの文章へ・・・今日はT君。生活係として、とっても頑張ってくれています。皆、口に出さないけれど、そのことは実感しているんじゃないかな?
 合宿制の現場にとっては生活がまず基本ですから、生活係の役割は非常に大きいのです。

 では・・・

発掘も今日で16日目となった。
まず思うのは、そんなに日数が経ってしまったのか、ということである。というのも、5号墳の作業があまり進んだ気がしない・・・。でも、主体部の調査に毎日関わることができるのはとてもおもしろいし、自分自身にとってすごく勉強になっている。はっきり言って、今は現場が本当に楽しい。

今のところストレスを感じているのは、正確に言うと感じていたのは生活面である。
今年も生活係を任された。去年は2年生だったので、先輩が多くのことをやってくれたので苦にはならなかった。だから、これまで生活係を担当した先輩たちの苦しみ(惨状?)を耳にしても、たいしたことはないだろうとおもっていた。しかし、その予想は見事に外れてしまった。毎日の生活上の些細なことが、積み重なって爆発しそうになる。世間のお母さんの忍耐力はすごいと思う。特に、最初の1週間は正直きつかった。でも、みんなが慣れてくるようになると、手伝ったりしてくれるのですごく楽になった。
生活面で口うるさく注意をしている上に、僕自身が時々不機嫌になっているので、皆には非常に不快な気持ちにさせていると思います。この場を借りて謝りたいとおもいます。

・・・どうもすいませんm(__)m・・・

これからも口うるさく言うかもしれませんが、協力してください。


2006年9月11日(月) 15日目



 1日中晴れ。
 この天気が続いて欲しいと心から願います。

 さて、千崎古墳群。
 10号墳では、ようやく墓壙検出状況の写真撮影にこぎつけました。
 地山起源のほとんど同じ埋土で埋め戻された9号墳と10号墳の石棺墓壙の切り合い関係に、悩まされました。
 この古墳担当のチーフ、仙波さん。とてもとても真剣に悩んでくれていました。そういう姿が尊い・・・

 上の2枚の写真はそうして悩んだ末の結論を示しています。10号墳が9号墳を切っています。
 以上のような調査状況でしたから、一部で断ち割り作業が先行しています。
 写真撮影の際に断ち割り部をポンコツしようと考えもしましたが、学生さんが真剣に頭を使った証拠でもあるのでそのまま残して写真を撮りました。・・・でも、ポンコツって、どこまで通じる言葉なのかな?

 5号墳では、屍床仕切石上に乗る転落石はすべてはずしました。かなりの大石も含まれていて少々難航しましたが・・・
 いよいよ、屍床仕切石残存部以下の埋土の掘り下げに着手しています(下の写真)。
 でも、まだまだ転落石が多く含まれています。床面までびっしり入っているかもしれません。
 とすれば・・・盗掘を受けているとしても、それらの転落石にパックされて、案外多くの副葬品が残されている可能性があります。
 今日で15日目ですが、5号墳は、ようやく調査中盤にさしかかったといった感じです。
 まだまだこれからです・・・長引きそう・・・

 2・3・23号墳実測作業の方は、着々?と進んでいます。立面図では苦労しているみたいですが、今後に生かすことのできる経験にして欲しいなあと願っています。
 桐ノ木尾ばね古墳では、平面実測作業に着手しました。

 さて、今日の学生さんはTさん。淡々と書いてくれています。でも、ツボは押さえているね!

今日は晴れでした。
雨のち晴れでもなく、曇りのち雨でもなく、曇り時々雨でもなく、晴れでした。
雨の心配がないというのはすばらしいことです。

そんなこんなで今日は黙々と作業が進んでいました。
独立国23号墳までとはいかなくとも、中心の5号、10号墳から離れている私の作業場・3号墳からはいつもどこからか談笑が聞こえてくるものですが、今日は全体的に静か。2週間が経ち、全体的に疲れがきているようです。Mさんは病院に行かれてしまいました。元凶は櫨?
が、女性陣は昼も夜も元気です(本日到着・Kさん指摘)。
私もそう思います。

私の作業はひたすらコンターライン作成です。
標高28.300を探して林につっこんだら蜂が出現したので諦めました。せめて伐採してからにします。
…周辺の蕨をIさんが刈って行ってしまったのですが。食べるのでしょうか。

Mさんが絆の証を放置し、忘れかけ、そしてそれを知らない二人に夕飯のハンバーグで絆を強調されていました。お疲れ様です。
明日はまた雨だという噂が立っています。
今回も「天気予報はあてにならない」ことを願っておきましょう。
今日もお疲れ様でした。


2006年9月10日(日) 14日目

 今日の午前も雨模様。
 そのため三好君は、5号墳担当者のみ出動し、あとの人は古墳見学することに決定。
 大戸鼻古墳群と長砂連古墳。
 これらの石室を実際に見ることは、千崎古墳群の調査にも大いに有益と思われますので、三好君のこの判断は正しかったと思います。
 見学をした皆さん、いかがでしたか?



 午後からは晴れ間ものぞく天気となり、ほぼ通常の現場作業を行うことができました。

 ようやく、本当にようやく、桐ノ木尾ばね古墳石室現状実測の割り付けに着手。
 今となって戦線を拡大しなくても・・・という気持ちがないではなかったのですが、でも、張り切っている学生さんの姿や大変な伐採をして下さった山崎さんを思うと、また今やっておかないと今後誰がやるのかと考えると、石室残存状況の実測だけでもやっておくべきだろうと決意しました。
 頑張るしかありませんね。

 上左の写真は桐ノ木尾ばね古墳の割り付け作業風景。
 右の写真は2つ並ぶ竪穴式石室のうち北側石室の内部。天井石の隙間からカメラを差し込んでの撮影。1955年、ここから1体の人骨が検出されています。

 千崎古墳群では、淡々と作業が進行中。

 10号墳の箱式石棺については、早く全景写真を撮りたいので(雨が多いので!)、棺内に薄く堆積している先の調査以来の埋土除去に精を出しています。
 右の写真はその様子。
 今日、50年前の調査の取り残しであろう人歯が検出されました。

 5号墳では、明日、いよいよ石室床面上に積み重なっていると思われる転落石の除去作業に入ります。
 副葬品が残されているのかどうか。
 今後どういう展開になるのか、先が読めません。

 そのほかでは、12号墳の実測作業は終了。2・3号墳はコンターラインの記入、23号墳では立面図作成に着手しています。

 さて、今日のTさん。入魂の一作です。
 千崎古墳群を、そして自分が調査を担当した23号墳をいつまでも心に刻んでいてくれたらうれしいと思います。

9月10日、調査14日目。
FMであるM好さんをはじめとして皆おもしろいことを書いているようなので私は真面目に23号墳について語ろうと思う。
@遠い
23号墳について語る場合、まずその"遠さ"について詳しく話す必要があると思う。
作業を始めるためには、一度10号墳付近のテントまで登った体で今度は何段あるか分からないような階段を上がらなければならない。しかも2人で運ぶには多すぎる器材がさらに体力を奪う。やっと階段を上りきって顔を上げたときに見えるのはまだまだ続く急な坂道で、瞬間的にテンションは急降下する。「まだあるの!?」的な状態である。しかしその直後よく分からない高揚感に襲われ頂上まで駆け上がりたいくらいの衝動に駆られる。
・・・話が逸れた。
23号墳の遠さは6行程度で表現しきれるものではないので、少なくとももう数行は語りたい。そうやって苦労して登ってきた甲斐あって23号墳の見晴らしは大変よい。自分たちが通ってきた農道もよく見えるので勝手に侵入してくる者がいないかを見張ることもできる。しかし尾根筋からの侵入者(S井先生)に弱いという欠点も持ち合わせている。
A暑い
23号墳は暑い。他も涼しくはないが23号墳の暑さは尋常じゃないと思う。
昨年調査を行った広浦古墳を思い出させる。人間の体が融けることがあり得るかを本気で熟考してしまう程の暑さである。にもかかわらず蚊も異常に多いというのは私的にかなり理不尽な状況だ。ちなみに私は今までの人生でこれほどビーチパラソルの有効性を実感したことはない。

23号墳について語りたいことはまだまだありますがその話は深すぎて文字で表現きしれないのでやめておきます。読み返してみると23号墳が劣悪な場所であると勘違いされそうな空気になってしまいましたが決してそんなことはありません。いい古墳です。というか真面目に私は携帯の待ち受けにするくらい23号墳が好きになりました。
千崎古墳群に行った際には是非訪れるべきだと思います。


2006年9月9日(土) 13日目

 また雨・・・

 雨に濡れると体が大変だるくなります。今がそう・・・とっても眠いし・・・
 のども痛いし、風邪引きかけって感じです。注意しないと・・・
 学生さんも疲れている時なので、とくに体調管理には気を配らないといけません。

 今日の現場到着直後、大雨。でも、しばらくして太陽が出てきたので、昼3時頃までは何とか調査が進行。でも、そのあとまた大雨。各所に散らばっていた古墳実測担当の学生さんが濡れたので、彼らは一足先に撤収。風呂へ。
 そんな雨の中、シートをかけた5号墳とテントをかけた10号墳は調査続行。でも、雷が鳴り出し、雨がひどくなってきたので、5時前に撤収。
 濡れました・・・

 そんな悩ましい天気のもと、遅々とはしていますが調査は進行しております。
 でも、5号墳の石室掘削が床面に到着するまでには、まだしばらくかかりそうです。

 今日の写真。
 熊本県の古城さん、鹿児島県の池畑さん・松ヶ野さんが見学にこられたので、せっかくですから付近の装飾古墳を見ていただきました。左の写真は長砂連古墳。右の写真は大戸鼻北古墳です。大戸鼻の石室入口、本当に狭いでしょ?

 さて、今日の学生さんはSさん。現場の長老として、そして10号墳の班長として、とっても考えて掘ってくれています。

現場13日目。
現場は今日も雨だった。
FM(フィールドマスター)M好君は自分が雨男ではないのかと責任を感じてる(?)ようだが、雨の多い現場も学ぶことがあってなかなか面白い。が、今のところ天気とあまり仲良くできてないよーだ・・・


今回の現場は何故か年齢層が低い。
いつもは目立ちたがり&出たがりな研究室の先輩方も控えめである。
若い人たちの現場は活気があっていいが、気がつけば最年長。
それにしても、平均年齢を大幅に上げているS井先生に「おばちゃん」扱いされるのはいささか心外。尊敬するS井先生でなかったら、こちらこそ「オッチャン」と言いたいところである。

先日、作業中に昔の歌が話題となった。
ある曲の話になった時、「それ、私が小学校六年生の時の歌だ〜」と言ったら、そこにいた二年生の男子学生が「あ、じゃあ〜僕が幼稚園生の時ですね。」(注:冗談ではありません)

彼は私のこと何歳だと思っているのでしょう・・?

またある時。
二年生が言った何気ない一言。「年功序列で・・」
「Sさんの前で年齢の話は・・・」と三年生すかさずフォロー。しかもちょっと小声。

むしろそのフォローに傷付いた(涙)


現場も(日数的には)佳境。
老体にムチ打って明日も頑張る。


2006年9月8日(金) 12日目



 しかし、雨の予報ばかり・・・

 明日から3日連続雨、の予報に備えて、5号墳の上に覆い屋を設置しました。
 竹を切ってきて、石室南北にある木に渡し、その上に山崎さんが調達してきて下さった農業用のビニールをかけた簡易なものですが、少々の雨には耐えることができると思っています。
 これで、大雨の時以外は掘り下げ作業を継続できそうです・・・そうであって欲しい!!

 上の写真が、覆い屋設置時の様子。
 こういう形に落ち着くまでにも、私の中ではいろいろな設計図が現れては消えしました。

 さて、これ以外の調査地点ですが、10号墳では9号墳との切り合い関係についてようやくメドがついてきたかな、といったところ。
 実測作業では、12号墳が終了。23号墳は立面図作成に移行しつつあります。

 これでやっと桐ノ木尾ばね古墳石室の割り付け作業に人を割くことができそうです。
 この調査に入る前には、人余りになったらいけないと思い、桐ノ木尾ばね古墳の測量調査も準備していたのですが、なかなかどうして。思うようには進みませんね。
 桐ノ木尾ばね古墳の周辺地形測量は断念せざるをえないと覚悟しています。

 そうそう、17日にマリンステーションを撤収したあと5日間の宿舎を確保しました。でも、22日にはいったん完全撤収しないといけない状況です。
 それ以降はどういう形態で調査を継続するのか。頭の痛い問題です。
 ちょっと様子を見て、判断したいと思っています。
 そんな、なかなか厳しい状態になってきました・・・

 以下の文章の執筆はS君。責任感一杯で頑張ってくれています。

本当は昨日までの参加予定だったんですが、調査している10号墳の進展が芳しくないので参加延長しております。でも延長初日にいきなり学生の感想の担当に当たるとは思ってもみなかったです。
今日は残念ながらなんら面白いことのない、ただひたすらあっつい一日であったので、今回の調査で一番印象に残った出来事といえばやはりメガネです。今のメガネに変えてからは、昨年の卒業式の時以来、研究室の面々とは暫く会っていなかったのですが。会う人毎に、メガネのつるが白く汚れてると言ってきます。
僕は声を大にして言いたい。
僕のメガネはラメ入りです。汚れてなんかないよ。


2006年9月7日(木) 11日目

 チーム三好!
 そんな雰囲気になってきましたねえ。夕食片付けの様子を見ていて、そう感じました。
 結構、女性に人気があるね!?

 今日は、ひさびさの晴天。空気も乾燥していてすがすがしい空気でした。いつ以来?
 こんな天気が続いてほしいのですが、予報では週末また雨と言っていますね。
 なかなか進みません。

 そんなこんなで、現場の様子です。

 上左の写真は千崎5号墳。天井石を取り上げた後、その下の埋土を掘り下げていると、程なくして、右屍床の仕切石が検出されました。床面が近い!
 ということで、ここで掘り下げを一旦停止。
 いよいよ明日の午後くらいから埋葬部の調査に移行します。
 でも、転落石が多くって苦労しています・・・

 上右の写真は千崎10号墳。棺内埋土を下げています。でも、50年前の調査で掘り尽くされているようで、また、締まった面(おそらく床面)の直上に蓋石の破片と思われる石材が転落していました。
 う〜ん、どういうことだ・・・

 2・3・12・23号墳の実測は順調に進行中。
 5号墳の仕事を残して、調査期間延長になりそうな予感がひしひし・・・。

 さて、今日の学生さんはK君。みんながこんな気持ちで調査に臨んでくれるとうれしい!

千崎古墳群の調査は自分にとって二回目になるが、一番感じるのは「三年生」という立場上考えることが多くなったということである。
去年は先生や先輩に言われた仕事をこなすことに一生懸命で、自分の仕事の意義や内容を理解しきれていなかったが、今年は実測の際に竪穴式石室の構造を把握するために、生きた石・死んだ石を区別しながら書くことを心がけ、実測図も石っぽさが出るように外形線と輪郭線の濃さを使い分けるようにしている。
また、朝の準備や現場の片付けの時にも、先輩に言われなくても次に何の仕事をすればよいかを自分で考えて行動するようになったと思える。
現時点で調査は半分が終了したので、今以上に仕事の段取りをよく考えて作業を続け、この現場からたくさんのことを学んでいきたい。


2006年9月6日(水) 10日目

 また、雨!!

 昼前、11時過ぎからポツポツと降り始め、現場テントでお昼のおにぎりを食べている頃には本降り。そのため、フィールドマスターの三好君は撤収を決断。
 いったん宿舎へ戻ったのですが、しかし、その頃には小康状態に・・・
 でも、今にも泣き出しそうな空模様・・・
 で、三好君は、雨シフトでの出動を決断。シフトメンバーは5号墳と10号墳の面々。
 小雨模様の中、現場作業をしていると、ようやく雨が上がってきたので、待機メンバーも現場へ到着。午後3時半頃から、ようやくフルメンバーにての作業を行うことができました。

 いや〜、雨に悩まされる現場です。
 主体部をあけていますから、とくに気を遣います。
 万全の雨対策を行わなければならないので、今日、新しいブルーシートを2枚購入。

 しかし、なかなか進みません。
 でも主体部。あせりは禁物と心に言い聞かせ、ていねいな調査を行いたいと思っています。

 さて、下の写真は、千崎5号墳横穴式石室への転落石を取り上げている状況です。とても大きな石材なので、おそらく天井石ではないでしょうか?
 土のうを用いて、何とか石室外に運び出すことができました。



 もう一枚の右の写真は、千崎10号墳。
 隣に位置する9号墳石棺の墓壙との切り合い関係が不明瞭なので、今後の調査方針を相談する首脳2人です。

 さて、明日は、どうなるのかな?


 ところで・・・
 現場に流行るもの。
 あめチャン、パラソル、無精ひげ。

 今日のOさんの文章は、そんなお話です。

KIZUNA 〜2006・夏〜

千崎古墳群の調査も中盤にさしかかりました。
ここで、今現場で流行っていることについて話したいと思います。
今現場では、首から水糸を提げることが流行っています。しかもピンクの水糸です。
これは某フィールドマスターから始まったもので、彼の水糸は女の子からプレゼントされたものです。今はみんないつでも身につけています。これが現場のルールです。
もし千崎にお越しの際は、ピンクの水糸を首から提げてみてください。
これであなたも熊大考古学研究室の一員です。私たちと固い絆で結ばれてみませんか?




2006年9月5日(火) 9日目



 朝、楽しく「おにぎり」ニギニギ(上左の写真)。
 現場で、張り切って「かーせん」ツケツケ(上右の写真)。

 でも、雨でした・・・

 ・・・
 フィールドマスター三好君の号令一家、ポツポツ泣き出した空のもと、現場へあがる。荷物もあげる。
 かーせんこをつけ、各部署へ散り、さあ!というところで小雨。
 図面は実施不可能となり、5号墳・10号墳の支障のないところの掘り下げを強行しようとするも、
 さらに雨足強くなり、シートをかけて待機。
 小康状態になり、シートをとるとまた雨でシートをかけて・・・の繰り返し。
 結局、三好君は撤収の号令。11時。

 宿舎で昼食をとり、そして待機・・・待機・・・
 私はお昼寝3時間・・・
 そして、4時頃、本日の中止が正式に決定。
 あとで聞くと、3時半頃までは何とか作業を行うつもり満々だったとか。
 ・・・

 そんなこんなで、現場9日間のうち3日目の雨の1日となりました。
 しかし今年はよく降ります。
 季節はもう秋。秋雨前線、停滞中。
 今年は雨が多いというつもりで、覚悟を決めなければいけません!



 夕方、みんなでスパ・タラソへ行きました。いつもとは別の温泉です。上の写真はそのときの様子。
 詳しくは、今日の学生Iさんの以下の大作をご参照下さい。
 (なお、上の集合写真はクリックすると大きくなります。ダウンロードしてね!)

嵐を呼ぶ!?M好さん

2006年9月5日。

今日は朝から怪しい雲行き。

出発し、千崎古墳群が近づくにつれて雨が降ってくる。機材を上に上げるも、雨が降ったり止んだり・・・。とりあえず図面は無理だということで、5号墳の手伝いに入る。
ブルーシートを取り外し、さぁ始めようか!と、ここで雨が強くなり、再びブルーシートをかける。一旦待機ということで、テントに戻りくつろぐ。
あまりのヒマさにS井先生は光波で23号墳をのぞき見るという大胆行動に出る。それに続くMさん。そしてMさん(右の写真)。
彼らの情報によると、23号墳においてT濱さんは王様的地位にいらっしゃる様子だったらしい。さすが独立国23号墳(国民2人)。

その後雨が弱まり、5号墳で作業を再開しようとするが再び雨が。今日はもう撤収という指示が。
テントを片付けましょう。私も手伝います。じゃあ、こっちから下ろしますよ。はいっ。おろす。
すると・・・頭上から大量の水が!!!!
バシャ!という水音と共に私の帽子はビショビショに。でも髪は無事でした。
すごいぞ帽子。ありがとう帽子。帽子は私たちの身を守ってくれる素晴らしいものです!
皆さん、しっかりと帽子をかぶりましょう☆

昼食を宿舎でとり、雨が降っていないので再び千崎に行くことに。ところがまたまた雨が。準備はばっちりなのに。再び待機。

M好さん「静かに待機してください。」

分かりました。任せてください。寝ます。お昼寝タイム☆
M好さんが「じゃあ、行こうか。」と言って現場へ行く夢を見る。私の心は現場色に染まってしまったのでしょうか?
4時頃、S波さんが起こしてくださる。同じ部屋のO濱さん・Tさんも現場へ行く夢を見たらしい。みんな現場色・・・。起こしていただいたときも、「あぁ、そろそろ行くのか」という面持ちで食堂へ。
今日は中止らしいです。え?ほんとに?

時間があるのでみんなでスパ・タラソへ。
ここで事件が起きましたが、内容は伏せておきます。
タラソの前で記念撮影(上左の写真です)、そしてタラソでタランテラピー(O濱さん語録より)。いい湯でした。ハハン♪
風呂上がりにはソフトクリーム(バニラ&ソルト)を食べました(上右の写真。中央が私?)。美味でした。
宿舎に帰り、食事。今日もおいしい食事をありがとうございます!!S井先生、もちパイご馳走様でした!!

今日は雨が降ったので調査が中止になり、中休みという感じで睡眠・休養をしっかりとることができました。明日からはどうなるか、予定は未定ですが、調査が順調に進むことを祈っています。
おつかれさまでした。


2006年9月4日(月) 8日目



 今日は3年前からの念願であった千崎5号墳石室の真俯瞰写真を撮影することができました。
 アイデアはずっと心にあったのですが、タワーがない、ハシゴがない・・・など諸々の理由のため、実現できずにいました。

 しかし今年はなんとしても撮影したいと、八方手を尽くした結果、今日実現!

 これには、2日前の日誌に登場いただいた山崎さんのお力がすごく大きかった・・・
 広浦古墳の地主である渡辺建設さんからタワーをお借りすることができたのも山崎さんのおかげであったし、タワーの上に渡すハシゴを探してきて下さったのも山崎さんでした。
 いくら感謝しても仕切れないくらいです。本当にありがとうございました。

 そうして撮影した写真が右のものです。なかなか・・・
 左の写真は現場ミーティング風景。10号墳における今日の発掘成果を説明する島津屋君です。

 さて、今日の感想はI君。合宿生活って気を遣うことが多いよね!

調査実習が始まって1週間と1日が過ぎたところですが、今回の調査は去年の調査経験からか、はたまた報告書作成作業を経験したせいか3年生全体の傾向として昨年より現場を楽しんでる人が多いようです☆

と言ってもこういう行事にハプニングはつきものという法則がこの世界にはありますが・・・今回のハプニングの担い手としてどういうわけか運命の神は僕を選択してくれやがりました(-_-メ)

事件は昨日。洗濯当番をしてどたばた昼飯のおかずを作り現場へ出発しました。道中の車内で「あ、氷忘れた」とか考えるも、引き返すのもめんどくさいとこまで来ていたのでそのまま現場に到着。フィールドマスターに昼食を持ってきたことを報告し、昼食の準備をするように言われた瞬間・・・!!(茶碗、忘れとるがな・・・!!(>_<))

結局、みんなして手づかみでおにぎりを食べる昼食となりました。悪いのは運命の神様です。私は決して悪くありませんから。え?「車内でどうでもいいようなもの思い出したくせに肝心なもの忘れるなんてどういうこと?」

そんなこと覚えてません!\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?


2006年9月3日(日) 7日目

 今日は日曜日。
 現場を始めて1週間がたちました。といっても、搬入と降雨のため現場作業をまともにできたのは4日程度でしょうか。

 今日から、予定していた4つの古墳(千崎2・3・12・23号墳)すべてで平面実測作業が開始されました。破壊され、石材が散乱した状態の石室を記録する作業ですから、なかなか大変だと思います。石の生き死にの判断はもちろんのこと、どこまで書けばいいのかの判断もむずかしいところ。でも、これを書ききれば、少しの自信が出てくるのじゃないかな? それを期待しています。

 10号墳では、残りの調査区を掘り下げて墓壙ラインの検出にいそしみました。9号墳の墓壙との切り合いが・・・
 右側の写真です。この写真は、石棺北側からの様子です。
 5号墳については、今日はそれほど変化なし。でも、玄室内に転落している巨大石材の全体がほぼ顔を出しました・・・左側の写真の中央に写っています。

 さて、今日の学生さんはA君。いい感じで書いてくれています。

今日は実習七日目。
今日から昨年度ヘッドだった前田さんが調査に加わりました。
この現場も前半地点に来ましたが、みんなまだまだ元気に調査しています。今年は元気がいいようで。2年生に体育系が増えたおかげかもしれません。

現場はというと、訪問者が多かった一日でした。
親子の訪問者を皮切りに、福田さん御一行、熊本市教委の御三方が来てくださり、色々とアドバイスをいただくことができました。勉強になります。更に、市教委のみなさんから差し入れを頂き、リフレッシュすることができました。これは現場のいいところです。訪問するみなさん、期待しています。

さて、今日の作業成果は、10号墳で墓壙ラインが推定できた、5号墳で土層断面が取れた、2・3・12・23号墳で実測が進んでいることの3点です。みんな試行錯誤をしながら図面を作成しているところは、昨年の自分を見ているような思いになりました。和やかな雰囲気で調査が進んでいるので、この調子でいけたらいいなぁと思っています。
では、明日も頑張ろう!


2006年9月2日(土) 6日目



 ようやく、現場がこなれてきました。

 朝の準備・出発や現場開始、現場作業、休憩、最後の片づけなどが、少しカクカクしているけれど、でもスーッと流れだしたような気がします。

 で、今日は早速、写真の説明です。

 上2枚と右は千崎5号墳の調査風景。
 本日の作業は、玄室内埋土上層部の土層図作成と写真撮影、その後、断面畦はずしでしたが、その際、調査を始めた3年前から悩まされ続けてきた樹根をようやく除去しました。やった!!
 その作業を中心となって行って下さったのは山崎さん。我々が大矢野町の古墳にかかわるようになって以来ずっとお世話になっている地元の文化財保護委員さんです。
 おそらく、我々慣れないものがやるととても難渋したことでしょう。でも、さすが山崎さんで、大汗をかきながら1時間ほどで、根を取って下さいました。上左の写真は、その山崎さんの勇姿。上右の写真は、その根を持ち上げて喜ぶ学生さんです。
 その下の写真は、玄室内に残した横断畦。今日は縦断畦だけをはずしていて、明日はこの横断畦についてのいい写真を撮影する予定です。
 この横断畦の下には、非常に大きな転落石が横たわっています。おそらく、その大きさからするとこの玄室の天井石でしょう。明日、うまく作業が進むめば、それを含めた多くの転落石の取り上げ作業に取り掛かることができるのですが、さて、どうなるでしょうか?

 10号墳では、調査区を設定して、石棺の墓壙ラインを検出すべく掘り下げ開始。
 掘り下げ後しばらくして、墓壙ラインが検出されはじめました。右の写真の右側に見えています。
 でも、変な状況も確認されつつあります。というのも、石棺側壁沿いに石棺材片が置かれているのです(写真の左側)。蓋石が存在していた時には見えなかったものです。
 いつ? だれが? なぜ? 何のための石材?

 2・3号墳では石室石材散布状況図の作成に入っています。3年生が2年生を指導しながらの作業ですが、その3年生もまだ慣れない作業なのでとまどっているみたいです。
 でも、今日は、この現場に駆けつけてくれた卒業生の森君が厳しい指導をしてくれていました。書き直せ!との指導も入ったみたいですが、そういった厳しさを経験すると、図面はグッとうまくなります。頑張れ、3年生!

 12・23号墳の割り付けは本日終了。明日から実測に入ります。

 さて、今日は昨日とは異なるM君の独白です。では…

昨日、今日と晴れが続いている。
雨のためにフィールドマスターが実習開始早々参ってしまっているのを目の当たりにしていたので、その悲しそうな顔を見ずに、且つ先生が言うように「実習らしく」なっていっているようで嬉しい。作業する、ということ自体が天候に左右されるものだとは、去年の現場(雨の日が2週間以上なかった)からはとても考えられないことだったので、晴れるということはすばらしいことだと痛感している。また調査者全員が生き生きとしてきたように感じる。
20人前後の人が3週間ものあいだ共同生活を送るということは、きわめて奇妙なことだと思う。食事、洗濯、掃除、会計、その日の図面の手直し、写真や器材のチェックなどをいつも集団で行っていくということは日常生活からは考えられない「生活」である。ただそのなかで得るものは、日常生活では得られないものばかりであるように思う。
これが経験不足の4年生の実習観です…


2006年9月1日(金) 5日目

060901senzaki5 furui.jpg(45621 byte) 060829senzaki3-2.jpg(57166 byte)  本日、5号墳石室内埋土の掘り下げ開始。

 昨年度までに、横穴式石室であること、でもその羨道は幅30pに満たないとても狭いものであることが判明していました。また、一部の掘り下げを行っており、玄室内に非常に多くの転落石があることもわかっていました。

 右の写真は、その掘り下げ風景。人の大きさと比べてもらえば、とっても狭い玄室であることがわかると思います。
 また、その埋土のフルイ作業も並行して行っています。まだまだ上層の埋土ですから多くの期待をしていなかったのですが、小さいながら鉄片が検出されました。鉄器を専門とする三好君…引きが強い?

060901senzaki10 kaikan.jpg(61854 byte) 060901senzaki10 kaikango.jpg(40948 byte)  そして、本日、10号墳箱式石棺の蓋石を開けました。
 1955年(昭和30年)に玉名高等学校によって開棺・調査され、4体の人骨が検出されている石棺です。その蓋石を50年ぶりに開けたというわけです。
 蓋石の現状については2年前に実測して記録していましたが、その側石や小口石の状況がよくわかっていなかったものですから、今年思い切って開棺することを決意したというわけです。

 上の写真はチェーンブロックを使って蓋石を持ち上げているときの状況。そして、開棺後の10号墳。

 取り上げたのち反転させてわかったことですが、蓋石の一部が欠損していました。そしておそらく欠損部が生じたためでしょう。その蓋石を正位置ではなく斜めに復元設置していたこともわかりました。
 そして、蓋石裏面が大きく剥離しかかっていることもわかりました。この補強作業、明日以降の大きな課題となっています。

 さて、以下は、学生のM君に書いてもらった本日の日誌。苦笑必死です…

どうもはじめまして、こんばんは。今日から千崎古墳群の調査期間中、学生が感想を書くことになりました。よろしくお願いします。
今日はなんと50年ぶりに千崎10号墳の棺蓋が開きました!
1955年に玉名高校考古学部により調査された石棺なのですが、今回再調査をしているのです。10号墳の石棺内には蜂の巣があるという恐ろしい噂にもくじけず、おっかなびっくり棺蓋を開けたところ棺内には変なものといえばチューペットのからが一つ転がっているだけでした・・・50年前のチューペットでしょうか?
これを杉井先生がチューチューと呼んでいるのを聞いて思い出したのですが、このお菓子にはいろんな名前があるようですね。チューペット、チューチュー、チュッチュ、チューチューボンボンなどなど。さて、みなさんはなんと呼びますか?

学生の感想第1号でした。


2006年8月31日(木) 4日目

060829senzaki3-2.jpg(57166 byte)  本日も雨模様。
 でも、だましだまし、何とか4時頃まで作業を行うことができました。

 しかし、今にも泣きそうな空でしたから、石室や石棺など埋葬施設の調査は中断したまま。
 石室残存状況実測予定古墳の割り付け作業に精を出しました。

 そのように作業を限定したから、今日は人余り気味。
 でも、2年生にとっては割り付け作業はもちろんトータルステーションを実地で使うことも初めてでしたでしょうから、人の作業を見ているだけでも勉強になったのではないでしょうか。そう願っています。

 明日は天気が持ち直すと聞いています。
 いよいよ、調査5日目にして、本格的な作業開始といきたいところです。予定としては、5号墳横穴式石室の掘り下げ開始、10号墳箱式石棺の開棺、2・3号墳の石室残存状況の実測作業開始・・・
 さあ、頑張りましょう!

 ところで、今日は2004年度の千崎古墳群調査フィールドマスターの森君が遊びに来てくれました。・・・遊びではないですね、作業を手伝いに来てくれました。今日から9月3日まで、後輩達と一緒に現場作業を行ってくれる予定です。
 千崎古墳群調査開始当初からの仲間ですから、彼が来てくれて、私もとても楽しいです。でも、後輩達は、彼のノリについていけるかな?

 上の写真は、雨模様の毎日のため、宿舎の部屋に干されている洗濯物。私の布団の上ではためいています。


2006年8月30日(水) 3日目

060829senzaki3-2.jpg(57166 byte)  なんと! 現場3日目にして早くも雨!

 そのため、本日予定していた10号墳箱式石棺の蓋石をはずす作業は後日に延期しました。

 チェーンブロックをお願いしていた造園業者さんは朝一に現場へ来て下さったのですが、相談の結果、足場が悪いこと、そのため石棺周囲の地面を大きく傷つける可能性があること、そして何よりも安全のためには天候の回復を待つべきであること、こうした理由により本日の開棺は中止。数日後に、再度お願いすることに決まりました。
 でも、明日31日も、あさって1日も雨だって言っているんだよなあ・・・こんな時は天気予報が恨めしい限りです。

 さて、そういうわけで、この現場のフィールドマスター三好君(M1)は、本日の現場作業の縮小を決定しました。少人数の精鋭部隊で実測予定古墳の割り付け作業を行う・・・幸い研究室が保有するトータルステーションは完全防水をうたっているものですから、少々の雨ではびくともしません。

 そこで、そのトータルステーション1台を用いての割り付け作業を、午後から4人で行いました。選ばれた3年生・4年生は頑張ってくれていましたね。

 しかし、こう雨続きだと、今後の調査予定にも支障を来します。すっきり晴れてほしいなあと心から願っています。

 ところで、上の写真は、午前中の宿舎待機中、その宿舎の階段を拭き掃除する学生さん。宿舎にしているマリンステーションをきれいに使うことも、この現場での重要課題です。


2006年8月29日(火) 2日目

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 ようやく現場らしくなってきたかな?

 昨日の私は、トラックの返却とレンタカーの借り出しで大学往復。
 そのためほとんど千崎古墳群に登っていなかったので、今日が初現場のような感じでした。初めての発掘調査の学生さんたちは、何をしたらいいのかととまどっているようですが、そのうち慣れてくるでしょう。

 それにしても暑いですね。汗がしたたり落ちてきます。

 そんな中、伐採と清掃ばかりで始まった現場ですので、皆少しお疲れの様子。でも、明日から実測のための割り付けやら、石棺や石室の掘り下げやらが本格的に開始されますから、頭を使ってする作業ばかりとなってきます。体に加えて頭も疲れさせる毎日になっていきますが、そういった現場もなかなかいいのではないでしょうか。
 自分の担当以外の作業もよく観察して、しっかり勉強してほしいと思っています。

 さて、上の左の写真は、現状写真撮影のための清掃をしている様子。手前に見える石材の山が3号墳、向こうに見えるのが2号墳です。明日からここでは実測作業が始まります。まずは割り付け!
 右の写真は10号墳。箱式石棺の棺蓋です。この石棺は1955年(昭和30年)に開棺されていて、中から4体の人骨が検出されています。その人骨については『考古学研究室報告』第41集(2006年3月発行)で報告していますが、今回は50年ぶりに石棺内を調査します。明日、開棺の予定。


2006年8月28日(月) 1日目

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 千崎古墳群発掘調査、3年目の夏、開始!

 毎年のことですが、朝8時に工学部3号館の考古学資料室に集合。教育学部から借りたトラックに器材を積み込み、上天草市史編纂室へ向けて出発。10時過ぎ、到着。
 宿舎の合津マリンステーションには11時過ぎに到着。宿舎用器材と個人荷物を運び込み、この日は個人で買ってきた昼飯をとったあと、12時頃に現場へ出発しました。

 現場では、大荷物の搬入で、皆けっこうバテていたという報告を受けています。

 私はというと、荷物を下ろし、次に造園業者さんから3足の脚立を借りて再度現場へ運び、そして、トラックの返却のため大学へ戻りました。3時過ぎ着。

 大学では、コンパネの積み下ろしと、トラックの返却と、ガソリンの精算と・・・
 そして、今年は軽トラバンをレンタカーすることにしていたので、その手続き・・・
 などなどの細々した仕事を済ませて、宿舎へとってかえしました。でも、着いたのは6時頃。

 現場の様子は、夜のミーティングで知ることとなりました。まあ、今日は搬入と、伐採と、清掃と、調査前の写真撮影に専念してもらっていたため、大きな混乱なく現場作業が行われていたようです。

 昨年、宿舎の使用状況について、センターの方から注意を受けていたので、今年は名誉挽回との気持ちで、夜のミーティングで再度の注意を与えました。センターには卒論や修論、あるいはドクター論文に向けての実験・研究をしている理学部の方が多く泊まり込んでおられますから、その方達に対して気を遣った行動をするというのは当然といえば当然のことなのですが・・・その辺の配慮を、学生さん達に注意したというわけです。
 こうした別世界の方との共同生活を経験する。わずらわしいかもしれないけれど、考古学の学生さんにはいい経験にしてほしいなあと願っています。

 さて、上左の写真は夕食風景。今年のフィールドマスターがカレーでふざけています。上右の写真は夕食片づけ風景。下右の写真は温泉からの夕日。この夕日を見ることのできる時間に毎日撤収したいものなのですが・・・はてさて・・・