熊本県上天草市
千崎(せんざき)古墳群発掘調査・長砂連(ながされ)古墳測量調査

徒 然 な る ま ま に


2004年10月上旬のある日
維和中学校の生徒さんからのお礼文集
 右の写真、何かわかりますか?

 千崎古墳群を案内した維和中学校の生徒さんから、お礼の文集が届いたのです。写真はその表紙です。
 なんともかわいい・・・

 1年生のみんなが書いてくれたみたいで、それぞれ便箋1枚に、説明会の感想を綴ってくれています。
 「これからも古墳の発見、がんばってください」の言葉には、ほほえましいものを感じてしまいます。

 思いもかけずこのようなものを頂いたので、なんだか心がホッと温かくなり、とてもうれしく思いました。

 維和中学校の皆さん、こちらこそ、どうもありがとうございました。
 考古学に興味がでたら、大学まで遊びに来て下さいね!

 P.S. 文集は杉井の部屋に保管しておくので、読みたい人はいつでもどうぞ!!

2004年9月17日(金)

 午後の器材整理後、ペルー料理店で打ち上げ!


2004年9月16日(木)
撤収。工学部3号館の玄関前で。
 本日撤収。予定より1日早く、撤収作業を終了しました。
 私の経験の中では、撤収が予定より遅れることはあっても早まることはなかったので、何かちょっと変な感じでした。でも、皆疲れていたから、ちょうど良かったのかもしれません。明日の器材整理後、打ち上げ!という段取りにとっても都合が良かったみたいです。

 写真は、大学の工学部3号館1階にある考古学資料室前にて。撤収で引き上げてきて、少々ほっとし、またうれしそうな面々です。遠景写真を撮影したのちに帰ってくる予定の写真班の到着を待っています。


 さて、今回の調査は、私が熊本大学へ赴任して7年目になりますが、最も長期間の調査でした。といっても17日間の調査なのですが、これまで経験した南島調査は、2週間の調査期間といっても実働12日ほどでしたから、今回、学生さんには長く感じられたと思います。
 1ヶ月以上の発掘調査が当たり前の他大学から見れば、何とも短い調査期間だと感じられるかもしれませんが、現在の熊本大学の調査体制では、なかなか長期にわたる発掘計画が立てづらくあります。

 しかし、ていねいな調査を行おうとすれば、ましてや古墳の主体部の調査を行おうとすれば、1〜2ヶ月程度の調査期間を見積もることは当たり前です。私は、十分な調査期間が取れなければ、また、学生の実力がなければ、安易に古墳の主体部に手を付けるべきではないと考えています(当然といえば当然のことですね)。
 私が、長期間にわたって、発掘調査現場にずっと張り付くことができるという保証も今のところありません。

 ですから、千崎古墳群の調査では、まず、伐採の十分でない古墳群に分け入り、玉名高校調査で確認されていた古墳の所在確認から開始し(2003年4月)、次に400mにわたる丘陵全域の測量調査を実施し(2004年3月・4月)、そして今回、地表面に露出している石棺の現状実測図を作成し、一部の発掘調査に及んだのでした(2004年9月)。
 分布調査−測量調査−現状図の作成−発掘調査というオーソドックスな手順を踏んでいます。

 ただ、今回の調査では、玉名高校がすでに発掘調査を行っている石棺内部の再発掘を予定していましたが、時間切れで行うことができませんでした。また、竪穴式石室残存部上面を検出した5号墳では、墳丘確認をするためにいくつかのトレンチを設ける予定でしたが、これも実施を断念しました。
 このように、千崎古墳群の内容を明らかにするという目標を達成するには、今回の調査成果ではまだまだ不十分です。でも、現状の写真を撮影し、現状の実測図を作成するという、最低限の基礎資料作りはできています。

 こうした状況から、私は、次年度も千崎古墳群の調査を行いたいと考えています。少なくとも、玉名高校が調査したものについての再調査は必要だと考えています。そうすることが、千崎古墳群を今後保存・活用していくうえでも重要ではないかと考えています。
 幸い、最初の分布調査から参加している学生が、来年、4年生になります。
 実力をつけた彼らが、また、今回の調査に参加した大学院生・4・2年生が、来年、大きな戦力となってくれることを心から期待しています。

 そうした場合、来年の調査期間は最低1ヶ月程度見ておかなくてはならないかもしれません。定期的な休日を設けることの必要性も感じています。精査のための器材もそろえなければなりません。
 そうしたもろもろの調査計画を、今から真剣に考えていくつもりです。

2004年9月15日(水)

千崎22号墳から八代を望む 千崎20号墳の墓壙

 いよいよ調査も終わり。
 本日、千崎古墳群では、まだ出来ていない図面の作成作業に終始しました。特に、石室の輪郭を出した千崎5号墳。私はそれほど難しくないと思うのですが、担当者はとてもとまどっていて、図もおかしいので、今日、やり直しを命じました。
 しっかりせなあかんで!、というところでしょうか。フー・・・

 大矢野町史編纂室のご厚意で借りていたテントやブルーシートなどの洗い作業も行って、撤収に移りつつあります。
 当初の予定では、1つ2つの石棺内部の調査も行うつもりでしたが、やはり、まだ発掘調査が初めてという学生さんもいるし、石棺などの構築物の実測に慣れていない学生さんが多いので、予定の変更に次ぐ変更で(皆、わかっていましたか??)、計画より1日早く、明日、撤収します。
 何時頃、帰り着くかなあ?

 写真の左は、千崎22号墳の実測風景。バックは八代海で、遠くに八代の町が見えています。
 右は千崎20号墳の断面。畑の造成によって石棺小口部分が破壊されていますが、そのおかげ?で、石棺構築過程が垣間見えます。地山を2段に掘り込み、下段墓壙に石棺石材を設置、上段墓壙と下段墓壙の境にあるテラス面を棺外面にしています。
 別の石棺ですが、玉名高校調査時に棺外から鉄剣が出土したという記述があるので、20号墳以外でも、このような2段墓壙を形作っていた可能性が考えられます。
 なお、石棺棺底に玉砂利を敷いている様子も窺うことが出来ます。

2004年9月14日(火)
宿舎の非常ベル
 今朝、4時頃、けたたましく非常ベルが鳴り続けた。
 火災が発生したのかも知れないと思い、すべての部屋を見回ったがそうではなさそう。誤作動だとすぐに判断がついたが、対処の方法がよくわからない。
 だからしばらく、10分くらい鳴り続けていたんだと思う。
 我々とは別に泊まっておられる方が、解除してくださったのでよかったけれど、もし我々だけなら、誰かが来るまで、止めることが出来なかったんじゃないかなあ・・・

 で、右の写真が、人騒がせな非常ベルです。
 あんな大きな音の中で眠り続けた学生さんには、ちょっと笑ってしまいましたが・・・

 4時過ぎ、建物の外に出ると星がとてもきれいでした・・・

太陽と千崎9号墳 千崎13号墳 千崎10号墳の内部
 ここ数日、とても暑い日が続いています。
 調査当初の夏がぶり返してきたようで、というか、むしろそれよりもひどいかも知れません。とくに午前中は、風がそよとも吹かず、直射日光の下にいると、汗がしたたり落ちてきます。
 こんな中、石棺の図面をとることに専念してくれている学生さんには感謝です。

 今日は、報告書の記述に向けて、古墳群の各所を歩き回りながら、すべての古墳の様子をチェックし、メモをとっていました。上の写真は、そうした作業中に撮ったものの一部です。
 左は、千崎10号墳の石棺内部の様子。棺蓋の隙間からデジカメを中にすべり込ませて撮影しました。高さ40p程度の空間があることがわかります。49年前に玉名高校によって調査され、4体の人骨が検出されている石棺です。
 真ん中は、13号墳。陽を遮るもののない場所にある石棺で、実測している学生さんはバテバテです。
 右は、夏の日差しを表現したくて、石棺棺蓋の裏と太陽を組み合わせてとってみました。写真の下半は9号墳の棺蓋です。とても暑そうな様子がよく出ていますでしょう??

2004年9月13日(月)

長砂連古墳 実測風景 長砂連古墳の現状
 今日は、軽トラを1.5トントラックに変更する日だったので、朝一で大学に戻りました。甲元先生と一緒にです。狭い車中で、学生の様子、研究室のこれからのあり方などのよもやま話。
 大学では、宿舎の会議室借用についての手続きやら、黒髪南地区への車入校のお願いやら、ホームページの更新やら、150通以上もたまっていたメールの処理やら、今月末の歴博出張の手続きやら、消耗品やメール便の校費処理手続きやら、なんやかんやとばたばた過ごし、午後4時頃、トラックを運転して宿舎に戻ってきました。
 その後、長砂連古墳・千崎古墳群の順に、今日の作業状況を確認。学生さんたちは皆、自分たちなりに考えて作業を進めていたようです。少しは任せられるようになってきたかな?

 そろそろ作業も大詰めを迎えています。

 上の写真は長砂連古墳外形の現状と実測風景。古墳は1934年(昭和9年)に発見されましたが、その時の破壊で、石障しか残っていません。現在の円丘は1975年(昭和50年)に盛られたもので、本来の姿を示すものではありません。石障もいくつかの破片に割れていて、破壊後、それらを積み直したという状況。失われた部分には、まったく別の石材をはめ込むことで、復元が為されています。一部には瓦片まで埋め込まれていて、コンクリートで固められています。また、(入口から見て)右石障と奥壁の関係ですが、発見当時の図面では奥壁面に右石障端部が接するようになっていますが、現在は、右石障面に奥壁端部が接しています。つまり、右石障奥壁近くの直弧文の一部が、奥壁に隠されている状況になっています。突起の1つも失われています。
 したがって、本来の状況をどの程度残しているのか、少々疑問な点がない訳ではありませんが、これまで、直弧文の浮き彫り表現をうまく表した実測図がなかったので、今回、再実測を行っているという訳です。

 印象では、左石障の直弧文の方が原則にかなっているようで、「X」の表現も段差によって行われており、古い印象を与えます。一方、右石障直弧文の「X」の表現は、「X」の両側を彫り込んだ浮き彫りになっていて、直弧文自体もやや稚拙な感じがします。同じ石障に描かれた直弧文といっても、描かれる部位によって描く人が異なっていた可能性があります。

 長砂連古墳の中はものすごい湿気で、扇風機をかけながら、写真のように実測作業に励んでくれています。感謝!!

特大のおにぎり おにぎり作り  千崎古墳群では、実測作業花盛り。今日実測を行っていた古墳は、5・8・13・15・16・17・20・22・25号墳。
 各所に分散した作業体制になってきて、フィールドマスターの森君は人員配置に苦労しているみたいです。
 やり残す仕事のないように注意しないといけません。

 でも、あともうひと踏ん張りです。16日撤収の可能性が出てきました。

 さて、上の写真は、朝のおにぎり作りの様子です。皆、楽しそうに作っていますね。
 今日は、特大のおにぎりが出来ました。

2004年9月12日(日)

調査参加の面々(宿舎前にて) 千崎5号墳 石室検出状況

 上記左は、宿舎前の海岸にての集合写真(バックは天草5号橋)。
 右は、千崎5号墳の竪穴式石室残存面の検出状況。

 いや〜、申し訳ない。とても眠いので床に就くことにします・・・


 【追加】(13日午前です。教育学部のトラック借用のため大学へいったん戻っています。)

 12日は、甲元先生が陣中見舞いに来てくださり、夕食時にビールを飲み過ぎて、これを書くことが出来ないほど眠かった・・・で、今書いています・・・

 写真の右は、千崎5号墳の竪穴式石室上面検出状況ですが、当初予想していたとおり、竪穴式石室下半部が残存しているものであることが判明しました。写真下方、コーナーの石材が弧を描くように配置されていることがわかります。このことからも、石室上半ではかなりの持ち送り構造になっていることが推測できます。
 石室規模は、現状の長軸で2m弱。小さい石室です。
 これまで、石材が散乱しているので「積石塚」とされることもありましたが、それは、こうした石室が破壊された状況を示していると判断できます。

 今回の調査では、掘り下げはここまでで、あとは記録作業となります。しっかりと埋め戻し、内部の調査は次年度に持ち越しです。

 さて、この日は、当石室検出状況の写真撮影を済ませました。

 熊本大学の実習調査では、基本的にすべて学生が作業を行います、写真撮影も例外ではなく、ポイントとなる写真は「写真係」が撮影を担当します。したがって、教員は、ちゃんと撮っているのか、アングルは大丈夫か、などのチェックにとても気を使います。
 現場写真は失敗が許されませんから、学生が担当するというこうした教育システムには、熊大赴任当初、とてもビックリし、本当に任せても大丈夫なのか・・・と、とても心配になったことがあります(1998年の頃です)。ですが、写真係になった学生は、さすがに緊張感を持って取り組んでくれていて、今では、アドバイスはしますが、基本的に任せるようにしています。こういう気持ちになるまで、かなりの時間と勇気がいりましたが・・・

 そうなると次に気になるのは、「写真係」の学生はいいとして、それ以外の学生は、写真を撮るということに対する意識がとても低く、積極的に写真の勉強をしない点でした。「写真係」に任せっきりで、自分で撮ろうともしないという傾向がありました。
 したがって、去年の高熊古墳の調査からは、自分が検出した遺物の写真は自分で責任をもって撮ること、としました。当然近くについて、カメラのセッティングから、シャッタースピードや絞りの関係、アングルの決め方、撮影時の注意点などを教えながらやっています。
 現場で撮影を行うことが、写真撮影上達のもっとも近道と考えていますから・・・

 しかし、35oは任せられるとして、中判カメラを十分に使いこなせる学生はまだ限られています。学部2・3年生ですから仕方がないのですが、この日の石室写真撮影時には、ちょうど「写真係」の学生は、別の石棺の実測に専念していましたから、私が撮影を行いました。
 それで感じたことですが、私は写真撮影が好きなんだなあ・・・ということ。ひさしぶりに現場で撮ってみて、気持ちがウキウキしましたから。

 大阪大学の頃は、かんじんな写真はすべて私が撮影していましたから、当時のことを思い出しました。
 そんな私が、学生に写真を任せられるようになったということは、私も教育者として少しは成長しているということでしょうか??

2004年9月11日(土)
現地説明会
 本日は現地説明会。
 地元の住民の方々が25名ほど来て下さいました。初めて千崎古墳群に登ってきたという方もいて、地元の文化財を知っていただくよい機会になったのではないでしょうか。また、我々が何をやっているのか、何がわかったのか、つまり調査成果について、あるいは考古学的な調査を行うことの意味について知っていただく機会にもなったと思います。

 私が大阪にいた頃、現地説明会は毎週のようにどこかでやっていて、よく行っていました。発掘調査を行えば、特別な事情がない限り何らかの説明会を開催する、というのが当たり前のようになっているのではないでしょうか。
 ところが、熊本県では、まだまだ現地説明会の開催に対する意識が低いように感じています。いいものが出たから、よい成果があったから説明会を行うというのではなく、現地説明会開催の主眼は、発掘調査を行うことの意味や遺跡の意義について、住民の方々に知っていただくことにあると思っています。

 ですから、熊大考古学研究室で行う発掘調査においては、実習調査といえど、小規模ではありますが、必ず何らかのかたちで説明会開催の機会を設けるように努めています。そうしたことを経験する中から、学生さんたちは、自分たちの調査内容を真摯に見直すことになります。また、調査成果をどのように説明すればよりわかっていただけるのか、真剣に考えることになります。そうしたことを通じて、発掘調査を行うことの意味、文化財保存の意味、地域における文化財の意味などについて学んで欲しいと願っています。

2004年9月10日(金)

維和中学校の生徒さんへの説明会 維和中学校の生徒さんへの説明会−個別説明

 今日のメインは、地元の維和中学校の生徒さんへの説明会。全校あげて(生徒さんと先生含めて70名ほど)来てくださって、大盛況だったように思う。
 とくに、フィールドマスターの森君が本当によく準備していて、とてもスムーズに運んだと思う。個別説明に立ってくれた学生さんも一所懸命やってくれて、とてもうれしかった。この場を借りて、ありがとう!!
 午後をほとんどすべてつぶしたけれど、見学の中学生諸君も熱心に聞いてくれて、やってよかったと思える説明会だった。最後にお礼の言葉を述べてくれるシーンには、少々感動しました・・・(感涙)

 写真の左は、全体説明を行う森君の雄姿。右は、6班に分かれての個別説明を行っている様子(そのうちの1班が、石棺の前で学部3年生から説明を受けています)。

 今夜は、49年前の玉名高校調査時に高校3年生で調査に参加された杉村彰一先生が、宿舎にお泊まりになっています。このあと、少しお酒を酌み交わし、昔のお話を聞きたいと思っています。
 では今日はこの辺で・・・

2004年9月9日(木)
千崎6号墳 全景写真前の清掃
 発掘調査は掃除の連続です。
 とくに写真を撮る前には、徹底的な清掃をします。「まあこの程度でいいか・・・」と思ってしまうと、写真が仕上がってから後悔することは目に見えていますので、しつこいくらいに清掃を命じます。
 発掘調査は、清掃に始まり清掃に終わると言っては言い過ぎでしょうか。

 今日、いつもお世話になっているシモダ印刷の塚本さんが見学に来られました。発掘調査前に入稿した『熊本古墳研究』第2号の初校を持ってきてくださったのですが、わざわざ千崎古墳群の調査現場まで足を運んでくださり、古墳群全体を見ていかれました。こうして、知り合いの方が来てくださるのはとてもうれしいことです。ましてや、考古学を専門にする訳ではないのに来てくださる・・・本当にうれしいですね。

 シモダ印刷さんとは熊本へ来て以来のおつきあいです。
 熊大赴任当初、どこの印刷屋さんがもっとも信頼がおけるのか、とくに考古学の報告書に関して真摯に取り組んでくださるのはどこなのか、とても気にしていて、いくつかの印刷屋さんの成果物をチェックしたことがあります。その時、シモダ印刷さんなら・・・と思えるところがあったんですね。今、具体的にそれは何であったのか覚えていないのですが、”図面の仕上がり”あるいは”写真の出”なんかだったと思います。

 その後、学生さんがあまりに印刷の知識を持たないので(私もそんなに詳しい訳ではありませんが)、大学院の授業科目にインターンシップが設けられた時、それをシモダ印刷さんに頼んだのでした。やはり、将来考古学の仕事に携わり、報告書を作るのであれば、印刷について知っておくべきだと思ったのです。
 今、インターンシップでは、10日間ほど学生さんをあずかっていただき、印刷工程の一通りを経験させてもらえるようにお願いしています。

 印刷について知っているといないとでは、まったく報告書の出来が違うと思います。それに、印刷屋さんに無理な注文をしなくなりますし、印刷工程を知っているからこそ、きっちりとした原稿を仕上げるようになります。これは絶対、確かです。

2004年9月8日(水)
千崎15号墳 台風のあと 千崎13号墳実測風景
 台風一過。
 快晴で、暑いのだけれど、午後3時頃からの風がとてもさわやか。秋の風。
 九国博準備室の河野さん、長砂連古墳では大汗をかいていたけれど、千崎古墳群では肌に心地よい風と、きらきらした海の光に、とても涼しげな表情でした。

 しかし、昨日の台風はすごかったです。こんなの、初めて経験しました。
 写真の右は、千崎15号墳の近くに木が倒れている様子です。こうした事態が各所に発生しているのではないかと心配していましたが、それほどではなくホッとしました。電柱に縛り付けていた簡易トイレが動いていたのには、ちょっとビックリしましたけれど・・・

 今日から、4年生の数人が現場に参加してくれました(現場初日からずっと参加してくれている4年生も、もちろんいます)。熊大のシステムでは4年生や修士2年生に現場参加の義務はないのですが、こうして自ら来てくれることをとてもうれしく思っています。せっかく考古学を専攻したのだから、学生時代には目一杯考古学を体感して欲しいし、将来何らかのかたちで考古学に携わっていこうと考えている学生さんには、もっと積極的に現場に参加して欲しいと思っていましたから、去年くらいからのこうした傾向は、今後の熊大考古学研究室にとって、とてもいいことだと考えています。

 写真の右は、そうして今日から参加してくれた4年生が石棺の図面を書いている様子です。

2004年9月7日(火)

暴風になびく松 台風の海 暴風域を抜けた海

 本日は、台風18号のため現場作業は中止です。


 こんなすごい風は初めて経験しました。下から吹き上げる雨なんて初めて経験しました。ゴーッと迫り寄る風の軌跡を見たのも初めてでした。風に恐怖を感じたのも初めてでした。

 夜、あまりの風音に何度も目覚め、1階の様子が気になり朝5時頃、下に降りて台所の様子を見て回りました。朝食後、何もすることがないので少し横になったのですが、我々の部屋のサッシの隙間から雨が吹き込み、窓際が水浸し。新聞紙やガムテープなどで窓の隙間をふさぐのが大変でした。それから、窓に吹き寄せる風の音に恐怖心を覚え寝付くことが出来ず、1階食堂のテレビで台風ニュースをながめていました。
 いや〜、すごい風だったなあ・・・

 3時過ぎだったでしょうか。暴風圏を抜け風が弱くなった時は、本当にホッとしました。

 えらい風を経験しましたが、しかし、まあ、学生さんたちや宿舎に何事もなく台風が過ぎ去ってくれて本当によかったです。明日現場の様子を見ることは怖いですが、今日のところはひとまず安心して眠れそうです。

 さて、上の写真左は、暴風雨になぎ倒されそうな宿舎裏の松。中央は、大しけの宿舎前の海(午前9時頃)。左は、暴風圏を抜けた後の海(午後4時半頃)です。

2004年9月6日(月)

千崎6号墳の掘り下げ風景 ダニエルさんの手料理

 台風18号接近中。またまた台風です。

 今日は、朝一から台風対策。テントをたたみ、器材を運び出し、簡易トイレを固定し・・・テントや器材は近くの維和(いわ)出張所に預け、現場作業は雨との相談でだましだましやったという感じでした。雨のせいで図面作業はほとんど進まず、いつものおにぎりと缶詰の昼食は、現場ではなく宿舎で食べました。やはり缶詰は現場で食べるからこそおいしいものだと実感・・・

 今日長砂連古墳では覆いがあるので1日中作業をしましたが、千崎古墳群では、写真撮影班を残して午後1時過ぎで終了。そのあと、宿舎の掃除や図面のコピーなどをしたあと、早い温泉。
 夕食後、車を海岸近くの宿舎の駐車場から上天草市大矢野町史編纂室へ避難させ、明日帰宅予定の学生さんを1日早くJR三角駅へ送る。そんな、ばたばたした1日でした。
 明日は、台風直撃・・・で、無事過ぎ去ることを祈っています。

 上の左の写真は、小雨の中、頑張って掘り下げを続ける6号墳の面々。
 右の写真は、ペルーからの留学生ダニーさんが作ってくださったペルー料理。”ロモ・サルタド”
 牛のロースの炒め物という意味だそうです。タマネギとトマト、ポテトなどを牛肉と共に炒めたものです。とても食が進む料理でした。酒のつまみにピッタリ!?

2004年9月5日(日)
お昼ご飯のおにぎり
 いよいよ昨日から、6号墳の掘り下げを始めました。でも、地表面に石材は散乱しているのですが、箱形石棺設置のための地山の掘り込みが検出されません。
 千崎古墳群にある石棺は、一部の断面が観察できるものの所見を重視すると、地山の岩盤を掘り込んで側板などの石棺石材を設置していますから、破壊されていたとしても、地山の掘り込みラインが検出されるのではないかと想定していました。でも・・・
 もう少し、範囲を広げて、表土をはいでみないといけません。

 また、石棺の実測も始まりました。
 長側板を1枚石で造るものがあると思えば、単なる板材を2枚程度組み合わせて造っているものもあります。また、小さいながら仕切石で仕切られた部分を持つものもあります。この違いは何なんだろう。こういうことを考えながら、学生さんたちが観察し、石棺の実測図を作成してくれることを望んでいます。そうした中から、考古学の型式学やものの見方などを学んで欲しいと願っています。

 今日の写真は、昼食のためのおにぎりを用意しているところです。熊大の発掘調査は、全食事を自炊でまかないますから、昼はおにぎりと缶詰というメニューになります。まずしいですが、現場で食べるおにぎりは、格別おいしい。なぜかこれに幸せを感じてしまいます。


2004年9月4日(土)
夜のミーティング風景
 福岡市教育委員会の藏冨士寛さん来現場。私が熊本大学へ赴任する直前まで、熊大考古学研究室の助手をされていた方です。ですから、今の学生さんにとっては大先輩にあたります。
 千崎古墳群および長砂連古墳の調査状況をみていただき、多くのアドバイスをいただきました。夜のミーティングでも、貴重な意見をくださいました。
 本来なら、私が言うべきことを藏冨士さんが言ってくださった・・・という状況でした。

 「発表では考古学的所見をもっと加えるべきです。」

 確かに、皆、日々の作業内容や明日の計画などを話すことに精一杯であったと思います。藏冨士さんのこの言葉以降、ミーティングがさらにピリッと締まったと思います。

 写真はミーティングの様子。皆、調査日誌を書き、図面の整理をしています。


2004年9月3日(金)
杉井のトランシット
 写真のトランシット。昨日書いた「ねじとれる事件」の被害者です。

 このトラにはちょっとした思い出があります。
 私が熊本大学へ赴任した時、熊大考古学研究室所蔵の器材に”まともな”ものがないことに驚いたことがあります。レベルも一回転させると水平がくるうという代物で、トランシットも甲元先生が赴任当初に購入されたものしかないという状態でした。
 でも、自前の発掘調査をするのなら、もう少し器材をそろえるべきだろうと思い、でもお金がないので、当時パスコにお勤めであった岡安光彦さんに相談したところ、パスコで減価償却のすんだこのトランシットを快くゆずってくださったのでした。
 その時は、涙が出るほどうれしかった。
 その年の、つまり、私が熊大へ赴任した1年目、1998年の沖縄県伊江島ナガラ原東貝塚第1次調査では、このトランシットが大活躍したのでした。
 それ以来しばらくは、このトランシット、私が持ち込んだものとして学生さんに知られていたのですが、もう、それは過去のことでしょう。

 その後、学長裁量経費を使って何とかトータルステーションを購入したので、このトランシットも忘れ去られる運命にあるのかなあ・・・と思っていたのですが、今年の調査は、一度に数箇所で石棺の割付をするため、再登場願ったという次第です。それどころか、甲元先生赴任当初のトランシットも現場に持ち込んでいます。
 今ではバーニヤ読みなんて過去のものとなりつつありますが、今年の調査前の実習では、それがちょっとしたメインの実習内容になりました。光波測距器しか使ったことがないと、上盤・下盤といってもわからないですからね。

竜宮温泉からの眺め
 で、「ねじとれる事件」とは、微調整のねじを強引にまわした学生さんがいて、ねじの頭がはずれてしまったのです。強力ボンドを使って事なきを得たのですが、精密機械の取り扱いについて、もっと指導すべきだと反省した夜でした。

 話が変わりますが・・・

 熊大の調査は合宿で行いますが、風呂は近くのホテルの温泉に行ってます。宿舎にも風呂はあるのですが、一気に皆が風呂をすますことができるため、夜の作業をスムーズに行えるという利点があり、それよりも、何といってもとても気持ちがいい!!
 そのへんはさすが熊本で、温泉には事欠きませんから、熊本での発掘調査合宿といえば、温泉に頻繁にはいることになります。
 温泉好きの私としてはとてものんびりできるひとときです。

 右の写真は、天草の松島にある「竜宮」というホテルにある展望ぶろからの眺め。有明海に沈む夕日です。


2004年9月2日(木)
千崎6号墳。実測風景。
 昨日は、蜂に刺されて1日酒を抜いたあとだったから、ビールがすこぶるおいしかった。宿舎として部屋を借りている合図マリンステーションに泊まり込んで研究をされている理学部および教育学部の学生さんたちとの談笑も楽しく、今朝、少しお酒が残っていたみたいで、少々頭が痛かった・・・

 さて、ようやく現場らしくなってきた感じです。といっても、いつもの発掘調査とは異なり、いきなり割付と図面、写真撮影から入っていますから、とまどっている学生さんが多いみたいです。掘る作業はやっていても、割付や写真撮影などを十分経験していない学生さんが多いから、作業の進行状態は思いのほか遅いという印象です。私の予定していたところの、倍の時間がかかっているという感じです。
 でも、これも仕方がありませんね。ほぼ初めての発掘という人もいますから。まあ、これが実習調査というもので、こうした実際の記録作業を一から自分で考え、行動し、経験してみる。特に、写真などは、現場で実際に撮影するという経験を通してしか、つまり、極論すれば、失敗が許されないという緊張感の中での撮影を経験することでしか上達しないと思っていますから、今回の現場では、26基の古墳があるので、現場参加者すべての人に写真を撮ってもらうつもりでいます。

 ・・・
 ちょっと中断しました。
 宿舎前の海で、海ホタルが淡い光を放っています。それを教えていただき、しばしながめていました。
 淡くほの暗く、でも海に竿を入れてかき混ぜると、一斉に光を放って水の中の流れ星みたいになりました。
 ・・・

 さてさて、今日の写真は千崎6号墳の実測風景です。石材の散乱状況の図面を作成しています。

 昨日の特筆すべき出来事。
  1.シュワシュワおにぎり事件
  2.トランシットねじとれる事件


2004年9月1日(水)
千崎5号墳の割り付け
 本日から本格的な作業の開始です。平面実測のための割り付け作業と写真撮影から始めました。

 写真は千崎5号墳の割り付け風景ですが、こちらのチームはトータルステーションを使っています。
 今日は6号墳の割り付けも行いましたが、こちらはトランシットとレベルしかありませんでしたから、斜距離を水平距離に換算しなければなりません。でも、光波測距機ばかり使っていると、そうした機械のない場合の対応が案外出来ないんですよね。

 今回の調査実習では、そのような対応策の勉強もして欲しいと思っています。ですから、透明チューブなんかも、使わないだろうなあ・・・と思いまがらも、デモンストレーションのつもりで持ち込んでいます(最初、学生さんたちは、チューブを見てとても不思議がっていました)。一度、やってみせないといけませんね。

 さてさて、明日から実測作業が始まります。皆、どれだけ出来るのか、また調査後どれだけ成長した姿を見せてくれるのか、とても楽しみにしています。

2004年8月31日(火)
千崎6号墳。調査前写真撮影風景。
 昨日台風が行き過ぎ、今日朝から搬入を行うことができた。午後から現場に出て作業開始。いよいよ始まった。

 クマバチ?に刺される。調査前の写真撮影の時、気になるところがあってそれを他の場所に移そうした時、右の肩甲骨の当たりに激痛が走る。直後、ブ〜ンという羽音。蜂だとすぐに気付いたが遅かった。むちゃくちゃ痛かったよなあ・・・
 我慢しようと思ったけれど、調査初日だし、私が寝込んではシャレにならないので、医者へ急ぐ。
 解毒剤を肩に注射してもらって、嘘のように痛みが引いた。
 今、夜10時半。少し痛みがぶり返してきたけれど、刺された直後に比べれば、天と地の差ほどの違い。

 教訓。蜂に刺された時は、すぐに医者にいくべきです。

 今日の写真は、千崎6号墳。掘り下げ前の写真撮影風景です。甲元先生が大活躍!


2004年8月29日(日)
考古学資料室での器材準備状況
 台風16号の大接近で、明日の現場開始を1日延ばしました。明日には九州を直撃するという予想がでていて、今午後4時前ですが、かなり風が出てきています。私はまだ大きな台風を経験したことがないので(1999年の時はトルコで発掘中でした)、どのようになるのか少々心配です。
 今回の宿舎は合図(あいず)マリンステーションといって、理学部の施設です。松島町の風光明媚な海岸脇に立っていますから、台風による高潮の影響を心配しています。今日朝から電話をしていますが、誰もおられない様子。避難されているのでしょうか?

 去年の初日も、台風にたたられたよなあ・・・と今思い出しています。でも、大学からの搬入は中止しましたが、教育委員会からの借用物品の搬入はできましたから、まだましな方だったと思います。
 しかし今年の台風は、その比じゃなさそうで、31日、無事に現場を開始することができるのか、大いに心配をしています。なお、右の写真は、現場へ持ち込まれるのをじっと待っている器材たちです。

2004年8月28日(土)

教育学部のトラック 昭和48年式ホンダの軽トラ

 上の2台は現場での相棒。左が1.5トントラック、右が昭和48年式のホンダの軽トラ。どちらも教育学部から借りています。

 ブルーの1.5トントラックの方は、現場最初の搬入と最後の搬出で大活躍します。大量の現場道具や宿舎道具を運搬するのに、本当に役に立っています。これを借りることができないことを考えるとゾッとします。そういう点で、教育学部のご厚意には、心から感謝しています。ほんとにありがたいことです。
 実はこのトラック、今年から新しくなっています。去年から現場に来ている学生さん、気付きました? 去年は白色のトラックでしたが、何が一番違っているかといえば、このブルーの方はエアコンが効くということ。今年のような本当に暑い夏の日にはうれしいことです。

 右の軽トラ、骨董品です。もう30年選手です。アクセルやブレーキなどは床から生えていますし、シートベルトは2点式。ライトも上下の複眼で、ハイビームにすると上下の2つが点灯します。ワイパーのスイッチも引っ張り上げるものだし、何といっても小さい。360ccでしょうか。
 最初これを借りた2年前、ガソリンは有鉛を入れろと書いてあるから、探しまくりました。でも、今時、有鉛ガソリンなんて売ってないのは当然のことで、困り果てて、私のいつもお世話になっているホンダのディーラーさんのところへ持って行って相談しました。そしたら、レギュラーを入れておけばいいということを聞いて一安心。
 でもそれ以上に、こんな車が現役でまだ走っているのかって、ホンダの整備士さんたちのえらい評判になってしまいました。あとから聞くと、譲って欲しいという方もおられたみたいです。でも大学のものですからね・・・
 私も、現場のたびにこれを借りて運転するのが、密かな楽しみになっています。燃費は悪いし、スピードは出ないし、クーラーはないし・・・なのですが、機械が一生懸命動いている、それを動かしているということを実感できる車で、運転していてとても楽しいんです。今年は天草の現場ですから、片道2時間弱のドライブ。海沿いの道を、がたがた走っていきます。
 でも、ちょっとぶつかったら大破しそうですから、安全には十分注意しなければなりませんね。

 さて、台風。決断の時かもしれません。でも、今、いい天気なんだよなあ・・・

2004年8月27日(金)
千崎古墳群 苓州丸からの遠景
 右の写真は、千崎古墳群を海の上から見た様子。三角(みすみ)港から維和島の蔵々(ぞうぞう)港へ向かうボート(苓州丸)の上から撮影したものです。海へ突き出した細い尾根筋の上に古墳が点々と分布しています。

 千崎古墳群の調査は、今から約50年前、1955年に玉名高等学校によって行われました。その時、いくつかの箱形石棺から良好に遺存する人骨、ほかに鉄剣などが検出されています。でも、簡単な報告があるだけで、詳細はよくわかっていません。

 今、現地に立ってみると、露出した箱形石棺、それから石室(?)石材の散乱した状況を見ることができます。こうした石材の散乱状況をとらえて、これまでは積石塚とされてきました。でも、はたして、本当に積石塚なのでしょうか? この点には大いに疑問があります。
 そこで、今回の調査では、そうした古墳の実態の解明を目指します。また、露出している箱形石棺の現状図を作成することを目標にします。ですから、石室(?)と箱形石棺の関係性を知りうると思われる箇所に小さなトレンチを入れるのみの調査となります。大きく掘り下げる予定はありません。また、石棺実測のために、2人一組となって古墳群のあちらこちらに散らばって作業を行うという、これまでの熊大の調査とは異なったスタイルになります。

 さあ、来週から調査の開始です。今日、教育学部から機材運搬のためのトラックを借りてきて、調査前の作業はほとんど終わりました。30日の月曜日、台風16号の影響が少なければ、いよいよ出発です。
 でも、台風が大いに不安・・・

 ※現場宿舎のネット環境が許せば、これを毎日更新できると思いますが、おそらくそうもいきません。大学に戻る機会があれば更新できるかもしれません。